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お乗り換え〜♪

Kassy号〜♪の車窓から 2011

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カテゴリー「NHK大河2006・功名が辻」の50件の記事

2011年12月27日 (火)

プレイバック功名が辻・(49)永遠の夫婦 [終]

およそ10ヶ月、6日に1回お届けして参りました
プレイバック『功名が辻』も、今回が最終回と相成りました。
長々しい拙文をお読みいただき、感謝感謝です。

来年も引き続き、大河ドラマ『平 清盛』放映に合わせて
平 清盛関連の過去の大河ドラマから
プレイバックシリーズを構成いたします。
・昭和41年放送『源 義経』総集編より全2回
・昭和47年放送『新・平家物語』総集編より全2回
・昭和54年放送『草 燃える』総集編より全5回
・平成17年放送『義経』完全版より全49回

5〜6日に1回のペースでお届けいたしますので、
(読む方は少ないかもですが)どうぞご期待くださいね( ^ ^)/


慶長8(1603)年7月。
千姫と豊臣秀頼の婚儀が大坂城で盛大に執り行われます。

千姫は、徳川家康の三男・徳川秀忠と淀の妹・江の娘で
当時はまだ7歳。
11歳の秀頼とは、いわば従兄妹同士であります。

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2011年12月23日 (金)

プレイバック功名が辻・(48)功名の果て

本来であれば12月21日(水)にお届けする予定のところ
当日は急きょ280,000counts達成の記事に差し替え、
昨日はヤッテキ第78回をお届けいたしましたので、
計らずも今日となってしまいましたことをお許し願います。
大変お待たせいたしましたm(_ _)m

次回の最終回は、予定通り27日(火)にお届けする予定です。

──────────

高地に入国した山内一豊が まず最初に手がけたのは
河中山城(こうちやまじょう・後の高知城)の建築であります。

当時の居城で、長宗我部氏の居城だった浦戸城は、
今では坂本龍馬の像が太平洋を臨んで立っている
かの桂浜近くにあり、
三方を海で囲まれているがゆえに守りに固く、

一豊は、高知中心部の周辺の町を活性化させるべく
江ノ口川と洲江川の間の平地部を選んで
城を建築させたわけです。

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2011年12月15日 (木)

プレイバック功名が辻・(47)種崎浜の悲劇

突然の襲撃を受けて
ひとまず小屋へ避難する山内一豊と千代ですが、
なおも発砲の手が緩むことはありません。

発砲したのは奥宮弥兵衛とその小娘で、
捕らえられた弥兵衛は、他の一領具足への見せしめのため
六平太の先導で 磔の刑に処されることになりました。

それでも収まらない一領具足へは、
容赦なく銃弾を浴びせ──。

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2011年12月 9日 (金)

プレイバック功名が辻・(46)土佐二十万石

大坂・山内一豊屋敷──。

朝餉の準備のために台所に集まっていた侍女たちは、
土佐という土地に縁もゆかりもないために
鬼のような男が住んでいる、とか
大きな大きな魚が泳いでいて、その上を船で進むのは怖いとか
ちと間違った情報ばかりが伝わっているようにも思えます。

一豊は「土佐二十万石」と筆でしたためてみて、
それだけの大名になったのだと感慨深げです。

今まで豊臣秀吉の下で不遇なときを過ごしてきただけに
家康に味方して、家康が一豊の器量を認めてくれて
二十万石の大名にしてくれたのだと鼻息が荒いです。

千代はそれを聞きながら
ちと有頂天になっている夫が心配です。

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2011年12月 3日 (土)

プレイバック功名が辻・(45)三成死すとも

人間のドラマ。
それを人は歴史と呼びます。

決断の時、
決行の時、

人は何を考え、
どのようにして動いたか。

その歴史の決定的瞬間を取り上げます。


そしてみなさん、いよいよ「その時」がやってまいります。

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2011年11月29日 (火)

プレイバック功名が辻・(44)関ヶ原

天下分け目の大戦「関ヶ原」。

それを詳細に解説しようとするためか、
ナレーションの三宅民夫アナウンサーが
このドラマで初めて画面に登場しました。

オープニングだけに留まらず、
本編中にも何度か登場することになります(笑)。


石田三成は西軍の総大将として毛利輝元を迎えます。
しかし毛利一族は3つに分裂しております。
三成派の安国寺恵瓊、家康に近い吉川広家、
そして無派閥の小早川秀秋。

一方の徳川家康は小山で評定を開き、結束──。

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2011年11月22日 (火)

プレイバック功名が辻・(43)決戦へ

石田三成の、諸大名の奥方たちを人質として取らんがために
山内屋敷に、増田長盛が派遣されます。
しかし千代としては何度訪問されても
山内一豊の意向に従うのみであります。

「力づくでお連れ申す」という長盛に、千代も応戦。
多くのかがり火とわらを用意して
力づくで屋敷に火をかけようとします。

三成は、諸大名の屋敷を取り囲む兵を撤退させ
奥方人質の件もなかったことにします。

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2011年11月16日 (水)

プレイバック功名が辻・(42)ガラシャの魂

掛川・久延寺。
徳川家康に対する山内一豊の歓待は続いております。

一豊としても、かつて金ヶ崎の退き陣で
槍傷を負った自分を助けてくれた家康に
大恩を感じています。

それでも、と苦しい胸中を吐露する一豊に
家康は「どちらに味方しても一切怨みませぬ」と
優しく声をかけます。

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2011年11月11日 (金)

プレイバック功名が辻・(41)大乱の予感

豊臣家を見限れない山内一豊に
徳川家康に味方する堀尾吉晴が会いに来ます。

お互い、しっくりこない対面となりますが、
長期間、豊臣秀吉の下で働いてきた同志です。
言葉は交わさなくとも、
相手の気持ちは少しは分かるつもりです。

一豊・千代夫妻と吉晴・いと夫妻は
胸の病で床に臥せっている中村一氏を見舞います。

一氏は、徳川にはへつらわぬ! という立場です。
ただ、病に伏せる今の状況を考えると、
近いうちに息子に家督を譲ることも考えなければなりません。

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2011年11月 4日 (金)

プレイバック功名が辻・(40)三成暗殺

慶長3(1598)年8月18日、伏見城にて豊臣秀吉が薨去。
その数ヶ月後、明国との講和が成立──。

福島正則、加藤清正、小西行長ら諸将たちは
7年間ずっと明に渡って戦に明け暮れる日日でありまして、
くたくたぼろぼろの姿で戻ってきますが、

石田三成は、秀吉に代わって
そんな彼らに「ご苦労でございました」とあっさり。

正則は「ご苦労の言葉しか言えぬのか!」と激怒します。

領国に戻って戦塵を落とせと言われても
長期間にわたる朝鮮出兵により、酒はおろか兵糧一粒すらなく、
そんな彼らに茶の湯でもてなそうという三成の言動は
彼らの心情にさらに油を注ぐ結果となってしまいます。

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