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2007年12月31日 (月)

(51-4)総集編・第四部 〜山の巻〜[終]

(42)軍師と軍神
 由布姫(柴本 幸)の死は山本勘助(内野聖陽)の心に深い傷を残した。そして、由布姫が最後に言い残した「嫁を取り、跡継ぎをつくるのです」という遺言が重く響いていた。迷いを振り切るために武田晴信(市川亀治郎)に置手紙を残し、勘助はひとり旅に出た。 勘助が向かったのは霊場・高野山。若き勘助が守り神である摩利支天を授かった地であった。
 一方、長尾景虎(ガクト(Gackt))の下で統一された越後では、長く戦乱が続いた名残りで豪族同士の領地争いが絶え間なかった。いがみ合う家臣たちに失望し、景虎は突如出奔してしまう。
 高野山にたどり着いた勘助は、かつて教えを受けた高僧・清胤(佐藤 慶)と旧交を温めていた。しかしここで意外な人物に出会う。越後を出奔した景虎だった。何故ここに景虎がいるのかを探る勘助を刺客と思い込んだ景虎は、護身用の仕込み杖で襲い掛かる。応戦する勘助。清胤の一喝でようやく二人は矛を収める。直江実綱(西岡徳馬)ら家臣団が景虎を見つけ出し、越後に戻るよう懇願した。武田の誘いに乗った重臣・大熊朝秀(大橋吾郎)が謀反を起こしたと知った景虎の胸には武田への闘志が燃え上がった。
 勘助の迷いもいつしか消えていた。由布姫の遺言に対して出した勘助の答えとは……。

(43)信玄誕生
 勘助はリツ(前田亜季)を養女として迎え、婿を取ることとした。勘助に恋するリツは渋々ながら従う。
 長尾の重臣・大熊を寝返らせることに成功した晴信は、勢いに乗って北信濃の長尾勢力の一掃を図った。越後の深い雪に閉ざされ身動きがとれなかった景虎が兵を挙げたのは翌 弘治3(1557)年の春。しかし武田は決戦を避けたため、景虎は戦果をあげることはできなかった。この武田、長尾の対決は思わぬ形で決着した。時の将軍、足利義輝が両者に和議を結ぶよう命じたのだ。晴信は信濃守護の職と引き換えに受け入れたが、一方の景虎は信濃出兵の大義名分を失ってしまう。そこで関東管領・上杉憲政(市川左團次)が景虎に救いの手を差し伸べる。景虎を養子に迎え、関東管領職を譲ろうと申し出たのだ。管領は守護より上位なので、景虎は再び武田を討つ名分を得ることができる。将軍から関東管領を継ぐ承諾を得るため、景虎は上洛することを決意する。
 甲斐、信濃の守護となった晴信は勘助に出家を宣言する。勘助も主君にならい、ここに晴信は「信玄」、勘助は「道鬼」と号して入道となった。
 景虎が上洛の途につき、留守を任された宇佐美(緒形 拳)は信玄を倒すため新たな策を練り始めるのだった。

(44)信玄暗殺
 平蔵(佐藤隆太)は宇佐美の策に従い、駿河へ向かった。今川家に預けられている諏訪家の遺児・寅王丸(柄本 佑)に会い、武田へ怨みを抱くよう仕向けるためだった。寿桂尼(藤村志保)は平蔵が寅王丸に会うことを許す。出家し長笈と名乗っていた寅王丸は、自分が家督を継ぐことを条件に父・諏訪頼重(小日向文世)が切腹させられたこと、姉・由布姫が信玄の側室となって子をなした後、見捨てられて死んだことを聞かされ、武田への憎悪をたぎらせる。甲斐へ向かうことを黙認された寅王丸は平蔵とともに出奔した。もし仇討ちが成功すれば武田の家督は今川の姫・綾姫(平田 薫)と結婚した嫡男・義信(木村 了)が継ぐことになる。それが寿桂尼の計算だった。
 勘助は信玄のもとに若い僧侶が出入りしていると聞き不審を抱く。平蔵を捕らえた勘助は謀略を知り信玄のもとへ駆けつける。寅王丸がまさに信玄に斬りかからんとしているところだった。取り押さえられた寅王丸は一度は改心したかに見えたが、義信から罵声を浴びせられ、身代わりとなった萩乃(浅田美代子)を斬ってしまう。萩乃は三条夫人(池脇千鶴)に見守られながら息絶える。勘助は裏で糸をひく寿桂尼に対し怒りを露わにする。

(45)謀略! 桶狭間
 宇佐美の信玄暗殺の謀略は失敗し、平蔵は越後へ逃げ帰った。勘助は同盟を結びながら策を黙認した寿桂尼、ひいては今川家に不信感を募らせる。
 永禄3(1560)年、今川義元(谷原章介)は上洛を決意。大軍を率いて織田氏が支配する尾張へ出兵することを決めた。勘助は織田が勝てば駿河を手に入れる好機が訪れると考え、密かに策を練り始める。義元軍の進路を探り、桶狭間という地を織田方がさかんに調べていることを知ると、勘助は単身駿河を訪れた。勘助は義元が進路に迷っていることを聞き、桶狭間を通らない行程を進言する。5月、今川軍は出陣、圧倒的な戦力で尾張に入った。しかし、義元はいまだに進路を迷っていた。勘助を毛嫌いする義元は最終的に勘助の進言とは逆の道を選んだ。
 桶狭間に軍を進めた義元は織田信長(佐久間二郎)の奇襲を受け、あえなく討死にし、今川家の天下統一は夢と散った。義元の性格を逆手に取った勘助の策が見事的中したのだった。寿桂尼は家臣の手で取り返され、駿河に戻った義元の首桶を掻い抱き、悲しみにくれながらも尚も今川家を守らんと心を鬼にするのだった。

(46)関東出兵
 景虎は遂に上杉憲政を奉じて関東に出陣した。北条氏康(松井 誠)を倒し、関東の旧秩序を回復するのが目的だった。上野国に進撃した景虎のもとには関東の武将がはせ参じ、たちまち十万もの大勢力となった。勝利の暁には憲政より関東管領職を譲り受ける約束の景虎だが、いつしか驕りが生じていることを宇佐美は危ぶんでいた。
 同じ頃、由布姫の忘れ形見・四郎が元服し、諏訪勝頼を名乗ることとなった。勘助は感激とともに来たる越後勢との決戦に向け身を引き締めた。
 景虎は武蔵国忍城を治める成田長泰(利重 剛)の妻・伊勢(井川 遥)に心を奪われ、人質として同行するよう命じる。大勢力となった景虎の軍は、一気に北条の本拠地・小田原城を囲んだ。 しかし、それこそ氏康の思う壺であった。小田原城は難攻不落の大要塞、寄せ集めの大軍の士気は包囲が長引くに連れ次第に低下していった。戦況が膠着する中、景虎は上杉家ゆかりの鎌倉・鶴岡八幡宮にて上杉家の家督を継ぎ関東管領となることとした。景虎は上杉政虎となり、生涯の絶頂期を迎えた正にその時、関東を揺るがす大事件が起きた。

(47)決戦前夜
 関東管領を継いだ政虎は、その就任式の帰路、馬を降りて挨拶しなかった成田を無礼であると激怒し、鞭で打ち据えた。しかし、古来から成田家は下馬せずに挨拶することを許されてきた名門だった。怒った成田は人質となっていた妻・伊勢を残して兵を引き上げた。残された伊勢は古来からの慣例を知らぬ政虎の無知と短慮を罵った。小田原の包囲が長引いたことで、動揺していた関東の武将も次々に逃げ出し、政虎の関東統一は失敗に終わる。政虎は知らず知らずのうちに慢心していたことを悟り、武田との決戦に思いを新たにした。
 勘助もいよいよ決戦が近いことを悟り、養女・リツに香坂弾正(田中幸太朗)との祝言を勧める。そして遂に決戦の時がやってきた。永禄4(1561)年8月、上杉軍18,000は信濃・川中島を目指し挙兵した。知らせは海津城を守る香坂より、即座に甲府へ伝えられた。信玄は全ての重臣を集め、決戦に向けての評定に臨んだ。

(48)いざ川中島
 政虎率いる上杉軍は、川中島に向けて出陣した。知らせを受けた信玄は直ちに出陣を決意。勘助はリツに見送られ、いよいよ決戦に旅立つ。 途上、勘助は諏訪に立ち寄った。由布姫の一粒種・勝頼の初陣を墓前に報告するためだった。勘助はそこで由布姫の幻影を見る。由布は「行ってはならぬ」と勘助の袖を引き、悲しげにかぶりをふった。勘助は張り切って現れた勝頼に、とっさに嘘をつき領内にとどめることとした。
 川中島では政虎は、敢えて武田領に深く入り込む形で妻女山に登り陣を布いていた。勘助は武田軍をおびきだそうという政虎の意図を見抜き、先制攻撃は不利と見、両軍はにらみ合いの形となった。
 対陣が二週間に及んだ9月9日、思いがけない知らせが届いた。先の戦で行方不明になっていた原 虎胤(宍戸 開)が生きていたという。勘助が駆けつけると、原は不思議な老婆・おふく(緑 魔子)の家で傷を癒していた。敵に気づかれずに動く策を探っていた勘助は、おふくに川中島に深い霧がいつ出るかを尋ねる。おふくの答えは明日早朝だった。勘助は闘志も露わに空を睨みつけた。

(49)激闘川中島
 おふくから、明日川中島に深い霧が出ると聞いた勘助は、遂に動く時と判断した。全軍を二手に分け、12,000の別働隊が、上杉軍が布陣する妻女山を背後から襲う。信玄の率いる8,000の本隊は麓で待ち構え、追い落とされた敵を別働隊とともに挟み討つ。これが勘助が立てた「啄木鳥の戦法」だった。
 しかし、その策は宇佐美に見抜かれてしまう。しかも、宇佐美は明日、霧が出るという情報を同じようにおふくから得ていたのだ。武田の籠もる海津城に飯炊きの煙が上がるのを見た政虎は、敵が動くと確信する。深い霧の中、異変に気づいたのは武田の別働隊だった。奇襲のつもりで攻め入った妻女山がもぬけの殻だったのだ。
 朝を迎え、霧が晴れ始めた川中島で勘助は前方に信じられないものを見た。それは「車懸かりの戦法」で武田陣に殺到する上杉軍13,000だった。武田軍が勝つ道はただ一つ。別働隊が駆けつけるまで上杉軍の攻撃を防ぎきるしかなかった。しかし、戦国最強の越後勢の勢いは凄まじく、乱戦の中、信玄の弟・信繁(嘉島典俊)と重臣・諸角虎定(加藤 武)が討ち取られた。武田軍崩壊の危機はいまや間近に迫っていた。

(50)決戦川中島 [終]
 川中島での武田・上杉両軍の死闘はそのピークを迎えていた。軍勢を二手に分けて挟み討つ勘助の「啄木鳥の戦法」は宇佐美によって見破られ、政虎率いる上杉軍は「車懸かりの戦法」で武田の本隊に襲い掛かった。信玄は弟・信繁、重臣・諸角を失い、武田軍は崩壊の危機にあった。しかし、上杉本陣に向かっていた武田の別働隊が戦に参加すれば戦況は一気に逆転する。 別働隊の復帰を信玄は本陣で待った。
 武田勢の予想以上の粘りに宇佐美は撤退を進言したが政虎は聞き入れず、自ら武田本陣に向かう。一頭の白馬が乱戦を突き抜けて、信玄の本陣に向かった。政虎は、単騎本陣に飛び込み、信玄に太刀を振り下ろす。信玄はからくも軍配で受けとめた。それを見た勘助も手勢を率いて突撃した。宇佐美は勘助に共に兵を引くよう叫ぶが、鬼神と化した勘助は宇佐美に斬りかかる。勘助は無数の傷を受け、満身創痍で戦い続けた。戦国最大の合戦の果てに軍師・山本勘助は何を見るのか・・・!?


原作:井上 靖 (『風林火山』新潮社 刊)
脚本:大森 寿美男
音楽:千住 明
テーマ音楽演奏:NHK交響楽団
テーマ音楽指揮:高関 健
演奏:ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団
語り:加賀美 幸子アナウンサー


[出演]
内野 聖陽 (山本勘助)

市川 亀治郎 (武田信玄(晴信))

ガクト(Gackt) (長尾景虎(上杉政虎))

池脇 千鶴 (三条夫人)

金田 明夫 (飯富虎昌)
高橋 和也 (馬場信春)
宍戸 開 (原 虎胤)
嘉島 典俊 (武田信繁)
有薗 芳記 (河原村伝兵衛)
有馬 自由 (葛笠太吉)

近藤 芳正 (相木市兵衛)
小林 勝也 (諏訪満隣)
河西 健司 (河原隆正)
大橋 吾郎 (大熊朝秀)

──────────

佐々木 蔵之介 (真田幸隆)

佐藤 隆太 (平蔵)
水川 あさみ (ヒサ)
大森 暁美 (志摩)
緑 魔子 (おふく)
井川 遥 (伊勢)
西田 尚美 (桃)
清水 美砂 (忍芽)
紺野 まひる (於琴姫)
浅田 美代子 (萩乃)
占部 房子 (浪)

金田 賢一 (柿崎景家)
利重 剛 (成田長泰)
大門 正明 (倉賀野直行)
鹿内 孝 (須田新左衛門)
木村 元 (本庄実仍)
柄本 佑 (長笈)

前田 亜季 (リツ)

柴本 幸 (由布姫)

小日向 文世 (諏訪頼重(回想))
桜井 幸子 (禰々(回想))
田辺 誠一 (小山田信有(回想))
貫地谷 しほり (ミツ(回想))

千葉 真一 (板垣信方(回想))
竜 雷太 (甘利虎泰(回想))
風吹 ジュン (大井夫人(回想))
仲代 達矢 (武田信虎(回想))

──────────

西岡 徳馬 (直江実綱)

市川 左團次 (上杉憲政)

永島 敏行 (村上義清)
谷原 章介 (今川義元)
松井 誠 (北条氏康)
横内 正 (清水吉政)
加藤 武 (諸角虎定)

佐藤 慶 (清胤)

藤村 志保 (寿桂尼)

緒形 拳 (宇佐美定満)


制作統括:若泉 久朗
制作:中村 高志
演出:清水 一彦・田中 健二・大杉 太郎・亀村 朋子


本文のストーリーは、NHK公式ホームページ『風林火山』の
あらすじ欄よりそのまま引用しました。
なお、出演者名は総集編の出演ではなく、
該当期間の本編に出演し、ピンクレジットで紹介された方を
順不同で並べ替えたものです。

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