« 2ヶ月のカベ | トップページ | 収録終了 »

2009年12月 6日 (日)

スペシャル大河 坂の上の雲・(02)青雲

まことに小さな国が 開化期を迎えようとしている。

四国は伊予松山に、三人の男がいた。

この古い城下町に生まれた秋山真之は、
日露戦争が起こるにあたって、勝利は不可能に近いといわれた
バルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。

その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し
史上最強の騎兵といわれる
コサック師団を破るという奇跡を遂げた。

もう一人は、俳句、短歌といった
日本の古い短詩型に新風を入れて
その中興の祖となった俳人・正岡子規である。

彼らは、明治という時代人の体質で 前をのみ見つめながら歩く。

上っていく坂の上の青い天に
もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、
それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。


坂の上の雲 第二回「青雲」


上京後、一年経った。

何事にも口火を切る子規は、共立学校の仲間たちに言った。
「大学予備門を受けてみるか?」
大学予備門というのは 大学に附属した機関で、
のちの旧制高校 もしくは大学予科に相当する。

せめてもう一年勉強せねば、
到底受からないことは誰にでも分かっている。
第一、子規が最もあぶなかった。

子規の英語の力は、誰よりも劣っている。

──明治17(1884)年9月。

大学予備門の入学試験。
受験生が座る机に、問題用紙が丁寧に置かれていきます。
入試特有の、ピリピリムード。
(Kassyもう味わいたくないです(^ ^;;))

「始め!」の号令とともに、
エンピツで書き込むカリカリカリ……という音。

正岡子規は問題文を、
眉間にシワを寄せながら眺めています。
どうやら、問題文中の“judicature”という
単語の意味が分からないようです。

ジャジケーチャー……ジャジケーチャー……

と口に出して読んでみはするものの、全く分からず。
後ろの座席に座っている秋山真之に
ジャジケーチャーとつぶやいて助けを求めますが、
真之は真之で、それとなく「ほーかんッ!」と答えます。

日本の未来を背負う入学試験が、こんなんでいいのか!?

しかし、さすがは子規です。
真之の「ほーかんッ!」という大ヒントが分かりません。
そこで子規の頭の中をイメージ。
実際にイメージ画像でドラマに挿入されていました。

幇間【ほう・かん】
酒の席で客の機嫌をとり、座興をそえる男。太鼓持ち。

あぁ〜! と子規は納得。
「ミスターノートンが、かつて幇間でありしころの……」と
途端にエンピツを走らせますが──。

試験後、真之に爆笑されてしまいます。
真之が答えたのは「法官」、つまり司法官のことであります。
笑うに笑えない子規、目がテンです(・・)

「何で試験科目に英語があるんじゃろ〜」と子規は嘆きますが、
それは現代にも通じる疑問ですね。
(Kassyは英語に悩まされましたので)


麹町三番町に 佐久間という旧旗本が
先祖以来の屋敷に住んでいる。
真之と 兄の好古は、そこに下宿していた。

──数日後。

好古は子規を下宿先に招き入れて、真之とともに
大学予備門合格のお祝いをささやかながらあげます。

とはいっても、質素倹約を旨としている好古です。
鯛を買うほどのお金はさすがにないので、
佐久間家女中のよしに、買って来たメザシを焼いてもらい
それを肴にするつもりのようです。

佐久間家のお嬢さま・多美は「何かあったのかしら?」と
喜んで酒を酌み交わす三人の様子が気になります。

子規はここでも「法官」を「幇間」と間違えたことを挙げ、
まさかの合格にホントに嬉しそうですが、
予備門も相当いい加減だ と好古に笑われます。

ここでも好古は、人類の中で福沢諭吉が一番偉い!と言い、
「一身独立するためには、まず質素を旨とし……」と持論を展開。

そんな最中、あろうことか多美が離れまで立派な鯛を持ってきます。

事情を知らない真之と子規は、
てっきり好古が用意してくれたものだと勘違いして
「兄さん、だんだん(=ありがとう)!」と頭を下げますが、
メザシが鯛になって、さすがの好古も目が仰天です(・・;;)

多美としてのささやかな気持ちだそうですが、
好古はその気持ちを固辞します。
「人の好意は素直に受けるべきでは?」との捨て台詞を吐き、
屋敷に戻る多美とよし。

このピーンと張りつめた雰囲気を何とか盛り上げようと、
子規は「これが東京の鯛かぁ!」とわざとらしく喜び、
それでも無言の好古に対して、真之は鯛を返してこようとしますが、
好古からの特別な、ホントに特別な許可が下りました。

ただ お椀が1つしかないので、3人が代わりばんこにいただきます。
すると子規は懐から、1組のお椀とお箸を取り出します。
子規は意外にちゃっかり者なんですね。


大学予備門というのは、一ツ橋にある。
「予備門の書生さん」といえば、日本一の秀才と思われていた。
末は博士か大臣か、要するに尋常の若い者ではない。

当時の教科書は 外国直輸入のもので、
たとえば幾何の教科書もすべて英語で書かれており、
試験の問題も英語で出た。

東京大学予備門。
真之と子規は胸を張って門をくぐっていきます。

試験を受けている子規ですが、
幾何が分からないというより、問題文である英語がサッパリなので
結果的には解けないという事態に陥っております。

子規と真之がふと横を見てみると、
真之の横に座った書生がスラスラと解答をつづっております。
しかもすべて英語です。

その男のスピードは、子規が書く日本語より早かった。
のちの流行作家・山田美妙である。

すると、教室の最後列で一人の男が立ち上がり、叫びます。
「先生! できた者から先に退席してもよろしいか?」

塩原金之助。
後の明治の文豪・夏目漱石である。

山田といい塩原といい、真之と子規にとっては
どれだけ秀才かよッ!? と言いたくなる者たちですが、
塩原の言葉をきっかけにして
教室中の書生たちが次々に立ち上がり、退席して行きます。

その流れに負けじと乗ったか、考えても答えは出ないと諦めたか、
子規は“白紙の解答用紙”を持って退席していきます。

試験後、真之の呼びかけで
皆がひいきにしている(=ファン)竹本 都の寄席を
仲間同士で見にいきます。

真之は、兄の前でこそかしこまっているが、
仲間と一座を組んでいるときは、凄みのある悪たれであった。

寄席へ行っても騒々しかった。
少しでも下手な前座が出ると、仲間の下足札を集め
それを激しく鳴らして妨害した。

♪これ見たまえ光秀殿 戦の門出にくれんでも〜

都の寄席が始まると、書生たちの表情が輝きます。
ふと落とした都のかんざしには、それをいただこうと
書生たちが蠅のように寄ってたかります。


陸軍大学校在籍中の好古は、ドイツ人を師とすることになった。

ドイツ陸軍の参謀将校・メッケル少佐である。
「智謀 神ノゴトシ」といううわさが すでに聞こえていた。

陸軍大学校──。

建物の前でキレイに整列している陸軍大学校の生徒たち。
馬車で登場したメッケル少佐。
生徒たちは敬礼で出迎えます。

しかしこの場には “大事なお方”が未だ見えず。
そのとばっちりを生徒が受けるのではないか? と
整列して待つ生徒たちはヒヤヒヤもんです。

「やあやあ! すまんすまん!」と後から登場した男。
生徒たちが話していた、大事なお方とはこの人のようです。

男は、児玉源太郎である。

この時期 彼は陸軍大佐で、
この翌年、陸軍大学校の初代校長となった。

児玉が用意させたモーゼルワインで、
生徒たちも交えて乾杯することにします。

メッケルは無類の酒好きで、
もしモーゼルワインが手に入らなければ
この日本ゆきを断ろうと思っていたという。

メッケルの 日本陸軍における功績は、
のちの日露戦争の勝利までつながっていくことを思えば
運命のモーゼルワインであったと言っていい。

メッケルは、かなり厳しく生徒たちを育てていきます。
その言葉には反発を覚え、抗議する生徒も中にはいますが、
理論でその芽を摘んでいきます。

上手く答えられなければ、生徒の苗字を冠にして
「○○隊全滅!」と言って斬り捨てます。
どうやら このメッケルの口癖のようでして、
何度かこのセリフが登場しますよ。


春になって、子規の妹・律が 突然 松山からやってきた。

子規は幼いころ、
悪童仲間にいじめられても 泣いて帰るだけであったが、
三つ下の童女であった このお律は、
「兄ちゃまのカタキ」と、そういう言葉を吐いて
石を投げに行ったりして、近所では評判だった。

子規の住む下宿部屋を、律が精力的に片づけ 拭き掃除しています。
そこへ帰ってくる、子規と真之。
真之の声を聞いて、恥ずかしがりながらも身なりを整える律です。

真之と律、久々の再会です。

「東京見物じゃ!」と真之は律を外に連れ出そうとしますが、
東京には1週間程度しかいられない律は、そんなヒマはありません。
松山へ帰るまでに、真之の着物を縫っておきたいそうです。
無論、兄の子規の分もですがね。

真之としては、せっかく律に縫ってもらっても
好古に破り捨てられるだけのことなので 断りますが、
「最初で最後じゃけん」と律に懇願されます。

律は、嫁に行くことになっているのです。

一瞬 ? となりますが、何となく言わんとすることを感じ取り
そういうことならば、と 真之は喜んで採寸してもらいます。

律の相手は陸軍の少尉で、相手は東京に住んでおりますが
相手の両親が松山におり、そのお世話で当分は松山にいるそうです。
嫁いだら兄を守ってあげられなくなるので、
別れ際に 律は真之に、子規の盾になってくれと頭を下げます。


真之は、学校の試験などの場合、
ヤマを当てる名人である。
「試験の神様」というあだ名がついていた。

自分が教師になったつもりで見当をつけ、
教師の好みや過去の分析をもすれば
あとは真之自身の勘で何とかなるそうです。

おかげで皆、落第の憂き目に遭わずに済んで大助かりです。
とはいえ、子規だけは苦手な英語が足を引っ張り、落第。

落ち込んでいるだろうなぁ という仲間たちの心配をよそに、
子規は覚え立てのベースボールに熱中しています。

──野球。

「ノ・ボール」つまり、子規自身の本名である
「升」からきているという主張です。

子規は子どもたちを呼んで野球を教えます。
真之が投げたボールを、子規は高く遠くに飛ばします。
そのボールは、野球にはとんと興味のない金之助の頭上に。
金之助にとっては、ボールよりも本の汚れが大事です。

人間は、友人がなくても十分生きていけるかもしれない。
しかし 子規という人間は、
せつないくらいに、その派ではなかった。

ベースボールに「野球」という日本語を与えたのは 子規ではなく、
子規と一高で同窓の中馬 庚だったとも言われている。
いずれにせよ、子規は明治十七年 大学予備門に入学すると、
まもなく野球を覚え、これに熱中した。

彼はのちに、新聞「日本」に書いたベースボールという一文の中で、
野球術語を翻訳した。
打者・走者・飛球などがそうであった。


真之は、兄の許しを得て 子規と同宿することになった。

予備門を落第している子規は、
真之に英語を教えてもらう代わりに 文学を教えると言い出します。

なんでも、これからは文学の時代であって、
子規自身も小説を執筆中とか。

子規の青春は多忙であった。
子規は、人よりも倍の速度で成長していた。

それだけに、変わり方も激しかった。
そこへいくと、あまり代わり映えのせぬ真之から見れば
どうも軽率なような感じもしたし、同時に、
一個の多彩な光体を眺めているようなまばゆさも感じた。


真之の発案で、江ノ島までの無銭旅行に行きます。
そんな発案をした真之を、子規はこう評価します。
「見るほどに 見てくれもせぬ 踊りかな」

活発な男だが、軽々しく騒々しい。
器用という俗才はあるが、大事を為す男ではない、との評価です。
子規に言われたくはないですね(^ ^;;)

無銭旅行といっても、
東京から江ノ島まで歩いて行くというだけのことだが、
金がないために食うことも泊まることもできず
そのために、さまざまな珍談ができた。

翌日、坂の途中で倒れている子規を見捨てられず、
真之はせっかく上った坂を下って子規を助けます。
子規をおんぶして坂を上りながら、真之自身の不安を吐露します。
自分のやりたいこと、将来が見えて来ず焦っているそうです。

無茶を重ねていれば、何かが見えてきそうな気がしますが、
このまま卒業し、学士になってもつまらない。
そうなると、学費を出してもらっている兄に
とても申し訳ないという気持ちです。

「寝転んで 書読む人や 春の華」
「窓開けて 顔つきあたる 前の山」
「黒雲を 起こしてゆくや 蒸気船」
俳句がボンボンと浮かんできます。

無銭旅行一行は、海にたどり着きます。

「生まれたからには 日本一になりたい」
それが、国家草創期における
選ばれた青年たちの共通の願いであった。


真之は佐久間屋敷に戻り、兄に思いを打ち明けます。
予備門を退学して海軍兵学校に入り直したい、と。
世界の海に乗り出して、海の向こうに浮かぶ
自分の知らない世界を見てみたいのだ、と。

それを聞いて好古は、秋山家の先祖の話を真之に聞かせます。
秋山家の先祖は、源平の頃の伊予水軍だったそうです。
伊予人の中から出て、初めて日本海軍の士官になるか──。
兄からの、実質的な許可です。

軍人になるということは、
彼自身が 最も快適であると思っている
大学予備門の生活を捨てることでもあった。

子規の顔が浮かんだ。
思わず、涙がにじんだ。

子規の下宿部屋にて。
夜を徹して勉強している子規に触発された真之は
「寝た方が負けじゃ」と勉強のし合いっこを仕掛けますが、
予備門の退学意思を固めた真之は、なかなか集中できません。

勉強しながら、退学することを告白しようとする真之ですが、
子規は既に爆睡してしまっております。


この月の 最初の土曜日は雨だった。

雨の中、子規が走って帰宅してきます。
栗を真之と一緒に食べようと部屋に駆け上がりますが、
そこには真之の姿はありません。

子規の使う机には「正岡常規殿」と宛名書きされた文が。

──予は都合あり、予備門を退学せり。
  志を変じ、海軍において身を立てんとす。
  愧ずらくは、兄との約束を反故にせしことにして
  今より海上へ去る上は、再び兄と相会うことなかるべし。
  自愛を祈る──

文を読み終え、未だ信じられない子規ですが、
真之が壁に書いた線をふと見つめます。

それは、先日の勉強のし合いっこで
子規が寝たという証のために、
壁に寄りかかって寝ていた子規の身体に沿って
真之が書いた線であります。

アシの勝ちじゃ という真之に対し、
子規は「アシは寝てないぞな」と応戦しますが、
そこまで証拠を残されてしまっては、もう言い返すことができません。

それを見て、感慨にふける子規。
「いくさをも いとわぬ君が 船路には 風ふかばふけ 波たゝばたて」
涙をこらえつつも、最大限の笑顔を浮かべて
気張れ! と真之を送り出す子規でした。


明治十九年十月、真之は築地の海軍兵学校に入校した。
この期に入った者は五十五人であり、
真之に入学試験の成績は、この中で十四番であった。

入校とともに短髪になった真之。
およそ軍隊のような生活を送りながら
軍人になるための教育をみっちりと受けます。

入校生たちを当惑させたのは、洋服であった。
洋服はみな 初めてで、中には
シャツのボタンをどうはめていいか分からず、
顔を真っ赤にして苦心している者もいた。

ラッパの音とともに教官たちの「起きろ!」という叫び声。
起床と同時に寝床を整え、洋服に着替えて
建物の中を全力で走り抜けます。

さらに 一同の驚異だったのは、
昼食にライスカレーが出たことであった。
その名前さえ知らぬ者がほとんどだった。
それほど、この当時の日本の普通の生活と
海軍兵学校の生活には差があった。

いわば、この築地の一角五万坪だけが
生活様式として外国であったと言えるであろう。

大英帝国の権威は、その海軍によって維持されている──。

この言葉を、築地の兵学校の生徒たちの胸に刻み付けたのは、
英国から来たお雇い教師
アーチボールド・ルシアス・ダグラス少佐であった。

英国は、その国土こそ小さいが、
その強大な艦隊と商船団によって世界を支配した。
日本は英国を範とせよ、ダグラスは言ったのだろう。

川で2隻の船に分乗し、カッター競漕です。
真之はそのうち1隻の船頭(指揮官?)を務めています。

いち、に、さん、し、いち、に、さん、し……と
船団は規則正しく発しながらリズミカルに漕いでいますが、
伊予水軍の陣太鼓として、独自にかけ声を変えます。

「ヨイヨイ ヨイヤッサ! ヨイヤッサ! ヨイヤッサ!」
「ヨイヨイ ヨイヤッサ! ヨイヤッサ! ヨイヤッサ!」

漕ぎ手は相変わらずですが、そのうちこのかけ声に載せられて、
真之の乗った船団は、いつのまにか陣太鼓テイストに変わっています。

それを見たもう1隻の船頭・広瀬武夫は驚きながらも
更にかけ声を大きくして、負けずに応戦。
いち、に、さん、し、いち、に、さん、し……。

でも、陣太鼓テイストの船団にたちまち抜かれてしまい、
結局は真之船団の勝利。

真之は勝利の胴上げをされますが、
勢いで川にドボーンと投げられてしまいます。
その姿に、広瀬も川へ身を投じます。

彼は 真之よりも1年上の生徒で、広瀬武夫といった。
風変わりな男で、兵学校のころから柔道に熱中し、
任官後も ヒマを見つけては東京の講道館に通い、
嘉納治五郎から直接の指導を受けていた。

広瀬は真之を相手に指名し、柔道でバンバン投げ飛ばします。
カッター競漕のお返しだそうです。

この男は 独身主義者だった。
「オレには嫁が多すぎて困る」と言っていた。
彼の言う“嫁”とは 海軍と柔道と、もうひとつは漢詩だった。

千里遠遊して 帝郷に寓す 家を懐えば 腸断つ──

真之は、この人物と親しくなり、
のちに ある時期には、下宿をともにするほどになった。


陸軍参謀本部──。

好古がフランス行きを打診されているとウワサが持ち切りです。
当時の主流はメッケル少佐出身のドイツなのですが、なぜかフランスです。
なんでも、旧松山藩主の若殿が
フランス・パリのサンシール陸軍士官学校に留学とかで、
そのお供にということで白羽の矢が立ったわけです。

このまま何もなければ、陸軍中枢に椅子が用意される中にあって、
好古のフランス行きは、好古自身の前途に暗い影が見え隠れするほど
出世コースから外れてしまうものであります。
ドイツ出身のメッケル先生なら、恐らくこう言うでしょう。
「秋山隊、全滅!」

当時、日本陸軍の全ての体制が ドイツ式に転換しようとしており、
陸軍の秀才のことごとくが、ドイツ陸軍に留学しようという情勢下にある。
その時に、ただ一人のフランス派になってしまえば、どうなるか……。


旧松山藩主・久松家──。

呼びつけられた好古は、久松家に赴きます。
応じたのは、久松家家令・藤野 漸。
藤野は 好古の苦悩も理解しつつ、ズバリ頼みます。
「若殿さまのおそばについてくれぬか?」

藤野にどれだけ頭を下げられても、好古は無言を貫きます。

もし好古に断られたら、老骨にむち打ってでも
藤野が同行するしかなさそうです。
それを聞いた好古は「お任せください」と言ってしまいます。

言った瞬間、陸軍における栄達を諦めた。
明治二十年七月二十五日、フランスへ向かうべく横浜を出帆した。


真之らの在学中、海軍兵学校が移転することになった。
広島県江田島にゆくという。
真之の入校三年目の年である。

真之にとって 多少ありがたかったのは、
故郷の松山が近くなったことである。

この夏、移転早々 休暇があった。


伊予松山──。

駐在の園田巡査も泡を吹くほど驚いて真之の出迎えです。
白い海軍服に身を包んだ真之が颯爽とやって来て、
園田らに敬礼をします。

秋山さんとこの淳さんが帰っている といううわさは、
少年たちにたちまち広がった。
少年たちは英雄が好きで、真之のうわさを
あたかも いにしえの英雄の逸話でも聞くように聞いた。

街道筋で真之と久敬がすれ違いますが、
お互いがお互いをシカトしています。
すれ違って、息子の成長した姿にニンマリの久敬です。

父と酒を酌み交わしながら、
子規の妹・律が実家に戻っていることを母の貞に聞きます。
だんなと一緒に暮らさないうちに、律は離縁していました。
結婚生活は2年弱で破綻していたそうです。

律を気遣う真之は、兵学校へ戻る前に正岡家へ顔を出します。
母の八重がいますが、律は不在でした。
そう少しで戻るから と聞いてしばらく待ってはいましたが、
律はなかなか戻ってきません。

待っている間、八重と真之は子規の話で盛り上がります。
「茶の花や 利休の像を 床の上」
「梅雨晴れや ところどころに 蟻の道」
相変わらず俳句に熱中している子規です。

律が戻ってくると、真之の姿はありません。
八重から詳細を聞いた律は 一瞬躊躇しますが、
やはり真之を追いかけて海岸へ向かいます。

川にかかる橋を渡り、田んぼの中を通る道を走り抜け、
海岸にたどり着いた律。
真之がいない! そう思った時に、
「りーさん!」と背中から声がかかりました。

真之と久々の再会です。

律は、嫁いでから一度だけ内緒で東京に行ったことがあり、
主人にえらく怒られたそうです。

恒吉家(嫁いだ先の家)と一緒になったんじゃない、
忠道と一緒になったのだと律は言い返したそうですが、
そんな勝手なことをする嫁はいらん! と言われてしまいます。

確かに、話だけ聞くと
忠道の両親のお世話のためだけに嫁いだようなものであり、
ちょっとヒドいお話にも聞こえますが、
この時代には当たり前のことだったのかもしれません。

真之が言っていた「一身独立」を思い出し、
松山を出て家族を作り、一身独立しようと思い立った律は
それがきっかけで離縁してしまったそうです。

真之は「女子でも一身独立できる、アシはそう思うがの」と
あくまでも律の味方です。


フランスに同行留学中の好古から手紙が届きます。

フランスに渡って一年、
金を切り詰めて やっと自分用の馬が購入できた好古は、
ようやく軌道に乗ってきたようで、
ドイツの馬術よりフランスの方が優れていると自負します。

リズミカルに馬を乗りこなすフランス式の方が、
長時間の乗馬に耐えられることに気づきます。
好古は、帰国後にはフランス式乗馬術を日本に広く広め、
世界に負けない強い陸軍にすると新たに決意します。

明治二十三年一月、
パリにある好古は、本国から新しい命令を受け取った。
官費留学に切り替える ということである。
要するに、日本陸軍は この満三十になったか ならずの若い大尉に
騎兵建設についての調べの全てを依頼したようなものであった。

秋山好古は、一人で全てを引き受けた。

この分野だけでなく、他の分野でもすべてそういう調子であり、
明治初年から中期に駆けての小所帯の日本の面白さは
このあたりにあるであろう。

──────────

明治19(1886)年10月30日、
秋山真之が海軍兵学校に入校する。

明治38(1905)年5月27日、
日本とロシア帝国との間で戦われた日本海海戦まで

あと18年7ヶ月──。



原作:司馬 遼太郎 (『坂の上の雲』より)


脚本:野沢 尚
  :柴田 岳志
  :佐藤 幹夫


音楽:久石 譲


メインテーマ:「Stand Alone」
     唄:サラ・ブライトマン

演奏:NHK交響楽団
  :東京ニューシティ管弦楽団

テーマ音楽指揮:外山 雄三

脚本諮問委員:関川 夏央
      :鳥海 靖
      :松原 正毅
      :松本 健一
      :宮尾 登美子
      :山折 哲雄
      :遠藤 利男

脚本監修:池端 俊策

時代考証:鳥海 靖
風俗考証:天野 隆子
海軍軍事考証:平間 洋一
      :菊田 愼典
陸軍軍事考証:寺田 近雄
      :原 剛
艦船考証:泉 江三
軍服考証:柳生 悦子
騎兵考証:岡部 長忠
    :末崎 真澄
    :清水 唯弘
軍装考証:平山 晋
娘義太夫考証:水野 悠子

取材協力:司馬遼太郎記念館

資料提供:坂の上の雲ミュージアム
    :子規記念博物館
    :馬の博物館
    :BFI National Archive
    :野球体育博物館

撮影協力:会津若松市
    :郡山市
    :安積歴史博物館
    :旧土浦中学校本館
    :いばらきフイルムコミッション
    :防衛省
    :横浜市
    :信州大学繊維学部
    :信州上田フイルムコミッション
    :伊東市
    :博物館明治村
    :京都府
    :美星町観光協会
    :呉市
    :呉市立下蒲刈小学校
    :廿日市市宮島町観光協会
    :海上自衛隊第1術科学校・幹部候補生学校
    :内子町
    :熊本県
    :熊本大学五高記念館

題字:司馬 遼太郎


語り:渡辺 謙

──────────

[出演]

本木 雅弘 (秋山真之)


阿部 寛 (秋山好古)


香川 照之 (正岡常規(子規))


菅野 美穂 (正岡 律)


原田 美枝子 (正岡八重)


小澤 征悦 (塩原金之助(夏目漱石))


的場 浩司 (長岡外史)


藤本 隆宏 (広瀬武夫)

堤 大二郎 (井口省吾)
宮内 敦士 (藤井茂太)
小林 隆 (遠藤慎司)
徳井 優 (園田巡査)
ノーベルト・ゴート (メッケル)

──────────

松 たか子 (佐久間多美)


佐々木 すみ江 (よし)


宝田 明 (藤野 漸)


水野 貴以 (竹本 都)
中野 雄一 (山田武太郎(美妙))
松村 良太 (関甲七郎)
野呂 朋大 (菊池謙二郎)
菊地 真之 (清水則遠)
檜尾 健太 (井林広政)
辰巳 智久 (神谷豊太郎)
阿部 翔平 (巡査)
松川 尚瑠輝 (河東秉五郎)
ささの 友間 (高浜 清)

悠玄亭 玉八
エドワード・パパジアン
古今亭 菊六
笹川 奨
正木 佐和
塚田 美津代
大浦 理美恵
スティーブン・アッシュトン
枝光 利雄

エレメンツ
劇団ひまわり
エンゼルプロ
NAC
テアトルアカデミー
舞夢プロ
劇団東俳
キャンパスシネマ
日本芸能教育センター
つくばみらい市のみなさん
上田市のみなさん
犬山市のみなさん
呉市のみなさん
福山市のみなさん
江田島市のみなさん
熊本市のみなさん

所作指導:橘 芳慧
馬術指導:田中 光法
海軍軍事指導:堤 明夫
陸軍軍事指導:大東 信祐
娘義太夫指導:竹本 綾之助
アクション指導:深作 覚
野球指導:稲見 達彦
松山ことば指導:野沢 光江
長州ことば指導:一岡 裕人
大分ことば指導:池永 宗士郎
兵庫ことば指導:小林 由利
青森ことば指導:相沢 けい子
茨城ことば指導:飛田 晃二
ドイツ語監修:ドイツメディア制作ネットワーク
フランス語指導:中村亮二
英語監修:バーミンガム・ブレーンズ・トラスト
タイトルバック:菱川 勢一
ドキュメンタリー部映像加工:ドローイング アンド マニュアル
VFXプロデューサー:結城 崇史
VFXスーパーバイザー:野口 光一

──────────

伊東 四朗 (秋山久敬)


竹下 景子 (秋山 貞)


高橋 英樹 (児玉源太郎)

──────────

エグゼクティブ・プロデューサー:西村 与志木

制作統括:菅 康弘
    :中村 高志

プロデューサー:関口 聰
美術:山下 恒彦
  :岡島 太郎
技術:宮路 信広
音響効果:島津 楽貴
撮影:清水 昇一郎
照明:佐野 清隆
音声:加村 武
映像技術:木川 豊
VFX:西垣 友貴
CG:織田 芳人
美術進行:毛尾 喜泰
記録:野田 茂子
編集:城島 純一

(フランスロケ)
制作協力:NEP Europe Ltd.
    :BREAKOUT FILMS
コーディネーター:清水 玲奈


演出:柴田 岳志


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』
第3回「国家鳴動」

アナログ総合・デジタル総合:午後8時〜
デジタルハイビジョン:午後5時30分〜
衛星第二テレビ:午後10時〜

|

« 2ヶ月のカベ | トップページ | 収録終了 »

NHKスペシャル・坂の上の雲」カテゴリの記事

コメント

今回は一応万全な体調で視聴しました。
でもやはり90分は長いですね。
この記事の作成もお疲れ様です。

子規が「baseball」を「野球」と訳したのは、結構大きいことだと思います。
なぜ「塁球」と訳さなかったのだろうか?なんて言われそうですが。

明治の人々が夢を持って学問にはげむ姿を見ると、自分まで勉強する気がわいてくるような気がしました。

──────────

都市高502さーん。こんにちは!


>でもやはり90分は長いですね。
毎週45分間に慣れていたので、ホントに長く感じます。


>この記事の作成もお疲れ様です。
ありがとうございます。

書くのも確かに大変なのですが、
読者としてみなさんが読むのもかなり大変なのでは?
(^ ^;;)


>明治の人々が夢を持って学問にはげむ姿
江戸という特殊な時代が終わり、
明治に入って「自分たちの時代だ!」というころなので、
何か確かなものではないにせよ、
希望に向かって駆けて行くという姿には
励まされるところでもありますね。

投稿: ★都市高502 | 2009年12月11日 (金) 18:22

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 2ヶ月のカベ | トップページ | 収録終了 »