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Kassy号〜♪の車窓から 2011

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2009年8月30日 (日)

(35)家康の陰謀

「崩壊の序曲」──。

朝鮮出兵は、豊臣政権に大きな影を落としました。
そりゃそうです。
大きな犠牲を払い、命懸けで戦い抜いたにもかかわらず
得るものは何もなかったわけですから。

当然ながら、その不満は
豊臣家事務方の石田三成に向かいます。
これが内部分裂に発展し、再び
戦乱の世に戻るきっかけになってしまいそうです。

そこで古ダヌキ・徳川家康は このゴタゴタを巧く利用し、
反石田派のグループである福島正則・伊達政宗・加藤清正らと
縁組みを結ぶことで、石田降ろしを画策。
麻生首相と麻生降ろしグループのようなものですが、
首相はいわばトップなので、ちと意味合いが異なりますかね。

慶長3(1598)年3月、上杉家は
豊臣秀吉の要請により越後から会津へ移ります。

会津若松城をのぞむ小高い山に
父・樋口惣右衛門とともに登った直江兼続は、
もはや丸裸も同然の若松城に一抹の不安を感じます。


京・伏見城では、茶碗を持つ手も震える秀吉の介抱を
前田利家が率先してやっています。

利家は若い時分から秀吉と大の仲良しでありまして、
草履とりの身分であった秀吉にも隔てなく接し、
秀吉が頂点に登りつめた暁にも、
ナンバー2の立場を貫き通した男です。

その秀吉の様子を三成は上杉に知らせ、
兼続は上杉景勝の名代で上洛することにします。
景勝は、入ったばかりの会津の統治を進めなければなりません。


家康は、北政所と極秘に密会をしています。
特に怪しいことをしているわけではありませんが(^ ^;;)
北政所のために薬を調合してあげたそうで、
「若返りの薬」などと言って、北政所を笑わせています。

家康は、三成と上杉の動きを注視していて、
北政所が嫌う淀に対する三成のこびへつらい方、
国造りを理由に上洛しない上杉の態度、
どれも気に喰わないらしく、

北政所にそれとなく悪評を言いつけています。

しかし、家康と北政所の極秘密会は
実は大勢が知る所でありまして、大国実頼はもちろん、
景勝正室の菊姫さえもその情報をつかんでいますが、
兼続は「戯れ言に踊らされるな」と気を引き締めさせます。


秀吉の寝所では、北政所や淀とともに三成が詰めていて、
秀吉に茶を所望されます。
秀吉に茶を所望された三成の、あの有名な話なのですが、
あの話とおりに3度、茶を点てます。

その上で「わしに仕えぬか?」と秀吉に言わしめます。
ただ、秀吉が本気で言っていたのか、
ボケて過去の記憶を巡っていただけなのか、
イマイチ分かりません。

秀吉は、
三成の耳元で何事かささやいた後、ついに落命。
享年62。


秀吉逝去の報を受け、諸大名は伏見城に終結。
景勝もそれに倣って上洛します。

上洛直後、真田幸村と久々の再会を果たす景勝と兼続ですが、
景勝を待っていたのは実は家康でありまして、
五大老ならぬ「(上杉抜きの)四大老」で
朝鮮出兵軍の引き揚げを決めたと通達し、
上杉に厳重注意しようとします。

あくまで従順な景勝ですが、
「今後は五大老五奉行で」と口を挟んだ三成に
家康が大激怒!
毛利輝元がなだめますが、家康に逆ギレされます。

そこで冷静沈着な利家の出番です。
家康をなだめつつ、三成の言った内容にも
「間違ってはおらぬ」と、見事な調整役であります。

家康とて、豊臣家ナンバー2の立場である利家に
歯向かうことは容易ではなく、
「むむぅ」と黙り込んでしまいます。


屋敷に戻った景勝主従、
三成を助けようとする者が豊臣家中に
一人もいないことに、兼続はがっかりします。
しかし「三成に肩入れしすぎてはおらぬか?」と
景勝にダメ出しを食らいます。

三成は自邸でひとり考え事をしておりました。
秀吉に耳打ちされた遺言「天下を──」を思い出し、
ある決意を固めます。


翌慶長4(1599)年、正月。

秀吉の遺言に従って、北政所とともに
大坂城へ移った淀は諸大名を呼びつけます。
輝元は呼び出されたことに不満タラタラですが、
それを今度は家康がなだめすかせています。

一方、本来上座に座るべきは
秀吉の養子だった小早川秀秋だったと
福島正則は思っていますが、
秀秋本人は「さだめと言うものじゃあ!」と
実にあっけらかんとしています。

そんな各人の思惑が渦巻く大広間に、
淀と豊臣秀頼が登場、秀頼に対する忠誠を誓わせます。

利家も輝元も景勝も、そして宇喜多秀家も
秀頼への忠誠を明白にしていきますが、
「内府殿、いかに──」と淀に促されても、
「当然のこと、口に出すのも愚かしゅうござる」と
どちらともとれる言葉で、家康は態度を明らかにしません。

それどころか、天下を操る奸臣あり、不穏な大名ありと
遠回しに三成批判・上杉批判をして
淀の思考の矛先をはぐらかそうとしています。

これにはさすがの兼続も噛みつきます。
さらに真田幸村も加勢してくれますが、
「言の葉は、ひとたび口より出れば 取り返しのつかぬもの」
と、家康はあえて取り消そうともしません。

淀・秀頼退席後も、家康は三成に捨て台詞を吐き
三成を絶望のどん底に突き落とします。


三成は家康屋敷に夜討ちをかけるべく準備を始めますが、
三成にかくまわれている初音の機転で兼続に知らせ、
三成を止めるように懇願します。

慌てて石田屋敷に駆けつけた兼続ですが、
兼続の言葉すら、三成は耳を貸しません。

しかし、家康の挑発は罠であって、
それにうかうかと乗ってしまってはコチラが不利です。
それを説得して、どうにか思いとどまらせます。


家康を除いた大老4名が集められます。
輝元・景勝・秀家と、前田利家の継嗣・前田利長です。

三成は、家康の働いた不義不忠の数々を挙げ、
家康に四大老五奉行の連名で詰問使が送られることになります。
しかし家康は その詰問使すらもかわしてしまい、
詰問使の意味が全くありません。

景勝は、最後の手段と
病床に伏す利家に兼続を遣わします。

前田屋敷に赴いた兼続ですが、
ちょうどその時、家康が見舞いに訪れます。
これはちょうどいい! と、その場に兼続も立ち会うことになります。

利家が伏す居室に家康が足を踏み入れますが、
その場に兼続がいることに、一瞬ドキリとします。
ただ、まずは利家を安心させるために
今回の騒動についてとりあえず謝罪しておきます。

どうせ利家は長くはないでしょう。
その時までの空手形ですが、
それは利家自身も分かっていることです。

カッ! と目を見開いた利家は、突然、家康の首に刃をあてて
「お主の命、ここで奪うこともできる!」と
半ば強引に忠誠を誓わせます。


利家、やるぅ〜♪ という感じですが、こんな乱暴なことは
包丁が商売道具とはいえ、さすがに渡鬼ではやりません。
ともかく、その数ヶ月後の閏3月3日に
利家は亡くなります。

家康のストッパー役がいなくなったことで、
家康がまたも暴挙に出るかもしれません。
兼続には、それが不安材料でした。


慶長3(1598)年8月18日、
太閤・豊臣秀吉が逝去。

慶長6(1601)年8月17日、
上杉家の米沢30万石に減封処分まで
(※ この出来事は慶長5年ではなく「慶長6年」でした)

あと3年──。


原作:火坂 雅志 (『天地人』NHK出版 刊)
脚本:小松 江里子
脚本協力:小松 與志子・山上 ちはる
音楽:大島 ミチル
題字:武田 双雲

語り:宮本 信子
──────────
[出演]
妻夫木 聡 (直江兼続)

北村 一輝 (上杉景勝)

常磐 貴子 (お船)

小栗 旬 (石田三成)
長澤 まさみ (初音)
小泉 孝太郎 (大国実頼)
比嘉 愛未 (菊姫)
城田 優 (真田幸村)
高嶋 政伸 (樋口惣右衛門)
──────────
深田 恭子 (淀)
上地 雄輔 (小早川秀秋)
石原 良純 (福島正則)
松山 政路 (本多正信)
若林 豪 (島 左近)
──────────
松田 龍平 (伊達政宗)

笹野 高史 (豊臣秀吉)

横内 正 (小早川隆景) ※ クレジットなし

中尾 彬 (毛利輝元)

宇津井 健 (前田利家)

富司 純子 (北政所)

松方 弘樹 (徳川家康)
──────────
制作統括:内藤 愼介
プロデューサー:吉永 証
演出:一木 正恵


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『天地人』
第36回「史上最大の密約」

アナログ総合・デジタル総合:午後8時〜
デジタルハイビジョン:午後6時〜
衛星第二テレビ:午後10時〜

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