2020年1月24日 (金)

プレイバック信長・(06)大名への第一歩

【アバンタイトル】


日本へ来たザビエルたち宣教師は
ローマ教皇庁のイエズス会に属していた。
この修道会は、宗教改革の波に対抗して
保守派が体制内改革を目指して作ったものである。


その創設メンバー7人の中にザビエルもいたが、
中心人物は、イグナチオ・デ・ロヨラであった。
彼は、スペイン北部・バスク生まれのもと軍人であった。


偶然ではあるが、ザビエルはその隣の
ナバラ王国生まれで、貴族の息子であった。


ロヨラは軍人を辞めた後、マンレーサで修業を重ね、
やがてパリ大学でザビエルたちと出会った。
そして1534年、イエズス会の創設を誓ったのである。
ちなみにこの年は、信長の生まれた年でもある。


ロヨラたちは自らを神の正史といい、
軍隊的な厳しい規律を誓い、形式的なものを排して
直接神の教えを実践する修行をモットーとした。


彼らが新発見の国に派遣されたのは、もちろん布教のためであったが、
結果として、政治や貿易問題に巻き込まれることになった──。

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2020年1月23日 (木)

vol.289・カウントダウン

vol.289・カウントダウン (パーソナリティ:Kassy)

 

第289回放送です。

二代目Kassy号への引継ぎの時が近づいてきました。
「楽しみ~★」なのか「寂しい…」なのか
今のKassyの心境は、番組をお聞きください!!

 

今回のListening Pointは……

麒麟がくる

 

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2020年1月21日 (火)

プレイバック信長・(05)まむしの道三

【アバンタイトル】

鎌倉時代、守護は幕府の役人として
国々に派遣された、知事のようなものであった。
彼らはやがてその地に根を下ろし、権限の拡大に伴って力をつけ、
ついにその地方を支配するに至った。守護大名の出現である。

だが、戦国時代になると秩序は乱れ、下克上の風潮が日本全国を覆い、
守護大名でさえ安定した存在ではなくなっていた。
斎藤道三のように油商人から美濃一国を支配する大名にのし上がったものもいる。
そういう中で、守護代は領国支配の先鋒として守護大名が勝手に作ったものである。

当時、名ばかりの尾張守護・斯波氏は、かつて越前・遠江・尾張の
三国の守護を兼ねるほどの勢力を持っていたが、
今は昔日の面影もなく、
守護代・織田信友の居城・清洲に居候する有様であった。

「権威」と名の付くものが、時代の波に現れていた──。

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2020年1月19日 (日)

大河ドラマ麒麟がくる・[新] (01)光秀、西へ ~若き明智光秀の旅がいま、始まる~

室町時代末期・天文16(1547)年──。

武家の棟梁である将軍足利氏は、家臣たちの権力闘争と
足利家の内紛により力を失っていた。
幕府は弱体化し、争いは各地へ伝染していった。

京から40里離れた美濃国にも、戦乱の波は押し寄せていた。

 

ここ明智荘では、子どもたちが元気よく追いかけっこいかけっこをし、
あるいは農作業を手伝う子どもたちの声が響き渡る、
お宮の鳥居をくぐって走っていった先には
広い田畑がどこまでもどこまでも続いているような平和な土地です。

そんな田畑の真ん中に立っているのが、明智十兵衛光秀。
実り多く、満足げに田畑を見渡していますが、
何かを感じ取ったか、駆けていって戦闘態勢に入ります。

農作物を強引に奪っていく、夜盗です。
家来の藤田伝吾の報告では、15騎以上はいそうだ、とのことですが
光秀は特に加勢は頼まず、いつもの訓練通り屋敷や蔵に身を潜めて、と指示して
さっそくその準備に入ります。

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2020年1月17日 (金)

プレイバック信長・(04)切腹

【アバンタイトル】

史上初めて日本へやってきた西洋人はポルトガル人であったが、
それは偶然の結果ではなかった。

1492年、コロンブスがアメリカ大陸を発見した後、
隆盛を極めていたスペインとポルトガルの間に
新発見の領土の帰属問題に論争があり、
裁定を持ち込まれていたローマ教皇庁は1493年、
おおよそ東回りをポルトガルに、西回りをスペインのものとした。

その結果ポルトガルは、アフリカ大陸南端の喜望峰を回り、
インドに達し南部ゴアを占領して東洋の拠点を築いた。
ザビエルはポルトガル人ではないが、ポルトガルの要請で
ローマ教皇庁から送られ、インドに派遣されたのである。

ポルトガルが日本占領を考えなかったのは、あまりにも遠かったためで、
そのことが、日本とポルトガルの出会いを幸運なものとした。
だが、日本人は、そういった世界が海のかなたにあることを
まるで知らなかった。

もちろん、織田信長もその一人であった──。

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2020年1月14日 (火)

プレイバック信長・(03)抗争のはじまり

【アバンタイトル】

ザビエルの見た京の都は、長年の戦乱で荒れ果てていて、
布教の許可などもらえるような状態ではなかった。
ザビエルは仕方なく都を去った。
もはや足利幕府は名目上の存在になっていたのである。

一方、駿河今川、甲斐武田、越後の長尾輝虎などが力を蓄え、
上洛の機会を狙い始めていた。

そういう中で、信長の父・信秀はこの世を去った。
信長はまだ19歳だった。
そして尾張はいまだ小勢力の集まりでしかなかった。
この機を逃さずに動き出したのが今川義元である。

義元は駿河一国にとどまらず、遠江・三河を抑え、
なお西に向かって膨張し続けていた。
そしてついに尾張鳴海城主・山口教継が寝返るのを幸いに、
信長の領内に攻め込んできたのである。

これが、抗争のはじまりだった──。

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2020年1月10日 (金)

プレイバック信長・(02)親父の死

【アバンタイトル】

尾張国は当時、上・下8郡に分かれていて、上4郡は守護代の織田信安が、
下4郡は尾張守護・斯波義統を擁した守護代の織田信友が治めていた。
織田信長の家は、その守護代家の分家で、3奉行のひとりに過ぎなかった。

だが、信長の父・織田信秀は、
木曽川沿いの港町・津島を拠点に富を蓄積し勢力を伸ばしていた。
信秀は、勝幡城を居城に那古野城を奪い、古渡城・末森城を築き、
他国にも攻め入って、三河の安祥城、美濃の大垣城などを手に入れていた。

すでに足利幕府は力を失い、京都は戦乱で荒れ果て、
日本国中、新旧交代の戦いで満ち溢れていた。

同じころ、ヨーロッパでも、カトリックの総本山・ローマ教皇庁の
古い権威主義と腐敗に対抗して、激烈な宗教改革運動が起こっていた。
来日した宣教師たちも、またその渦中の人たちであったが、
彼らはカトリック再建のため、命を捨てる覚悟で日本の地を踏んでいた──。

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