2026年6月 8日 (月)

プレイバック独眼竜政宗・(31)子宝(こだから)

【アヴァン・タイトル】

天下統一を終えた秀吉の次の目標はアジアであった。中国・インド・フィリピンを征服し、都を北京に遷(うつ)して天皇を迎える。この途方もない計画の第一歩が、朝鮮出兵であった。日本軍は最大16万の兵力をもって、7年もの間 朝鮮の国土を蹂躙(じゅうりん)した。これは我々の認識をはるかに超える大戦争であり、朝鮮半島の人々の胸には今もなお、生々しい悲劇として記憶されている。

文禄元(1592)年4月、全国から30万の軍勢が肥前名護屋に結集。西国勢を中心とする第1陣が海を渡った。日本軍は漢陽すなわち今のソウルと平壌を落とし、8月には朝鮮半島の大半を支配したかに見えた。しかし12月末、明の援軍10万が駆けつけると形勢は逆転。日本軍は漢陽に退却して防戦一方となった。さらに朝鮮の水軍は半島南岸の制海権を奪い、名護屋~釜山間の補給路を脅かした。

第2陣の出発命令が下るのはいつか? 政宗は歴史の巨大な渦に巻き込まれて、ただ待つしかなかった──。

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2026年6月 7日 (日)

大河ドラマ豊臣兄弟!・(22)播磨大誤算

【アヴァン・タイトル】

天正5(1577)年10月、播磨へ出陣した秀吉は、国衆を次々と従わせていった。東播磨で最大の勢力を誇る国衆が別所氏である。12月、秀吉はかつて毛利に滅ぼされた名門・尼子家の再興を狙う勝久とともに、毛利方の要衝上月城を攻略。だが。「上月城の者はみな斬首され、女子どもに至るまで磔(はりつけ)、くし刺しにされて。それをお命じになったのは、羽柴筑前守さまであると──」


羽柴秀吉は赤ら顔の面をかぶり、「これがわしの真の姿じゃ!」とふざけますが、激怒して戻ってきた羽柴長秀には通じません。面をはぎ取り、なぜあんなひどい真似をしたのかと声を荒げます。秀吉は西播磨上月城の者たちに助命を約束していたものの、城内に足を踏み入れた時にはみな自害していたのでした。しかし竹中半兵衛が、自分たちが殺したということにして、逆らう者への見せしめにすると進言します。

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2026年6月 3日 (水)

プレイバック独眼竜政宗・(30)伊達者

【アヴァン・タイトル】

政宗が居を構えた岩出山。その城跡は白いセメントの政宗像が静かに町並みを見守っている。だが、この政宗像、激動の昭和史をもまた見つめてきたのである。昭和10(1935)年、一体の政宗騎馬像が死後300年を記念して、仙台城天守台に据えられた。だが昭和19(1944)年、この騎馬像に一枚の召集令状が届く。軍事用の金属回収である。仙台城には主のいない台座だけが残った。

台座の上に政宗が帰ったのは、昭和28(1953)年。しかし物資窮乏の折から、復員したのは白いセメントの政宗像であった。昭和39(1964)年、ようやく現在の政宗騎馬像が復元される。白いセメント像のほうは仙台から岩出山へと移り、人々の熱い歓迎を受けた。折しも翌日は東京オリンピック開幕。政宗死後、330年が経とうとしていた──。

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2026年5月31日 (日)

大河ドラマ豊臣兄弟!・(21)風雲! 竹田城

【アヴァン・タイトル】

信長は秀吉に、毛利攻めの足掛かりとして播磨への出兵を命じた。しかしすでに播磨は2年前から荒木村重が調略を行い、地元の国衆を味方につけ毛利攻めの足場を固めていた。兄弟に立ちはだかる新たな敵とは──。


播磨と聞いて、穏やかな海と豊かな野山、うまいものがいくらでもあると福島正則がつぶやけば、行きたい! と加藤清正は物見遊山の気分ですが、羽柴秀吉は“私が髪を整える”と侍女2人にひっぱられる石田三成を「あれが今の播磨じゃ」と表現します。織田と毛利に挟まれてどちらに味方するかで引っ張り合いが続いている状態です。

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2026年5月29日 (金)

プレイバック琉球の風 -DRAGON SPIRIT-・(03)父子の再会

天正19(1591)年、明国で発見した啓泰・啓山兄弟を連れて、琉球の進貢船が那覇港に戻って来ました。子どもたちは兄弟だけではなく、マカオの海でイスパニアの船に襲われて両親を失った阿紀や羽儀(うぎ)、奇羅波丸(きらはまる)もいます。震天風の姿におばぁ(ウシ)は抱きついてキスしようとしますが、戸のところで子どもたちがジーッと見ています。事情を知ったウシは子どもたちを招き入れ、飯を食わせます。

外では爆竹が鳴り響き、盆のお祭りで琉球人が踊って楽し気です。巴知羅(はちろう)も自己流で踊りますが、そんな巴知羅を押しのけて通り過ぎる賊がいました。先頭で風を切って歩く男が振り向くと、文太です。一瞬たじろぐ巴知羅にニヤリとした文太は、そのまま行ってしまいます。「待たんか! お前に用があるんじゃ」と巴知羅は追いかけますが、踊りの人垣に阻まれて進むことができません。

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2026年5月25日 (月)

プレイバック独眼竜政宗・(29)左遷

【アヴァン・タイトル】

山形県米沢市で、毎年5月に繰り広げられる「米沢上杉まつり」。今年は『独眼竜政宗』にちなんで、伊達政宗役の渡辺 謙さんも参加した。

政宗が生まれ育った米沢城は今も深い緑に包まれ、公園として市民の憩いの場となっている。敷地内には政宗時代から人々を見守ってきた樹齢500年の樅の木があり、梢を風にそよがせている。政宗が勉学に通った資福寺は仙台に移され、今はない。杉木立の中に、父輝宗の墓が残っているだけである。政宗が骨折の傷を癒した小野川温泉。小野小町が開いたと伝えられるこの湯は、今も共同浴場として人々に愛用されている。

伊達家を200年余りの間にわたって育んだ米沢。政宗はこのふるさと米沢の風土と人々を、こよなく愛していたに違いない──。

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2026年5月24日 (日)

大河ドラマ豊臣兄弟!・(20)本物の平蜘蛛(ひらぐも)

柴田勝家と言い合いになって戦線離脱した羽柴秀吉は、織田信長に釈明するために安土城に出仕します。上杉との戦いは惨敗に終わり、秀吉が帰らなければ大敗を喫することはなかったと睨みつける信長に、秀吉は策を忠告したと弁明します。であれば秀吉が仮に残ったとしても負けていたことになり、秀吉はいてもいなくても同じとなってしまいます。「では死ね」と信長は小姓が持つ刀を秀吉に放り投げます。

金ヶ崎で信長を説得したように、命がけで勝家を止めるなど本当にどうすることもできなかったのか? 今回の大敗は総大将の勝家の責は重いですが、敵の策を見抜きながら逃げ帰った秀吉も同罪です。秀吉について最も重い罪は、信長の命に背いたということです。このようなことは二度と! と秀吉は自分の顔を殴り続けますが、信長は秀吉を突き落とします。「叡山に続きこれで2度目じゃ。もはや許すことはできぬ」

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