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お乗り換え〜♪

Kassy号〜♪の車窓から 2011

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2007年11月11日 (日)

(45)謀略! 桶狭間

宇佐美定満が仕掛けた武田信玄暗殺の謀略は失敗に終わり、
長笈(寅王丸)は、そのまま寺に幽閉されます。

そして、長笈を送り込んだ矢崎平蔵は越後へ逃亡。

いや、正確には、
謀略の全容を聞いた河原村伝兵衛によって
平蔵はこっそり逃がされたわけですが、
山本勘助は伝兵衛をぶん殴っただけで、
平蔵を追うことをあえてしませんでした。

長笈をたぶらかして刺客として送り込み、信玄の命を狙わせたとはいえ、
平蔵とは旧知の仲なので、温情をかけたのかもしれません。

「じゅぅ〜けぇぇぇ〜にぃぃぃぃ〜!!」

と寿桂尼へ、そして今川家への不信感を募らせる勘助ですが、
謀略の主犯は寿桂尼ではなく、宇佐見です。(←ここ重要)

今は越後に居住する平蔵が、
寿桂尼の「はかりごと」でわざわざ駿河へ向かい、
長笈を担ぎだし、刺客として送り込んだとは、
どう考えても無理がありすぎる話なので、
軍師・勘助も気づいてもいいんちゃう? とは思いますが、

うすうす気づいているのか、
それとも全く気づいていないのかは分かりません。


屋敷で軟禁していた平蔵を伝兵衛が逃がしてしまったことで、
勘助は「間者を取り逃がしました」と信玄に詫びを入れます。
その上で、今回の謀略には
寿桂尼が絡んでいるらしいと信玄の耳に入れます。

そんな折、長笈は秘かに寺を逃げ出したそうで、
飯富虎昌が放った追っ手によって捕らえられ、
無残にも討ち取られます。

「まことに逃げ出したのか?」と信玄はいぶかりますが、

信玄の命を狙い、太郎義信の命を狙い、
三条夫人の侍女・萩乃の命を奪った長笈は
武田家にとって獅子身中の虫であり、
討ち取るのは当然だと言わんばかりの飯富。

この飯富に、長笈に対する温情もあったものではありません。

Kassyとしては、このストーリーによって
長笈が無理矢理 退場させられた感は否めませんが(^ ^;;)

長笈は信玄にとって甥(信玄の妹・禰々姫の子)にあたり、
諏訪家方面からみれば、由布姫の異母弟にあたるので、
その親族を討ち取ってしまった飯富は、
信玄に「下がれ!!」と、退場させられてしまいます。


越後──。
宇佐見の元へ命からがら逃げ帰った平蔵。

一連のことを宇佐見にありのまま報告しますが、
宇佐見に「そちには(軍師は)向かぬ!」と叱責されます。
日ごろ、感情を表にしない宇佐見が怒鳴るぐらいですから、
よっぽど腹に据えかねたのでしょう。

いや、この宇佐見のご立腹は……演技か?

実は宇佐見、平蔵が軍師になることを諦めさせるために、
難しい「はかりごと」をあえて平蔵にぶつけ、親ごころとして
軍師の大変さや謀略の難しさを経験させたのかもしれません。

なので、最後には「それでもというなら……ワシに仕えよ」と
優しく言ってくれたりもします。

宇佐見が去った後の屋敷の庭で、
長笈が言った言葉、ヒサが言った言葉を
頭の中で反芻している平蔵でした。


永禄2(1559)年10月。
長尾景虎は、半年以上の上洛の旅から帰国します。

今回の上洛で景虎は、
正親町天皇や13代将軍・足利義輝に拝謁してきていまして、
義輝から管領並の待遇を与えられています(上杉の七免許)。
つまり、関東管領職を継ぐことができるようになったということらしく、
その旨を上杉憲政に報告します。

「ならば」と意欲満々の憲政に、
景虎は、しばらくは力を蓄えた上で出兵したいと答えます。
憲政の目はただでさえ丸いのに、
景虎に対して注いだ期待の目が、さらに丸く(^ ^;;)
もーどんだけー!? という感じです。


永禄3(1560)年、今川義元はいよいよ上洛を決意。
景虎が上洛をし、朝廷に顔を売っているという話をウワサで聞き、
「天下に号令するはこのワシじゃ」と、内心焦っていたのかもしれません。

今川家は、もともと足利家の家臣なので、
それ相応の大軍でなければ、世間に示しがつきません。
そしてその大軍をもって、
織田信長が支配する尾張へ攻め入ることにします。

上洛前に、母・寿桂尼に挨拶に出向いた義元。
実は今川家の家督を、息子・氏真にいつの間にか譲っていたようで、
義元不在の間、今川を守るように申し付けます。
氏真の「しからばおばばさまと相談の上──」との言葉に、
「そちが! 守るのじゃ」と叱責する義元。

自分はママさんにすぐに相談するのにね(^ ^;;)


勘助は、大軍である今川軍に少数の織田軍が勝つには、
大将・義元の首を狙うしかないと考えています。

仮に義元が討ち取られ、信長が勝つことができれば、
駿河の領地をそのまま手に入れることができる──。
後継者の氏真の力など、赤子の手をひねるよりも簡単であり、
勘助にとっては恐れるに足りない相手なわけです。

これは、武田家にとっては願ってもない好機であり、
勘助は密かに策を練り始めます。

山本屋敷で、義元軍の進路を探っている勘助。
桶狭間という場所を織田方がさかんに調べているらしいと
伝兵衛や太吉から情報を得ます。

桶狭間──。

勘助はその情報を持って、単身 駿河の義元の元を訪れることにします。


勘助は、今川家臣の庵原之政から、
義元が尾張領内での進路に迷っていることを聞き出します。

なぜ、家臣がそんな機密情報を漏洩したのか?

之政の父・忠胤は、勘助の大叔父(母方の祖父の弟)であり、
忠胤も之政も、勘助にとっては数少ない親戚の一人であります。
忠胤は、浪人時代の勘助に捨て扶持を与えて養ったという経緯から、
子の之政に対しても感謝の念を持ち続けている勘助は、
どれだけ年月を経ても、大の仲良しなわけですね。

脱線、失礼。

義元が尾張領内で進路に迷っているというので、
信長の本拠地である清洲城を攻め入るように進言します。
清須を通るということは、つまり桶狭間を通らない行程なわけです。

ただでさえ、勘助に機密情報が漏洩したことを
義元にとっては面白かろうはずもありませんが、
「雪斎さまが生きていれば、そう進言したはず」という
勘助の言葉に、義元はとうとう激高します。

「念のためじゃ」と寿桂尼がその間を取り持ちます。

しかし義元としては、
勘助の進言を聞き入れるつもりはさらさらありません。
やはり、義元は勘助を嫌っているようです。


5月、今川軍はいよいよ出陣し、
圧倒的な軍勢で尾張入国を果たします。

ちなみに、その行軍の中には、義元の家臣・松平元康もおりまして、
のちの西田敏行さん いやいや、徳川家康であります。

進軍しながらも、義元は未だに進路を迷っています。

頭の中を、勘助の進言がぐるぐると回っておりますが、
義元は勘助の進言とは逆の道(=桶狭間ルート)を選びます。
勘助に対して「いまいましいヤツ」と、苦虫をかみつぶす思いの義元。
その思いが義元の判断を狂わせ、
歴史的な運命の分かれ道を、誤った方向へ導きます。

「義元は足が短く、馬に乗れなかった」という有名な逸話がありますが、
Kassyとしては、義元が「(短足で)馬に乗れなかった」のではなく、
「(わざと)馬に乗らなかった」のではないかと考えています。
その理由は、世間に高身分を知らしめるため。

そもそも今川家は、
前述の通り足利将軍家の家臣でありまして、
馬に乗らずに輿に乗ることは、
それだけ身分の高い者の象徴であります。

それ以前に、
身長183cmでモデル出身の谷原章介氏が、
馬をまたげないほど短足なわけがありません。


義元が出発した後も、今川屋敷に残っている勘助。

「何用ぞ?」といぶかる寿桂尼に、
勘助は長笈を討ち取った詫びを入れます。
それを聞いた寿桂尼は顔色一つ変えません。
さすがは謀略家・女大名の異名をとる寿桂尼であります。

勘助は、桶狭間に織田方が攻め入ろうとすることを
それとなく寿桂尼に匂わせます。

桶狭間──?

清洲城ルートを進言したことで、
勘助を毛嫌いする義元が、逆の桶狭間ルートを進むように
勘助が仕向けたのではないかと気づいた寿桂尼は、
あわてて勘助に詰め寄り、
「ま…まさか、そちは──」と珍しく動揺していました。


そうしている最中にも、義元は一歩一歩桶狭間へ近づいています。

進軍途中で雨が降り出したこともあり、
家臣に「休止できる場所を確保していようの?」と尋ねると、
桶狭間に確保している旨の報告を受けます。

桶狭間──。

そこで小休止を命じます。

しばらくして晴れ上がった青空を見上げ、
「雪斎が雨を止ませたのじゃー!!」とご機嫌の義元。
深酒が原因で亡くなった雪斎に、酒を高々と掲げますが、
雨を止ませたのは雪斎ではなく信長でして、
義元にとって恵みの青空は、信長にとっても恵みの青空であります。

途端、義元の足元を幾多の銃弾が襲います。

織田信長の奇襲を受け、義元はあえなく討死。
歴史的大事件である、世に言う「桶狭間の戦い」によって、
義元の天下統一への夢は、あっけなく散ります。

義元の性格を逆手に取った勘助の策が、見事に的中したわけです。

そういえば、昨年の『功名が辻』は、
この桶狭間の戦いからストーリーがスタートしましたね。


全国へ駆け巡る、義元討死の報──。

当然、武田の躑躅ヶ崎館にもその報は届いており、
太郎義信の妻・綾姫は父の死に泣き崩れます。

飯富は、勘助が駿河へ行ったことを知っており、
「そなたが図ったのではあるまいな?」と疑いをかけますが、
勘助は、今川へ行ったのは寅王丸のことであり、
桶狭間については知らぬ存ぜぬを通します。

「それがしに何ができるのです?」と言いたげ。

次第に、四郎勝頼を推す勘助と、
太郎義信を推す飯富の心の溝が広がっていきますね。


家臣の手によって取り返された義元の首。

松平元康が城にこもっている情報を耳にし、
「あるいは織田方に寝返るかも」という家臣たちの動揺を
寿桂尼は女大名らしく、鶴の一声で抑えます。
その上で、同盟を結んでいる武田と北条の動きを見張るように
家臣たちに命令を下します。

その一方で義元の死は、寿桂尼を悲しみのどん底へ落とします。

そういえば、寿桂尼の子どものうち、
嫡男・氏輝と、次男・彦五郎は、第5回「駿河大乱」
家臣の福島越前守の手によって、花倉の乱直前に毒殺されています。
そして今回「桶狭間の戦い」によって、五男・義元を亡くしたわけですが、

全ての男子に先立たれてもなお、寿桂尼は今川家を守ろうと心を鬼にします。


次回、いよいよ長尾景虎が小田原城を囲みます。
それに対して北条氏康は籠城し、
「さあ……かかってこい!」と余裕綽々です。


永禄3(1560)年5月19日、桶狭間の戦い。
今川義元が織田信長に敗れて討死する。

永禄4(1561)年9月10日の
「第四次川中島血戦」(山本勘助の討死)まで

あと1年4ヶ月──。


原作:井上 靖 (『風林火山』新潮社 刊)
脚本:大森 寿美男
音楽:千住 明
題字:柿沼 康二
語り:加賀美 幸子
──────────
[出演]

内野 聖陽 (山本勘助)

市川 亀治郎 (武田信玄)

ガクト(Gackt) (長尾景虎)

池脇 千鶴 (三条夫人)

金田 明夫 (飯富虎昌)
高橋 和也 (馬場信春)
有薗 芳記 (河原村伝兵衛)
──────────
佐藤 隆太 (矢崎平蔵)
水川 あさみ (ヒサ(回想))
紺野 まひる (於琴姫) ※ クレジットなし
前田 亜季 (リツ)
──────────
谷原 章介 (今川義元)

西岡 徳馬 (直江実綱)

市川 左團次 (上杉憲政)
加藤 武 (諸角虎定)

藤村 志保 (寿桂尼)

緒形 拳 (宇佐美定満)
──────────
制作統括:若泉 久朗
制作:中村 高志
演出:清水 一彦


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『風林火山』
第46回「関東出兵」

アナログ総合・デジタル総合:午後8時〜
デジタルハイビジョン:午後6時〜
衛星第二テレビ:午後10時〜

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