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2007年12月 9日 (日)

大河ドラマ風林火山・(49)激闘川中島

不思議な老婆・おふくの元を訪れた山本勘助。

「この川中島には、濃い霧が出ると聞き及ぶが──」

「あすじゃー!」
「明日!?」
「明日の朝……川中島は霧ン中!」

「明日……、今宵、雨が上がれば……、決戦は明日……」

いよいよ、第四次川中島血戦のはじまりです。
通称・八幡原の戦い。
計五回にわたる川中島の戦いの中で、唯一
大規模な戦いとなります。


永禄4(1561年)年9月9日、
海津城・武田本陣。

勘助は、かがり火を見つめながら、口ずさみます。

それがしは蒼き月影の如く、

 お館さまは燃ゆる日輪の如し。

恋は散り降る花の如く、

 心はほの暗き森の如し。

宿敵は天駆ける龍の如く、

 戦は……戦は、我が人生の如し。


“明日 川中島に深い霧が出る”と、
おふくから聞いた勘助は、明朝こそ動く時と判断。

武田軍20,000を二手に分ける、大規模な仕掛けを献策します。

12,000の別働隊が、上杉軍が布陣している妻女山を背後から襲う。
すると、上杉軍は勝ち負け関係なく妻女山を下りて八幡原に向かう。
平野部に布陣する 武田信玄率いる8,000の本隊は麓で待ち構え、
別働隊とともに挟み討ちして壊滅させる。

これはいわば、
啄木鳥(きつつき)が嘴(くちばし)で虫が潜む木をコツコツ叩き、
それに驚いて飛び出した虫を待ち構えて喰う姿に似ております。

これぞまさしく「啄木鳥戦法」。


妻女山・上杉本陣。

矢崎平蔵を仲介役として、宇佐見定満の元におふくが現れます。
「よう来た〜」と歓迎しているところを見ると、
もしかしたら、この二人は顔なじみなのかもしれません。

おふくは、宇佐見にも勘助に与えたものと同じ情報を流します。

「武田は……それを知っておるかの?」とおふくに尋ねますが、
「オラの知ったこっちゃねーだよぉ」と、気味の悪い笑顔で返します。

↑コレでもキーパーソンなのね(^ ^;;)

宇佐見が握った“川中島のキリ情報”。

二手に分けた敵の一手がこの妻女山に上り、
霧を使って上杉を突くと読んだ宇佐見。
急ぎ上杉政虎に知らせます。

直江ら武将は、武田が動くか半信半疑ですが、
政虎は、武田がこもる海津城から
飯炊きの煙が上がっているのを目ざとく見つけ、
「敵は……動く!」と判断します。


出陣に備えて飯を食らっている武田方。
その中には、上杉を裏切った大熊朝秀の姿もあります。
大熊よりも、実はKassyが気になっているのは
このシーンに、
音楽担当・千住 明氏や、題字担当・柿沼康二氏が
出演していたという事実であります。

このシーンは、本来「腹が減っては──」というものですが、
スタッフとして長期間活躍してくださった両者に対して
「お疲れさまでした!」という長期間のいたわりも兼ねた
盃でもあったわけです。

そんなサービスカットがあったなんてね〜♪


そして、勘助・真田幸隆・相木市兵衛の戦国トリオも
腹ごしらえをしています。

酒を酌み交わしながら、思い出話にひたる戦国トリオ。

ドラマでは、思い出話に花を咲かせると
そのうちの誰かが……という展開が多く見られますが、
いつ命を落としてしまうかも分からない戦国時代にあって、
こういうシーンは、私らがイメージする以上に
頻繁に見られたのかもしれません。

勘助と真田は、第7回「晴信初陣」で。

今川家と和議が成立したことで、
背後からの敵の心配がなくなった信虎が、
次の標的に選んだのが、信濃でした。
北条氏康に仕官したものの、
「“武田を討ちたい”というのは私怨だ」と断られた勘助が、
次に向かったのがその信濃でして、
信虎を迎え討つ側であったのが真田幸隆だったわけです。

当時、平蔵は真田に仕えておりまして、
偶然に平蔵と再会したとき、真田にも会ったわけですね。

勘助と相木は、第8回「奇襲! 海ノ口」で。

勘助と平蔵は海ノ口城に忍び込み、
信虎率いる武田軍を迎え撃とうとしていました。
その戦仲間に、相木がいたわけです。

3人が出会ったときは、それぞれが
もともと“反・武田”の立場にいたときでしたが、
運命のイタズラか、
現在では仲良く武田の武将に落ち着いています。

ま、正直に言えば、Kassyは相木に関して、
武田方についても“いずれは裏切るだろう”と思っていました。
しかし、もう最終回は目前……。
まさかドラマのレギュラー人員だったとは予想だにせず。

このまま、何事もなく終わってしまうようです(^ ^;;)


一方、武田本陣では、
信玄と武田信繁が対面して酒を飲んでいます。
兄・信玄41歳、弟・信繁37歳。
信虎追放から20年が経過しています。

「兄上──」と、信繁が口を開きます。
聞けば、子の信豊に訓戒を与えているというのです。

“お館さまに対しては、末代まで二心を抱いてはならぬ”

兄の意向によって、
父・信虎を追放せざるを得なかった弟の立場としては、
非常に重みのある言葉であります。

信玄は、そんな信繁に
法華経荼羅尼の黒帆(くろほろ)を授けます。
「生きるのじゃ。生き抜け」

兄の言葉に、涙する弟の姿です。


9月9日深夜。
少しずつ、川中島が霧に包まれ始めています。

香坂弾正や馬場信春らが率いる別働隊12,000は
勘助の献策通り、妻女山に向かいます。
勘助の養女・リツが香坂に嫁ぐ決意を固めたので、
出発時、香坂は勘助を“義父上”と呼んでいました。

そんな香坂を、万感の思いで見送る勘助。
勘助の胸に飛来する、数々の思い出。
それをかき消したのは、直臣・河原村伝兵衛の
“勘助! 霧が出始めたぞ!” という言葉でした。


飯富虎昌は、
放った物見が帰ってこないことを危惧しています。
しかし物見は、この時すでに上杉によって、
一兵残らず、ことごとく討ち取られていたわけです。


政虎は、物音を一切立てないように厳命し、
夜陰に乗じて密かに妻女山を下山、千曲川を渡ります。

江戸期の儒学者・頼 山陽の漢詩『川中島』の一節にある

鞭声粛粛夜河を渡る
(べんせいしゅくしゅく よるかわをわたる)

の場面であります。
そして、政虎率いる本隊13,000は八幡原に布陣。


寅の上刻・午前四時。

武田軍も、物音を立てずに川中島に向けて出発します。
信玄率いる本隊8,000は、八幡原に布陣。

ちょうど同じころ。
先に出発したはずの別働隊は霧に阻まれ、
なかなか妻女山の上杉陣に近づけませんでした。
かがり火が数本立てられているのが見えるのみであります。


なかなか霧が晴れません。
勘助は、自身が献策した「啄木鳥戦法」に
絶対的な自信を持っていますが、
信玄がボソッとつぶやきます。

「この霧は、味方に限り有利だとは限るまい──」

夜が明け、川中島を覆っていた霧が少しずつ晴れるに従って、
川中島の全容が明らかになっていきます。
そこで勘助は「あッ!!」と驚きます。
目前には上杉軍、車懸かりの陣で布陣しているわけです。

それは、勘助にとってはまさに
信じられないものであったわけです。

「──読まれたッ!!」

妻女山の別働隊に変事を知らせるために、
鉄砲を空に向けて放ちます。


一方、妻女山の別働隊。

奇襲のつもりで攻め入ったものの、
敵兵はすでになく、もぬけの殻だったわけです。

各武将ともにいらだちを見せますが、それどころではありません。
総勢20,000のうち、別働隊で12,000を割いているので、
武田本隊には8,000しか残して来ていません。

本隊を助けるために、別働隊は慌てて下山します。


血戦は、
卯の上刻・午前六時に始まりました。

武田軍は、鶴が翼を広げたように部隊を配置し敵を包み込む
『鶴翼の陣』という陣形を敷いて応戦するものの、
上杉の裏をかくつもりが、逆に裏をかかれてしまっているので
ひどく浮き足立ち、陣形も乱れつつありました。

勘助も思うように策が出せません。
勘助にしては珍しく、ひどく狼狽する姿に、
信玄が「そちがうろたえてどうする!!」と喝を入れます。

勘助は、板垣の遺言を思い返していました。

勘助、そちは月影となれ。

月影となり、お館を照らし続けよ──。

武田軍が勝つ道はただ一つ。
別働隊が駆けつけるまで、時間を稼ぎつつ
上杉軍の攻撃を防ぎきるしかありません。

ハッと我に返った勘助、
むかで衆にてきぱきと指示を与えます。


辰の上刻・午前八時。

信繁が信玄の前に参上。
味方の陣の乱れがひどすぎるので、
自軍が攻撃して時間稼ぎをしている間に
態勢を立て直してほしいと申し出ます。

信玄は、必ず戻ってくるように言い、弟を送り出します。

しかし、信繁としては戻ってくるつもりはありません。
信玄の元を辞した信繁は、側近・春日源之丞を呼び、
兄・信玄から賜った黒幌を、子の信豊に手渡すように託します。
敵方に命を取られるのは惜しくはないが、
黒幌を取られるのは惜しいわけです。

ちなみにこの黒帆は、子の信豊が大切に預かり、
後の「長篠の戦い」出陣時にもまとったそうです。

先鋒・柿崎景家軍に斬り込む信繁。
それを、諸角虎定が追いかけます。
しかし、最強とうたわれた越後勢の勢いはさすがに凄まじく、
乱戦模様の中、二人はあえなく討ち取られてしまいます。

「信繁さま──!!」
「諸角……何としても、時を稼ぐのじゃ……」
「信繁さま──!!」

「信繁さま──!!」

武田左馬助信繁、享年37。
諸角豊後守虎定、享年81。

二人は川中島に散っていきました。


信繁と諸角の討死の知らせは、本隊の信玄の元に舞い込みます。
その報を、じっと目をつぶり聞いていた信玄。

武田崩壊の危機は、もはや間近に迫ってきていました。


原作:井上 靖 (『風林火山』新潮社 刊)
脚本:大森 寿美男
音楽:千住 明
題字:柿沼 康二
語り:加賀美 幸子
──────────
[出演]

内野 聖陽 (山本勘助)

市川 亀治郎 (武田信玄)

ガクト(Gackt) (上杉政虎)

金田 明夫 (飯富虎昌)
高橋 和也 (馬場信春)
宍戸 開 (原 虎胤) ※ クレジットなし
嘉島 典俊 (武田信繁)
──────────
清水 美砂 (忍芽)

佐藤 隆太 (矢崎平蔵)
千葉 真一 (板垣信方(回想))
──────────
西岡 徳馬 (直江実綱)

佐々木 蔵之介 (真田幸隆)

金田 賢一 (柿崎景家)
大橋 吾郎 (大熊朝秀)
近藤 芳正 (相木市兵衛)
緑 魔子 (おふく)

加藤 武 (諸角虎定)

緒形 拳 (宇佐美定満)
──────────
制作統括:若泉 久朗
制作:中村 高志
演出:清水 一彦


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆


[次回予告] 最終回は56分の拡大版!


永禄4(1561)年9月10日。
勘助の「啄木鳥戦法」は宇佐美によって見破られ、
政虎率いる上杉軍は「車懸かりの戦法」で
武田の本隊に襲い掛かった。

川中島での武田・上杉両軍の死闘は、
そのピークを迎えていた。


信玄(市川亀治郎)は弟信繁と重臣諸角を失い、
武田軍は崩壊の危機にあった。
しかし、上杉本陣に向かっていた武田の別働隊が
戦に参加すれば、戦況は一気に逆転する。
別働隊の復帰を信玄は本陣で待った。

「勝つのじゃ勘助──勝つのじゃ!」


武田勢の予想以上の粘りに、宇佐美は撤退を進言。
しかし政虎は聞き入れず、自ら武田本陣に向かう。

「我に続けーッ!!」

一頭の白馬が乱戦を突き抜けて、信玄の本陣に向かった。
政虎は、単騎本陣に飛び込み、信玄に太刀を振り下ろす。


勘助も手勢を率いて突撃した。
宇佐美は勘助に、共に兵を引くよう叫ぶが、
鬼神と化した勘助は宇佐美に斬りかかる。

「一国を滅ぼしてまで、何のために戦うのか!」

銃声が響き渡り──。


甲斐・山本屋敷で、知らせを受けるリツ。
その頬にはひとすじの涙が。

「……」


夕空に向かって、獅子の雄叫びを上げる勘助。
いよいよ、勘助の最期であります。

「山本ォー、勘助にござりまするゥー!!」(伝兵衛の声?)


(NHK発表のあらすじを引用し、1分間予告ムービーを
文字化したものを、部分的に挿入しています)


NHK大河ドラマ『風林火山』
第50回「決戦川中島」[終]

アナログ総合・デジタル総合:午後8時〜午後8時56分
デジタルハイビジョン:午後6時〜午後6時56分
衛星第二テレビ:午後10時〜午後10時56分

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NHK大河2007・風林火山」カテゴリの記事

コメント

今回のMVPは信繁くんかなぁ~
おそらく一話追加になったところは信繁と信玄の会話のところやなかろーかと勝手に解釈しちょります

ところで信繁という名前…
真田幸隆の孫の真田幸村の本名って知っちょったぁ~?
武田信繁の忠義に感服し孫に信繁の名を命名したらしいよん

──────────

やまさーん。こんにちは!
今日もコメントありがとうございまーす。


>おそらく一話追加…(中略)…解釈しちょります
ほほぉ〜。
そういう(追加シーンはどこだ! という)ふうに
見ていなかったもので(^ ^;;)

そうですよね!
1話分追加になったのであれば、
追加シーンは一体どこなんだろう?

Kassyは「追加シーンなし!」に3,000点!!

『風林火山』脚本の決定稿台本が入手できれば
すぐに分かるんでしょうけどね〜。


>真田幸隆の孫の真田幸村の本名って知っちょったぁ~?
あ〜、確かに幸村の本名は「真田信繁」でしたねー。
ただ「武田信繁」→「真田信繁」とは思いませんでした。

Kassyが「武田信繁」と聞くと、
もちろん信玄の弟。
これは、19年前の大河『武田信玄』で
すでに知ってはいたのですが、

それよりも、11年前の大河『毛利元就』で出てきた
宿敵・武田信繁を思い浮かべておりました。
ちなみに『毛利元就』で武田信繁を好演なさったのは
宍戸 開さんでしたけどね♪

投稿: ★やま | 2007年12月10日 (月) 19:12

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