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お乗り換え〜♪

Kassy号〜♪の車窓から 2011

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2017年11月19日 (日)

大河ドラマおんな城主直虎・(46)悪女について

「信康を……斬ります」
徳川家康の嫡男・松平信康は、武田と内通した罪により
大浜城へ幽閉したのち死罪とすることに決まりましたが、
信康自身には内通は一切なく、認めておりません。

とはいえ、兄と慕い、実質は庇護者である織田信長に
一度言いがかりをつけられてしまったからには、
全員無傷でということはあり得ず
誰かが何らかの形で責任を取らなければなりません。

信康が支配していた岡崎城の武士たちは
いちようにやるせなさだけが強く心に残っています。


瀬名のご機嫌伺いに
偶然岡崎城を訪れていたおとわでしたが、
このような場にいることは不適当と考えたか
岡崎から井伊谷へ早めに引き揚げます。

今までのおとわだと、
信康を助けろと声を上げたかもしれませんが、
下手に関わって井伊谷に影響が及ぶのも
おとわの本意ではありません。

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2017年11月17日 (金)

プレイバック葵 -徳川三代-・(40)親ごころ

まずはこのごろご他界の方々のご冥福をお祈り奉る。

12月17日、武家伝奏 従一位・広橋兼勝他界、享年65。
二十余年にわたり朝廷と幕府の仲介役を務めた功労者であった。

元和9(1623)年3月20日、出羽米沢城主・上杉景勝逝去、享年69。
「巨星落つ」かつて天下を揺るがした戦国の風雲児もついに旅立つ。

8月4日、筑前福岡城主・黒田長政が京都で卒去、享年56。
知謀人に優れ、関ヶ原の合戦では裏の立役者であった──。

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2017年11月15日 (水)

バス停について本気出して考えてみた(208)

終点停留所の旅“たそがれ”第175弾です。

今回はF岡県I島市の
“Tに”バス停をご紹介します。


Qg1812

およそ1〜2時間に1本間隔。

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2017年11月14日 (火)

プレイバック葵 -徳川三代-・(39)将軍家光

まずは元和8(1622)年にご他界の方々のご冥福をお祈り奉る。

5月9日、江戸城内比企尼屋敷で見性院逝去、享年77。
見性院は武田信玄の息女で、徳川家康五男信吉の異母、
そして徳川秀忠の御落胤・幸松丸の庇護者でもあった。

7月1日、伊達家家臣・支倉常長が仙台で死去、享年52。
ローマ法王に引見しキリシタンに帰依したため
殺害されたかもしれない、という噂。

7月3日、加賀金沢城で前田利常正室・珠姫逝去、享年24。
珠姫は秀忠次女で、生母お江の悲しみはいかばかりか。

10月2日、宮中にて皇子賀茂宮が薨去、享年5。
賀茂宮とは、後水尾天皇が於与津御寮人に生ませた皇子で
これにより天皇の子は梅宮ただひとりとなった──。

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2017年11月13日 (月)

Twitter、LINEって便利だねっ

「デジタル」カテゴリーとしては、およそ9ヶ月ぶりです。
こんにちは。

最近、ブログを綴るのが大変になってきて
大河ドラマネタ、バスネタを除いた空白の日に関しては
更新を後回しにすることも多々あります。

で、そんなときに
この日に何をやったかな? と後から見返してみるツールが
オイラにとってはTwitterであり、LINEであったりするわけです。

2つのツールを見て、あーあーそんなことを言ったね! とか
そんなことをやったね! とかを振り返って、話を膨らませて綴る。
そういう意味では、ブログとともにTwitterもLINEもやっていて
よかったなぁ、と本気で思います。

本来は、その日のうちに綴らんと意味ないんでしょうけどww

2017年11月12日 (日)

大河ドラマおんな城主直虎・(45)魔王のいけにえ

徳川家康の命を狙った、岡崎の近藤武助。
この曲者はなんと、家康嫡男の松平信康の側近でした。
一方、家康の命を守った井伊万千代は1万石の知行を得て
家康の家臣として名を上げたのでした。

榊原康政は、岡崎に手配せよと万千代に書状を渡します。
武助は一族もろとも処罰されたわけですが、これは
不始末を許した岡崎衆を戒める意味合いがあるわけです。

岡崎衆は城下に住むことを許さず、自領から通えというお達しに
「あまりにも岡崎に厳しいお沙汰」「裏切りは武助のみなのに」と
家臣たちからため息とも怒りとも言える失望の声が上がりますが、
自分が気づいていれば防げたこと、と信康は自分を責めます。

ここは名誉挽回、補って余りあるほどの功を立てて底力を見せつけ
さすがは岡崎と言わせてやろう、と一致団結します。
この後、信康率いる岡崎衆は、幾多の合戦で勇敢に戦い
家康の信頼回復に努め、半年が経過しようとしていました。

信康は、そろそろ家臣たちを岡崎に呼びたいと家康に申請し
家康もそろそろとは考えているようなのですが、
酒井忠次の横車に押され、実現に至っていないのです。
岡崎と浜松が不仲に見えるのも、徳川にとっては利がなく
他国には徳川を攻めるスキを与えるようなものです。

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