2019年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

バックナンバー

お乗り換え〜♪

Kassy号〜♪の車窓から 2011

無料ブログはココログ

« ヒーロー参上!(4) | トップページ | 相変わらず »

2009年12月27日 (日)

(05)留学生

まことに小さな国が 開化期を迎えようとしている。

四国は伊予松山に、三人の男がいた。

この古い城下町に生まれた秋山真之は、
日露戦争が起こるにあたって、勝利は不可能に近いといわれた
バルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。

その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し
史上最強の騎兵といわれる
コサック師団を破るという奇跡を遂げた。

もう一人は、俳句、短歌といった
日本の古い短詩型に新風を入れて
その中興の祖となった俳人・正岡子規である。

彼らは、明治という時代人の体質で 前をのみ見つめながら歩く。

上っていく坂の上の青い天に
もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、
それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。


坂の上の雲 第五回「留学生」


従軍を終えて帰国の途につく船上で、子規は喀血してしまいます。
「所詮は無理だった」と、今更 従軍を後悔しても遅いのですが、
せきこむ様子はホントに苦しそうです。

子規の従軍は、結局こどものあそびのようなものにおわった。
子規は、帰国すると東京へはもどらず、故郷松山へ帰った。

明治28(1895)年9月──。

真之の乗る軍艦「筑紫」が、呉のみなとに帰ってきた。
真之は、子規の発病や その後の消息について知っていたから
見舞おうとし松山へ行った。

真之は、車屋が引く人力車に乗って子規の元へ急ぎます。
そのころ子規は、川にかかる橋を夢中になって写生中。
集中していると、病気のことも忘れられていいのかもしれません。

松山で子規は小康を得た。

うまいことに、子規の大学時代からの友人である夏目漱石が
松山中学の英語教師として この四月に赴任してきており、
その下宿が、二番町の八番地にある。
子規は、その階下二間をかりることにしてひっこした。

真之と子規、久々の再会ですが、
話すことと言ったら 先の日清戦争のことであります。
真之は日清戦争で大切な部下を亡くし、
子規も、戦時の中国人の日本人に対する怒りを
目の当たりにしているだけに、話は次第に暗い方向へ。

──から山の 風すさふなり
  故さとの 隅田の櫻 今か散るらん

そんな雰囲気を打ち破るがごとく
そこへ柳原極堂らが乱入してきますが、
しかし、夏目漱石にとっては よほどうるさかったらしく
「うるさい!」と怒鳴り散らします。

立派になった真之を見て、漱石はその姿に目を細めていますが、
手ぬぐいを持って、たちまち道後温泉へ出かけていってしまいます。

十年後、漱石は 松山中学の教師としての体験を
小説「坊っちゃん」で描いた。

真之は たった1日の余暇を利用して松山へ来たので、
呉へすぐに戻らなければなりません。

律が毎度見送りに出てくれるのですが、
幼なじみの淳さんがどんどん離れていくようで、
律はちょっぴり寂しいです。


──柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺

十月十九日、子規は漱石と別れて松山を発った。
帰京するつもりであったが、まっすぐにはもどらず
上方のあちこちを見ようとおもった。

──大佛の 大きさ知れず 秋の風

──稲の秋 命拾ふて 戻りけり

──秋の日の 一人に暮るゝ 野道哉

子規は道中のわき水で口をすすぎますが、
その瞬間、腰に激痛を覚えてその場に倒れます。

子規の晩年をくるしめたカリエスが、
ここで症状を露わにしたのだった。


首相官邸──。

前内務大臣の井上 馨と、外務大臣の睦奥宗光が
伊藤博文によって官邸に呼びつけられます。
睦奥は杖をつき、夫人に支えてもらいながらの登場です。

伊藤は陸奥に、日清戦争の意味を問いつめます。

この頃、朝鮮で大事件が起きた。
王妃 閔妃が、三浦梧楼 駐朝鮮公使率いる日本人たちによって
暗殺されたのである。

日本は日清戦争に勝ったあと、遼東半島をえた。
しかしロシア・フランス・ドイツ、これら三国の干渉によって
これを清国に返さざるをえなかった。
閔妃は、朝鮮を救うにはロシアをひき入れる方がいいと判断し
大きく親露的に傾斜した。

当時の日本は、もし朝鮮が
ロシアによって支配されるようなことがあれば、
日本は存亡の危機におちいると考えていた。
そこで閔妃暗殺という、ありうべからざる事態が発生する。

朝鮮国王・高宗は、ロシア公使館に逃げ込み
結局、ロシア寄りの新政権が樹立され
民衆による抗日運動が全土に広がっていったのである。

井上の「軍備拡張の絶好の機会」という発言には
さすがの伊藤も狼狽しますが、

よろめきながら立ち上がった陸奥も、
この難局を突破するにはロシアに対抗できる
軍備拡張しかないと主張。
「お前ら正気か!?」と、伊藤は目を剥きます。

日本の歳出における軍事費のわりあいは、
日清戦争時の明治二十八年が三十二パーセント、
翌年の明治二十九年は 四十八パーセントへ飛躍していた。


明治二十九年五月十一日、真之は
「横須賀水雷団第二水雷艇隊付に補ス」という辞令をもらった。
「広瀬大尉もそこにいる」と軍令部の上官が言った。

広瀬武夫は、真之との挨拶もそこそこに
真之と写真館へお出かけです。

なんでも、豊後竹田のおばあさまが来週80歳になり、
早くに亡くなった母親の代わりとして
育ててくれたおばあさまへプレゼントする写真の撮影です。

広瀬は、少尉当時からロシアに関心をもち、
ロシア語を独習しようとした。
むろん、きたるべき大戦を予想してのことであった。

東京・信濃町──。

同じ年、好古は 陸軍乗馬学校長に補せられた。

豆腐売りのラッパ音がする中、好古が帰宅しました。
帰宅すると、好古の第二子を出産した多美が出迎えます。
真之と広瀬が遊びに来ていて、餅食い競争の最中であります。

好古は、広瀬の名前を聞くとすぐに尋ねます。
「ロシア語の勉強は進んどりますか?」

どうやら広瀬のロシア研究は陸軍にもウワサが飛んでいて
好古としては、いつか広瀬のロシア研究を必要とするときが
陸軍にも海軍にもくるであろう、という考えです。


海軍省──。

明治三十年六月、海軍省で海外派遣士官の人選があった。
それぞれとびきりの秀才たちがえらばれた。

イギリスへは、広瀬と同期の財部 彪大尉、
フランスへは村上格一大尉、ドイツには林 三子雄大尉、
アメリカへは秋山真之大尉といったふうであったが、
ロシアには、兵学校の卒業席次が極めて劣等な
広瀬武夫がえらばれた。

偶然、広瀬のロシア語熱が
こんな機会に生きてしまったのである。

海軍省軍務局長・山本権兵衛が
一人ひとりに辞令を読み上げ、手渡していきます。

東京・根岸──。

子規は松山から東京に帰り、ずっと自宅で病をやしなっている。
松山をひきあげて、上方見物中に出た痛みがその後ひどくなった。
結核性の脊椎炎である。

県人会の送別会に子規が来ていなかったので、
真之は心配していたわけですが、
子規は脊椎カリエスの痛みがひどく、寝たきりです。

子規は、律に身体を支えてもらいながら客間へ移動し
真之に向き合います。
ちなみに、真之がアメリカへ渡ることは
高浜 清(虚子)に聞いてすでに知っています。

──君を送りて 思ふことあり 蚊帳に泣く

真之が渡米してから、新聞「日本」に送別の句が載った。


アメリカ合衆国は、建国百二十年ほどの新しい国である。
真之は、戦略と戦術の研究に行く。

アメリカ海軍というものが日本に接触したのは、
ペリーの来航にはじまる。
日本人は、いわゆる黒船の威容をみて
列強の帝国主義のおそるべきことを敏感すぎるほどの敏感さで感じ、
幕末の争乱は、このときからおこった。

が、そのころのアメリカ海軍は世界の二流か、それ以下でしかない。
アメリカ海軍が拡張期に入った十九世紀後半には、
工業生産力と技術能力が遅ればせながら
ヨーロッパの一流国のそれに追いつきはじめていた。

真之が渡米したのは、そういう時代であった。

アメリカへの船上、読書にふける真之……と思ったら、
足の指をぼりぼりと掻きむしっていただけでした(^ ^;;)

見えてきた自由の女神に、真之は思わずつぶやきます。
「ガイじゃのう……」

アメリカ海軍には、ほこるべきものがあると真之はおもっていた。
戦術家として、世界的水準をぬいた人物を
この海軍がもっていることである。

アルフレッド・セイヤー・マハン。

予備役大佐ながら、このマハン大佐を知らぬ海軍士官は
世界のどの国にもいないであろう。

晴れた日の午後、真之は ニューヨーク中央公園のそばにある
閑静な住宅街にあるマハン家を訪問します。

マハンからのアドバイスは、
過去の戦史から実例を引き出して徹底的に調査すること。
戦の原理に今も昔もない、というわけです。

キューバを巡ってアメリカとスペインが対立している今、
スペインに対して宣戦布告すれば
実戦が見られるかもしれないわけで、
そういう意味では真之は幸運なのかもしれません。

中世の冒険的な海洋国家であったスペインは、
多くの植民地をアメリカ大陸にもっていたが、
十九世紀のはじめ、それらはつぎつぎに独立した。

ところが、プエルトリコとキューバは
独立時代からとりのこされた。
キューバ、この砂糖の島といっていい地域は
四世紀にわたって、スペイン領であった。

一八九五年に独立戦争がおこった。

隣接するアメリカの世論は、いつもそうであるように弱者に味方した。
もしキューバに干渉すれば、
アメリカはスペイン相手に戦争せねばならなくなる。
良質な新聞はべつとして、
低級な新聞、いわゆるイエロープレスが
紙面をあげて戦争気分をあおり、新聞を売ろうとした。

真之が来たのは、まさに米西戦争直前のアメリカであった。


広瀬は、サンクト ペテルブルグの街中を
ロシア語のテキストを暗唱しながら歩いています。

広瀬はロシアにいる。
表向きは露国留学という官命であるにせよ、
海軍が期待したかれの役むきは、
おそらく諜報のしごとの延長であったろう。

ロシアには、広瀬より先に八代六郎少佐が派遣されていた。
兵学校のころの広瀬の教官であった八代は、現地でロシア語をまなんだ。
広瀬は、この八代に手ほどきを受けた。

八代と広瀬は、おとなしくオペラの開演を待っています。
そこへコバリスキー海軍大佐が近づいて来て、
令嬢・アリアズナと
甥でロシア海軍幼年学校生のボリス・ビルキツキーを紹介。

ロシア皇帝・ニコライ二世も観覧する中、
ロシア国歌が盛大に鳴り響き、オペラが始まります。


一八九八年二月十五日、キューバのハバナ港に停泊中の
アメリカの戦艦・メイン号は、原因不明の爆発により沈没。
乗組員二百六十六名が犠牲になるという事件が起きた。
アメリカの大衆紙は これをスペインの犯行であると書き立て、
世論は一気に開戦へと傾いた。

「我々に必要なのはきっかけなんだ。それで、宣戦布告できる」
というマハン大佐の言葉が真之の脳裏をよぎり、
言い知れぬ不安と興奮を感じています。

一方、ロシアは この年の三月、
大連・旅順の租借権と南満州鉄道敷設権を獲得。
旅順港を中心に、大掛かりな要塞の建設を始めていた。
三国干渉により、日本が清国に変換した遼東半島は
事実上、ロシアのものになったのである。

ここでベタな展開が広瀬を待ち受けています。

アリアズナに想いを寄せるボリスは
彼女をダンスに誘うものの、断られて無残に玉砕。
その直後、彼女は広瀬とちゃっかり
華麗にダンスを踊っているわけです。

そんな広瀬にボリスは猛烈な嫉妬心を抱くのですが、
無謀にもボリスが広瀬に柔道対決を挑んで
広瀬にあっけなく仕留められてしまいます。

ボリスが図らずも引き立て役になったおかげで(?)
アリアズナの広瀬に対する視線が、ますます熱くなります。


真之が、きたるべき海戦を見学せよ という
日本海軍の命令と米国海軍の許可によって、
観戦武官というものになったのは五月の終わりごろである。

この時期における日本のわかい海軍士官たちのなかで
秋山真之がもっとも運がよかったかもしれない。

なぜならば、かれはこの米西戦争において
アメリカ艦隊がスペイン艦隊を
キューバのサンチアゴ軍港にとじこめ、
しかもその出口において汽船を自沈させ、
不完全ながら 世界最初の閉塞作業をやったのを
その目で見たのである。

が、閉塞そのものは失敗であった。
閉塞船は、港の入り口に対してヨコに沈まず、タテに沈んだため、
スペイン艦隊の出入りの邪魔にはすこしもならなかった。

真之はストーントン広報担当参謀に
今後もこの作戦を継続するのか尋ねますが、
答えは「ノーコメント」。

閉塞作戦は実に独創的で合理的な作戦であり、
いかに犠牲を少なくして戦闘の目的を達成できるか。
真之ら武官は最重要課題であります。

日露戦争中、日本の連合艦隊は
敵の旅順艦隊を旅順港にとじこめ、閉塞を試みた。
米西戦争における教訓が生きたといっていい。

戦局は、意外なところから転換した。
港内にいるスペイン艦隊のセルベラ司令長官に対し、
本国の国防省から「サンチアゴ湾を脱出せよ」と命じてきたのである。
湾の出口はアメリカ軍が封鎖、待ちかまえている。

結局、スペイン艦隊は全滅した。

そのあと、真之がやった驚嘆すべきことは、
スペイン艦隊のおもな軍艦四隻の残骸を
くわしく調査したことであった。
米西戦争の戦訓は、
のちの日露戦争にどれほど役に立ったかわからない。

多少これを神秘的に言えば、
日本人がロシアとたたかうためのヒナ型を提供するために
アメリカとスペインが戦ってくれたようなものであり、
天が、秋山真之をキューバにくだしてくれたようなぐあいでもある。

秋山真之という人物の戦術能力を
海軍省と軍令部につよく印象づけたのは、
このキューバにおける米西海戦のレポートである。
「極秘諜報第百十八号」というものものしい標題がつけられていた。

日本海軍がはじまって以来 それが終焉するまで、
これほど正確な事実分析と創見に満ちた報告書は
出なかったといわれている。

「お客さまだぞ!」と言われ レポートを書く手を止めた秋山は、
その客人が高橋是清だと気付きます。

高橋是清、かつて共立学校の教師として
真之らに英語を教えていた男である。

高橋は正金銀行の副頭取として金融事情の視察中らしく、
仕事が一段落ついたので、真之を誘って
ナイアガラ大瀑布の見物を洒落込んだのでした。


明治三十一年(1898年) 大晦日・子規庵──。

子規の天地は、六畳の間と小さな庭でしかない。
庭といっても、たかが借家の小庭である。
たれいうとなく、この家賃五円の根岸の家を
子規庵と呼ぶようになった。

──冬こもる 人の多さよ 上根岸

今年もみんなで年を越せるのう、と子規は落涙。
子規にとっては、明日の命をも知れないところであります。
律も、そして母の八重も、涙をグッと堪えています。


小村にタバコをねだられますが、
実は真之自身はたばこをたしなみません。
しかし、ちと離れたところでタバコを売っており、
小村は遠回しに「買ってこい」と言っているようです。

舌打ちしてパシリ役になる真之。

建造中のロシア軍艦を視察した帰り、真之は
ニューヨークにいる中米日本公使に会った。

小村寿太郎である。

かつて、北京の代理公使として
日清戦争の開戦前夜の外交処理をした人物である。
かれは父親の負債を相続していたためにおそろしく貧乏で、
いつもすりきれたフロック・コートを着ていた。

買って来てもらったタバコを楽しみながら、
小村は「イロコワ族を知っとるか?」と真之に質問。
真之は高橋とナイアガラの滝を観光した時に、
イロコワ族の末裔と接触しました。

小村の話だと、イギリスは
清国の利権を巡ってロシアやフランスと争っており、
そこで“日本が使える国”であるというのを
認識させなければなりません。

つまりは、完璧に対等な同盟──日英同盟です。

この年の暮になってから
日本から命令がきて、真之の任務がかわった。
イギリスへゆけ、という。
イギリス公使館付の駐在武官ということであった。


サンクト ペテルブルク──。

広瀬のロシア駐在はながかった。
足かけ六年におよび、その間 ロシアの海軍武官のあいだで
もっとも人気のある外国武官だった。

広瀬はアリアズナとデートを重ねます。

ベンチに腰掛け、広瀬は
アリアズナの手を優しくさすり 吐く息で温めてあげます。
広瀬も真之と同じくイギリスゆきを命令されたようで、
アリアズナともしばしのお別れです。

アリアズナは広瀬の肩にそっと頭を乗せて
少しでも広瀬を感じていたいようですが、
そんなところに、まさかのボリスが登場(^ ^;;)

アリアズナに渡すためのキレイな花を手にしていますが、
このまま地面に叩き付けそうな雰囲気です。


子規は相変わらず、根岸の里で病を養っている。

真之から届いた絵はがきを見て、子規は
「今ごろ淳さんは、大西洋の上かのう」と思いに馳せます。

子規の懸命の看護を続けている律は、話についていくべく
地球儀をコロコロと回してはあちこちを眺めていますが、
海外になんか渡ったことがないのでイメージがわきません。


好古は、陸軍乗馬学校長として騎兵の将校を教育し
その戦術能力を高めることに努力している。

軍当局の騎兵用兵についての無智をあらためさせるため
「本邦騎兵用法論」という論文を書き、軍当局に提出した。
軍事論文としては、歴史的な名論文とされた。

やがて日本は、日露戦争というとほうもない大仕事に
無我夢中でくびをつっこんでゆく。

その対決に、かろうじて勝った。

その勝った収穫を後世の日本人は食いちらかしたことになるが、
とにかく、この当時の日本人たちは
精一杯の智恵と勇気と、そして幸運をすかさずつかんで
操作する外交能力のかぎりをつくしてそこまで漕ぎつけた。

いまからおもえばひやりとするほどの奇蹟といっていい。

その奇蹟の演出者たちは、数え方によっては数百万もおり
しぼれば数万人もいるであろう。


一九〇〇年一月、
真之はイギリスを目指し、大西洋のど真ん中にいる。

──────────

明治31(1898)年2月15日、
キューバのハバナ港に停泊中のアメリカの戦艦
メイン号が 原因不明の爆発により沈没。

明治38(1905)年5月27日、
日本とロシア帝国との間で戦われた日本海海戦まで

あと7年3ヶ月──。



原作:司馬 遼太郎 (『坂の上の雲』『司馬遼太郎が考えたこと』より)


脚本:野沢 尚
  :柴田 岳志
  :佐藤 幹夫


音楽:久石 譲


メインテーマ:「Stand Alone」
     唄:サラ・ブライトマン

演奏:NHK交響楽団
  :東京ニューシティ管弦楽団

テーマ音楽指揮:外山 雄三

脚本諮問委員:関川 夏央
      :鳥海 靖
      :松原 正毅
      :松本 健一
      :宮尾 登美子
      :山折 哲雄
      :遠藤 利男

脚本監修:池端 俊策

時代考証:鳥海 靖
風俗考証:天野 隆子
海軍軍事考証:平間 洋一
      :菊田 愼典
陸軍軍事考証:寺田 近雄
      :原 剛
艦船考証:泉 江三
軍服考証:柳生 悦子
軍装考証:平山 晋
騎兵考証:岡部 長忠
    :末崎 真澄
    :清水 唯弘

取材協力:司馬遼太郎記念館

参考文献:「ロシヤにおける広瀬武夫」島田謹二

資料提供:坂の上の雲ミュージアム
    :子規記念博物館
    :子規庵保存会
    :馬の博物館
    :国立国会図書館
    :入江泰吉記念奈良市写真美術館
    :横浜開港資料館
    :毎日新聞社
    :Harp Week, LLC
    :Chicago History Museum
    :Getty Images
    :Naval Historical Center
    :ニューヨーク公共図書館
    :ロシア国立中央映像写真資料館
    :アメリカ議会図書館資料映像コレクション
    :Collection of The New-York Historical Society
    :Special Collections Library, Duke University

撮影協力:松山市
    :内子町
    :呉市立下蒲刈小学校
    :海上自衛隊呉地方総監部
    :廿日市市宮島町観光協会
    :美星町観光協会
    :奈良県
    :東大寺
    :京都国立博物館
    :博物館明治村
    :山梨県
    :防衛省
    :埼玉県
    :川口市

題字:司馬 遼太郎


語り:渡辺 謙

──────────

[出演]

本木 雅弘 (秋山真之)


阿部 寛 (秋山好古)


香川 照之 (正岡子規)


菅野 美穂 (正岡 律)


原田 美枝子 (正岡八重)


小澤 征悦 (夏目金之助(漱石))


藤本 隆宏 (広瀬武夫)

マリーナ・アレクサンドロワ (アリアズナ)

大和田 伸也 (井上 馨)

ジュリアン・グローバー (マハン)
ティモフィー・ヒョードロフ (ニコライ2世)
アルチョム・グリゴリエフ (ボリス・ビルキツキー)
ビクトル・コスチェツスキー (コバリスキー大佐)
ビンチェンゾ・タナッシ (モストボイ)
伊嵜 充則 (柳原極堂)
飯田 基祐 (財部 彪)
ナターリア・ベンチーロワ (皇后アレクサンドラ)
スティーブ・リービス (ナイアガラのガイド)

──────────

松 たか子 (秋山多美)


片岡 鶴太郎 (八代六郎)


大杉 蓮 (睦奥宗光)


デメトリ・ゴリツァス (アメリカ軍広報担当参謀)
アンソニー・ドゥパック (フランス観戦武官)
田渕 大 (成田勝郎)
米倉 紀之子 (陸奥亮子)
森脇 史登 (高浜虚子)
大藏 教義 (河東碧梧桐)
菟田 高城 (寒川鼠骨)
加世 幸市 (内藤鳴雪)
岸本 光正 (伊藤左千夫)
薬師寺 順 (佐藤紅緑)

小林 廉
遠藤 雅幸
岡田 謙
澤村 清隆
田井 順三
須田 邦裕

セントラル子供タレント
ゼニス
ジェネス企画
ラザリス
エレメンツ
キャンパスシネマ
劇団ひまわり
エンゼルプロ
NAC
劇団東俳
テアトルアカデミー
キャロット
長谷川事務所
松山市のみなさん
江田島市のみなさん
呉市のみなさん
つくばみらい市のみなさん


西田 敏行 (高橋是清)


所作指導:橘 芳慧
馬術指導:田中 光法
海軍軍事指導:堤 明夫
アクション指導:深作 覚
医事指導:中村 毅志夫
看護指導:押川 真喜子
ダンス指導:竹村 孝
柔道指導:木村 大助
松山ことば指導:野沢 光江
大分ことば指導:池永 宗士郎
長州ことば指導:一岡 裕人
薩摩ことば指導:西田 聖志郎
英語監修:バーミンガム・ブレーンズ・トラスト
ロシア語指導:中川エレーナ
タイトルバック:菱川 勢一
ドキュメンタリー部映像加工:ドローイング アンド マニュアル
VFXプロデューサー:結城 崇史
VFXスーパーバイザー:野口 光一

──────────

竹中 直人 (小村寿太郎)


竹下 景子 (秋山 貞)


石坂 浩二 (山本権兵衛)


加藤 剛 (伊藤博文)

──────────

エグゼクティブ・プロデューサー:西村 与志木

制作統括:菅 康弘
    :藤沢 浩一

プロデューサー:関口 聰
美術:山下 恒彦
  :小林 史幸
技術:川邨 亮
音響効果:西ノ宮 金之助
撮影:岡田 裕
照明:関 康明
音声:野原 恒典
映像技術:横田 幹次
VFX:大西 康仁
CG:松永 孝治
美術進行:毛尾 喜泰
記録:野田 茂子
編集:城島 純一

(アメリカロケ)
制作協力:EAST RIVER FILMS

(キューバロケ)
コーディネーター:八木 優子

(イギリスロケ)
プロデューサー:ロレイン・グッドマン
コーディネーター:阪本 泉
制作協力:NEP Europe Ltd.

(ロシアロケ)
プロデューサー:アレクサンドル・ワシリコフ
コーディネーター:スペトラーナ・ミハイロワ
外交史考証:アレクサンドル・パノフ
衣裳デザイン:バベル・リバトフ
美術協力:アレクサンドル・ザゴースキン
演出協力:アレクサンドル・ミッタ


演出:一色 隆司


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』
第6回「日英同盟」

2010(平成22)年12月5日

アナログ総合・デジタル総合:午後7時30分〜
デジタルハイビジョン:午後5時30分〜
衛星第二テレビ:午後10時〜

« ヒーロー参上!(4) | トップページ | 相変わらず »

NHKスペシャル・坂の上の雲」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« ヒーロー参上!(4) | トップページ | 相変わらず »