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2009年12月23日 (水)

(48-4)総集編第四部・愛の章

(35)家康の陰謀
慶長3年(1598年)3月、会津に入った上杉景勝(北村一輝)と直江兼続(妻夫木 聡)に、石田三成(小栗 旬)から豊臣秀吉(笹野高史)が病との知らせが届き、兼続は上洛する。そのころ、徳川家康(松方弘樹)は北政所(富司純子)に接近、上杉や三成の悪評を吹き込むなど暗躍していた。8月、秀吉は前田利家(宇津井 健)に後事を託し、三成らにみとられ亡くなる。諸大名は伏見城に集結。その席で家康は三成を叱責、緊張が高まる。大坂城へ移った淀(深田恭子)は諸大名に豊臣秀頼への忠誠を誓わせるが、家康はあいまいにし、逆に名指しはしないものの三成や上杉を批判。兼続は取り消しを求めるが、家康は応じない。そんな折、兼続のもとに初音(長澤まさみ)が現れ、三成が家康を討とうとしていることを伝える。急ぎ三成のもとに駆け付けた兼続は、重臣・島左近(若林 豪)の制止を振り切り、挑発は家康の罠であって怒りにかられてはならないと三成を説得し、思いとどまらせる。そして、家康の掟破りを罰するために詰問使が送られるが、家康は詭弁をろうしてかわしてしまう。一方、家康のもとに伊達政宗(松田龍平)の軍勢が到着する。この事態に兼続は収拾策を求めて利家のもとに出向く。そこへ家康が訪ねてきたことから、利家は一計を案じる。 
翌年3月、利家が亡くなった。家康を抑える人間がいなくなり、兼続は不安を募らせる──。

(36)史上最大の密約
慶長4年(1599年)、利家が死んだ夜、福島正則(石原良純)ら7名の武将が三成を討つべく挙兵。三成は家康のもとに逃げ込む。三成の身を案じた兼続は淀を頼る。その働きもあり、家康は三成を生かすことにするが、かわりに蟄居を命じた。家康は伏見城に入城、秀頼の後見人として事実上の天下人となる。大老、奉行たちの会議の席で、毛利輝元(中尾 彬)は勝手に政を進める家康を批判。しかし、家康はこれに応じず、逆に三成と兼続こそ、天下の政を私物化していると糾弾する。これを聞いた景勝と兼続は猛反論、場に緊張が走るが、家康は突如相好を崩し、景勝に帰国を促す。これを家康の挑戦であると読んだ景勝は帰国を決断。
上杉が京から引き上げる中、兼続は一人、三成を訪ねる。三成は初音や左近とともに静かに暮らしていた。兼続の説得に、三成は家康に立ち向かい正義を示すことを決意。二人は夜を徹して対家康の作戦を練り、平和が訪れた後の夢を語り合う。お互いの熱き友情を感じた二人は、無事の再会を誓って別れる。会津に戻り、国造りにいそしむ上杉に家康の脅威が迫っていた。

(37)家康への挑戦状
慶長5年(1600年)、会津に戻った兼続は領内の整備を進めていた。そんな中、上杉謙信(阿部 寛)の23回忌法要が営まれる。参列した仙桃院(高島礼子)は、春日山城主の堀 秀治が上杉の謀反を疑っている と告げる。
家康から書状が届く。そこには上杉に謀反の疑いがあるから上洛せよ、とあった。景勝と兼続は、返書にて潔白を示し、家康の理不尽さをただすことにする。兼続は渾身の思いで書状をしたため、家康に送りつける。世に言う「直江状」である。書状を読んだ家康は激しく怒り、諸将を集めて上杉討伐に向かう。一方、兼続は会津の南、白河の革籠原(かわごはら)に巨大な防塁を築く。敵軍をここに誘い込み一気に叩く作戦だ。兼続は上田衆に、この戦は義の国を築くための最後の試練、と告げる。三成は知略にたけた盟友・大谷吉継にともに立つことを求める。そして、輝元を総大将として大坂城へ入り、秀頼を奉じて家康討伐のため挙兵する。知らせを受けた家康は、三成を討つため大坂へと引き返す。兼続は、家康を挟み撃ちにする絶好の機会と景勝に進言。しかし、景勝は敵を背後から討つのは義に背く、と応じない。

(38)ふたつの関ヶ原
慶長5年(1600年)9月、家康は西へ進軍する。そのころ、信州・上田では、真田昌幸(若松 了)・真田幸村(城田 優)親子が家康の嫡男・徳川秀忠(中川晃教)の大軍の行く手を阻んでいた。一方、兼続は最上との戦の準備を整えていた。景勝は自ら出陣しようとするが、兼続に殿は城に構えるべき、と諭される。美濃・大垣城では三成の呼びかけに応じた諸将が集結。総大将の輝元は淀とともに大坂城に構えていた。家康率いる東軍は大坂を目指して進軍、三成率いる西軍はこれを阻止しようと陣を敷き、両軍は関ヶ原で向き合う形となる。奥羽では、上杉軍が最上方の長谷堂城を包囲していた。
9月15日、関ヶ原で両軍が激突、奥羽でも上杉が長谷堂城攻めを開始する。小早川秀秋(上地雄輔)が動かないことを不審に思った三成は自ら秀秋の陣に出向き説得。だが、すでに秀秋は家康から寝返えるよう持ちかけられていた。態度を決めない秀秋の陣に、家康は鉄砲を撃ち込む。驚いた秀秋は西軍を攻め始める。かくして、西軍は総崩れとなり、左近が自ら犠牲となって三成を逃がす。三成は初音とともに脱出──。西軍敗退の知らせを受けた兼続は長谷堂城攻めから兵を引く。しんがりを務めて必死に応戦する兼続の脳裏に、三成の姿が浮かんでいた。

(39)三成の遺言
最上攻めから撤退した兼続は会津へ戻る。一方、三成は家康の陣でせん議を受ける。そこで三成は、強い者・勝つ者が常に正しいと限らぬ、と言い放つ。兼続が竹松(加藤清史郎)ら子どもたちとお船(常磐貴子)からの手紙のことで話をしていると、初音が訪ねてくる。そして、三成が京の六条河原で斬首されたことを知らされる。そのころ、家康は戦後処理を進めていた。西軍の諸将に処分が下され、さらに豊臣家も減封される。正則や秀秋らはこの処分に異を唱えるが、家康は意に介さない。
翌年、上杉に上洛の命が下る。家康を討たなかったことを悔やむ景勝に兼続は、天下に義を守ること、そのためにこそ生きられよ、と説く。兼続と大国実頼(小泉孝太郎)は名代として上洛。上洛した兼続のもとに正則が現れる。正則は三成と会って、三成が誰よりも豊臣家のことを考えていたことを知ったと告白する。悔やむ正則は秀秋にも会ってほしい、と兼続に伝える。兼続は秀秋のもとを訪ねる。秀秋は三成から逃がすよう助けをこわれたことを明かした。その際三成から、生きて我らの正義を後世に伝えよ との兼続への言づけがあったことも伝える。三成の言葉をかみしめた兼続は、家康との対面に臨むのだった。

(40)上杉転落
関ヶ原の戦いの後、西軍の諸将に処分が下される。景勝と兼続も家康の命により上洛。兼続は本多正信(松山政路)のもとを訪れ、上杉存続をかけて直江家の家督を譲ると申し出る。竹松(加藤清史郎)のことを思い反対するお船に、兼続は上杉を残すために苦しみは自分が一身に引き受けなければならないと、苦しい胸の内を明かす。
景勝と兼続は家康に謁見。家康は謝罪を求めるが、兼続と景勝は義は我らにありと拒否する。一方、正則は秀秋に上杉を助けるよう持ちかける。責任を感じている秀秋は、淀に上杉を救って欲しいと申し出る。結果、上杉は米沢30万石へ移封となり、お家断絶は免れる。兼続は米沢への移住の準備のため、会津へ戻る。動揺する家臣たちに、兼続は殿を信じてついてくる者はすべて面倒をみる、と告げる。出発の日、上杉を去る者は一人もいなかった。感極まる兼続は家臣6千とともに米沢へと向かう。

(41)上杉の生きる道
関ヶ原の戦いの後、上杉は会津120万石から米沢30万石へと移され、兼続は上杉の民とともに米沢へ入る。米沢城には謙信のなきがらが春日山から移されていた。家臣を勇気づけようとする景勝の配慮である。謙信を前に家臣の士気も高まる。米沢へ入った景勝は、家臣たちに上杉を離れずについてきてくれたことに礼を言い、頭を下げる。その姿に胸を打たれる兼続たち。藩政を預かる兼続は苦しい財政に頭を痛め、解決策として松川に石堤を作ることを提案、さらに家臣から開墾に加わる者を募る。家臣が反発するなか、桜井が開墾を引き受けると申し出る。
そんな折、兼続の娘・お松と正信次男・本多政重(黄川田将也)との婚儀が決まる。家督を継ぐと信じていた竹松はショックを受ける。惣右衛門(高嶋政伸)は竹松に、5歳で親と別れた兼続の話を聞かせ、父の愛を疑ってはいけないと諭す。雨にあたって寝込んだ竹松を兼続は必死に看病する。その姿に父の愛を感じた竹松は、家督の件を納得する。惣右衛門に感謝し、自分も父上のような父でありたいという兼続に対し、惣右衛門は兼続こそ誇りと打ち明ける。数日後、惣右衛門の娘・お貞の祝言が決まる。後日、惣右衛門は静かに息を引き取った。

(42)将軍誕生
兼続の子・竹松が病に倒れる。それを伝え聞いた菊姫(比嘉愛未)はお船に米沢へ帰るよう命じる。お船は菊姫の心遣いに感謝して、米沢へ急ぐ。
一方、家康は征夷大将軍に任じられ、江戸に幕府を開く。景勝と兼続は家康の求めに応じて謁見することを決める。反対する実頼に、兼続は今は生き残ることが上杉の義である、と諭す。江戸に入った景勝のもとに、菊姫が病に倒れたとの知らせが入り、景勝は急きょ伏見へ向かう。菊姫は景勝に上杉家存続のために側室を持ってほしいと告げる。江戸では、兼続が家康に謁見。景勝がいないことを責める家康に、兼続は親子や夫婦がお互いを思いやる心なくして天下を治めることはできない、と返す。そこに突如、政宗が現れる。慶長9年(1604年)、景勝のもとに菊姫が亡くなったとの知らせが入る。景勝は悲しみをこらえて秀頼に謁見、年賀の挨拶をする。
米沢に戻った兼続に、お船は菊姫が書いた兼続あての手紙を見せる。そこには兼続に対する謝罪と感謝の言葉がつづられていた。菊姫の想いに、兼続とお船は悲しみにひたる。そして、竹松に命の尊さを説くのだった。

(43)実頼追放
慶長9年(1604年)夏、景勝の側室が男子出産後に亡くなり、お船が子を育てることになる。兼続の長女・お松と正信次男・政重との婚礼の日が近づくが、京や大坂でその手はずを整えているはずの実頼からの連絡がとだえる。心配した兼続は泉沢久秀(東 幹久)を派遣。実頼は婚儀に反対していた。泉沢は実頼を説得して正信へあいさつに行くが、その席で実頼が婚儀を勝手に断ってしまう。兼続は急きょ京へ行き、家康の家臣・榊原康政(川野太郎)に非礼をわびるが、難題を突きつけられてしまう。兼続は正信に謝罪し覚悟を述べる。兼続の言葉に感じ入った正信は婚儀を了承。米沢に戻った兼続は、実頼を高野山追放に処する。いっそ死罪にしてほしいと懇願する実頼に、兼続は生きて罪を償えば希望も生まれる、と諭す。その高野山には幸村も追放された身でいた。
秋、桜井たちが開墾地で採れた野菜を持ってくる。豊かな実りに希望の光を感じる家臣たち。幸せな光景に幼い与七の姿を思い出した兼続は、一抹のさびしさを覚えるのだった。

(44)哀しみの花嫁
政重が直江家に婿入りし、名を勝吉と改める。勝吉が心を開こうとしないことに悩むお松を、お船は時に任せればよい、と励ます。兼続は勝吉に上杉の内情を包み隠さず明かし、家臣たちを驚かす。一方 江戸では、家康が秀忠に将軍職を譲り、豊臣家との決別を決定的なものとする。そんな折 米沢では、雨で猿尾堰(さるおぜき)が決壊。兼続は米沢生まれの政宗に治水について相談することを思い立つ。兼続は勝吉を伴い政宗に面会。政宗は天下が動く、と兼続を挑発するが、兼続は今は民の暮らしこそ大事、と返す。政宗は治水に詳しい者を送ることを約束する。
その年の暮れ、米沢で病が流行。お梅が亡くなり、お松も勝吉と夫婦になれて幸せだった、と言い残し息をひきとる。跡継ぎは竹松に譲りたいと話す勝吉に、兼続は上杉の鉄砲づくりを見せる。驚く勝吉に、兼続はこれからもここで暮らすよう話す。兼続のもとを政宗が訪れ、治水の助言を与える。政宗は、ここは一つの天下をなしている、と兼続の街づくりをほめる。感極まり涙を浮かべる兼続は自分の目指す道を見つけるのだった。

(45)大坂の陣へ
慶長10年(1605年)春、家康の嫡男・秀忠が将軍職を継ぐ。諸大名が祝いに訪れ、上杉も参じるよう命が届く。兼続は まず秀頼に謁見し、その後 景勝とともに家康に謁見。家康は、先に秀頼に謁見したことを責めるが、兼続の機転でその場を切り抜ける。そして、兼続は政宗の仲立ちで秀忠と会談。兼続は家康が焦っている と指摘。秀忠は率直な意見を述べてくれたことに礼を言う。諸大名が祝いに駆けつけるが、そこに豊臣の姿はなかった。心配した高台院は、このままでは豊臣家を滅ぼすことになりかねないと淀に忠告する。
米沢に戻った兼続は、勝吉の再婚話を進める。兼続は竹松を気遣うが、竹松は自分も“紅葉のような家臣”になると告げる。そんな折 仙桃院が倒れる。仙桃院は、謙信の遺言がうそだったことを告白。驚く景勝に仙桃院は「そなたは謙信公を超えている。そなたの義をつらぬけばよい」と告げ、息をひきとる。5年後、勝吉は徳川の命により本家へ戻される。
一方、家康は、京・方広寺の鐘に「国家安康」「君臣豊楽」とあることに目をつけ、秀頼が謀反を企んでいるとして大坂城攻めを計画、上杉も出陣するよう命を下す。

(46)大坂城炎上
景勝と兼続のもとへ政宗が訪ねてくる。政宗は兼続に、大坂城攻め中止を家康にかん言してほしいという秀忠の命を伝える。兼続は駿府城へ赴く。豊臣を裏切るのか とただす兼続に対して、家康は開き直る。秀頼に嫁いだ娘・千姫の身を秀忠が案じる中、家康は大坂城攻めの陣ぶれを出す。一方 幸村ら浪人諸将は大坂城に集結。慶長19年(1614年)11月、「大坂冬の陣」の火ぶたが切られる。大坂城を攻めあぐねた家康は外堀を埋めることを条件に和議を結ぶ。
兼続は幸村にひそかに呼び出され酒を酌み交わす。もはや豊臣に勝ち目はないとする幸村は、兼続にこれまでの礼を述べる。別れ際、兼続は幸村に千姫を助けてほしいと頼む。その後、家康は城を明け渡すよう豊臣に要求するが、淀はこれを拒否、「大坂夏の陣」となる。徳川の攻撃により、ついに大坂城は落城。千姫の命も絶たれたと思われたとき、兼続とともに千姫が現れる。淀や秀頼、幸村が助けたのだ。喜ぶ家康に千姫は、一生許さないと言い放つ。兼続は亡くなった人々に対し、命と引き換えに世の安寧を残した、と感謝するのだった。

(47)愛を掲げよ
景勝と兼続は米沢へ戻る。米沢は兼続の改革が功を奏し、しだいに活気づいてきていた。竹松から名を改めた景明ら若い家臣たちは藩の財を高めようと改革案を練るが、その場で景明が病に倒れる。兼続とお船の看病のかいなく、景明は息をひきとる。
翌年、年老いた家康は兼続と政宗を呼び、秀忠の指南役になってほしいと頼む。家康の子を思う心に感じいった兼続はこれを引き受ける。一方、お船は自分も役目が欲しいと考え、景勝と兼続の許しを得て、玉丸の世話をするため江戸へ旅立つ。家康が息をひきとり、兼続は秀忠の指南役として江戸城に入る。兼続は徳川の若い家臣たちにせがまれ、戦国の英傑たちの話を聞かせる。
やがて、兼続は私財を投じ、米沢初の学問所となる「禅林文庫」を創設し、政から身をひく。そして江戸へ向かった兼続はお船と再会し、二人で越後へ旅に出る。懐かしい景色に感慨無量となる二人は、ともに夫婦として幸せだったことを確かめ合う。米沢へ戻った兼続を、景勝は峠の岩場へ連れて行く。春日山の岩屋に似たここに謙信公をまつるという。二人の胸に、これまでの日々が去来する。
元和5年(1619年)秋、紅葉の木を見ながら、お船に「紅葉になれたかの・・・」と、兼続は問いかけるのだった。


原作:火坂 雅志 (『天地人』NHK出版 刊)
脚本:小松 江里子
音楽:大島 ミチル
テーマ音楽演奏:NHK交響楽団
テーマ音楽指揮:小泉 和裕
題字:武田 双雲
語り:宮本 信子
──────────
[出演]
妻夫木 聡 (直江兼続)
北村 一輝 (上杉景勝)
常磐 貴子 (お船)
小栗 旬 (石田三成)
長澤 まさみ (初音)
東 幹久 (泉沢久秀)
小泉 孝太郎 (大国実頼)
比嘉 愛未 (菊姫)
城田 優 (真田幸村)
高嶋 政伸 (樋口惣右衛門)
田中 美佐子 (お藤(回想))
萬田 久子 (妙春尼(回想))
玉山 鉄二 (上杉景虎(回想))

深田 恭子 (淀)
上地 雄輔 (小早川秀秋)
黄川田 将也 (本多政重)
 杏 (愛姫)
岩松 了 (真田昌幸)
川野 太郎 (榊原康政)
石原 良純 (福島正則)
中川 晃教 (徳川秀忠)
松山 政路 (本多正信)
若林 豪 (島 左近)

松田 龍平 (伊達政宗)
吉川 晃司 (織田信長(回想))
笹野 高史 (豊臣秀吉)
中尾 彬 (毛利輝元)
阿部 寛 (上杉謙信(回想))
宇津井 健 (前田利家)
富司 純子 (北政所)
松方 弘樹 (徳川家康)
──────────
制作統括:内藤 愼介
制作:吉永 証
演出:片岡 敬司
  :一木 正恵
  :野田 雄介
  :尾崎 裕和


本文のストーリーは、NHK公式ホームページ『天地人』の
あらすじ欄よりそのまま引用しました。
なお、出演者名(敬称略)は総集編の出演ではなく、
該当期間の本編に出演し、ピンクレジットで紹介された方を
順不同で並べ替えたものです。

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