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Kassy号〜♪の車窓から 2011

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2009年12月20日 (日)

(04)日清開戦

まことに小さな国が 開化期を迎えようとしている。

四国は伊予松山に、三人の男がいた。

この古い城下町に生まれた秋山真之は、
日露戦争が起こるにあたって、勝利は不可能に近いといわれた
バルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。

その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し
史上最強の騎兵といわれる
コサック師団を破るという奇跡を遂げた。

もう一人は、俳句、短歌といった
日本の古い短詩型に新風を入れて
その中興の祖となった俳人・正岡子規である。

彼らは、明治という時代人の体質で 前をのみ見つめながら歩く。

上っていく坂の上の青い天に
もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、
それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。


坂の上の雲 第四回「日清開戦」


──明治27年7月25日 朝鮮西岸・豊島沖

宣戦布告は、まだ行われていない。

しかし、海上では最初の砲煙が上がった。
この日早朝、朝鮮西岸の豊島沖で
日本艦隊は清国艦隊と遭遇し、戦闘の火蓋が切られた。

さらに午前十時、
敵艦を追いかけていた巡洋艦「浪速」は別の目標を発見した。

大型汽船であった。
マストに英国旗を掲げているが、
清国陸軍の将兵を満載していることが分かった。

浪速は この英国汽船「高陞号」に対し、
「本艦に続いて来たれ」と命じた。
ところが、事態は容易には進まなかった。
浪速の艦長は、東郷平八郎であった。

東郷は、望遠鏡を使って
英国汽船の様子をうかがっています。

浪速からボートが出、士官が派遣された。

清国陸兵ばかりの英国汽船に乗り込む士官。
士官は 睨まれながら船長の元に案内されます。

「清国の兵たちは奴隷になることを望んではいない。
よって貴艦に随行することはできない!」
英国人船長は主張しますが、
士官は 従わなければ砲撃するぞ! と脅しをかけます。

ただし、日本側としても
英国人をも砲撃の対象とするつもりはさらさらなく、
英国人乗組員のみは浪速へどうぞ乗り移りなさい との注釈付きです。

それを聞いた清国兵たちは大騒ぎして
士官と船長を引き離そうとします。

その動きを遮り、騒ぎを鶴の一声で鎮めた船長は、
この船を出航地に戻してくれと願い出ます。
そうすれば清国兵も納得するし、
英国人乗組員も生き残れるわけです。

様子をうかがっていた東郷は、
英国商船の異変に気づいています。
どうやら、英国人船長は清国兵に脅迫されているようです。
しかし、東郷は 船長の要求には応じられぬと、
直ちにその船を見捨てよ と高陞号に信号を送ります。

要求拒否と知るや否や またも大騒ぎする商船内ですが、
この船に英国旗が掲げられている以上、
日本軍艦といえども、この船を決して
攻撃はしない(から安心しろ)!と意外にも楽観主義です。

何度か信号のやり取りが続きますが、
しびれを切らした東郷の出した結論は「撃沈する」。
さすがにこれには浪速乗組員もドン引きですが、東郷は本気です。

東郷は、マストに危険を知らせる赤旗を掲げた。

浪速から出された危険信号を見て、応戦準備!と逃げ惑ったり、
砲台を前面に出したりと慌てふためく商船内。
そんな中でも、東郷が出した「右 戦闘、目標 高陞号」という指令は
確実に水兵へリレーで伝えられます。
こだまする砲撃の音──。

高陞号は沈んだ。
船長以下 数名の船員は救助されたが、清国兵はほとんど溺死した。
この事件はすぐに、上海電報によって英国に打電された。


日本では、内閣総理大臣・伊藤博文が
東郷が下知して高陞号を沈めたとの報告を受け、驚愕しています。
報告に上がったのは海軍省官房主事・山本権兵衛。

東郷を即刻罷免せよ! と伊藤は叫びますが、
東郷自身はイギリス商船学校出身であり、
国際法にも精通しているので、軽率な行動はとらない。
つまり、考えがあってのことだと山本はかばいます。

このとき、北京の代理公使として
日清戦争の開戦前夜の外交処理をしたのが 小村寿太郎である。

小男で めまぐるしく動き回るところから、
「ねずみ公使」というあだ名を、
列強外交団からつけられていた人物である。

近臣にたばこを所望しますが、切らしていると断られて
町の市場へ買い出しに出かけますが、
その町の不衛生さに閉口している小村。
それよりも近臣は、招待状なしに
押しかけていって大丈夫なのかが心配です。

このとき北京では、二十四歳になった
光緒帝の誕生祝いが盛大に行われていた。

その会場の中に、先ほどの泥がたくさんついたままの靴で乗り込み
近くにあった酒に手を伸ばし、やりたい放題の小村。
しかしさすがに、イギリス紳士たちの“刺すような”視線を
感じずにはいられません。

ステージ?では、今夜の主役・光緒帝とともに李 鴻章が現れます。

当時、北京の代表的政治家は李 鴻章であった。
北京にいる列強外交団などは
彼をおだて「東洋のビスマルク」とほめたし、
日本の外務省などでは「夷人ころばしの名人」ともいった。

鴻章は皆から挨拶を受けて上機嫌ですが、
袁 世凱から小村代理公使が来ていることを教えられ
「高陞号を撃沈しておいて、よくもまあ来られたもんだ」とあきれ顔。

小村のことは完全にシカトして、英国人ににこやかに手を振っていますが、
その間に小村が鴻章の目の前まで足を運び、挨拶します。
「絶交書を頂いた国の代理公使に祝辞を頂くとは」と
鴻章は皮肉たっぷりに応戦します。

英国汽船撃沈事件を巡っては、
当初、英国の各紙はこれを批判し、
英国外相は日本政府の責任を追及した。

だが結局、事態があきらかになるとともに
浪速の処置は国際法上合法であることが分かって、
英国側の態度も冷静になった。


東京・海軍省──。

しかし、海軍主事・山本権兵衛は東郷をそのままにしなかった。
わざわざ戦場から浪速を帰国させ、東郷を海軍省に呼び出した。

権兵衛と東郷とは、
同じく戊辰戦争に参加した 薩摩の復員兵仲間だが、
東郷の方が五つ年上で、
一時同じ軍艦に乗っていたこともある。

権兵衛は、東郷の英断をとりあえずは褒め讃えますが、
東郷を監督する立場として、あえて
「戦争遂行に重大なる支障を来す」と苦言を呈します。


清国・遼東半島──。

秋山好古が、第二軍の騎兵第一大隊長として
遼東半島に上陸したのは、十月二十四日である。
好古の騎兵大隊は、
旅順要塞の敵情を偵察するために前進した。

旅順要塞は東洋一、もしくは
唯一の近代要塞であることは確かであった。

フランスの提督・クールベーは 旅順にやって来て、
「この旅順を陥れるには、五十余隻の堅固な戦艦と
十万の陸軍を投入しても なお半年はかかるであろう」といった。


ところが「大したことはなさそうだ」と最初に知ったのは
騎兵を率いている秋山好古であった。

騎兵第一大隊・宿営地。
好古は、旅順要塞の最高指揮官ロウ・ショウヨが
船で脱出したという噂の真相を確かめさせます。

もし本当であれば、日本軍の総攻撃を前に
相手方の最高指揮官が逃げ出したということになり、
にわかには信じられない事態です。

そんな時、村の中国人が酒を運んで来てくれました。
好古はご機嫌で、お遣いをしてくれた老人に銭を渡しますが、
その老人はサッと受け取って
「わしは軍人は嫌いじゃ!」と吐き捨てるように言います。

好古はこの老人に、間もなく戦が始まるので
「上手く逃げろよ」とだけ伝えておきます。

好古は、第二軍司令官・大山巌に宛て 意見書を送った。

大山は 西郷隆盛の従弟であり、少年の頃からその影響を受けた。
いかにも薩摩型の指揮官で、
大将になるために生まれて来たような大雅量をもっている。

第一師団長は、隻眼のため独眼竜といわれた中将・山地元治である。
その傘下にふたつの旅団があり、
旅団長のひとりは 少将・乃木希典であった。

第二軍司令部──。

議題はもっぱら、好古からの上申書のことであります。
敵兵の配置情報・状況分析・攻略法、どれも明晰で
大山はこの上申書を基にして、作戦を立てたそうです。

作戦を披露している最中、乃木希典がすっくと立ち上がり
「我が第一旅団を攻撃にお命じいただきたい!」と言いますが、
乃木は師団長の裁可なしに一気に敵軍を攻略したという前歴があり
その気概は認めるところですが、実際に「お命じを!」と言われると
話をはぐらかす大山です。

旅順攻撃開始は、十一月二十一日ということに決められた。

好古の隊は意見書を出した翌日の朝七時、
宿営地を出発し、前進した。
ところが午前十時ごろ、
水師営方面から前進して来たらしいおびただしい敵と遭遇し、
全面衝突となった。

銃撃と大砲のすさまじい音。

戦況は、のっけから不利である。
時が経つにつれて、いよいよ不利になってきた。

勢い酒をあおっていた好古は、突如として馬を率い
華麗な馬術で敵陣に突進していきます。

その動きは、初めこそ味方の士気を高めていましたが、
敵の主力部隊3,000が日本軍を包囲すべく進軍中との報を受け、
前進命令を撤回、ただちに撤退にかかります。

好古は、同時代のあらゆる人々から
「最後の古武士」とか、戦国の豪傑の再来 などと言われた。
しかし、本来はどうなのであろう。

彼が松山で送った少年の頃や、大阪で暮らした教員時代、
人々は、彼からおよそ豪傑を想像しなかった。
おだやかで親切な、少年であり 青年であったに過ぎない。

勇気は、あるいは固有のものではなく、
彼の自己教育の所産であったように思われる。


第二軍の旅順攻撃は二十一日の払暁、寒気をついて行われた。
「半年はかかる」といわれた旅順要塞は、
驚くべきことに、まる一日で陥ちてしまった。

勝利の最大の原因は日本軍の方にない。
清国兵の士気の低さにあった。
要塞守備兵の大部分は、金州方面に逃げた。

戦のあと、数多く転がる兵死体に黙祷を捧げる乃木。
その乃木を「とうとうやりもしたな!」と出迎える
第二軍参謀副長・伊地知幸介。

祝福と激励の言葉を伊地知からもらい、
伊地知の肩をポンと叩く乃木。

乃木と伊地知。
この二人は、のちに日露戦争の時の第三軍司令官と参謀長として
旅順攻略の担当者になった。


子規の根岸の里にも、戦いの荒風は押し寄せている。
戦地から送られてくる従軍記事で
新聞「日本」の紙面も大活況を呈するようになり、
社の連中が従軍記者として どんどん出て行った。

東京根岸・新聞日本本社前──。

「行って参ります」という従軍記者に、
羯南は「弾に当たらないように気をつけて」と送り出します。

子規も従軍記者に志願していますが、
羯南は子規が与謝蕪村の発掘という大仕事を抱えていて
かつ病身の身であることからそれを認めず、
子規は東京に残されているのです。

「五月雨を あつめて早し 最上川」という芭蕉の句より
「五月雨や 大河を前に 家二軒」という蕪村の句の方が
情景が生き生きと目に浮かび、優れている。
そう評価した子規を改めて「卓越でした」と褒め讃えます。

その上で「春の水 山なき国を 流れけり これは?」と意見を求められ、
しぶしぶ評価し始めますが、俳句論を語り出すと止まらない子規です。
それを「君も戦っているじゃないですか!」と言いくるめる羯南。
子規は何も言い返せません。


翌 明治二十八年一月、連合艦隊は
清国北洋艦隊が立てこもるの威海衛の攻略を始めた。

甲板の上で、相変わらず炒り豆をかじっている真之。
その姿を見て、甲板に集まる一同。
真之の「(炒り豆を)食うか?」の一言に、
緊張していた一同の面持ちがフッと緩みます。

その中で、花田は炒り豆入れを自作してきていまして、
真之を厚く心酔している証かもしれません。

翌日、連合艦隊は清国の陸上砲台に 艦砲射撃を敢行した。

荒れ狂う中、機敏な動きをして砲撃準備にかかる真之ですが、
そんな最中 マストに戦闘機が墜落してしまいます。
旗を揚げねば降伏になってしまう!
真之は花田に、旗を揚げ直すように伝えますが……。

大砲が何発も撃ち込まれ、
甲板にいたものたちが多数吹き飛んでしまいます。

大砲が撃ち込まれた時の衝撃で、
一瞬だけ耳が聞こえなくなっている真之。
甲板員の報告が全く分かりません。

甲板に出ると、先ほどまでの様子が一変しています。
旗を揚げ直させた花田の横たわる姿も。

再び打ち込まれた大砲の音で我に返った真之は
自軍を立て直すべく、あれこれと指示を出します。

清国北洋艦隊の滅びは、二月十二日にきた。
提督の丁 汝昌は、毒を仰いで自殺した。

落ち着いた艦隊は修復にかかっています。
そんな中で一人ぽつりと立つ真之。

海軍兵学校で共に学んだ広瀬武夫は
一足先に佐世保に帰るそうですが、
真之は「アシは軍人に向いとらん」と言い出します。
どうやら、自らの指示によって
花田を亡くしてしまったショックが大きいようです。

「アシがあの時、命令を出さんかったら……」と後悔ばかりです。


子規が大喜びして借家に戻ってきます。
従軍が認められたそうで、子規はとても嬉しそうです。
決して首を縦に振らなかった羯南も、根負けです。

嬉しそうな子規を見ると 喜ぶしかない母・八重ですが、
随分親しかったお国と戦っておるんじゃねえ……とポツリ。
喜んでいた子規も、ふと顔を曇らせます。

そして念願の清国・柳樹屯。
子規はわくわくしながら曹長についていきます。

子規の従軍は、結局は子どもの遊びのようなものに終わった。
彼が日本を出発した時には すでに下関に李 鴻章が来ており、
講和談判が始まっていた。

「日本人だ!」と誰かが叫べば、
中国の民衆は身を隠すように慌てて家の中へ。
そして、徴用だと言って民衆から物を奪い取ろうとする日本兵の姿に
子規はたまらず「兵隊さん、むごいことはやめんかね〜」とかばいますが、
それに対しても老人は いつか必ず仇を討つ! と叫びます。

中国語がわからない子規は、何と言っているか曹長に尋ねますが
曹長は「にっぽんのへーたいさん、ありがとう! と言うちょる」。
しかし老人が怒って言っているぐらいは子規でも分かりまして、
ホントは何と言ったんじゃ? と引き下がりません。

しかしこの一言が、曹長の気持ちを逆なでしてしまいます。

子規は、家の中から聞こえる赤ん坊の泣き声が気になりますが、
兵隊にピッタリとついて行かないと、
いつ襲われてしまうか分からんぞ!と言われて、ふと周囲を見回すと
中国人たちの睨みつける視線ばかりです。

夜。食事にありつけた子規は
曹長に「日の丸背負っとる兵隊さんに対して“ウソつき”とは、
言葉に気ぃつけんかい! このアホんだらぁ!!」と怒鳴られます。

子規も曹長に噛みつきますが、
その場を治めたのは兵站軍医部長・森 林太郎。
曹長の数段上の階級らしく、曹長は 手をかけた刀を慌てて離します。

森 林太郎。
明治の文豪・森 鴎外である。

子規は森に招かれ、別室で対話する機会を得ます。
今回の戦をどう見る? と問われ、
「勝ってよかったと思います」と答えますが、
軍人として かつ医者としての目も持つ林太郎は、
勝つには勝ったが 犠牲も多く出た、という違う見解です。

──今回の戦死者はおよそ8,000。
その3分の2は、脚気・赤痢・コレラ・凍傷などの病死。
戦わずして悲惨な病に倒れた。
我が軍の医療体制の不備をさらけ出してしまった、と。

そして今回の戦については、
連合艦隊の伊東司令長官は、敵の提督・丁 汝昌に
日本の維新を手本にして国を作り直すべきと降伏勧告文を送りつけ、
維新と文明開化の輸出売り込みをした。

この“不思議な親切さ”は朝鮮にも向けられていて、
朝鮮にしてみればありがた迷惑、余計なお世話──。

これが本質です。

「正岡くんの書く従軍記事なら、写実じゃないと困るよ」と
ハッパをかけられ、大きく頷く子規でした。

帝国主義の時代である。
列強は、つねにきばから血を滴らせている 食肉獣であった。

子規の従軍は、ほんのひと月余りだったに過ぎない。
五月十四日、他の新聞記者たちとともに
大連港で佐渡国丸という船に乗り、帰国の途にのぼった。

他の新聞記者から「フカがいるぞ!」と教えてくれ、
甲板に上った子規ですが、咳き込んだと同時に吐血してしまいます。


日清戦争は日本の勝利で終わった。
連合艦隊は佐世保に凱旋し、戦勝を祝した。

広瀬は「写真撮ろうぜ!」という仲間たちの誘いを断り、
ある人物を捜して回ります。

ある人物とは──真之です。

「アシは軍人に向いとらん!」と言われてから
真之のことが気がかりでならなかったわけです。
ふと立ち止まった広瀬の視線の先には、
庭園の中の池をただ黙って見つめる真之の姿がありました。

広瀬は、この後ロシアに行こうと考えています。
ロシアが今狙っているのは そこから東側、
つまり満州・朝鮮、そして日本です。

それを聞いて 真之の表情が暗くなりますが、
真之が海軍を辞めるのは絶対に許さんと言い置きます。

それでも悩み抜く真之には、周囲の祝賀ムードはたまらず
それを避けて建物の中に入って椅子にこしかけます。
しかしそこには東郷がビリヤードをしておりまして、
東郷は 遠慮する真之を半ば強引に誘って、二人で酒を呑むことに。

真之は思い切って東郷に尋ねてみます。
「よき指揮官とは何でしょうか?」
東郷自身、己が出した命令を後悔したことはないのだろうか?
真之が今、見失っている部分かもしれません。

東郷は静かに語り出します。

指揮官は決断し、命令を下すのが仕事。
いったん刀を抜く覚悟をしたら、あとは戦うだけ。
しかし、その決断に至るまでは
あらゆることを考え抜かなければならない。
それが指揮官たる者の責務である。

真之にとっては、どんなに考え抜いたところで
結局は悔やむ苦しみから逃れられそうもありません。

「それはオイも同じじゃ」と前置きした上で、東郷は続けます。

将たる者、自分が下した決断を
神の如く信じなければ兵は動かせない。
決断は一瞬、しかし正しい決断を求めるとすれば
その準備には何年、何十年とかかるであろう。

「急がば回れ」「短気は損気」
東郷の話を聞くうちに、亡き父・秋山久敬の言葉が浮かんだ真之。
真之なりの結論が出せそうです。

後に「知謀湧くが如し」と言われたこの人物は
九年後、少佐で日露戦争を迎えた。

その時 日本海軍は、彼の能力を信頼し、
東郷平八郎が率いる連合艦隊の参謀にし、三笠に乗り組ませた。

東郷の作戦は、悉く彼が樹てることになる。

──────────

明治27(1894)年11月21日、
日本軍は清国に対し攻撃し、旅順を占領する。

明治38(1905)年5月27日、
日本とロシア帝国との間で戦われた日本海海戦まで

あと10年6ヶ月──。



原作:司馬 遼太郎 (『坂の上の雲』より)


脚本:野沢 尚
  :柴田 岳志
  :佐藤 幹夫


音楽:久石 譲


メインテーマ:「Stand Alone」
     唄:サラ・ブライトマン

演奏:NHK交響楽団
  :東京ニューシティ管弦楽団

テーマ音楽指揮:外山 雄三

脚本諮問委員:関川 夏央
      :鳥海 靖
      :松原 正毅
      :松本 健一
      :宮尾 登美子
      :山折 哲雄
      :遠藤 利男

脚本監修:池端 俊策

時代考証:鳥海 靖
風俗考証:天野 隆子
海軍軍事考証:平間 洋一
      :菊田 愼典
陸軍軍事考証:寺田 近雄
      :原 剛
艦船考証:泉 江三
軍服考証:柳生 悦子
騎兵考証:岡部 長忠
    :末崎 真澄
    :清水 唯弘
軍装考証:平山 晋

取材協力:司馬遼太郎記念館

資料提供:坂の上の雲ミュージアム
    :子規記念博物館
    :子規庵保存会
    :馬の博物館
    :神奈川県立歴史博物館
    :横浜開港資料館
    :呉市海事歴史博物館
    :土佐山内家宝物資料館
    :木村家
    :ミズノ プリンティング ミュージアム

撮影協力:福島県
    :埼玉県
    :川口市
    :防衛省
    :京都国立博物館
    :京都府
    :呉市
    :海上自衛隊第1術科学校・幹部候補生学校

題字:司馬 遼太郎


語り:渡辺 謙

──────────

[出演]

本木 雅弘 (秋山真之)


阿部 寛 (秋山好古)


香川 照之 (正岡子規)


菅野 美穂 (正岡 律)


原田 美枝子 (正岡八重)


佐野 史郎 (陸 羯南)


藤本 隆宏 (広瀬武夫)

石丸 謙二郎 (公使職員・久保)

任 大惠 (李 鴻章)
薛 勇 (袁 世凱)
劉 傑 (清国の老人)
須田 邦裕 (花田)
大木 聡 (人見大尉)
神尾 佑 (熊谷通訳官)
関戸 将志 (副官・稲垣)

──────────

村田 雄浩 (伊地知幸介)


森本 レオ (曹長)


大杉 蓮 (睦奥宗光)


榎木 孝明 (森 林太郎(鴎外))


高橋 光宏 (志津田航海士)
五宝 孝一 (広瀬砲術長)
カール (高陞号船長)
一 真 (清国人士官)
徐 文彬 (丁汝昌(回想))

二橋 進
澤村 清隆
岡田 謙
佐野 憲彦
本上 和樹
李 智貴
本間 康之
平山 陽祐
笹川 奨
永井 裕久
大橋 寛展
清水 秀則
黒部 弘康
溝口 哲央

エンゼルプロ
劇団ひまわり
劇団東俳
テアトルアカデミー
キャンパスシネマ
エレメンツ
NAC
長谷川事務所
VIVID
キャロット
舞夢プロ
つくばみらい市のみなさん
呉市のみなさん
江田島市のみなさん
呉港高校ブラスバンド部のみなさん


加藤 剛 (伊藤博文)


所作指導:橘 芳慧
馬術指導:田中 光法
海軍軍事指導:堤 明夫
軍楽隊指導:谷村政次郎
陸軍軍事指導:大東 信祐
砲術指導:佐山二郎
医事指導:中村毅志夫
アクション指導:深作 覚
ビリヤード指導:肥田 明
松山ことば指導:野沢 光江
薩摩ことば指導:西田 聖志郎
長州ことば指導:一岡 裕人
大分ことば指導:池永 宗士郎
熊本ことば指導:前田 こうしん
島根ことば指導:藤井 京子
中国語指導:陳 浩
英語監修:バーミンガム・ブレーンズ・トラスト
タイトルバック:菱川 勢一
ドキュメンタリー部映像加工:ドローイング アンド マニュアル
VFXプロデューサー:結城 崇史
VFXスーパーバイザー:野口 光一

──────────

竹中 直人 (小村寿太郎)


米倉 斉加年 (大山 巌)


柄本 明 (乃木希典)


石坂 浩二 (山本権兵衛)


渡 哲也 (東郷平八郎)

──────────

エグゼクティブ・プロデューサー:西村 与志木

制作統括:菅 康弘
    :藤澤 浩一

プロデューサー:関口 聰
美術:山下 恒彦
  :岡島 太郎
技術:宮路 信広
音響効果:島津 楽貴
撮影:清水 昇一郎
照明:佐野 清隆
音声:加村 武
映像技術:堀之内 崇光
VFX:中沢 一郎
CG:石原 渉
美術進行:塩野 邦男
記録:野田 茂子
編集:城島 純一
  :阿部 格

(中国ロケ)
撮影協力:国家広播電影電視総局
コーディネーター:李 泓冰
美術協力:銭 運選
アクション指導:張 芸軍
演出協力:陸 濤


演出:柴田 岳志


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』
第5回「留学生」

アナログ総合・デジタル総合:午後8時〜
デジタルハイビジョン:午後5時30分〜
衛星第二テレビ:午後10時〜

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