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カテゴリー「NHK大河1988・武田信玄」の50件の記事

2016年7月 1日 (金)

プレイバック武田信玄・(50)神々のたそがれ [終]

長篠城から甲斐へ帰国の途についた武田軍。
しかし武田信玄の容体が急変し、
急きょ近くの村で軍勢を止めて信玄の療養に入ります。

ずっと、信玄の手を握って介抱している里美。

「礼を申す。そなたは常に、儂の青空じゃった……」
涙をこらえきれずに、里美は外に出て
声を上げて泣きます。

信玄の枕元に集まった、
武田信廉や諏訪勝頼をはじめとする武田家家臣たち。
信玄はそのひとりひとりの名を呼びます。
「あとを頼むぞ」

自分の死を3年間秘め、
その間に勝頼を中心とした
新しい武田を作れ、と遺言します。

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2016年6月28日 (火)

プレイバック武田信玄・(49)幻の都

武田信玄 怒濤の生涯──。

海ノ口城攻略
韮崎合戦
小荒間の合戦
海尻の合戦
佐久攻略
瀬沢の合戦
諏訪攻略
上原城奪還
安国寺の合戦
伊那進攻
長窪城攻略
荒神山城攻略
高遠城攻略
竜ヶ崎城攻略
福与城攻略
塩尻進攻
佐久内山城攻略
駿河出兵
小田井原合戦
志賀城攻略
上田原の合戦
勝弦峠奇襲
前山城攻略
佐久掃討作戦
筑摩郡侵略
戸石城攻防戦
平瀬城攻略
小岩岳城攻撃
第二次小岩岳城攻略
第一回 川中島合戦
葛尾城攻略
神之峰城攻略
下伊那攻略
木曽福島城攻略
第二回 川中島合戦
雨飾城攻略
葛山城攻略
第三回 川中島合戦
越後侵略作戦
第四回 川中島合戦
上野・倉賀野城攻略
上野・国峰城攻略
第二次武蔵松山城攻略
第三次松山城攻略
上野・岩櫃城攻略
信濃・野尻城攻略
西上野侵略
飛騨牽制作戦
第五回 川中島合戦
上野・倉賀野城攻略
上野・箕輪城攻略
前橋・惣社城攻略
越後・村上本荘救援
第一回駿河進攻作戦
駿河・興津城攻略戦
伊豆進攻作戦
武蔵・鉢形山城
武蔵・滝山城攻略
相模・小田原城包囲
相模・三増峠の合戦
第二次興津城攻略
駿河・蒲原城攻略
駿河・花沢城攻略
伊豆・韮山城攻略
東部駿河・伊豆進攻
駿河・興国寺城攻略
関東出陣
興国寺城潜行作戦
駿河・深沢城攻略
遠江・高天神城攻略
三河・足助城攻略
三河・野田城攻略
三河・吉田城攻略
利根川の対陣
飛騨・高原諏訪城攻略
二俣城攻略
美濃・岩村城攻略
遠江・三方ヶ原の合戦
三河・野田城攻略

「我、戦うこと百三十余たび」
武田信玄の53年にわたる生涯は、
まさに戦に明け、戦に暮れる戦いの日々であった。

と同時に、信玄堤に代表されるような
治水や土木工事、金山の開発、甲州法度の制定など
きわめて現代的なセンスをもって
甲斐や信濃などの領国平定に力を注ぐ人生でもあった。

戦いと国造りに追われる一方で、
人間・武田信玄の生涯は孤独であった。
父との諍い、妻・三条との愛の確執、長男・義信との対立、
そして我が身に降りかかった、労咳という不治の病。

しかし、今大いなる犠牲と努力の果てに、
戦国最強の武将・武田信玄の夢は達成されようとしていた。
たとえ明日という日に、どんな災いが待ち受けていようとも。

「生きてみろ──生きるんだ」

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2016年6月24日 (金)

プレイバック武田信玄・(48)信玄倒れる

武田信玄が都から仏師を呼び
自らをモデルにして彫らせた「武田不動尊像」(恵林寺 蔵)。
この像からは、勇壮な武将・信玄の実像を窺い知ることが出来る。

時として残虐な戦ぶりを展開した信玄は
子どもに対しては深い愛情と洞察力を示したと言われている。
信玄は、戦話を聞く4人の子どもの態度から
それぞれの性格付けをしている。

──人は 童子の時より知れり。

  まづ、武辺(ぶへん)物語の度に童子四人あり。
  一人は口をあき、語る者の顔ばかりを見て聞き、
  二人目は耳を澄ましてうつむきて聞き、
  三人目は語る人の顔を見て 少しづつ笑ひ意味顔し、
  四人目はその物語を聞きてその席を退く。

  かやうに色々あり──。

まず、ぼんやりと人の話を聞く子は
武将としていい家臣には恵まれない。
耳を澄ませて聞く子は名のある武将になる。

話を面白がる子は
やがて手柄を立てるであろうが、人の憎しみを受ける。
そして話の座を立つ子は臆病者となるであろう。

信玄は、身近な子どもを鋭く観察し
武将としての将来性を探ったのである。
ここに、信玄の子どもに対する優しさと
思いやりを感じることが出来るのである。

子どもたちに深い愛情を示した信玄も、
家庭的には決して恵まれてはいなかった。
そこに、戦国のヒーロー・武田信玄の
悲劇を感じることが出来るのである。

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2016年6月21日 (火)

プレイバック武田信玄・(47)三方ヶ原の戦い

京の都を目指す信玄の当面の敵は徳川家康であった。

家康の浜松城を攻めるには
・甲府から駿河に入り、駿府→高天神→掛川→浜松
・甲府から飯田に入り、青崩峠→遠江二俣城→浜松
・甲府から飯田に入り、駒場→相羽→長篠→浜松
の3つのルートが考えられ、信玄は真ん中の
(甲府→飯田→青崩峠→遠江二俣城→浜松)ルートを選んだ。

甲府を出発した信玄の軍勢は諏訪湖のほとりを回り
高遠から伊那谷に入った。
天竜川沿いのこの道は、
山岳地帯を走破しなければならない険しい道だが、
以前から武田家の支配下にあった。

そのため、軍事施設としての城が数多くあり
付近の農村地帯からの兵糧や馬の飼い葉などの調達も容易であった。
つまり信玄にとって、もっとも安全な道であったのである。

飯田から青崩峠を越え、遠江に入った信玄は二俣城を包囲した。
この間、別働隊の山県昌景が一番西側のルートから
井平城を落とし家康に圧力をかけた。

二俣城を落とした信玄は、
27,000の軍勢を率いて三方ヶ原に向かった。
一方家康も、11,000の兵とともに浜松城を出て対峙した。
やがて家康はこの戦いで、大きな教訓を得ることになるのである。

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2016年6月18日 (土)

プレイバック武田信玄・(46)最後の出陣

竜宝「父上……父上……父上……」

第六感、虫の知らせ、あるいはテレパシー。
我々の伺い知ることの出来ない不思議な力は
果たして存在するのであろうか。

かつて人は自然の声を聞き、魂の叫びを感じ取ることが出来た。
現代人が、洪水のように押し寄せる情報を目と耳で理解するように
研ぎすまされた心でも、恐らくはより豊かに何かを感じ取っている。

そして人は、口で語るよりもはるかに多くのことを
心で語り合ってきたのである。

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2016年6月17日 (金)

プレイバック武田信玄・(45)京への道

『信玄語録』

武田信玄を企業の経営者に例えてみよう。
信玄が残したといわれている言葉は不思議なほど現代的である。

「人事管理」

『諸侍を思ふこと 人の只喉(のど)の乾くに
 飲み物を好むごとくに 存ずること 肝要なり』
曰く、経営者たるもの
喉の渇きをひたすら癒すかのように
広く人材を求めなければならない。

『われが人を使ふは、人をば使はず、その業(わざ)を使ふなり』
これはまさに経営者たるもの
従業員の能力、適正を正しく
見極めなければならないという教えである。

『上駻(じょうかん)の 中の駻(かん)こそ 大将の
 乗るべき馬と 知れや武夫(もののふ)』
“上駻”とは荒馬。それを乗りこなすのが真の武将、
つまり癖のある人材を生かしてこそ本当の経営者なのだ。

『およそ士たる者 百人の中九十九人に 誉めらるる者は善き者にあらず
 軽薄者か、才覚者か、盗人か、侒人か この四つのうちなり』
と同時に、100人のうち99人に褒められるような人物は
武士のニセモノだと、信玄はその言葉の中で言いきっている。

そして、いわば「武田株式会社」の社運をかけた
一大プロジェクトが始まろうとしている。

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2016年6月10日 (金)

プレイバック武田信玄・(44)氏康の挽歌

北条氏康。
信玄より6歳年上の彼は、信玄が国主となった同じ年
天文10(1541)年に北条家を継いだ。

彼の祖父・北条早雲は武力一筋で相模・伊豆を掌中に収めた。
無名の武士から一国一城の主になった人物である。

その早雲の孫に当たる氏康も、武力に長けた名将であり
北条家の地位安泰のため、外交にも手腕を振るった。
武田・今川と三国同盟を成立させたのもその一つである。
氏康は、嫡男・氏政に信玄の娘・梅を正室として迎え
姻戚による同盟強化も図った。

16歳で初陣を飾って以来、
生涯一度も戦いに敗れたことがなかった氏康は
信玄にとっては、
謙信・信長とは違った意味でのライバルであった。

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2016年6月 7日 (火)

プレイバック武田信玄・(43)八千年の春

山梨県韮崎市。
甲府盆地の北西に位置するこの町は
武田家と深く結びついてきた。

甲斐源氏の祖、新羅三郎義光から数えて4代目
信義が初めて武田の姓を名乗り
この地に館を構えたのである。

以来時は流れ、武田家の中心は甲府に移るが
信玄の子・勝頼が再びここ韮崎の地に
城を築くことになったのである。

武田信玄と諏訪家の娘・湖衣姫との間に生まれた勝頼。
諏訪の姓を名乗り、信濃国に本拠を置いていた勝頼は
信玄にとって最も頼れる武将に成長していたのである。

嫡男、そして三男を亡くし次男が僧となった武田家。
四男勝頼が、いま信玄の後継者として
大きな光を放ち始めたのである。

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2016年6月 3日 (金)

プレイバック武田信玄・(42)二重の死

日本人が一番好む景色、それは夕景だという。
それぞれの場所で、水平線に沈む夕日を見て
人は様々な思いを抱く。

そもそも夕日は、
傾いた太陽の光が空気中の水蒸気や塵に反射し、
波長の長い赤い光だけが人の目に映るという自然現象である。

人は自分の人生を夕日に映し出す。
闇に入る前の最後の輝き、やがて訪れる深い静寂(しじま)。
夕日は生の終わりを予感させる光景なのである。

諸行無常の戦国の世、常に死と直面していた人々にとって
夕日はなおさら深い意味があったに違いない。
そして今、人生の黄昏時を迎えた三条の方。
どのような思いで、山々に沈む夕日を見ているのであろうか。

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2016年5月31日 (火)

プレイバック武田信玄・(41)月夜の鏡

Q.八重という女性についてどう思いますか?

──恐いオバさん?

──お姫様をこうずっと見ていかなきゃならないでしょ?
  だからあのぐらいのこう、知恵と腕力がなければ
  ダメじゃないのかしら? ……と。

──特にアタシたちは女子校だから、だから余計分かると思うんですよ。
  女の子のヤなところ全部寄せちゃった、みたいな。

──あぁ偉い人ですよあの人ほんと八重という人は。
  普通、あれだけの尽くす人はいないでしょうと思いますよ。
  だけど、やはり見方によって違いましょうね、見る人によって。

八重にとって、三条の方は「神」そのものであった。
八重は、自らの悲しみのために泣いたことはなく
三条と、その子どもたちのためにのみ泣いた。

しかしその涙は、いつしか怒りと策略へとすり変わり
武田家を大きく揺り動かすことになったのである。

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