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お乗り換え〜♪

Kassy号〜♪の車窓から 2011

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2007年10月 7日 (日)

(40)三国同盟

長尾景虎との戦いを終えた晴信は、諏訪の由布姫の元を訪れます。

晴信は、勘助が高齢(50歳代?)のため、
勘助の子に山本家を継がせることも視野にいれ、
嫁取りを勧めているようです。

それを聞いて、由布姫はちょっと複雑……。

ただ、当の本人である勘助は、リツを
あくまで「原 美濃守の娘」という見方を崩さず、
屋敷から丁重にお引き取り願うわけです。

翌朝。
勘助は原の屋敷に文句を言いに行きますが、
原は意外なことを勘助に伝えます。

「上意なれば仕方ない」と。

リツの嫁取りが、晴信の命令であると知った勘助は
真田幸隆・忍芽夫婦や相木市兵衛らに相談し、
大いに悩みます。


嫁取りの話を払拭するためか、
再び景虎に攻め入られるかもしれないことも考え、
甲斐・駿河・相模の三国同盟の実現を叶えたい模様。

しかし、晴信から
「話は……それだけか?」とイジワルそうに促され、
正式に嫁取りの話を断っていた勘助。

晴信の、歌舞伎調の目がなんとも言えませんでした。
(^ ^)


天文22年の冬。

景虎は、官位を賜った御礼を述べるために上洛します。
後奈良天皇に拝謁する景虎ですが、
オレンジ色の束帯姿でした。


この好機を見計らって、
勘助は三国同盟に向けて動き出しました。

既に武田と今川は盟約を結んでいますが、
今川と北条は、現在では敵同士であります。
第一回では、今川と北条は同盟関係だったのですけど、
いくら親戚とはいえ、関係が切れるのも早いんですね〜。

今川と北条、その両者を和解させるために
勘助は敢えて北条に挙兵を促します。

尾張で戦いの最中にある今川は
背後を北条に突かれればひとたまりもないため、
武田の仲介に応じるしかないわけです。

その機に、一気に三国同盟を成立させる──。
それが勘助の策であります。

北条出兵の知らせを受け、
雪斎は勘助の策に乗るしかないと考え、
雪斎も積極的に同盟成立に動きます。


こうして、駿河国善得寺にて
武田晴信、今川義元、北条氏康が一堂に会します。

盟約の証しとして、晴信の娘を氏康の子に嫁がせ、
氏康の娘を義元の子に嫁がせることを決めます。

ただし、義元の娘は
すでに晴信の子・太郎義信に嫁いでいるので、
こうして三国同盟は成立しました。

これで武田と北条は、景虎との戦いに専念でき、
今川は、織田との戦いに専念できる体制を
作り上げることができたわけです。


三国同盟の証として、武田家からは
北条家に晴信の娘・お梅が嫁ぐこととなりました。

戦国の倣いとはいえ、
愛娘を送り出す立場の三条夫人は、いかばかりでしょう。
三条は、涙でお梅を抱きしめます。


諏訪──。

笛を奏でている由布姫が急に咳き込み、
吐血してしまいます。

「姫さまー!!」

侍女・志摩の声がこだましました。


原作:井上 靖 (『風林火山』新潮社 刊)
脚本:大森 寿美男
音楽:千住 明
題字:柿沼 康二
語り:加賀美 幸子
──────────
[出演]

内野 聖陽 (山本勘助)

市川 亀治郎 (武田晴信)

ガクト(Gackt) (長尾景虎)

池脇 千鶴 (三条夫人)

金田 明夫 (飯富虎昌)
高橋 和也 (馬場信春)
宍戸 開 (原 虎胤)
──────────
佐々木 蔵之介 (真田幸隆)

清水 美砂 (忍芽)
前田 亜季 (リツ)

柴本 幸 (由布姫)

市川 段四郎 (後奈良天皇)
──────────
谷原 章介 (今川義元)

松井 誠 (北条氏康)

浅田 美代子 (萩乃)
近藤 芳正 (相木市兵衛)
大森 暁美 (志摩)
横内 正 (清水吉政)
加藤 武 (諸角虎定)
伊武 雅刀 (太原崇孚雪斎)

藤村 志保 (寿桂尼)
──────────
制作統括:若泉 久朗
制作:中村 高志
演出:大杉 太郎


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『風林火山』
第41回「姫の死」

アナログ総合・デジタル総合:午後8時〜
デジタルハイビジョン:午後6時〜
衛星第二テレビ:午後10時〜

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コメント

義元が嫡男氏真?やったかねぇ~
ちらっと出てたけど…
こん頃からかなりの「うつけもの」やったみたいやねぇ~

義元が桶狭間で信長に討たれたあとなぜ速攻で弔い合戦をせんやったちゃろうか?
まだまだ今川の勢力はあっただろうしね!
歴史は変わってただろうに…

──────────

やまさーん。こんにちは!
今日もコメントありがとうございまーす。


>義元が嫡男氏真?やったかねぇ~
寿桂尼さまに「あほぅ」とツッ込み入れられていましたね!
やっぱり、Kassyのように
ちょっと抜けている人物だったのでしょうか?


>義元が桶狭間で…(中略)…弔い合戦をせんやったちゃろうか?
……そうか!
言われてみて初めて気づきましたが、
弔合戦という認識には至らなかったのでしょうかねぇ?

いかに、歴史を織田信長側からしか見ていないって
証拠ですね(^ ^;;)

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