大河ドラマ風林火山・(05)駿河大乱
毎度ご乗車いただきまして、誠にありがとうございまーす。
『風林火山』の第一のヤマ場、“花倉の乱”でした。
あの……人間関係、分かりました? (^_^;;)
Kassyは、お家騒動が大っ嫌い。
人間関係が煩雑になって、サッパリ分からなくなるから。
(-"-)ノ⌒・ ぽーいっ
というわけで、みなさんのために (←表向き)
いや実は、Kassy自身のために (←ホンネ)
人間関係のおさらいをさせてくださーい♪
※あくまで『風林火山』でのストーリーを使っての説明ですので、
史実とは異なる場合があります。あしからず。
あ。
それと、かなりの長文になるから、覚悟してね〜♪
──────────
第一回「隻眼の男」では、
武田信虎と今川氏輝の戦いが描かれました。
そもそも、
武田─今川─北条 の関係って、
どういったものだったのでしょうねー?
まず【今川─北条】。
今川氏輝と北条氏綱は、実は親戚関係。
今川氏輝のおじいちゃん(今川義忠)が討死したときに、
跡継ぎを巡っての今川家お家騒動が勃発。
その危機を救ったのが伊勢新九郎(北条早雲)。
北条早雲は、今川氏輝のおばあちゃんの弟にあたるという、
いわゆる“大叔父”ってヤツですね。
そして北条氏綱は、その北条早雲の息子。
つまり、
今川氏輝のお父さん(今川氏親)と北条氏綱が従兄弟同士となります。
今川方としては、北条早雲に助けられた恩があるし、
北条方としては、今川は親戚になる、という
“親戚関係”であり“同盟関係”です。
次に【武田─今川】。
もともと、常に戦う相手ではありましたが、
第一回の戦いの直前までは、同盟関係を結んでいました。
ではなぜ、同盟が破棄されたのか?
今川の領地・駿河の西に「三河」という国があり、
松平家が統治していました。
そう、徳川家康の出身地ですねー。
今川は、松平を支配しようとしましたが、
予想以上に松平の勢力が強くなっていて、
当主の今川氏輝は、
三河進攻をあきらめざるを得ませんでした。
西の松平には進めない、
東の北条とは同盟関係。
南側は海。
…ということは、領土拡大をするためには、
同盟を破棄してでも、
北にいる武田を攻めるしかなかったのです。
【今川内部事情】
今川氏の家臣の中に、福島越前守という武将がいました。
(ちなみに名字は「ふくしま」ではなく「くしま」と読みます)
福島越前守は、当主である今川氏輝を滅ぼして、
今川家の権力の座を狙っていました。
(その理由は、また後ほど…)
今川と武田が敵対関係に陥った時、
軍事担当であり、武田方面の外交も担当していた福島越前守は、
その自分の立場を利用して、今川の情報を武田信虎に送り、
武田信虎に今川氏輝を滅ぼさせようと画策します。
ドラマ第一回の冒頭、山本勘助が
「敵方の足軽が、お味方の陣へ駆け入るところを見申した」
と、武田武将の原 虎胤に言っていましたが、
山本勘助が見た“敵方の足軽”が、
まさしく、福島越前守の送った足軽でした。
【北条、今川に援軍を送る】
ドラマ第一回の終盤、山本勘助が
「北条は後ろから攻めて参る!」
と叫びます。
実際、北条氏綱軍は山中湖から攻め込んできたのですが、
そのあたりの位置関係も含めて、
今までお話しした内容をまとめると、こうなります。
武田信虎は、北条が攻め込んできたことで
挟み撃ちに遭い、大敗を喫すことになりました。
ここまでが第一回「隻眼の男」の内容です。
──────────
今川家お家騒動“花倉の乱”を語る前に、
ぜひとも説明しておかねばならないことがあります。
なぜ、山本勘助は兄の山本貞久に命を狙われているのか?
山本勘助と、兄・山本貞久の関係も、
簡単におさらいしておきましょう。
山本勘助は、
福島越前守が謀反を起こそうとしている情報を土産話に、
今川家臣・庵原忠胤に仕官の斡旋を頼もうと赴きます。
庵原忠胤と山本勘助の関係ですが、
山本勘助のおじいちゃんの弟が、庵原忠胤。
山本勘助からみて、庵原忠胤は「大叔父」にあたります。
一方、兄の山本貞久は、
裏切りのきざしが見える福島越前守に仕えていました。
それを知った山本勘助は、
山本貞久を、福島越前守の謀反から救いたい一心で
謀反の企てがあるのでは? と問いただします。
それで山本貞久は、
庵原忠胤の元を出入りしている山本勘助が
謀反の情報を流してしまうのではないかと考え、
山本勘助を襲うのです。
つまり、庵原忠胤と福島越前守が(分裂による)敵同士なら、
山本勘助と山本貞久も敵同士、というわけです。
これらの話を前提において、説明は、
第三回「摩利支天の妻」
第四回「復讐の鬼」へ。
──────────
時は天文5年、西暦1536年の如月二月。
……といっても、時期的にいつなのか
ピーンと来ないでしょうけど (^_^;;)
- 織田信長が数え3歳。
- 豊臣秀吉が産まれる1年前
- 斎藤道三が土岐頼芸を新守護に据えたころ
- 毛利元就が嫡男・毛利隆元を人質として山口に送る前年
前々項の、武田信虎と今川氏輝の戦いの半年後です。
山本勘助の兄・山本貞久が、福島越前守の使者として
武田信虎に会いにきます。
福島越前守が謀反を起こしたら、我々に合力してほしい。
と申し入れます。
謀反によって今川氏輝が滅びるということは、
いずれ信濃の豪族たちを攻撃する予定である
武田信虎としては、好都合な話なのです。
ちなみに、ドラマ第三回では、
武田信虎の元を辞した山本貞久の姿を、
山本勘助が見かけます。
山本貞久が武田信虎を訪ねた翌月、
福島越前守が、当主・今川氏輝と、次弟・彦五郎を
暗殺します。
第四回の終盤あたりになりますが、
武田信虎が高笑いしながら、
「福島め……とうとうやりおったわい!」
と叫ぶ部分ですね。
……と、ここまできて、
ようやく第五回「駿河大乱」なのですが (^ ^)
今川氏親 (今川氏輝のお父さん) には、四人の子どもがいました。
(他にもいたのかもしれませんが、
ドラマには出てきませんので割愛しまーす)
産まれた順に、
- 嫡男・今川氏輝
- 次男・今川彦五郎
- 側室の子・玄広恵探(←出家して花倉の遍照光寺の住持に)
- 三男・梅岳承芳(←出家して善徳寺に預けられる)
福島越前守は、
なぜ当主・今川氏輝と、次弟・彦五郎を暗殺したのでしょうか?
簡単に言えば、玄広恵探を産んだ今川氏親の側室というのが、
福島一族だったからです。
玄広恵探を立てれば、自ずと福島一族の発言力が強まり、
今川の実権を握ることができます。
一方、寿桂尼は、
出家した三男坊の梅岳承芳を、後継者として立てます。
兄・玄広恵探と、弟・梅岳承芳の争い、
それが“花倉の乱”の発端です。
ドラマを見てお分かりの通り、この争いは、
弟の梅岳承芳が勝利します。
この梅岳承芳こそが、
後の今川義元となるのですが、
彼は、今川氏輝時代の“反・武田”路線から、
“親・武田”路線へ転換します。
梅岳承芳は、太原崇孚(雪斎)を仲介役に立て、
武田信虎に対し和睦を申し入れたのです。
ちなみに、武田側の仲介役は、
不気味な微笑みの小山田信有です。
いずれ信濃の豪族たちを攻撃する予定である
武田信虎としては、
今川との同盟は、とっても好都合な話なのです。
その同盟の証として、
- 寿桂尼に関わりのある京の名家から
武田信虎の嫡男・武田晴信に正室を迎える - (武田信虎の娘を、今川義元に正室として迎える)
結果、武田信虎は
「われらは、出陣せぬ」
と宣言。
福島越前守と玄広恵探は、
見殺しにされてしまいます。
「武田信虎」「玄広恵探」「梅岳承芳」の横にある名は
それぞれの仲介役、とでも考えてくださいまし。
ついでながら、
梅岳承芳改め、今川義元が“親・武田”路線に転換したため、
今川─北条 の同盟ラインが崩れていくのは、
言うまでもありません。
──────────
うーん、えらい長かったでしょー?
自分自身、いろいろな資料から内容をまとめて、
黒板に板書するだけでも疲れましたよー
┓( ̄▽ ̄;;)┏ やれやれ
Kassyのこの説明、
逆に分かりにくかった…というウワサが。
(T^T) しゅーん
原作:井上 靖 (『風林火山』新潮社 刊)
脚本:大森 寿美男
音楽:千住 明
題字:柿沼 康二
語り:加賀美 幸子
──────────
[出演]
内野 聖陽 (山本勘助)
市川 亀治郎 (武田晴信)
金田 明夫 (飯富虎昌)
田辺 誠一 (小山田信有)
──────────
光石 研 (山本貞久)
テリー 伊藤 (福島越前守)
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千葉 真一 (板垣信方)
竜 雷太 (甘利虎泰)
谷原 章介 (梅岳承芳)
松井 誠 (北条氏康)
伊武 雅刀 (太原崇孚雪斎)
石橋 蓮司 (庵原忠胤)
加藤 武 (諸角虎定)
藤村 志保 (寿桂尼)
仲代 達矢 (武田信虎)
──────────
制作統括:若泉 久朗
演出:清水 一彦
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『風林火山』
第6回「仕官への道」
アナログ総合・デジタル総合:午後8時〜
デジタルハイビジョン:午後6時〜
衛星第二テレビ:午後10時〜
長らくのご乗車、お疲れさまでした。
終点到着です。
どちら様も、Kassy号をお忘れになりませんよう、
充分ご注意くださーい♪
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コメント
黒板を駆使しての解説…お疲れさんでしたぁ~
なぁ~となく分かったようでわからないようで…(笑)
今川義元…若かりし頃は凛としてたんやろうね
晩年の公家かぶれの頃しかよう知らんけん…
当時の武将としては考えられどふくよかで馬に跨げなかったらしいよぉ~
そんなこんなで桶狭間に繋がっていくんやろやけど…
武田家も信虎追放まではいいけどその後お家騒動が始まるかな?信玄のあと家督を誰が継ぐとかでね!
お家騒動なんか今じゃ考えられないけど遺産相続はよく兄弟同士で裁判してもめてる話はよく耳にするかなぁ~
PS
CS(うちはケーブルTV)のファミリー劇場で
今年は「北条時宗」が放送されちょります
昨年は「山河燃ゆ」で一昨年は「足利尊氏」やったよ
わし的には中井貴一が演じた「武田信玄」を見てみたいよね
勘助役の西田敏行はいい演技をしていたと思うよなぁ~
──────────
やまさん、お久しぶりです♪
いらっしゃいませー。
えっっっっっ!!
説明、分かりづらかったですかぁー。
けっこうイケたかなー v(^ ^)v なんて、
自己満足に浸っていたんですけど──。
もっと工夫すべきは工夫せよってことですねー。
努力を惜しまずがんばります♪
んー、歴史フリーク(&ひねくれ者)のKassyとしては、
今川義元が馬に乗れなかったとは思いたくないんです……。
やまさんに対抗しているわけではないんですよー。
Kassyはひねくれ者なので、
物事を正反対の方向から見てしまうクセがあるようで。
お許しくださいね。
誤解を恐れずに言わせていただくと、
昨年の『功名が辻』(今川義元演者:江守 徹さん)でも、
平成8年の『秀吉』(演者:米倉斎加年さん)でも、
「義元は馬に乗れず、輿を使うとか」というセリフがあり、
とかく“乗馬下手”だの“短足”だの、そういう特徴で見られがちですけど、
Kassyが思うに、今川義元は、
馬に“乗れ”ないのではなく、
わざと、馬に“乗ら”なかったのではないかと思うんです。
今川義元の異名は“東海一の弓武者”ですからね。
つまり、
「輿」という乗り物は、
相当高い身分の者でないと乗れないものなので、
その高身分を誇示するために、
義元は、輿を使ったのではないか? と
Kassyは考えるわけです。
今川家というのは足利将軍家の親藩大名(=足利一族)であり、
鎌倉時代から続く名家ですからね。
だから、上洛するにしても、
この先にどんな戦が待ち受けていようとも、
馬ではなく、“輿”を使って行っている。
江戸時代に例えるならば、
水戸黄門が印籠を見せびらかして、
平伏する民衆に「どうだー!? 参ったかー?」って
自慢して回るようなものです。
言葉なき圧力の“身分の力”を、
日本全国に示したかったのかもしれませんけど、
下剋上でのし上がってきた“戦国大名”の織田信長にしてみれば、
今川義元のような「旧勢力」は、怖くも何ともなかった。
博多弁では、
“だけんなんやー?”って感じでしょうか(^_^;;)
そういう点が、かの桶狭間での
今川義元敗北につながったのではないか? と考えております。
……すっ、すいません(T^T)
アツく語ってしまいまして。。。。。
お家騒動ですねー。
最近で言えば、
某バッグ専門店(?)の長男と三男を巡る争いが、
Kassyの頭をよぎりました。
やまさんがおっしゃる通り、
あとは遺産相続ぐらいですかねー?
そうそう。
CS放送で、過去の大河ドラマやってるんですよね!!
(知っているけど見たことない……)
去年は『山河燃ゆ』!?
一昨年は『太平記』!?
そして今年は『北条時宗』なんですかー。
どれも、大河ドラマの空白地帯ばかりなんですね。
『北条時宗』は平成13年放送で、
当時はももち浜にオープンセットが作られまして、
一度だけ見に行ったことがあります。
謝 国明(北大路欣也さん)の本拠地・博多の再現、ということで。
『武田信玄』は、なかなかいいですよね〜♪
中井貴一さんの武田信玄役は、
若年から老年までの長期的計画に基づいた演じ分けも素晴らしかったし、
平 幹二朗さんの武田信虎役は“怪演”すぎてあっぱれだったし、
中村勘九郎(現・中村勘三郎)さんの今川義元役は、
桶狭間での最期が印象的でした。
杉 良太郎さんの北条氏康役を見て、
世のオバさま方が“杉さま〜♪”って熱狂するのもわけないな、と思ったり、
西田敏行さんの山本勘助は、
史実とは異なり隻眼ではないのですが、
主役の信玄よりもスケールがでかくて、イモ臭くて好きだったなー。
Kassyとしても、この時期だからこそ、
『武田信玄』の全編再放送を強く望みます!!
投稿: ★やま | 2007年2月 4日 (日) 22:07