2022年9月27日 (火)

プレイバック北条時宗・(29)さらば兄上

北条時宗の下知により、北条義宗の軍勢が北条時輔の館を襲撃します。祝子は命だけでも助けてやってほしいと時宗に懇願しますが、謀反を企む敵の大将の首は兄であれ討ち取るつもりです。兄と弟の絆は、あまりに悲しい結末を迎えようとしていました。時輔は勝つしかないと、髻(もとどり)を斬り、服部正左衛門に祥子と子たちを頼むと言って館から脱出させます。

館の裏からの脱出を試みる祥子と正左衛門ですが、明寿丸が泣き出してしまい、それを聞きつけた兵たちに囲まれてしまいます。義宗は祥子には手出ししないと約束し、祥子と正左衛門らを捕らえます。祥子は、時輔が謀反には関わっていないと強く訴えるのですが、その圧に耐えかねたか、義宗は目をそらして連れて行くように兵に命じます。

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2022年9月25日 (日)

大河ドラマ鎌倉殿の13人・(37)オンベレブンビンバ ~北条父子骨肉の争い 牧氏事件勃発~

高野山金剛峰寺や備後国太田荘からの訴えを聞き取る北条義時ら評定衆。後から来た時政は、自分抜きで評定が行われていることにいら立ちを見せますが、義時は執権宛ての訴えではないから呼ばなくていいと言ったのです。先日の恩賞の沙汰を尼御台が行ってからというもの、各地の御家人たちは「政の仕組みが変わった」と悟り、尼御台宛てに訴えを出すようになったのです。勝手にせい! と時政は怒って出ていきます。

時政は二階堂行政と会い、行政の孫娘・のえが身ごもったことを聞いて喜びます。そののえとの結婚を義時に強く勧めたのは自分だともったいぶり、その見返りに「今回の訴えは退ける、訴訟の裁きに尼御台は関わりない」と、時政の名で高野山への下知状を書くように迫ります。ええっ!? と驚く行政です。

実の父をないがしろにするとは! とりくは義時に激怒します。自分を厄介払いしたいらしいというのは、鈍感な時政でもさすがに分かるようです。北条政子を待ち伏せしていたりくは、鬼のような形相で近づいてきます。何もかも思い通りになると思ったら大間違いと怒りをぶつけるりくの背中に、政子は言い放ちます。「もう父上を振り回すのはおやめなさい」

──畠山粛清が招いた反発の嵐。権力を奪われた時政の反撃は。争いを勝ち抜いてきた北条が、二つに割れる──

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2022年9月23日 (金)

プレイバック北条時宗・(28)あの兄を討て!

鎌倉に戦は起こすまいと誓ってきた北条時宗でしたが、売られた喧嘩を買う形で初めての合戦を迎えていました。側近平 頼綱は、自身の到着が遅れたために幸寿丸を危険にさらせてしまったと、手負いではありますが合戦に加わって敵を滅ぼす気概を見せますが、安達泰盛はこれを許しません。頼綱の必死のお願いに泰盛はフッとため息をつき、無駄死にすることだけは許さないと渋々承諾します。

文永9(1272)年2月11日、「二月騒動」の始まりです。

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2022年9月20日 (火)

プレイバック北条時宗・(27)ご謀反(むほん)許さず

文永9(1272)年新春、安達館で誕生したばかりの北条時宗の嫡男・幸寿丸を祝う宴が開かれます。養育係(乳母父)には平 頼綱が選ばれます。蒙古を前にして一寸先も見通せないこんな時代に、あまねく人々に幸をもたらすことを願ってつけた「幸寿」という名前に、安達泰盛らは大きく頷きます。松下禅尼は、子どもと思っていた時宗が父親らしく立派になったと目を細めています。

一方 京では、六波羅探題北殿に就任した北条義宗がその挨拶に北条時輔の館を連日訪問していますが、時輔は病と称して門前払いを食っています。今日こそは会わせていただくと食い下がる義宗ですが、対応した服部正左衛門は平謝りで話は平行線です。執権として時宗の名前を出しても埒が明かず、義宗は打つ手がありません。

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2022年9月18日 (日)

大河ドラマ鎌倉殿の13人・(36)武士の鑑(かがみ) ~激闘!義時vs重忠 坂東武士の鑑~

畠山重忠が武蔵で兵を調えていて、北条時政は実朝を守るために畠山一族を滅ぼすと下知します。とても驚く和田義盛をよそに、三浦義村は「かしこまりました」と頭を下げます。まずは息子の重保を由比ヶ浜へ誘い出し、生け捕りにするのです。そうすれば名将重忠も観念するでしょう。義村の弟・胤義は北条義時に知らせなくてもいいのかと尋ねます。「いい。板挟みになってヤツが苦しい思いをするだけだ」

結果的に実朝が畠山追討を命じた形になり、それを知った義時は「どうしてそういうことになる!?」と床を叩いて立腹します。重忠には戦をするつもりは毛頭ないのに、時政に押し切られてしまってこういう結果になってしまいました。そこに現れた北条泰時は、のえのことで息子として言いたいことがあると義時の前に現れますが、今はそれどころではなく、出直してきなさいと北条時房が帰します。

そのころ武蔵国では、夫の無事を祈る妻・ちえ(時政の娘)に重忠がニッコリほほ笑んでいました。「行ってまいる」

──頼朝死後の熾烈な権力争い。それを制した北条がすべてを手にしたかに見えた。しかし、その力に屈しない男がいる──

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2022年9月16日 (金)

プレイバック北条時宗・(26)兄弟の絆(きずな)

「我が蒙古の国号を大いなるテングリの国『大元』と改める」 天を仰ぎ見よ とのクビライの号令で両手を天に高く掲げた民衆たちは、改名を喜び合います。万物の源・大元──クビライはその大元の国王になる一方、世界全ての国々を大元のもとに治めようとする意志を、あまねく人々に知らしめようとしていたのです。

博多では、謝 国明が改名のことを太郎から聞きます。世界を大元のもとに治めるということは、日本を押さえて宋を孤立させる必要があるわけで、3度目の国書を届けた蒙古使節・趙 良弼の強気の態度も、そのクビライの意思の表れであると謝 国明は見ています。
趙 良弼が日本に返答を迫っていますが、間もなくその返答期限を迎えつつあります。

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2022年9月13日 (火)

プレイバック北条時宗・(25)最後通告

礫(つぶて)騒動で大路に出て沈静化していた北条時宗は、人垣の向こうで桐子を見つけます。時宗は桐子に連れられて、日蓮の庵を訪ねます。日蓮はやがて説法のために出て行き、時宗と桐子はふたりきりになります。桐子は蒙古への歩み寄りを時宗に求めますが、出兵をちらつかせての歩み寄りはあり得ません。戦になった時の悲惨さを説く桐子ですが、桐子とこれ以上議論したくないと話を切り上げます。

時宗の帰りを待つ祝子は、戻ってきた時宗を見て姿勢を正して懐妊の報告をします。時宗21歳、祝子20歳。蒙古の影が忍び寄る文永8(1271)年、時宗の周辺でめでたいことが続き、時宗側近の平 頼綱の妻・禎子もみごもっていました。自分の子と時宗の子の出産が近いとみた頼綱は、禎子に時宗の子の乳母を務めるように命じますが、公家出身の禎子はムッとして頼綱に平手打ちします。

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