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Kassy号〜♪の車窓から 2011

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2009年11月29日 (日)

[新] (01)少年の国

まことに小さな国が 開化期を迎えようとしている。

小さな といえば、明治初年の日本ほど
小さな国はなかったであろう。
産業と言えば農業しかなく、
人材と言えば、三百年の間
読書階級であった旧士族しかなかった。

明治維新によって、日本人は初めて
近代的な国家というものを持った。
誰もが 国民になった。

不慣れながら……「国民」になった日本人たちは、
日本史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した。
この痛々しいばかりの昂揚が分からなければ、
この段階の歴史は分からない。

社会の どういう階層のどういう家の子でも、
ある一定の資格を取るために
必要な記憶力と根気さえあれば、
博士にも官吏にも軍人にも教師にもなりえた。
この時代の明るさは、こういう楽天主義から来ている。

今から思えば、実にこっけいなことに
米と絹のほかに、主要産業のないこの国家の連中が
ヨーロッパ先進国と同じ 海軍を持とうとした。
陸軍も同様である。
財政の成り立つはずがない。

……が、
ともかくも 近代国家をつくり上げようというのが
もともと維新成立の大目的であったし、
維新後の新国民たちの 少年のような希望であった。

この物語は、その小さな国が
ヨーロッパにおける最も古い大国の一つ・ロシアと対決し、
どのように振る舞ったかという、物語である。

主人公は、あるいは
この時代の小さな日本ということになるかもしれないが、
ともかくも、我々は三人の人物の後を追わねばならない。


四国は伊予松山に、三人の男がいた。

この古い城下町に生まれた秋山真之は、
日露戦争が起こるにあたって、勝利は不可能に近いといわれた
バルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。

その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し
史上最強の騎兵といわれる
コサック師団を破るという奇跡を遂げた。

もう一人は、俳句、短歌といった
日本の古い短詩型に新風を入れて
その中興の祖となった俳人・正岡子規である。


彼らは、明治という時代人の体質で 前をのみ見つめながら歩く。

上っていく坂の上の青い天に
もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、
それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。


坂の上の雲 第一回「少年の国」


信さんと言われた秋山信三郎好古が十歳になった年の春、
松山藩も秋山家も、
ひっくり返ってしまうという事態が起こった。

──明治維新である。

「朝廷に降伏せよ。十五万両の償い金を差し出せ」
この支払いのために藩の財政は底をつき、
藩士の生活は困窮を極めた。

十石取りのお徒士の家である秋山家は、とりわけ悲惨であった。
既に四人の子がある。
その養育費だけでも大変であるのに、また 男児が生まれた。

慶応4(1868)年3月・伊予松山──。

学校からずっと駆けて戻って来た信三郎に「どっち?」と聞かれ、
父・秋山久敬はぶっきらぼうに「……坊主」と答えます。

しかし、信三郎は「いけんぞな!」と猛反発。
そう、5人も養育できないということで、
男児であれば寺へやろうと久敬は考えていたようです。

“豆腐ほどのお金 こさえてあげるけん!”と食い下がります。
一瞬、豆腐が買えるだけのお金? と思ってしまいますが、
「(積み上げて)豆腐ほどの高さになるお金」と
信三郎としては言いたかったようです。

それを聞いた久敬は鼻で笑い、無言になってしまいました。

この子は、秋山淳五郎真之と名付けられた。


戒田さん という旧藩士が、自分の屋敷の向かいに銭湯を建てた。
士族が風呂屋になった というだけで、町じゅうの評判になった。
むろん、半分は悪評である。

ところが 風呂屋はまだいい。
秋山の坊ちゃんが風呂たきになっているということで
うわさを一層にぎわした。

6年後 明治7(1874)年・初春──。

ここでいう“秋山の坊ちゃん”とは淳五郎ではなく、
学問好きな兄の信三郎であります。

士族がそういう仕事をしているということで、
農民出身の子どもたちが残酷にもからかっていますが、
信三郎は何も反抗せず、黙って素通り。

何も言い返さない信三郎に対して
からかいがエスカレートしていきますが、
それを「やめんか!」と止めたのは、成長した淳五郎。
木刀を持ち出して追いかけ回しますが
信三郎としては最初から取り合うつもりもありません。

兄が弟に「一番偉いと思うとる人の本」だと紹介したのは
福沢諭吉が著わした『学問ノススメ』。

「一身独立して、一国独立す」
つまり、一人ひとりが独立してこそ国家が独立することが出来る
という言葉に感銘を受けたようです。

しかし、淳五郎には難しくてよく分かりません。


文芸史上、あれほど豪胆な革新活動をした正岡子規も、
幼少の頃は「ノボさんほど臆病な子もない」と言われた。

正岡の家は、旧松山藩の御馬廻役であった。
戦場にあっては 殿様の親衛隊隊士であり、身分は低くない。
子規は六つの時に父を亡くし、
少年の身ながら家督を継ぎ、幼くして当主であった。

子規は、祖父が松山第一の学者である大原観山であるため、
観山翁自らの手で 素読を教わるという幸運を受けた。
観山は、自分もちょんまげのまま生涯を通し、
初孫の子規にもまげを切らさず、
外出には脇差し一本を帯びさせた。

正岡家当主の立場から髷(まげ)を切れない升は
それをやはり農民の子にからかわれているわけです。

そこへ淳五郎とともに駆けつけて来たのは、
升の妹・律。
ふたりして、升を守り、助けてくれます。


信三郎は相変わらず風呂屋でアルバイトしながら
大坂にタダで通える学校があると 主人から聞きます。
それを知って、真っ先に帰宅し
大坂の師範学校に行かせてほしいと久敬に直談判。

しかし久敬は「地獄耳じゃの」と冷たくあしらいます。
愛媛県庁で働く父としては、たとえ身内であれ
そんな情報をいとも簡単に漏らすわけにはいかないのです。

翌日、夢を捨てきれない信三郎は愛媛県庁に赴きます。
そこで応対したのは久敬。
そう、父親です。

しかしその師範学校は19歳より上という規定があり、
「あと3年ばかり待て」と切り上げようとしますが、
それでも食い下がる信三郎に久敬は妙案を授けます。

しばらく教員をして3年の時を稼げ、というのです。

松山から大坂までの旅費の問題がありますが、
それは「父が何とかしてくれましょう」とニッコリ。
念のためですが、他人のフリをしておりますが
目の前にいるのは“父”です(^ ^;;)

久敬は「よい父を持ったのお」と自画自賛。
久敬のみならず、信三郎も嬉しそうです。

大阪行きは、年が改まった正月になった。


この年の四月、子規の祖父・大原観山が亡くなった。
観山はまげを切らず、武士としてその生涯を全うした。

淳五郎は仲間とあるものをこしらえています。
花火です。

それを松山城の屋根の上からドッカンドッカンと打ち上げています。
淳五郎としては、観山の好きな松山の花火を
供養として見せてあげたかったのかもしれません。

しかし、これがちょっとした問題になります。

花火は御法度でして、後日園田巡査が自宅へ来ます。
犯人はおまえじゃ! という巡査に、
警察官に対して小馬鹿にしたような態度で淳五郎は応戦。
ただただ、母の貞は平謝りです。

巡査が帰った後、怒った貞は黙って脇差しを取り出し
「お死に!」と淳五郎の目の前に突き出します。

それにはさすがに観念した淳五郎ですが、
そんな悪い空気を断ち切るが如く
升がまげを切って見せに来てくれました。


明治維新は、士族による革命であった。
多くの武士が死んだ。

この歴史劇を進行するために支払われた莫大な経費は
すべて諸大名が 自腹を切ってのことであった。
そのお返しが、領地を取り上げ、
武士はすべて失業という廃藩置県となった。

何のための明治維新だったのか、彼らは思ったであろう。
これが他日、各地に士族の反乱を呼んだ。
その最大にして最後の反乱だったのが、西南戦争である。

明治十年二月、西郷隆盛が
薩摩士族一万二千に擁せられて立ち上がった。
この戦いの規模は、大変なものであった。
九州各地の旧藩の士族が呼応し、総勢三万にも達した。

薩摩を中心とする日本最強の士族たちが死ぬことによって、
十二世紀以来 七百年の、侍というものは滅んだのである。


真之の少年時代の中で、最大の事件と言えば
兄・好古の帰省であった。

好古は、目標通り大阪の師範学校を卒業すると
その後 東京へ渡り、更に
タダ つまり官費の学校へ入学した。
陸軍士官学校である。

好古は帰宅途中に極上の酒などを注文していたようで、
好古の帰宅と同時にそれが届けられます。
貞は慌てふためきますが、
ちゃっかり者の好古は、すでに支払いを済ませています。

「父上、飲みましょうぞ!」との言葉に、
ニンマリとする、嬉しそうな久敬です。

真之や子規・律兄妹も一緒になって
おいしいものを食わせてくれますが、
「淳さんとこで食わせてもらうのは初めてじゃ」と言って
久敬を苦笑させます。

酒の席で好古は、自らが仕送りをした金で
真之を中学に行かせてほしいと願い出ます。
「豆腐ほどの(高さの)金」をこさえるという
真之が生まれた頃の約束を律儀にも守っているまでです。

それを聞いて、子規や律はうらやましがりますが
当の真之はポカンと開口。


余談ながら、猿 というみじめなあだ名が
この当時の日本人に冠せられている。
容貌が猿に似ているということもあるが、要するに
「ヨーロッパ文明を猿真似しようとする民族」
という意味であろう。

アジアにあっては、
日本国だけが勃然として西洋化を志し
産業革命による文明の主潮に乗ろうとした。

旧文明の中にあるアジアから見れば
狂気と見えたであろうし、
ヨーロッパ人から見れば
笑止な猿真似と思えたに違いない。

しかし、当の日本と日本人は大まじめであった。
産業と軍需は西洋よりも遅れていた。
それを一挙に真似ることによって
できれば一挙に身につけ、それによって
西洋同様の富国強兵の誉れを得たいと思った。

いや、誉れというようなゆとりのある心情ではなく、
西洋を真似て西洋の力を身につけねば
中国同様の亡国寸前の状態になると思っていた。
日本の この己の過去をかなぐり捨てた
すさまじいばかりの西洋化には、
この国の存亡がかけられていた。


真之も子規も松山中学校に入った。

中学四年のころ、子規は 当時流行りの
自由民権運動の演説に熱中していた。

当時、この種の民間政論は
全国でも 愛媛が盛んなほうであったろう。
何ぶん、自由民権運動の本場のような土佐に近い。

明治16(1883)年・春──。

ある街道筋で、
民権自由の演説会が行われると触れ込みがあり
多数が方々から集まります。

「自由、いづくにか、ある!」と子規が演説し出すと
大勢が「そうだ! そうだ!!」と呼応します。

その騒ぎを聞きつけた園田巡査が
けたたましく警笛を吹きながら乱入し、
「責任者は誰じゃ!」と追及。

すると、屋根の上から登場したのは真之。
巡査に対する小馬鹿にした態度は相変わらずですが、
自由民権の流行り歌を歌い、大勢で踊ります。

なぜか園田巡査も一緒になって踊っています(^ ^;;)

そんな時、子規のもとに一通の文が。
届けたのは律です。

字を追う子規は「松山の自由民権も仕舞いじゃあ」とつぶやき、
その目にはうっすらと涙が。

なんでも、子規には外務省に勤める叔父がおり、
「東京へ来る気があるならいらっしゃい」と
その叔父さんが言っているそうです。

子規に異論は当然ありません。
太政大臣になって戻ってくると高らかに宣言しています。


子規は 東京へ去った。

この前後、子規の友人四〜五人も中学を中退して上京した。
流行のようであった。
東京での目当ては、東京大学予備門に入ることであった。

真之は 松山に残された。

松山に残った真之は、
子規の母・八重に頼まれて門の瓦の取り替え中です。

八重には満面の笑みで対応していた真之ですが、
お手伝いをしていた律がふと口走った
“東京”という言葉に敏感に反応し、
「東京なんぞ 行きたくないわい!」と
とげとげしく帰っていきます。

家に帰った真之は、念願の東京ゆきを父から打診されます。
何でも、好古が金銭面の面倒を見てくれ、
東京に呼び寄せたいと言っているわけです。

秋山真之が 中学を中退して上京したのは
この年の秋である。

真之の出立の日、浜辺で皆が出立の儀式? をしてくれます。
儀式が一通り終わった後は仲間たちの熱い声援を受けますが、
その様子を遠くからただ黙って見つめている律の姿を
真之は見逃しませんでした。

思いきり笑って出発したい真之でしたが、
とめどなく溢れ出る涙・涙・涙。


このころの船は、神戸までである。
上陸して一泊し、神戸-横浜航路に乗り換える。
合わせて四〜五日はかかった。

鉄道は、横浜から東京までしかない。
東海道線が全通するのは、
六年後の明治二十二年まで待たねばならない。

東京に着いて 最も珍しかったのは、鉄道馬車であった。
馬車は 天馬空を行くがごとく、軽々と走っていく。
新橋が東京の表玄関なら、その先の銀座は
明治政府が仕立て上げた文明開化の象徴だった。

麹町三番町に、
佐久間という旧旗本が 先祖以来の屋敷に住んでいる。
兄の好古は そこに下宿していることを、
真之は聞いていた。

東京・新橋に降り立った真之ですが、
あまりにも都会過ぎてたまげることばかりです。

真之は、好古が下宿している屋敷を探り当て
通されたのは、今にも倒れそうな古びた離れ。
障子が破れ、環境としては最悪の場所です。

女中が「陸軍大学校に通う立派な方です」と
絶賛している好古さえも、
こんな環境で下宿していることを知って、
少しだけ幻滅の真之ですが、

好古が馬で帰って来た途端、
そんな気持ちは吹っ飛んでしまいます。

奇妙なことに
好古は 茶碗を1つしか持っていなかった。
酒をつぎ ぐっと飲むと、その空茶碗を弟に渡す。
弟は、それで飯を食う。

真之は、好古のように 将来は大学に通うつもりです。
ただ、資金面に不安がありますが──。


正岡子規は 神田の共立学校に入り、英語を学んでいた。
共立で勉強すると、大学予備門に入りやすいというのが
当時の定評であった。

共立学校での生活・初日。

ふたりは日本人英語教師の授業を受けますが、
子規と真之がヒソヒソ話をしていたのを見とがめられ、
「同じ段落を読みなさい」と英語で言われます。

それを難なく読み切った真之は、
更に「日本語訳しなさい」と言われます。
“イギリス紳士は 博愛精神に富み、弱きを助け 強きをくじく。
常に法をよりどころにして 犯罪や不正を憎み、正義を貫く”

見事に訳しきった真之は、生徒たちの賞賛を浴びますが、
教師の「語学なんぞはバカでもできます」という言葉に
真之は、いっぺんに天から地へ落とされた気分です。

この教師は、13歳のころにアメリカで
奴隷として身売りされそうになったそうで、
その体験談など面白おかしく語りかけます。

この教師は 高橋是清といった。

明治・大正・昭和の 三代を通じての財政家である。
日露戦争前後のころ、
英国に駐在して 戦費調達に奔走し、苦心の末
八億二千万円の外債募集に成功したことが
その生涯を通じての功績となった。

大正十年には総理大臣に新任されたが、
昭和十一年、いわゆる「二・二六事件」の兇弾にたおれる。


好古が離れに借りている 旧旗本の佐久間家には、
「お姫様」と呼ばれている 小娘がいる。
名を、多美といった。

好古に「目が狆(=飼い犬)のようだ」とからかわれ、
真之には目の前で屁をこかれ、
汚い物を見る目で兄弟を眺めています。

すでに 明治も十五〜十六年たったというのに、
東京の山の手では まだそういう身分意識が衰えずに生きていた。

同じ士族でも、旧旗本は大名と同様
もともとは将軍家の直臣であったから、
秋山家のような大名の家来分を「またもの」陪臣と呼び
その分だけさげすむのである。

多美は、まさか この明治政府の軍人の妻に 自分がなろうとは
このころ 夢にも思っていない。


真之と子規は、高橋是清の誘いで
横浜の外国人居留地に繰り出した。

ふたりが道を歩き、外国人の背の高さに驚いているとき、
道のむこうから悲鳴が聞こえてきます。
どうやら、売り物の鎧兜を力で取り上げようとする
イギリス人がいるようです。

そんな悪人を黙ってみていられない真之は
高橋に習ったばかりの英語を高らかと暗唱します。

“イギリス紳士は 博愛精神に富み、弱きを助け 強きをくじく。
常に法をよりどころにして 犯罪や不正を憎み、正義を貫く”
猛然と食って掛かりますが、
それを助けたのはイギリス軍人。

悪人はそそくさと退散していきますが、
しかし、そんな悪人を訴えることは出来ないと
高橋は教えます。
日本には治外法権があるためです。

つまり、外国人を
日本の法律で裁くことが出来ないわけです。

店の店主と真之を助けた軍人は、
イギリス海軍大尉のアンソニー・ジョーンズ。
真之と熱い握手を交わします。


そのまま横浜港に行く高橋・真之・子規の3人。
港には巡洋艦「筑紫」が浮かんでいます。
日本が大金を出してイギリスから購入した
最新鋭軍艦です。

そのカッコ良さに興奮した真之は、
ギリギリまで巡洋艦に近づき、見送ります。

興奮冷めやらぬ真之は、
そのことが書かれた新聞を歓喜して読んでいますが、
好古に「害じゃ、長じて読め」とビリビリに破られ、
それでも読みたい真之は障子紙にして読めるようにします。

凍えるような寒さの日、母からの足袋を履いていれば
「脱げ! 贅沢じゃ」と言われ、
ゲタの鼻緒が切れては「裸足で行け!」と言われ、
好古流のスパルタ教育が始まります。

好古は、弟の真之に対して
「身辺は単純明快でいい」と教えた。
教え方は、猛烈であった。

まことに小さな国が 開花期を迎えようとしている。

──────────

『天地人』に引き続き、
この『坂の上の雲』でも、『その時歴史が動いた』風に
カウントダウンしていきましょうか(^ ^)

今回は、日露戦争中に
日本とロシア帝国との間で戦われた日本海海戦、
明治38(1905)年5月27日に「その時」を設定します。

慶応4(1868)年3月20日、
愛媛県松山市で秋山淳五郎真之が誕生します。

明治38(1905)年5月27日、
日本とロシア帝国との間で戦われた日本海海戦まで

あと37年2ヶ月──。



原作:司馬 遼太郎 (『坂の上の雲』『明治という国家』より)


脚本:野沢 尚
  :柴田 岳志
  :佐藤 幹夫


音楽:久石 譲


メインテーマ:「Stand Alone」
     唄:サラ・ブライトマン

演奏:NHK交響楽団
  :東京ニューシティ管弦楽団

テーマ音楽指揮:外山 雄三

脚本諮問委員:関川 夏央
      :鳥海 靖
      :松原 正毅
      :松本 健一
      :宮尾 登美子
      :山折 哲雄
      :遠藤 利男

脚本監修:池端 俊策

時代考証:鳥海 靖
風俗考証:天野 隆子
海軍軍事考証:平間 洋一
      :菊田 愼典
陸軍軍事考証:寺田 近雄
      :原 剛
艦船考証:泉 江三
軍服考証:柳生 悦子
軍装考証:平山 晋
騎兵考証:岡部 長忠
    :末崎 真澄
    :清水 唯弘

取材協力:司馬遼太郎記念館

資料提供:坂の上の雲ミュージアム
    :子規記念博物館
    :馬の博物館
    :Collections Gaumont Pathé Archives
    :British Pathé
    :倉敷紡績
    :早稲田大学図書館(村上正俊)
    :The Dock Museum
    :BFI National Archive
    :アニドウ・フィルム
    :Getty Images
    :Huntley Film Archives
    :大日本蚕糸会
    :UCLA Film & Television Archive
    :Lumiere
    :アメリカ議会図書館資料映像コレクション
    :斎藤 武子

撮影協力:会津若松市
    :郡山市
    :安積歴史博物館
    :埼玉県
    :川口市
    :防衛省
    :記念艦三笠
    :長野市
    :博物館明治村
    :国宝彦根城
    :美星町観光協会
    :呉市立下蒲刈小学校
    :廿日市市宮島町観光協会
    :松山市
    :内子町
    :宇城市
    :天草フィルムコミッション

題字:司馬 遼太郎


語り:渡辺 謙

──────────

[出演]

本木 雅弘 (秋山真之)


阿部 寛 (秋山好古)


香川 照之 (正岡常規(子規))


菅野 美穂 (正岡 律)


原田 美枝子 (正岡八重)


徳井 優 (園田巡査)
上田 耕一 (戒田)
笑福亭 松之助 (富田)
蛭子 能収 (骨董店主)

真実 一路 (大原観山)
小林 廉 (真之(幼少))
染谷 将太 (好古(少年))
ささの 貴斗 (升(幼少))
吉田 里琴 (律(幼少))
田中 祥平 (好古(幼少))
ブレイク・クロフォード (ジョーンズ大尉)
マーク・マードック (ベイリー)

──────────

松 たか子 (佐久間多美)


佐々木 すみ江 (よし)


菊池 裕子 (戒田湯の女)
阿部 翔平 (見習い巡査)
松田 佳祐 (イチ公)
坂口 淳 (タダシ)

上村 祐翔
松村 剛雄
高橋 平
森久保 大河
西海 健二郎
土居 和真
持丸 加賀
荻原 真治
横田 剛基
磯山 億斗
中田 晴大
佐藤 勇輝
阿部 考将
土屋 璃生
上野 太
山本 修
枝光 利雄

NAC
劇団ひまわり
エレメンツ
エンゼルプロ
NHK東京児童劇団
テアトルアカデミー
グループエコー
劇団東俳
キャロット
長谷川事務所
キャンパスシネマ
アクティブハカタ
日本芸能教育センター
つくばみらい市のみなさん
長野市のみなさん
犬山市のみなさん
福山市のみなさん
松山市のみなさん
宇城市のみなさん
天草市のみなさん
熊本大学吹奏楽部のみなさん


西田 敏行 (高橋是清)


所作指導:橘 芳慧
馬術指導:田中 光法
海軍軍事指導:堤 明夫
軍楽隊指導:谷村 政次郎
砲術指導:佐山 二郎
戯唄指導:本條 秀太郎
アクション指導:深作 覚
野球指導:稲見 達彦
松山ことば指導:野沢 光江
英語監修:バーミンガム・ブレーンズ・トラスト
タイトルバック:菱川 勢一
ドキュメンタリー部映像加工:ドローイング アンド マニュアル
VFXプロデューサー:結城 崇史
VFXスーパーバイザー:野口 光一

──────────

竹下 景子 (秋山 貞)


伊東 四朗 (秋山久敬)

──────────

エグゼクティブ・プロデューサー:西村 与志木

制作統括:菅 康弘
    :藤沢 浩一

プロデューサー:関口 聰
美術:山下 恒彦
  :岡島 太郎
技術:川邨 亮
音響効果:西ノ宮 金之助
撮影:清水 昇一郎
照明:佐野 清隆
音声:加村 武
映像技術:横田 幹次
VFX:西垣 友貴
CG:松永 孝治
美術進行:塩野 邦男
記録:野田 茂子
編集:阿部 格

(キューバロケ)
コーディネーター:八木 優子

(フランスロケ)
制作協力:NEP Europe Ltd.
    :BREAKOUT FILMS
コーディネーター:清水 玲奈

(中国ロケ)
撮影協力:国家広播電影電視総局
コーディネーター:李 泓冰
美術協力:銭 運選
演出協力:陸 濤


演出:柴田 岳志


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』
第2回「青雲」

アナログ総合・デジタル総合:午後8時〜
デジタルハイビジョン:午後5時30分〜
衛星第二テレビ:午後10時〜

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