2024年10月 4日 (金)

プレイバック炎 立つ・第三部 黄金楽土 (21)父と子

【アヴァン・タイトル】

永承6(1051)年、黄金に目のくらんだ陸奥守・藤原登任(なりとう)と安倍一族との間に戦が始まった。前九年の合戦である。戦乱の中、ひとつの恋が芽生えた。奥州藤原氏初代・清衡(きよひら)の父母となる、陸奥国府の副官・経清(つねきよ)と、安倍の娘・結有(ゆう)である。「陸奥をやがて一つにまとめて、朝廷とは無縁の国にしたいのだ。楽土にしたいのだ。血を流さずにそれを築きたい(乙那)」

永承7(1052)年、しかし、野望に燃える陸奥守・源 頼義は、手段を選ばずに安倍に戦を仕掛けた。当初、頼義についた経清も、黄金楽土の夢を追うべく安倍に身を投じた。「今日から身も心も安倍となり申す!(藤原経清)」「戦は今まで通り……守ることのみにいたせ。決して自ら攻めてはならぬ(安倍頼時)」

天喜5(1057)年、黄海の戦いでは、冬将軍が安倍に味方して頼義軍は惨敗。経清は武士の情けで頼義・義家親子を見逃す。しかし康平5(1062)年、義家の度重なる説得に応じた出羽の清原一族が源氏側に加担することにより情勢は一変した。源氏・清原連合軍の前に、安倍軍は奥六郡最北の厨川柵(くりやがわのさく)に追い込まれ、予想外のあえない結末を迎えるのであった。

陸奥の地に民のための楽土を作ることを夢見、安倍に身を投じた経清は、最愛の妻と息子を清原一族に奪われ、無念の最期を遂げるのである。「許してくれ……経清どの……(源 義家)」 こうして前九年の合戦は終わった。経清の思いは、息子・清衡へと引き継がれてゆく。

20年後の永保3(1083)年、清衡は藤原再興を胸に秘め、清原一族の中で暮らしていた。兄・真衡(さねひら)には子がなく、後継者を誰にするかで清原一族は揺れていた。「手前は、夫婦養子を迎えることに決め申した(清原真衡)」

陸奥守・源 義家は、清衡に奥六郡を取り戻させるべく、真衡を暗殺する。応徳3(1086)年、清原一族の後継者を目論む弟・家衡(いえひら)は、清衡の館を襲った。「家族は皆殺しにすると触れ回れ!(清原家衡)」「信じて待つのじゃ(貴梨)」「清原を滅ぼすためなら、妻子をも犠牲にすると言うたのはこのことじゃと申すのか!(結有)」

清衡の妻子を殺した家衡は、出羽に本陣を構え清衡・義家と対決するも、あえなく降伏した。「これが……我ら兄弟の運命にござる!(清原清衡)」 こうして後三年の合戦が終わった。名実ともに奥州の覇者となった清衡は、楽土実現の夢を二代基衡(もとひら)、三代秀衡(ひでひら)へと引き継ぐのであった──。

» 続きを読む

| | コメント (0)

2024年10月 2日 (水)

プレイバック春日局・(34)初恋

【アヴァン・タイトル】

江戸城本丸で最も広いスペースを持つ建物が、大広間です。大広間では幕府のさまざまな公式行事が行われました。コンピュータ・グラフィックスで再現した、その大広間を覗いてみましょう。

大広間は画面一番奥の上段の間を頂点にして、いくつかの続き部屋からなっています。その広さは合わせてタタミ400畳、俗に千畳敷とも呼ばれました。部屋の中は豪華な装飾に満ちています。天井の格子には鳳凰の模様がはめ込まれ、ふすまや壁には鶴と松を題材にした絵が描かれています。上段の間は将軍が座る場所です。将軍はここで全国の大名と対面し、外国からの特使を迎え、数々の公式行事を行いました。

徳川の権威を象徴する大広間。ここはまさに幕府政治の表舞台だったのです──。

» 続きを読む

| | コメント (0)

2024年9月30日 (月)

プレイバック炎 立つ・第二部 冥き稲妻 (20)楽土への道 (第二部最終回)

【アヴァン・タイトル】

清衡の建立した中尊寺金色堂。奥州藤原氏が平泉に打ち建てた黄金文化の頂点である。「中尊寺供養願文」、壮大な伽藍(がらん)の落慶法要の際、読み上げられたこの願文には、清衡の意志が余すことなく述べられている。前九年・後三年の合戦をはじめ、奥州の長期にわたる戦乱で犠牲になった多くの者たちの霊魂を弔い、浄土へ導くこと。そして辺境の地として言われなき差別を受けてきた奥州に、中央に負けない仏教文化を築き、北方世界に君臨する王者の風格を表したいということである。

奥州に楽土を築かんとする清衡の夢は、あと一歩のところまで近づいていた──。

» 続きを読む

| | コメント (0)

2024年9月29日 (日)

大河ドラマ光る君へ・(37)波紋 ~彰子の願いにまひろは豪華本作り~

寛弘5(1008)年。中宮彰子が土御門殿で出産した敦成(あつひら)親王を抱いて、源 倫子はとても嬉しそうです。彰子は内裏に戻る前に、藤式部の物語を美しい冊子にして一条天皇へ献上したいと考えています。一瞬表情が固まる倫子に、後ろに控える赤染衛門は、五十日(いか)の儀で式部をたしなめたことを思い出します。「左大臣さまとあなたは、どういうお仲なの?」

そういうことも分からないでもないけれど、お方さまだけは傷つけないでくださいね──。道長と式部、ふたりの詠んだ歌からふたりの関係を悟った倫子、何も気づいていない彰子。衛門はとても心配そうに倫子を見つめています。藤原道長はさっそく紙を用意させ、女房たちはその美しさにほれぼれしています。彰子は光る君が見つけた若草の巻には、若草色の紙か藤壺の藤色の紙かと楽しそうに迷っています。

» 続きを読む

| | コメント (0)

2024年9月27日 (金)

プレイバック春日局・(33)離別 再婚

【アヴァン・タイトル】

元和2年4月17日、徳川家康は駿府で、その75歳の生涯を閉じました。遺体は家康の遺言で、その日のうちに静岡久能山に葬られました。久能山は駿河湾を見下ろす高台です。死ぬ間際まで西国の大名の動きを気にかけていた家康は、西の守りとなるために遺体を西に向けて安置させました。

そして1年後、今度は関東警護の最大の要所・日光に、家康は守り神として祀られることになりました。その時建てられたのが日光東照宮ですが、現存の東照宮は、後に家光が大改築したものです。造営の総工費が金568,000両、現在の400億円。そのすべてを幕府で支出しました。家光の家康に対する並々ならぬ敬愛ぶりがうかがえます。

家康は権現様と崇められ、後の幕府の制度や政策の中に、その精神的なバックボーンとして生き続けてゆくのです──。

» 続きを読む

| | コメント (0)

2024年9月25日 (水)

プレイバック炎 立つ・第二部 冥き稲妻 (19)後三年の合戦

【アヴァン・タイトル】

奥六郡をめぐる清衡と家衡の争いがついに表面化。清衡の館に身柄を拘束されていた家衡の頼みは、出羽の清原一族である。清衡や源 義家と合戦に及んだ場合、その出羽国の沼柵(ぬまのさく)に本拠を構えるつもりであった。沼柵は周囲に豊かな穀倉地帯を抱え、さらに2つの川と湿地帯に囲まれた天然の要害である。またその北東には叔父の清原武衡が守る金沢柵(かねざわのさく)があり、2人の動向を探っていた。

奥州を二分する骨肉の争いが、いま始まろうとしている──。

» 続きを読む

| | コメント (0)

2024年9月23日 (月)

プレイバック春日局・(32)家康の遺言

【アヴァン・タイトル】

どちらも家康の肖像画です。家康は晩年相当肥満していました。見かけは健康体とは言えませんが、その実 頑健で、75歳という当時としてはかなりの長寿を全うしたのです。

家康には独特の健康法がありました。生涯に1,000回以上行った鷹狩りは、身体の鍛錬には効果絶大でした。食事の摂生にも気を遣っており、意外に質素な食膳です。そして何と言ってもユニークなのが、家康自らが薬を作っていたことです。家康は専門家顔負けの漢方薬研究の大家でした。ではその参考書となった中国総代の医薬書「和剤局方」をもとに、家康が愛用した強壮薬、八之字薬を再現してみましょう。

薬の成分は現代でも薬効のあるこれら12種類の薬草です。それぞれを刻んで調合し、はちみつを加え固めると、八之字薬が出来上がります。この薬がもたらした家康の長寿こそ、徳川幕府創立期の安定の礎だったのです──。

» 続きを読む

| | コメント (0)

«大河ドラマ光る君へ・(36)待ち望まれた日 ~彰子の出産まひろが~