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お乗り換え〜♪

Kassy号〜♪の車窓から 2011

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2017年8月22日 (火)

プレイバック葵 -徳川三代-・(15)花嫁は三歳

関ヶ原の合戦で石田三成を滅ぼした徳川家康は
毛利輝元らの政敵を容赦なく追い落とし、
おおむね天下を手中に収めた。

しかし、太閤豊臣秀吉の遺児・豊臣秀頼と
その生母・淀殿は依然として大坂城に君臨し
家康にとっては目の上のたんこぶであった。

主君を“目の上のたんこぶ”呼ばわりするのは不忠の極み?
家康を謀反人のように言うのはよろしくない?

いやいや、家康が謀反人であるならば
秀吉もまた謀反人である。
秀吉は天下人になった折、
主君織田信長の係累をみな家来にした──!!

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2017年8月20日 (日)

大河ドラマおんな城主直虎・(33)嫌われ政次の一生

徳川が遠江に攻め入り、
いよいよ井伊谷城の明け渡しとなったのですが……。

今川家からの井伊目付である近藤康用徳川軍の先導役に立ち
家康の使者である酒井忠次が井伊谷に現れ、開門を求めます。
小野政次は素直に開門に応じるのですが、
次の瞬間、降り注ぐ大量の矢が……。

12月13日、井伊谷は近藤たちの攻撃を受けます。

罠じゃ! と井伊直虎は政次に叫び、
政次はただならぬ雰囲気を察して
開いた門をただちに閉じてしまいます。

「開けられよ! 話はそれからじゃ」
忠次は直虎を睨みつけます。

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2017年8月18日 (金)

プレイバック葵 -徳川三代-・(14)淀の面目

敗軍の将・石田三成は41歳を一期として
六条河原の刑場の露と消えた。
佐和山城には金銀財宝はおろか弾薬も米もほとんど残っておらず
ありったけの私財をすべて投げ打って関ヶ原を戦ったのだった。

戦とは、莫大な出費を要するもので
三成の誤算と言えば、大坂城に蓄えられた豊臣家の遺産を
引き出すに至らなかったことである。
そして徳川家康もまた、遠征に次ぐ遠征でかなり消耗した。

これらの軍用金は、東軍も西軍も多国籍軍であるため
大名それぞれの負担となったわけだが、
朝鮮の役で蓄えを使い果たし、手元不用意の大名もあった。

大戦となれば、商人のスポンサーも活躍する。
家康には京都の豪商・茶屋四郎次郎、
堺の有力者・今井宗薫などがつき、
三成には堺の天王寺屋、博多の島井宗室らが先行投資した──。

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2017年8月17日 (木)

プレイバック葵 -徳川三代-・(13)三成最期

慶長5(1600)年9月15日、天下を二分する関ヶ原の合戦は
徳川家康率いる東軍の大勝利となった。
ただし、東西の激突は関ヶ原のみではなく。

仙台の伊達政宗は、徳川勢の上方移動に驚き
慌てて会津の上杉勢と和睦。
その上杉勢の直江兼続は、突如
山県の最上義光領に攻め入り、今なお交戦中。

佐和山城陥落の時には、西軍の基地である
美濃大垣城において仲間割れが発生していた。

相良頼房、秋月種長らの九州勢が
三成の娘婿・熊谷直盛をはじめ、
垣見家純、木村勝正らを殺害。
その首を東軍に送って降伏に及んだ。

一方、丹後田辺城において籠城中の細川幽斎は
60日にわたって籠城をふんばったものの
朝廷からの声掛けで合戦を差し止められて
12日に城を明け渡した。

朝廷は幽斎の命を助けるために戦を止めさせたが、
それは幽斎が歌詠みの学才で、
古今伝授の大家であったからである──。

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2017年8月16日 (水)

バス停について本気出して考えてみた(198)

終点停留所の旅“たそがれ”第167弾です。

今回はS賀県S賀市の
S友病院前バス停をご紹介します。


Qb1933

とその前に、今回は先にコチラをご紹介しておきましょう。


Qb1934

「しょうしゅく」神社でも「かつやど」神社でもありません。

正解は「かしゅく」神社。
先週に引き続き、難読ですが。

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