プレイバック徳川家康・(48)大坂夏の陣
前年の和睦にもかかわらず、大坂城内に残った浪人たちが再び騒ぎ出した。もはや秀頼親子の意向とはかかわりなく暴動化していく気配に、家康は駿府から再出陣の途についた。慶長20(1615)年4月4日である。桑名や伊勢、さらに西国の諸大名にも徳川家康や江戸から出陣の命が下され、戦に突き進んでいると大野修理は報告しますが、淀は修理の忠告を聞き流して気にも留めません。
織田有楽斎が名古屋へ向かったなど、修理は城内から裏切り者が出たと淀を煽ります。しかも家康が豊臣秀頼に大和郡山城へ早く移るように急かしている状況です。淀は修理を黙らせ、せめて自分が家康のご機嫌伺いに派遣した使者が戻って来るまでは、有楽斎の名古屋行きの話などは伏せておいてほしいと諭します。修理は頷くしかありません。
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