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2010年3月 6日 (土)

扉を開く

田向正健さん。
この方のお名前を聞いて「あっ!」と分かる方は
どれぐらいいらっしゃるでしょうか。

ドラマ脚本家なのですが、NHKでいえば
大河ドラマ「武田信玄」(昭和63年)のほか
「信長」(平成4年)・「徳川慶喜」(平成10年)を
執筆されておられます。

その他、連続テレビ小説「雲のじゅうたん」「ロマンス」や
「大石内蔵助」「レイコの歯医者さん」
「ハチロー 〜母の詩・父の詩〜」など、
数々の話題作を世に送り出した方です。

そんな脚本家・田向正健さんが
昨日3月5日、直腸ガンにより亡くなりました。

もともとは映画監督志望で、助監督として松竹に入社しますが、
「脚本を書かないと監督にはなれない」と言われ、入社後に
脚本を書くことからやり始めた というのがスタートで、
「自分の映画を作りたい」と思いつつも
自身が執筆した脚本で大賞をもらうようになり、
脚本家として忙しくなってきた……という方です。

Kassyが大河ドラマを最初に見始めたのは、
昭和62年放送「独眼竜政宗」(渡辺 謙さん主演)ですが、
それは歴史を学習し始める小学6年生に進級してからなので、
第一回放送からテレビにガッツリとかじりついて見始めたのは
その翌年の「武田信玄」(中井貴一さん主演)からでした。

それ以降、大河ドラマはずっと見続けているわけで、
田向さん独特のセリフ回しがちょっとだけ特殊だということに
後々気付いていくことになるのですが、
当時としては、何ぶん初めての大河ということもあり、
Kassyの中ではある意味“教科書”という感じで
捉えている部分も多いかもしれません。

タイトルの「扉を開く」は、
田向さんが執筆した大河ドラマ「信長」の巻頭言より
勝手ながら引用させていただきました。

そして、その「信長」を執筆するにあたって、
取材に答えた部分が田向さんらしい印象的な部分でしたので、
そこを紹介したいと思います。


 「信長」の放送が決まったのは、昨年(平成2年)の十月ごろでしたか……。十二月にヨーロッパ取材をして、以来、僕の生活はほぼ「信長」一辺倒。朝は十時か十一時ごろ起きだして、同時に「仕事をしなくてはいけない」という気持ちになるんです。でもやっぱり、まとまって仕事がはかどるのは、夜の十時ごろから深夜三時あたりまでですかね。
 僕は通常、自宅で書いたりホテルに缶詰になって書いたりします。ホテルのほうがはかどることもありますから、缶詰め状態で「信長」を書きたいとも思うんですが、何しろ資料や文献が膨大にありますからね。『キリスト教大辞典』まで加えると、とてもホテルまで持ち運べない……(笑)。しかたないから今回は自宅で書くことになりましたよ。
 とはいっても、もともと筆は遅いほうだし、筆が進まないことはしょっちゅうのこと。そんなときは、シャワーを浴びたり、犬を連れて散歩に出かけたり、あるいはドライブに行ったりするんですね。でもこれもあまり効果がないみたいですよ(笑)。
 そのうち原稿催促の電話がかかってくる。一回目は、なんとか言い訳をして、二回目は「明日にはできあがると思う」なんて答えて、三回目になると、自分でも恥ずかしくなってくるんです。プロとしてテレビドラマを書いている以上、書けないということは自分の中で全人格的な問題になってきますからね。
 放送が始まったらペースをあげようと思っていますがね。まあ、書けるか書けないかは、どの時点で「自分の力はここまでだ」と、自分の才能をあきらめるか……だと思いますね、ほんと(笑)。

 僕はね、最近、自分で書いたドラマの試写が非常にこわいようになってきたんです。頭のなかでは平静なんですが、体のほうはもうドキドキしているんです。
 僕の書いた脚本が、照明さんや音声さん、演出家や俳優さんたちといった多くの方がたの個性を通して映像化され、ドラマという完成品になっていきますよね。そう思って試写を見ていると、僕の書いたことは適切なものだったのかと考えこんでしまう。いってみれば、できあがった作品が僕のもとへ戻ってきて、設計が適切だったかどうか、改めて問いかけてくるような気分になるんです。
 とくに連続ドラマの場合、一回目の放送が圧倒的によくないと、あとは知れているみたいなところがありますからね。しかも、その質と視聴率は、スタッフみんなの士気にも大きく影響してくる。こう考えると「信長」の試写の日は、たぶん、ドキドキも今まで以上だと思いますよ(笑)。
 まあ、何はともあれ、まず大事なことはスタッフと緊密にコミュニケーションをとることです。
 プロデューサーもディレクターも、「好きなことを書いてくれ」とおっしゃってくれますが、そこには制作予算というものがありますよね。
 たとえば、「騎馬が数百騎、怒濤(どとう)のごとく現れた」とか「信長軍が雲霞(うんか)のごとく押し寄せた」と書いても、予算的に考えたって、どうにもなるものではありませんからね(笑)。スタッフと入念な打ちあわせをして、そこは予算規模に応じて書かなくてはならないでしょう。
 「大もめにもめて傑作をつくる」なんて言う人がいますが、それはウソ。あらゆるところでスタッフとのコミュニケーションを大事にして、みんなの力を結集しなければ、いいものはできないと信じています。
 ただ心配ごとは、キャストのけが。信長という人物は、戦いでもなんでも、絶えずみずからが先頭に立って走っていくようなところがありますよね。だから登場する馬はつねに全速力で駆け抜けるようにと、スタッフと決めているんです。ほんとうに、けがのないようにと……。
 それに僕個人のことでいえば、低次元なことですが、どうか病気にはなりませんように……。何せ、何年来というもの、健康診断を受けていませんからね。そりゃあ、この年ですから、悪いところはありますよ、ね。

(NHK大河ドラマ・ストーリー『信長』 198頁〜201頁より一部抜粋)


ご冥福をお祈り申し上げます。

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