お散歩(13-1)
今日のお散歩は、
バス終着地を巡る「たそがれ」の一環なんですが、
ちょっとだけ趣向を変えまして、
前までバスが走っていて、今は走っていないルートを
辿ってみようかと思います。
ご紹介するのは、
(22)系統のMヶ丘線・Tの原〜H田間。
今でこそ、T拝坂を経由して
N鉄F日市〜下O利駅 を単純に往復するという
ルートになっていますが、
12〜13年前? までは、
T拝坂を通らない旧道ルートが存在しました。
というわけで、
今日はN鉄F日市駅のバスセンターからスタートです。
……その前に。
N鉄F日市駅に向かう途中、
Kassy家の近くのとある場所でヤギを見ました。
Kassyが歩いている様子をジーッと見つめています。
な……なによっ!?
犬に見つめられるということはたびたびありましたが、
ヤギに、というのはねぇ……。
Kassy、しれ〜っと通り過ぎようとしたら、
ついてきちゃいました!
でも、ついてきたのはほんの数秒。
最後にヤギさんは、
メェェェェ〜
と見送ってくれました(^ ^;;)
脱線、失礼……。
左図:平成2年1月1日当時の(22)系統バス路線
右図:現在の(22)系統バス路線
(どちらも、N鉄発行の「F岡都市圏バス路線図」から転載)
N鉄F日市駅構内を出てすぐを右折、
路駐の多く、かつ狭い道を進みます。
こんな大型な体型の人間にとっては、歩くだけでも精一杯……。
このバス通り、今ではほとんどが中型バスしか通らなくなり、
(22)系統のバスのみ大型車なので、
乗務員さんもけっこう苦労するみたいです。
そして、突き当たりのR反交差点を左折。
さらに、すぐのS和町交差点を右折するのですが、
このS和町交差点、
乗務員さんにとってはなかなか手強いようです。
鋭角ターンというのでしょうか、
イメージとしては
“∠”
という曲がり方に近いですかね〜。
このあたりは、“お乗り換え〜♪”でも紹介している
カミチィさんの「カミチィ号乗務日記」で
たびたび話が出てきますので、そちらも参照くださいね!
Kassyは徒歩なので(^ ^;;)
そこまで苦労はしないわけですが、
それでも、車の通行に支障が出ないように、
ブロック塀に肩を擦りながら(!!)歩きます。
JRの踏切を渡り終えたころ、
踏切が“カーンカーン♪”と鳴り出しました。
これで、遮断機が上がるまでのしばらくは、
後ろからの車に気を使うことなく歩けそうです。
すると……
ブ────────ン
ブ────────ン
と異様な音が。
ハチの大群です!!
〜・ ( ̄ロ ̄;;) ・〜 ブーン
なんだー!? ここは養蜂場か!?
ほんの数匹どころか、明らかに3ケタはいるな……。
もしかしたら、4ケタにのぼるかも?
ハチが多すぎて、目の前全体が茶色になってるし (ホントに)。
( ̄_ ̄|||) どよ〜ん
およそ30秒ほど、
ハチの満員電車の中を通り抜けたKassyでした。
しかしアレはなんだったんだ……?
(´ρ`) ぽか〜ん
さ! 気を取り直して。
「Tの原」バス停を過ぎたあたりです。
写真に細工してみました。
旧バス路線にはオレンジ色の線を入れました。
(現行のバス路線は水色の線)
ちなみに矢印は、方向が分かるように
下O利駅方面の上り向きにしています。
比較しやすいように、隅に路線図を重ねていますが、
ピンクの三角は、Kassyが撮影したおおまかな場所と、
その方向を示しています。
細工なしの原本写真は、
「Kassy号〜♪ の車窓から」にアップしておきますね!
ここから旧道を歩くわけですが、
現行路線はここから左折して、T拝坂へ向かいます。
旧道から新道への移管は4段階でなされました。
下O利駅─H田┘F農前┘M蔵台高校
└┘
下O利駅─H田─F農前┬┬┘
T拝坂第三
└┘
下O利駅─H田─F農前─┬┘ │
T拝坂第三───┘
下O利駅─H田─F農前─┐ │
T拝坂第三───┘
だから、ここから左折のルートが完成する、第3工程までは、
直進の旧道ルートが使われていた、ということになります。
では早速、旧道を進むことにしましょう。
旧「S塚公民館前」バス停です。
バス停があった位置に、ゴーストで載せてみました。
上を通っているのは九州自動車道です。
ちなみに、
新道の「S塚公民館入口」バス停の名前の由来は、
このバス停にあります。
次のバス停は「S塚」です。
ここから、下O利駅方面へ直進するルートと、
M蔵台高校を経由して下O利駅方面へ向かうルートに分かれます。
このバス停の近くにあるS塚交差点。
現在は区画整理事業で三叉路になっていますが、
前は四叉路でした。
その遺構(?)を発見したので、ついでにご紹介。
分かりやすいように、旧道に薄く色を塗りました。
今は写真のように、
交差する県道と直角に近い形につなげるために、
交差点直前でグイッとカーブしていますが、
以前は、道なりにまっすぐでした。
それからもう1枚。
S塚交差点を渡ったところで撮ってみました。
ほんの少しですが、中央線が残っていましたね。
ついでながら、「M蔵台高校」バス停に立ち寄ってみましょう。
ハッキリとは覚えていないのですが、廃止直前の段階では、
N鉄F日市発 M蔵台高校ゆき が平日の朝に1本、
N鉄F日市発 M蔵台高校経由 下O利駅ゆき が平日の朝に2本、
あったと記憶しています。
M蔵台高校の生徒向けのバスだったんでしょうね。
現在は、このM蔵台高校の最寄バス停として、
新道の「T拝坂第一」バス停がありますので、
高校正門前に到着するバス路線が廃止されたものと思われます。
日中のバスは全て「T拝坂第一」バス停を通りますので、
高校正門からちょっとだけ遠くはなりましたが、
時間帯だけ見れば、非常に便利になった、というところでしょうか。
ここに関しては、バス停の位置は定かではありません。
もう少し奥の方 (高校正門あたり?) かもしれませんね。
さて。
明日は旧道に戻って、廃線巡りは続きます。
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コメント
あの交差点確かに手ごわいですね。
それより、踏み切りの凸凹が曲者なんですよ、
踏み切りの警報機なって閉まるまでが早い早い
その上凸凹がひどすぎる、ゆっくり安全に渡りたいけど、
警報機が鳴り出してからが早いから、
急いで渡ります、バスが揺れる揺れる、
何度あの遮断機の棒を折った運転士がいるかしら?
──────────
うっちゃんさーん。
>踏み切りの凸凹が曲者なんですよ、
そうなんですよねー。
JRの線路もカーブの途中で凸凹になっている。
これだけなら、Z餉隈駅入口バス停前の踏切のように
線路の凸部分を 前輪→後輪 という順に通過しますから、
上下に揺れるだけなんですけど、
道路が、線路と斜めに交差しているというのが問題でして、
線路の凸部分を 左前輪→右前輪→左後輪→右後輪
という順に通過しますからね……。
凸凹による上下の揺れではなく、
左右に振られる揺れの方が、とてつもなく大きいですもんね。
おまけに遮断棒が降りるのが早い。
もー、どうすりゃいいんでしょうね。
お客さんの立場として、ですけど、
日ごろ(22)系統を使っているKassyとしては、
あの揺れ方の特徴さえつかんでしまえば、
あの踏切を通過する時にイスに座っているよりも
つり革を持って立っている方が安全ですかね〜。
踏切を通過するときに、イスに腰掛けていると、
揺れの勢いで、窓にゴツンと頭をぶつけることもあるわけですが、
立っているだけなら、揺れにあわせてつり革を左右に振るだけで、
立っている自分はほとんどブレることがありませんからね。
……といっても、足を肩幅に開いて、
前を向いておかなければなりませんが〜。
投稿: ★うっちゃん | 2007年5月 3日 (木) 20:56
あはは!!カッシーさんの、お散歩は、ホント、楽しい!
ヤギさんに、出会ったり、蜂に囲まれたり・・・。蜂、恐くなかったですか・・?ヤギさん、カッシーさんが、珍しかったんでしょうね。
続きのブログも楽しみにしています。
──────────
うるるさーん。こんにちは。
今日もコメントありがとうございまーす。
今回のお散歩は、ホントすごかったです。
まさかヤギさんに出会えるとは思っていませんでしたし、
それよりもハチには絶句でしたね〜。
投稿: ★うるる | 2007年5月 4日 (金) 08:22
むかしむかし…F農高校が今の場所に移転してきた頃
この道をランニングで通った記憶があるよん
当時は県道との交差点も今のように店舗も多くなく
T拝坂の住宅地はもとよりM蔵台高校すらなかったなぁ~
思ったんはF農高校をよくこんな山の中に作ったなぁ~とね!
ホント…周りには何もなく敷地内からF日市が望め見晴らしのいいところだったよん(笑)
ちなみに路線バスはN鉄バス○二が担当していたよな気がするけど←F日市営業所のことだす!
──────────
やまさーん。こんにちは♪
GW、いかがおすごしでしょうか?
>F農高校が今の場所に移転してきた頃
気になって、F農のホムペを確認したところ、
Kassyが住んでいる団地が完成したのと同じ昭和51年でした。
Kassy家にある、当時のパンフを以前見せてもらったのですが、
昭和51年当時、(22)系統は(21)系統だったようですね?
Kassyがこの路線に関して記憶にあるのは昭和57年以降でして、
その時には(22)系統になっていたので、
比較的早い段階で系統分離されたんでしょうね〜。
ちなみに、やまさんがよく登場される(23)系統のTつじヶ丘線ですが、
運行開始が昭和58年でしたので、
この昭和51年〜58年の間で、下O利駅発着のバス路線は、
(21)系統のみから、一気に(23)系統まで繁殖したってことでしょうね!
>N鉄バス○二が担当していたよな気がするけど
へぇ〜。そうだったんですね!
(22)系統が完全に○平に路線移行された後も、
○二が担当していたダイヤは存在していましたね。
いつまで○二がダイヤの一部を担当したかは分かりませんけど。
当時、Mヶ丘線を走る○平の車両は
ボロな「かまぼこ」くんたちばっかりだったんですが、
その中で、○二の「ハンペン」ちゃん(当時、ほぼ新車)が
とても輝いていて、ずいぶん異色に見えたものです。
N鉄F日市─(22)→下O利駅─(21)→H野ハイツ┐
N鉄F日市←(22)─下O利駅←(21)─H野ハイツ┘
という運用でしたか……。
ま、間合い運行だったんでしょうけどね。
投稿: ★やま | 2007年5月 4日 (金) 09:22