2024年12月 2日 (月)

プレイバック春日局・(47)反逆の理由

【アヴァン・タイトル】

長崎県島原半島の南部・南有馬町。原城跡は寛永14(1637)年の島原の乱の主戦場です。37,000の農民たちが10万の幕府軍を相手に、ここで戦ったのです。この地方は寛永11(1634)年から続いた凶作で、農民の生活はどん底でした。しかも領主の年貢の取り立ては緩められず、たまりかねた農民は乱を起こしたのです。この乱の総大将が16歳の益田四郎時貞。世にいう天草四郎です。

島原も天草もかつてはキリシタン大名の領地で、人々の間にはキリスト教信仰が強く根付いていました。幕府の強まる信仰への弾圧は、この乱をいっそう激しいものとしました。女・子どもを巻き込んだ農民たちは、最後の砦・原城で決死の戦いに臨みました。島原の乱は農民とそれを支配する武士との間の戦いで、徳川幕府にとっては初めて経験する本格的な内乱だったのです──。

» 続きを読む

| | コメント (0)

2024年11月29日 (金)

プレイバック炎 立つ・第三部 黄金楽土 (33)秀衡逝く

【アヴァン・タイトル】

藤原基成は、源 義経受け入れに関して秀衡と衝突。ついに袂を分かった。秀衡は義経を擁し、頼朝との戦の準備を進める一方、泰衡は朝廷に和平工作を画策していた。しかし基成は息子・隆実を密かに鎌倉に遣わし、秀衡暗殺計画を頼朝に打診していたのである。それぞれのせめぎ合いの渦中にあった倫子(りんし)は、基成の娘として秀衡の妻として、そして泰衡の母としていずれをもかばうことができず、苦しい立場に置かれていた。

そして暗殺決行の夜、事前に計画を察知した泰衡のおかげで、秀衡は一命をとりとめたかに見えた。が、しかし──。

» 続きを読む

| | コメント (0)

2024年11月27日 (水)

プレイバック春日局・(46)忘れえぬ面影

【アヴァン・タイトル】

ここは『春日局』でおなじみのコンピュータ・グラフィックス映像を作っている部屋です。今日はこのコンピュータを使って、江戸城の大奥を探検してみることにしましょう。「よろしくお願いします」「はい」

大奥で最も特徴のある建物、長局(ながつぼね)。ここは大奥に勤める女性たちの住まいで、中は同じような間取りの住居が何軒も並んだ、長屋のようになっています。一軒の間取りは、まず右側が炊事・洗濯など水回りのスペースです。ここは台所。廊下を渡ってここはお手洗い。その隣、壁の向こうは風呂場です。ここから奥は居間や応接の間などが続きます。ある程度の身分の女性はこうした住居をもらい、下働きの者とともに暮らしました。

多い時には数百人が住んだという長局。そこはまさに女性ばかりの集合住宅だったのです──。

» 続きを読む

| | コメント (0)

2024年11月25日 (月)

プレイバック炎 立つ・第三部 黄金楽土 (32)基成の怒り

文治2(1186)年12月、藤原秀衡は源 義経を平泉へ正式に受け入れます。家臣たちが去った大広間では、藤原基成と泰衡だけが居残っていました。誰が何と言っても平泉が義経を受け入れた事実はもはや変わらず、泰衡は源 頼朝との戦をどう避けるのか考えていかなければならないと主張しますが、基成はそれを「甘い!」と一蹴します。

義経を受け入れることと戦を避けることは両立しないと泰衡自身が言っていたことです。しかし泰衡は、道がなければ切り開けばいいと考えを変えません。この平泉に産まれ、平泉で育ってきた泰衡にとって、100年にわたって受け継いできた平泉の、蝦夷の誇りを捨てることはできない──。「蝦夷の誇りとな……!?」 基成は絶句します。

» 続きを読む

| | コメント (0)

2024年11月24日 (日)

大河ドラマ光る君へ・(45)はばたき ~まひろが道長に別れ告げ旅へ~

藤原道長の詠んだ『この世をば』について、幼馴染たちは何だったのだろうと話し合っています。源 俊賢は栄華を極めた今を歌い上げていると解説し、藤原公任は道長がおごった歌を披露する人ではないとかばいます。藤原行成は、月は后を表し3人の后は望月のように欠けていないよい夜だと解釈したと打ち明けます。藤原斉信ただひとり、皆の説を聞いて「そうかなぁ」と首をかしげます。

敦康親王は、摂政に就任したばかりの藤原頼通を労わります。太閤道長に毎日怒鳴られてばかりいると吐露する頼通に、父に怒鳴られてみたかったと敦康は笑いますが、太皇太后彰子は、嫄子(もとこ)女王には父らしい父として接するよう助言します。嫄子や妻祇子(のりこ)らと家族で帰る時、敦康は突然胸の苦しみを訴えます。

» 続きを読む

| | コメント (0)

2024年11月22日 (金)

プレイバック春日局・(45)三代目の力

【アヴァン・タイトル】

東京都千代田区紀尾井町。都心部に位置するこの一角には、広大な敷地を持つホテルや大学が立ち並んでいます。いずれも江戸時代の大名屋敷の跡地です。現在ほとんどの大名屋敷は、大きな公共施設などにその姿を変えています。

この一角は、紀伊、尾張、井伊の三つの大名家にちなんで、明治以降「紀尾井町」と呼ばれるようになったのです。寛永12(1635)年に制度化された参勤交代で、大名は長期の江戸滞在を命じられ、それにつれ大名屋敷が増えていきました。江戸の都市人口はおよそ50万人。武家地が全面積の7割を占める一方で、ほぼ同数の町人地は2割にも満たないものでした。

武士の消費生活を支えるために、多くの町人が狭い土地で活発な経済活動を行っていたのです。江戸の人口は家光の時代から40年後の元禄年間、100万を超え、江戸は世界一の消費都市になっていったのです──。

» 続きを読む

| | コメント (0)

2024年11月20日 (水)

プレイバック炎 立つ・第三部 黄金楽土 (31)約束の剣

【アヴァン・タイトル】

源 義経追討の宣旨が後白河法皇より鎌倉の頼朝の元に届いた。頼朝は行方知れずとなった義経の行き先を平泉と読み、そこで奥州を孤立させる作戦に出た。一方秀衡は、断固として鎌倉と対峙する姿勢を摂ろうとしたが、泰衡の意見により頼朝が押し付けてきた条項を呑む。それは平泉を戦火に巻き込まないための選択であった。

そのころ都落ちしていた義経・弁慶の一行は、数々の受難に遭いながら平泉を目指していた。しかし今ここで義経を受け入れることは、奥州の立場を危うくすることになる。泰衡は決死の覚悟で義経の平泉入りを阻止せねばならなかった──。

» 続きを読む

| | コメント (0)

«プレイバック春日局・(44)おんなの目