大河ドラマ篤姫・[新] (01)天命の子
幕末から明治へ──。
この国が
未曾有の大変革に向けて、
激しく、荒々しく揺れ動いた季節。
その季節を、
まっすぐに、ひたむきに生きた
一人の女性がいました。
南国の陽射しに包まれ、
桜島に見守られながら育った彼女は、
後に、江戸の街を
戦火から救うことになります。
その人の名は──篤姫。
原作:宮尾 登美子 (『天璋院篤姫』講談社 刊)
脚本:田渕 久美子
音楽:吉俣 良
テーマ音楽演奏:NHK交響楽団
テーマ音楽指揮:井上 道義
演奏:弦 一徹オーケストラ
題字:菊池 錦子
時代考証:原口 泉
:大石 学
建築考証:平井 聖
衣裳考証:小泉 清子
撮影協力:鹿児島県
:鹿児島県 鹿児島市
:鹿児島県 指宿市
:鹿児島県 出水市
撮影協力:茨城県 つくばみらい市
:茨城県 常総市
:静岡県 伊豆の国市
:静岡県 下田市
武術指導:林 邦史朗
所作指導:西川 箕乃助
邦楽指導:本條 秀太郎
香道指導:三條西 堯水
囲碁指導:梅沢 由香里
資料提供:徳川記念財団
:尚古集成館
:江戸東京博物館
:二条城
:みちのく北方漁船博物館
薩摩ことば指導:西田 聖志郎
資料提供:伊牟田 志香人
:野本 禎司
:竹村 誠
語り:奈良岡 朋子
──────────
[出演]
宮崎 あおい (於一(篤姫))
瑛 太 (肝付尚五郎)
堺 雅人 (徳川家祥)
小澤 征悦 (西郷吉之助)
長塚 京三 (島津忠剛)
樋口 可南子 (お幸)
岡田 義徳 (島津忠敬)
佐々木 すみ江 (菊本)
梅野 泰靖 (栗川孫六)
少路 勇介 (詫摩治通)
小林 麻子 (しの)
岩本 千波・永井 穂花 (於一(子役))
河野安郎 (島津忠冬)
松尾 勝久 (島津久敬)
藤崎 剛 (忠冬(子役))
田中 碧海 (久敬(子役))
坂井 和久 (忠敬(子役))
石川 賢二・天乃 大介
三沢 明美 (肝付きぬ)
坂部 文昭 (島津久風)
佐々木 洋平・北山 雄一郎 (流浪民)
近藤 剛史 (百姓)
イアン・ムーア (モリソン号船長)
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沢村 一樹 (小松清猷)
ともさか りえ (お近)
麿 赤兒 (人影)
斉木 しげる (徳川家慶)
榎木 孝明 (肝付兼善)
上平 春香
臼井 志保
中村 栄子
平山 陽祐
梁瀬 龍洋
中田 寿輝
西川 扇重郎
西川 扇衛仁
西川 一右
西川 寛
西川 潤
若駒
劇団ひまわり
ラザリス
セントラル子供タレント
エンゼルプロ
劇団東俳
クロキプロ
テアトルアカデミー
キャンパスシネマ
──────────
山口 祐一郎 (島津忠教)
涼風 真世 (お由羅)
草刈 正雄 (阿部正弘)
長門 裕之 (島津斉興)
平 幹二朗 (調所広郷)
高橋 英樹 (島津斉彬)
──────────
制作統括:佐野 元彦
制作:屋敷 陽太郎
美術:山口 類児
技術:小笠原 洋一
音響効果:西ノ宮 金之助
撮影:溜 昭浩
照明:中山 鎮雄
音声:本間 法義
映像技術:山田 康一
記録:佐藤 秀城
編集:水島 清子
美術進行:山尾 輝
演出:佐藤 峰世
いよいよ始まりました!
『篤姫』丸、出航です♪
第一回のキーワードは、ずばり“役割”。
この二文字のために、於一(おかつ/宮崎あおいさん)は
思春期を思い悩みながら過ごしていきます。
天保6(1835)年、鹿児島・薩摩藩──。
薩摩藩主の跡継ぎの初めてのお国入りに、
民衆は沸き立ちます。
駕篭から降りてきたのは、高橋英樹さん。
島津久光 いやいや、
島津斉彬(しまづ・なりあきら)のご登場です。
それを出迎えるのは、
島津分家である今和泉島津家の当主・島津忠剛(長塚京三さん)。
この忠剛こそ、ドラマの主人公・篤姫のお父上であります。
ちなみに、18年前の大河ドラマ『翔ぶが如く』では、
島津斉彬(加山雄三さん)は、白馬に乗って登場しました。
出迎えたのは、島津久光役の高橋英樹さんでした。
斉彬は、薩摩藩主・島津斉興(長門裕之さん)と、
その正室・周子姫の間に産まれた長男坊です。
当時の大名には、江戸幕府から一年おきの「参勤交代」を命ぜられ、
たとえ大名が国元へ戻る場合であっても、正室は
江戸藩邸に残す(=反乱を防ぐための人質)ように義務づけられていたため、
正室の子である斉彬は、“江戸生まれの江戸育ち”ということになります。
ゆえに、今回の英樹さんは薩摩言葉ではありません。
いやそうでなくても、今回のドラマでは、
コテコテした薩摩言葉を話している登場人物はあまりおらず、
言葉はそのままに、イントネーションだけ薩摩風に変えているようです。
ま、これがいいのか悪いのかはさておき……。
島津分家の当主であり、薩摩藩の筆頭家老でもある忠剛は、
最大限のもてなしをもって斉彬を迎えますが、
財政担当の調所広郷(ずしょ ひろさと/平 幹二朗さん)は、
苦虫をかみつぶしたような顔で「財政難の折──」と、斉彬と忠剛を牽制。
調所も、当主の島津斉興も、斉彬を嫌っているような節がありますが、
ここで、薩摩藩内の「ちょっと複雑な」人間関係をざっとおさらい。
現 当主・島津斉興には、お由羅(涼風真世さん)という側室がおりました。
斉興の立場として、人質としてずっと江戸に住まいしている正室よりも、
側室の方に愛情を注いでいるようです。
斉興とお由羅の子・忠教(後の久光・山口祐一郎さん)に、
斉興は家督を譲ろうとしています。
ちなみに山口祐一郎さんは、
平成12年の大河『葵 -徳川三代-』では島津豊久役を好演。
関ヶ原合戦で立派な最期を遂げる武将役でした。
その豊久の伯父に当たる島津義弘役には、
この『篤姫』で人影の役を演じられた麿 赤兒さんでした。
人影は──篤姫が産まれる直前に、母・お幸の前に現れた行者でして、
「その娘を江戸へ連れてまいる」と、これからのストーリーを示唆する
重要な役割の登場人物であります。
それとは別に、忠教に家督を譲ろうとしているもう一つの理由。
斉彬は有名人・シーボルトと会見し、当時の西洋の情況を聞くなど、
曾祖父・島津重豪(しまづ・しげひで)の影響を受けて、
外国の文化に触れる機会が多かったようです。
今でこそ「国際人!」ともてはやされますが、
当時は200年以上も鎖国が続いている時代でして、
世の人々は「蘭癖」、つまり「西洋かぶれ」と侮蔑する節がありました。
(斉彬に「蘭癖大名」というニックネームがつけられるほど)
もしも斉彬が藩主になれば、重豪のように藩のお金を湯水のように浪費し、
藩の財政に一層の拍車をかけかねないと心配されていたわけです。
ドラマでは描かれていませんが、
財政担当である調所が、斉彬を嫌っている理由はそこにあります。
ただし、忠教は斉彬を尊敬しているようで、
斉彬と同じように勉強好きだったりします。
斉彬が海外へ目を向けたのに対し、
忠教は国政の分野で非常に力を発揮します。
今で言うところの、斉彬が「外務大臣」、
忠教は「総務大臣」といった感じでしょうか。
斉興・お由羅・調所が忠教派とするならば、
斉彬派は江戸幕府要人の老中たちでしょうか。
やはりずっと江戸住まいをしてきたので、
幕府の中核を担う人物とはパイプが太いようです。
その代表的な人物は、老中・阿部正弘(草刈正雄さん)。
そんな“斉彬派 vs 忠教派”は、第三回「薩摩分裂」で扱うようです。
ドラマの主人公・篤姫(於一)が産まれたのは、
その島津斉彬の初めての薩摩藩お国入りに沸き立つ
まさにそんな時でした。
忠剛の子どもたちは男の子ばかりでしたが、
どうやら病弱な子が多かったようで、
「今度こそ元気な男の子を!」と願っていたのですが、
その思いも運命のイタズラか、これまた元気な元気な、
とっても明るい女の子が生まれちゃったわけです。
斉彬から賜った、島津家の家紋つきの青色のお守りを手にしたまま、
しばし放心状態の忠剛であります。
(・o・)ぽかーん
長塚京三さん。
大河は平成6年の『炎 立つ』(第三部)での源 頼朝以来の出演ですが、
演技がかっていない自然な演技が、素朴すぎてけっこう好きです。
産まれたばかりの女の子に、忠剛は「一」と名付けます。
忠剛の長女ゆえに、あるいは、混じり気のないという意味だそうです。
その於一は、父親の「元気な子を!」という
願いの部分だけは受け継いだようで、
かなりおてんばで好奇心旺盛な娘として育っていきます。
ある時は、着物姿のまま海に入り、侍女たちに水をかけたり、
またある時は、男装して「島津一之助と申すもの!」と言い張り、
藩校(今で言う県立学校)でちゃっかり講義を受けたり。
とはいえ、餓えに苦しむ農民たちを間近に接し、
「なぜ私たちはお食事を頂けるのですか?」と父母に詰め寄ったりする
心優しい娘でもありました。
その時の、母・お幸(樋口可南子さん)の教え──。
風があるから雲が動く。
雲が集まって雨が降る。
雨が降るから木が育つ。
木があるから火が燃える。
火が燃えて、風が起こる。
「この世のものには、すべて役割があるのです」
『風林火山』のように、内野聖陽サンや市川亀治郎サンの声で
「子曰く!」と言いたくなるようなお言葉ですね(^ ^;;)
斉興・斉彬父子は江戸城に赴き、
12代将軍・徳川家慶にお目もじかないますが、
なで肩の徳川家祥(後の家定/堺 雅人さん)にも出会います。
ちなみに家祥は篤姫のダンナとなるお人なのですが、
このときすでに病弱ぶり全開であります。
斉彬は家祥に「ウン、愛いヤツじゃ♪」とかわいらしい声で言われ、
困惑しながら頭を下げていましたね。
そして、将軍への謁見も終わり、下城しようとする斉彬に、
老中・阿部正弘が、薩摩藩が琉球で
何か悪事を働いているのではないか? を
早急に調べてほしいと託されます。
斉彬はそれを調べるべく、薩摩藩お国入りを果たすのですが、
江戸出府の際に、悪事が露見した場合を見越して
調所がぬかりなく予防線を張ってきているので、
江戸住まいが長い斉彬にとって、悪事を見つけるのは
そう簡単ではないようです。
薩摩藩は、藩の生き残りをかけて、
財政担当の調所の指揮のもと、より厳しい財政改革を強いていました。
農政担当の西郷吉之助(のちの隆盛・小澤征悦さん)は、
農民たちの苦しい情況を、人望厚い忠剛に訴えに来るのですが、
その一件が調所の耳に入ってしまい、忠剛に処分が下ります。
ここで黙ってられないのが於一であります。
於一は、同い年の肝付尚五郎(のちの小松帯刀/瑛太さん)を引き連れて、
無謀にも調所邸に乗り込みます。
於一が藩校に忍び込んで講義を受けた時、
尚五郎は於一を見初め、初恋のヒト♪となっているようです。
それ以来、おてんばな於一に金魚のフンのようにくっついているわけですが、
携帯電話で「……運命って、信じる?」「オレは……信じる」というような
セリフは、残念ながら吐きそうにありません。
それどころか、このドラマでの尚五郎のお役目は、
天真爛漫、というか天然(?)な於一の反応にズッこける役割のようで、
ここでは「ズッこけ王子」と呼ぶことにしましょう。
調所屋敷に通された於一と尚五郎。
そんな若造たちにも、調所は丁寧に応対します。
……だといいのですが(^ ^;;)
なぜ過酷な政策を続けるのかと於一が問えば、
調所は於一たちに「自分は密貿易をやっている」と堂々と白状します。
これには「ズッこけ王子」もズッこけるどころではなく、
食していた食べ物をブーッ!! と吐き出してしまうのですが、
つまり調所は「薩摩藩を生かすために、
自分は悪に手を染めている」と言いたいようです。
それが自分の役割であると。
だから、この密貿易という悪事が露見し、幕府からお咎めがあれば
処分を受ける覚悟はできていると言います。
調所邸を出てきた於一ですが、イマイチ理解できなかったようで、
表情は曇ったままであります。
しかし次の瞬間には、これまでのことをゴクンと飲み込み、
すぐに笑顔になる於一でありました。
私は知りたい。
もっともっとたくさんのことを。
もっともっと広い世界を──。
この笑顔に、まさに胸キュン♪ な尚五郎なんでしょうね(^ ^)
──────────
昨年の『風林火山』に引き続き、
この『篤姫』でも、『その時歴史が動いた』風に
カウントダウンしていきましょう(^ ^)
天保6(1835)年12月19日、
於一(後の篤姫)が誕生します。
慶応3(1867)年10月14日の
将軍・徳川慶喜による「大政奉還」まで
あと31年10ヶ月──。
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『篤姫』
第2回「桜島の誓い」
アナログ総合・デジタル総合:午後8時〜
デジタルハイビジョン:午後6時〜
衛星第二テレビ:午後10時〜
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