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お乗り換え〜♪

Kassy号〜♪の車窓から 2011

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2010年12月 5日 (日)

(06)日英同盟 〜友情と別離─ロシアとの開戦! 第2部今夜スタート〜

地上・BSデジタル放送完全移行 2011年7月24日まで あと231日
地上およびBSのアナログテレビ放送は終了し、デジタル放送へ移行します。


まことに小さな国が 開化期を迎えようとしている。

四国は伊予松山に、三人の男がいた。

この古い城下町に生まれた秋山真之は、
日露戦争が起こるにあたって、勝利は不可能に近いといわれた
バルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。

その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し
史上最強の騎兵といわれる
コサック師団を破るという奇跡を遂げた。

もう一人は、俳句、短歌といった
日本の古い短詩型に新風を入れて
その中興の祖となった俳人・正岡子規である。

彼らは、明治という時代人の体質で 前をのみ見つめながら歩く。

上っていく坂の上の青い天に
もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、
それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。


坂の上の雲 第六回「日英同盟」


十九世紀末(1900年) 五月七日・大英帝国ポーツマス港──。

十九世紀は、帝国主義の時代である。
大英帝国は、最大の海軍力と産業革命以来の工業力で
世界に君臨していた。

小船に真之と広瀬が乗り込んでいます。
二人の視線の先には、目映いばかりの戦艦「朝日」。

真之と広瀬は、英国で久しぶりの再会を果たすことになった。

広瀬はロシア駐在武官をつとめていたが
このときゆるされてヨーロッパ視察旅行中であり、
イギリス駐在の真之とおちあい、ともにポーツマスに行って
戦艦 朝日 を見学したのである。

日清戦争が終わったあと、
日本は ロシアの脅威に対抗して大規模な海軍拡張を始めた。
むろん、艦船を国内でつくる能力はなく、
その八割まで英国に注文することになった。

建造費は、膨大な金額に上った。
日本人は、大げさにいえば飲まず食わずでつくった。

「敷島」「初瀬」「三笠」と合わせて58,514,000円。
国民の血税による高い買い物であります。

その子供じみた興奮が、じかに小さな規模の日本の充実と
前進ということにつながるということにおいて、
幸福な時代だったという他はない。

ロンドン・王立海軍大学──。

十九世紀からこの時代にかけて、世界の国家や地域は
他国の植民地になるか、それがいやならば
産業を興して軍事力をもち 帝国主義国の仲間入りするか、
その二通りの道しかなかった。

国家間に陰謀と外交と戦争がおこなわれた。
外交官と軍人が世界史の中でもっともはなやかだった時代である。

真之と広瀬は、イギリスの感想を聞かれます。
真之は、英国の工業力のすごさに改めて感嘆の声を上げ、
日本も早く産業を興し、
軍艦を建造しなければならないと考えています。

「極東を争うものはロシアと英国である」といわれ、
このことは日露戦争当時までつづく。
このころ英国は、南アフリカの戦いに四十万人もの兵士を出し
極東まで手がまわらなかったのである。

フランスに発つ前日、重いものは処分しようと
古本屋を読んで手持ちの本を売ることにします。

真之は広瀬に
世界の軍艦の詳細が分かる「ジェーン海軍年鑑」を進呈、
そのお返しに広瀬は
著者・マカロフのサイン入り「海軍戦術論」を進呈します。

翌日から二人は、
四十日にわたるヨーロッパ旅行をともにしている。
その時二人は、極東からの驚嘆すべきニュースに接した。

シナでは いわゆる義和団が蜂起し、
さわぎがまたたくまに北シナの天地をおおった。
拳匪 ともいう。
各地で外国人を襲い、外国商社を焼き、
鉄道をこわし、電信所を襲った。

連合軍を組織したのは、英・独・米・仏・伊・墺の六か国と
日本とロシアである。
日露両国がもっとも人数が多く、主力をなした。

連合軍は八月十四日、ついに北京のかこみをやぶって入城し、
各国公館員や居留民をすくうことができた。
しかし入城後にかれらがやった
無差別殺戮と掠奪のすさまじさは、近代史上 類を絶している。

日本国は、条約改正という難問題をかかえており
「文明国」であることを世界に誇示せねばならず、
そのため 国際法や国際同義の忠実なまもり手であろうとした。

その日本軍の一員として、好古が騎馬の人となって入城します。

民衆たちは連合国軍に銃で脅されており、
同じアジア人種である日本軍、好古を囲んで
泣いて助けを求めますが、連合軍としては
あくまでも拳匪を一人残さず処刑してしまうつもりです。

大人たちが無残にも次々に銃殺されていく中で、
「この子も拳匪か?」と幼い子供を抱き寄せて
命を助けてやることが、好古にできる精一杯の抵抗です。


東京根岸・子規庵──。

真之が外国勤務を解かれて帰ってきたのは、
明治三十三年秋である。
帰国後、常備艦隊参謀に補せられていた。

子規は、あいかわらず根岸の里で病を養っている。
かといって寝ているばかりではない。
新聞「日本」から三十円の給料をもらっている以上、
原稿をかかねばならない。

義務というより、
俳論・歌論を「日本」にかきつづけることが
子規一生の大事業になっていた。

真之の土産に人一倍明るく振る舞ってみせ、
子規を元気づけようとする律の姿が痛々しいです。
子規は律に松山名物を作ってあげるように言いますが、
その前に背中の包帯を取り替えてほしいと言い出します。

たちまち表情を曇らす律ですが、
結局は子規に押し切られてしまいます。

カリエスの傷口が大きく膿んでいて、
包帯を取り替える間は断末魔のような叫び声が聞こえてきます。
居たたまれず、庭に出た真之は
庭に咲いている花で気を紛らわそうとします。

松山出身の虚子と碧梧桐は、
俳句雑誌「ほととぎす」の編集のため 子規庵に出入りしていた。
なんにしても、病床についてからの子規の文筆活動は凄まじく
その名は天下に響いていた。

子規の名がとどろくとともに、
そのまわりにいる「清サン」「秉公」と
子規がよんでいる虚子と碧梧桐のような若者の名も、
ひとかどの名士のような名で世間にとおりはじめていた。

真之は子規の病床の横に寝そべって
勧められるまま 切り抜きを読み出します。

真之は、一時間ばかり それを読んだ。

ほとんどが俳句と短歌の革新論に関するものばかりであり、
読みすすむにつれて、子規の革新精神のすさまじさと
そのたけだけしい戦闘精神に酔ったがごとくになった。


明治三十四年一月(1901年) 清国満州・遼東半島旅順港──。

ロシアは北清事変の終息後に兵力を増強し、満州侵略を進めた。

八月三十日、黒龍江省城を占領。
十月二日には満州最大の都市・奉天を占領し、
満州に居座り続けた。

「アジアにおける二十世紀は北清事変の砲煙が静まるとともにひらけた」
と天津在留の外国人たちはいった。
中国にとってはさんざんな年であったが、
中国利権で飽食しようとする西洋列強にとっては
これほどありがたい夜明けはなかったであろう。

真之は、常備艦隊の参謀として旅順に偵察にはいった。
日本軍は、諜報は諜報屋にまかせることをせず、
参謀将校のなかからもっとも優秀な者を選び、
敵地に潜入させた。

清国人は居住の自由を奪われ、
低賃金で要塞の建設に使役させられとる。
まるでロシアのロシアの新しい農奴のようじゃ……。


ロシア帝国・サンクトペテルブルク──。

折から、ロシアは大規模な海軍建設の真っ最中であり、
その情報を日本海軍が手に入れたとき、
既に両者の計画の段階において、日本の敗北は必至だとおもった。

部屋の窓際には、2つの写真立てが置いてあります。
1つは祖母・智満(故人)のもので、広瀬は手を合わせています。
そしてもう1つは、恋人・アリアズナと写っているもので、
広瀬は彼女との思い出にひたっています。

広瀬が街中を歩いていると、彼を呼び止める声が。
「アリアズナ令嬢の魂は 完全にキミのものになった。
 彼女と一緒になって幸せにしてほしい……」
恋敵のボリスから、突然の敗北宣言です。

まさかこんな展開になろうとはw(^ ^)w
ちょっとかっこええぞー、ボリスー!


九月七日、連合国と清国の間で
北清事変の講和条約が調印された。
連合国間を調整し、この条約をまとめあげたのは
特命全権公使・小村寿太郎であった。

調印を終えた小村は礼砲に迎えられ、
巡洋艦「千歳」に乗り込んだ。
桂内閣の外務大臣に就任するためである。

小村は「千歳」のカレーライスを食べながら
真之に日英同盟の重要さを説きます。

──拳匪事件の本題は、
西洋列強の侵略に対する中国民衆の反抗的暴動である。
日本は英国の意向を受け
それを鎮圧し、特別な戦功をあげた。

「日本恐るべし」
ヨーロッパ諸国の新聞が、盛んに日本を持ち上げた。

極東の問題は日本を差し置いては何事も立ち行かない、
ということを 英国はますます確信しているだろう。
今こそ、日英同盟を国運を賭して進むべきである。
英国と組んで極東からロシアを排除する──。


葉山・桂の別荘──。

第11代内閣総理大臣・桂 太郎は
伊藤博文・井上 馨・松方正義ら元老を別荘に招待し
下手に出て意見を募ります。

日本では伊藤内閣が瓦解し、
陸軍大将の桂太郎が新たな首相となった。
「幇間」とも呼ばれた桂は 早速元老たちを招き、
日英同盟を成立させるため、根回しを開始したのである。

しかし伊藤は、イギリスと手を組みたいと
皆が考えていることはお見通しであります。
そこであえて、イギリス以外の国と
同盟を結ぶ手はないかを提案します。

イギリス以外の国とは……ロシアです。
他の元老たちが笑って聞き流す中、伊藤だけは真面目です。

伊藤は、日英同盟は期待だけの世界であるとみた。
あの英国が日本と対等の同盟をむすぶはずがない。

ロシアへ行こうと伊藤は決めた。

小村が帰朝した時、
伊藤はすでにロシアに向け出発したあとだった。

小村は「時代感覚が古すぎる! 笑止千万!」と
元老・伊藤を切り捨てますが、
桂が放った言葉が小村の笑いのツボにハマります。
「伊藤サンは恐露病で有名じゃからのう」

結局は、元老なしのこの若々しい内閣が
日露戦争の遂行内閣となった。


ロシア帝国・サンクトペテルブルク──。

雪がちらつく中を、馬車に乗って進む伊藤の一行。

ロシアの首都・ペテルブルクへ、
伊藤博文はわずかな希望をいだきつつ行った。

政府はともかく、この伊藤個人で対露交渉をしてみようと
このときの伊藤は日露戦争の回避に
ほとんど生命を賭けている といったところがあった。
ところがロシア側は伊藤に対し、意外な態度をとった。

歓待した。

伊藤が到着したその日のうちに、
大蔵大臣・ウィッテがホテルに訪ねてきます。

ウィッテは、
ロシア帝政政府における唯一の日露戦争回避論者であり、
当然かれは、日本の伊藤博文もそうであることを知っている。

ウィッテの態度に 人のよさのある伊藤は大いに気をゆるし、
極東平和のあるべき姿について論じ、
当面のロシアの侵略的態度について論難した。

ウィッテは、確かに皇帝の周囲には侵略を目論む輩もいるが
皇帝も政府も、そして自分もそんな考えは持っていないと話します。

伊藤は、商工業上・政治上・軍事上で
朝鮮においてはすべてを一任してほしい、と提案。
軍事上 とはいえ、あくまで朝鮮国内の秩序維持を目的とし
東洋の平和を目指してのことである。と。

その保障として、以下3点を約束します。
朝鮮独立・領土の軍略上の使用禁止・朝鮮海岸に軍事設備を成さぬこと、
ウィッテも、この3点があれば異存はないと言ってくれます。

伊藤はあくまで朝鮮にこだわった。
朝鮮がロシアに侵略されれば、
日本の独立は限りなく危うくなると考えた。

次の日、伊藤らはエカテリーナ宮殿で
ロシア皇帝・ニコライ二世の謁見を受けた。
ロシアは伊藤を一国の元首なみに持てなした。

伊藤がニコライ2世を拝謁するのは、
実に10年ぶりのことであります。
10年前──来日中のニコライ2世は
滋賀県大津で受難、重傷を負った時です。

ニコライ2世は伊藤に対し
聖アレクサンドル・ネフスキー勲章を授け、
自ら伊藤の大礼服につけてあげます。

日本公使館──。

伊藤はほろ酔い気分で歓迎晩餐会から戻ってきますが、
伊藤の帰りを険しい表情で待っていた広瀬は、
叱責を承知で伊藤に進言します。

ウィッテ閣下はすでに皇帝の信を失っており、
一部の強硬派が皇帝に取り入り、
極東侵略を強行しようとしている、と。

しかし伊藤には、ロシアがそんな国だとは信じられず、
せっかくの広瀬の進言を聞き入れることなく立ち去ります。

失意の広瀬は、教会でひさびさにアリアズナと再会。

再会できてアリアズナは素直に喜んでいますが、
広瀬は、日本への帰国命令が出たことを告げます。
いつかこの日が来ると、アリアズナは覚悟していたようです。

その上で、私も一緒に……と願うのですが、
しかし、次の広瀬の一言は
アリアズナをどん底に突き落としてしまいます。

「君の国と、いずれ戦わなければならない」

どうしても日本がロシアと戦うというのなら、
私も銃を握って わが祖国と戦います……。
アリアズナの言葉が、広瀬の胸を締め付けます。


エカテリーナ宮殿では、ニコライ2世が
伊藤来露の時に恩を売ろうとしたウィッテを静かに詰問しますが、
日本をどう刺激しようと戦争はあり得ない、と皇帝は言いのけます。

「なぜなら、朕が戦争を欲しないから」

威圧すれば足りる。
日本は露西亜と戦争する能力など からっきしないから、
戦争はあくまでロシアがきめるものであり、
ロシアが欲しないかぎりおこりっこない ということであった。

ベゾブラゾフの工作により、
ウィッテはこの時期、皇帝から遠ざけられていた。

ウィッテは、日露戦争を予想した。

十二月十七日、ベルリンにいる伊藤のもとへ
日露協商案に対するロシアの返答が届いた。

待ちに待ったロシアからの返書であります。
伊藤は「幸便に違いない」と返答を読みますが、
その内容に愕然とした伊藤は
返書を破り捨て、手元にあった花瓶を床に叩き付けます。

ロシアからの回答は、日本の要求を一切無視したものであった。

伊藤は、失敗した。


広瀬がサンクトペテルブルクを離れる前々日の夜、
アリアズナとボリスは、広瀬の送別演奏会を開いてくれます。

愛しの広瀬のために、アリアズナは
晩年、大分に住まいした作曲家・滝廉太郎の『荒城の月』を
広瀬の生まれ故郷である竹田を思いながらピアノで弾き、
ボリスはそれにあわせてバイオリンで追いかけます。

広瀬の脳裏に、若かりし頃の竹田の風景が浮かびます。

広瀬のロシア駐在はながかった。

足かけ六年におよび、
その間 おおぜいのロシアの海軍武官につきあったが、
広瀬は彼らのあいだで もっとも人気のある外国武官だった。

二年後、広瀬は旅順で彼らと砲火を交えることになる。

広瀬出発の前日の朝、アリアズナは広瀬に
「明日、駅には行きません。悲しくなるだけだから」と宣言。
その代わり、どんなに短文でもいいので手紙が欲しいと言うのですが、
次の瞬間には「いいえ、やっぱり短い手紙はだめ」と……。

う〜ん、アリアズナいじらしい(^ ^)


日本では、国民が日本とイギリスの国旗を大きく振って
あちこちでバンザイが叫ばれています。

通りの中央にこしらえた雪だるまにも、
日本とイギリスの国旗を持たせて歓迎ムードです。

明治三十五年一月三十日、日英同盟は調印された。

──日英は 清国と韓国において 互いの権益を承認 保護し合う
  もしいずれかが 複数の第三国と 交戦する場合は 共同戦闘にあたる

ロシアは、この日英同盟を「対ロシア軍事同盟」と受け取ったが、
臥薪嘗胆を合言葉に 重税に耐えてきた日本国民は、
日英同盟を熱狂的に歓迎した。


常備艦隊──。

このころ真之は いよいよ海軍戦術の研究に熱中し、
かれ自身「一生の大道楽」とひとには いった。

この得意芸が、やがては
日本の運命に交叉する日がくるということを、
真之は予感していた。

船上の人となっている真之のもとに、広瀬からの葉書です。

その葉書には、自分にもついに帰国命令が出たこと、
モスクワからイルクーツクまで
鉄道の輸送能力調査の目的でシベリア鉄道に乗り、
イルクーツクからは極寒のシベリアを
そりで横断するつもりだ、とあります。

ソリは、スレチェンスクで買い、
駅舎から官馬三頭と馬丁を借り 出発した。

イルクーツクのホテルから ペテルブルクにいるアリアズナあてに
最後の手紙を書いた。
「永遠にいとおしい御身のうえに神の恩寵のあらんことを」
という言葉で結んだ。

広瀬は横断の途中、
アリアズナに贈られた懐中時計を見つめています。
アリアズナだと思って、大事に大事にしています。

──────────

明治35年(1902年)1月30日、
日英同盟調印。

明治38(1905)年5月27日、
日本とロシア帝国との間で戦われた日本海海戦まで

あと3年3ヶ月──。



原作:司馬 遼太郎 (『坂の上の雲』より)


脚本:野沢 尚
  :佐藤 幹夫
  :柴田 岳志


音楽:久石 譲


メインテーマ:「Stand Alone」
    作詞:小山 薫堂
     唄:森 麻季

演奏:NHK交響楽団
  :東京ニューシティ管弦楽団

テーマ音楽指揮:外山 雄三

脚本諮問委員:関川 夏央
      :鳥海 靖
      :松原 正毅
      :松本 健一
      :宮尾 登美子
      :山折 哲雄
      :遠藤 利男

脚本監修:池端 俊策

時代考証:鳥海 靖
風俗考証:天野 隆子
海軍軍事考証:平間 洋一
      :菊田 慎典
陸軍軍事考証:寺田 近雄
      :原 剛
艦船考証:泉 江三
軍服考証:柳生 悦子
軍装考証:平山 晋
騎兵考証:岡部 長忠
    :末崎 真澄
    :清水 雅弘

取材協力:司馬遼太郎記念館

参考文献:「ロシヤにおける広瀬武夫」島田謹二

資料提供:坂の上の雲ミュージアム
    :子規記念博物館
    :子規庵保存会
    :馬の博物館
    :横浜開港資料館
    :神奈川県立歴史博物館
    :British Pathé
    :Getty Images
    :PPS通信社
    :Munchner Neueste Nachrichten
    :アフロ
    :アメリカ議会図書館
         資料映像コレクション

撮影協力:埼玉県
    :川口市
    :八王子フィルムコミッション
    :博物館明治村
    :日本ラインフィルムコミッション
    :日本元気議場
    :竹田市
    :ロシア革命博物館

題字:司馬 遼太郎


語り:渡辺 謙

──────────

[出演]

本木 雅弘 (秋山真之)


阿部 寛 (秋山好古)


香川 照之 (正岡子規)


菅野 美穂 (正岡 律)


原田 美枝子 (正岡八重)


藤本 隆宏 (広瀬武夫)

マリーナ・アレクサンドロワ (アリアズナ)

大和田 伸也 (井上 馨)

綾田 俊樹 (桂 太郎)

ティモフィー・ヒョードロフ (ニコライ2世)
アルチョム・グリゴリエフ (ボリス・ビルキツキー)
バレーリー・バーリノフ (ウィッテ)
黒田 アーサー (杉村虎一)
大林 丈史 (松方正義)
森脇 史登 (高浜虚子)
大藏 教義 (河東碧梧桐)
ナターリア・ベンチーロワ (皇后アレクサンドラ)
アンドレイ・メシュリス (ベゾブラノフ)
アンドリュー・フォーブス (ジョーンズ)
スティーブ・エドウィン (スミス)
ウィリアム・ケンプセル (マイケル)
清水 柳一 (都築馨六)
下川 江那 (広瀬智満)
加藤 佳男 (艦長・寺垣)
荻原 紀 (司令官・諸岡)
アレクサンドル・コズロフ (パブロフ博士)
エリーナ・ソロビヨワ (博士夫人)
コンスタンチン・ズブリツスキー (貴族)
ガリーナ・シュリコワ (貴婦人)
エレーナ・ニェムチェンコ (貴婦人)
ウラディミール・ツベトコフ (ベンケンドルク)
レナート・ハイルーリン (ドルコスキ)
アレクサンドル・ペルミャコフ (手風琴の男)
ピョートル・アファナシエフ (子供)
アンナ・ブレトニョーワ (子供)

田中 智也
岡 けんじ
マシシム
枝光 利雄
上野 太
山本 修
うめ吉

グループエコー
ラザリス
稲川素子事務所
中国文化芸術センター
劇団ひまわり
エンゼルプロ
エレメンツ
セントラル子供タレント
NAC
劇団東俳
キャンパスシネマ
テアトルアカデミー
NHK東京児童劇団
フジアクターズシネマ
ぷろじぇくと大和
帝京少年少女合唱団
つくばみらい市のみなさん
小松市のみなさん
加賀市のみなさん
犬山市のみなさん
福山市のみなさん

所作指導:橘 芳慧
馬術指導:田中 光法
海軍軍事指導:堤 明夫
砲術指導:佐山 二郎
医事指導:中村 毅志夫
看護指導:押川 真喜子
アクション指導:深作 覚
松山ことば指導:野沢 光江
大分ことば指導:池永 宗士郎
長州ことば指導:一岡 裕人
英語監修:バーミンガム・ブレーンズ・トラスト
ロシア語指導:中川エレーナ
タイトルバック:菱川 勢一
ドキュメンタリー部映像加工
       :ドローイング アンド マニュアル
VFXプロデューサー:結城 崇史
VFXスーパーバイザー:長尾 健治

──────────

竹中 直人 (小村寿太郎)


加藤 剛 (伊藤博文)

──────────

エグゼクティブ・プロデューサー:菅 康弘
               :西村 与志木

制作統括:中村 高志
    :藤沢 浩一

プロデューサー:関口 聰
美術:山下 恒彦
  :西之原 豪
技術:川邨 亮
音響効果:島津 楽貴
撮影:岡田 裕
照明:関 康明
音声:野原 恒典
映像技術:横田 幹次
VFX:西垣 友貴
CG:織田 芳人
美術進行:塩野 邦男
記録:野田 茂子
編集:石川 真紀子

(イギリスロケ)
プロデューサー:ロレイン・グッドマン
コーディネーター:阪本 泉
イギリス陸軍考証:アンドリュー・ペインズ
制作協力:NHK Cosmomedia (Europe) Ltd.

(ラトビアロケ)
制作協力:FILM ANGELS STUDIO
プロデューサー:トマス・マカラス
ロシア陸軍考証:アレクサンドル・ディディキン

(ロシアロケ)
プロデューサー:アレクサンドル・ワシリコフ
コーディネーター:スペトラーナ・ミハイロワ
外交史考証:アレクサンドル・パノフ
衣裳デザイン:バベル・リバトフ
      :エレーナ・バリン
美術協力:アレクサンドル・ザゴースキン
演出協力:アレクサンドル・ミッタ


演出:佐藤 幹夫


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』
第7回「子規、逝く」

2010(平成22)年12月12日

アナログ総合・デジタル総合:午後7時30分〜
デジタルハイビジョン:午後5時30分〜
衛星第二テレビ:午後10時〜

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