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Kassy号〜♪の車窓から 2011

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2010年12月12日 (日)

(07)子規、逝く 〜文学に捧げたその壮絶な生涯、真之に問う命の重さ〜

地上・BSデジタル放送完全移行 2011年7月24日まで あと224日
地上およびBSのアナログテレビ放送は終了し、デジタル放送へ移行します。


まことに小さな国が 開化期を迎えようとしている。

四国は伊予松山に、三人の男がいた。

この古い城下町に生まれた秋山真之は、
日露戦争が起こるにあたって、勝利は不可能に近いといわれた
バルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。

その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し
史上最強の騎兵といわれる
コサック師団を破るという奇跡を遂げた。

もう一人は、俳句、短歌といった
日本の古い短詩型に新風を入れて
その中興の祖となった俳人・正岡子規である。

彼らは、明治という時代人の体質で 前をのみ見つめながら歩く。

上っていく坂の上の青い天に
もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、
それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。


坂の上の雲 第七回「子規、逝く」


明治35(1902)年7月──。

信じがたいことだが、海軍大学校に戦術講座が設けられたのは
明治三十五年七月のことである。
真之は、その初代教官にえらばれた。

海軍の先輩までが、聴講生で入ってきた。
八代六郎などは、真之が兵学校のころの教官であった。

真之に、どんな戦史にあたり どんな教訓を得たかを問われた
大尉の飯田久恒は、
戦力を分散した伊東長官の戦法は決定的な誤りだと主張し、
同じく大尉の下村延太郎は「間違っていない」と異議を立てます。

真之は「実戦を立てればよう分かる」と、どんな原典も使用せずに
進めていく独自の講座で明らかにしようとします。

真之が、アメリカ海軍で見聞したもののなかで
もっとも感心したのは、兵棋演習であった。
こどものおもちゃのような各種軍艦を大図盤のうえにうかべる。
練習者は敵味方にわかれ、
教官の統裁のもとに作戦の演習をするわけである。

兵棋をうごかすにあたって、重責を帯びて
それぞれが艦隊司令官・参謀長・艦長のつもりになって
真剣に運用し、それをくりかえし鍛錬することによって、
いかなるときでも自信と沈着さをうしなわぬ
第二の天性をつくりだすことができる、というのである。

サイコロを二つ投じ、
その出た目で 被害判定表と命中箇所判定表によって
味方の艦隊の損害状況がその都度決められていき……。

この学生たちが、日露戦争とともに各戦隊の参謀として配属され
真之の指示のもと、ほとんど一糸みだれずに
全軍が動くという結果を得た。

真之は、学生たちに力を込めて教えます。
──我々の判断一つ間違えば、無益に多くの血が流れる。
無識の指揮官は、殺人犯なり──。


授業後、高橋是清とひさびさの再会を果たした真之は、
是清の誘いで、八代とともに水交社を訪れます。
そこでは、華族の才媛たちが演じる「活人画」が披露されています。

『天女と伯龍』乙女は衣をきなしつつ……
『義経と静御前』袖にたきたる名香の……

しかし、あまり興味のない真之は飲み物を取りに行く途中で
軍服姿の稲生季子とぶつかってしまいます。
どうやら、この季子も「活人画」の出演者らしいです。

是清は、それとなく季子の話を真之に向けようとしますが、
真之としては頭をポリポリと掻くばかりで、
答えようがありません。

真之の初めてのお見合いは、是清の思惑通りにはいかなかった。

母の貞も兄嫁の多美も
未婚の真之に嫁取りをさせようとそれとなく根回しをしますが、
本人としては あまり考えていないのが正直なところです。


子規庵では、俳句雑誌「ホトトギス」の編集会議が
子規の看護と同時進行で行われております。

子規は、自分の死を知っている。

激痛がおそってくるたびに叫び声はあげはするが、
しかし、自分の死期のちかいことを
悲しむというふうなところはなかった。

──律は、理詰めの女なり。
同感同情のなき 木石のごとき女なり。
強情なり。

人間に向かって冷淡なり。
特に男に向かってシャイなり。
到底、配偶者として世に立つに能はざるなり。

しかも そのことが原因となり、ついに兄の看病人となれり。──

随筆「仰臥漫録」で、子規は 妹・律をそう描いた。

ふつうのひとの病床生活とはちがい、
子規は死が予定されている病人でありながら
その身辺は事が多かった。

俳句会や「ホトトギス」編集会議、それに
送別会といったたぐいのにぎやかなことまで、
この病室でおこなわれるのがふつうであった。

──律は、看護婦であると同時にお三どんなり。
お三どんであると同時に、一家の整理役なり。
一家の整理役であると同時に、余の秘書なり。

原稿の清書も、不完全ながらなしいるなり。
故に、余は自分の病気がいかように募ろうとも、
ただ、律に病なきことを祈れり。
律に病あらんよりは、余に死あらんことを望めり。──

新聞「日本」社長の陸 羯南が
娘二人を連れて子規庵にやってきます。
草花帖の完結にふさわしい花を描きたかった子規に
羯南は朝顔を持ってきてくれたわけです。

新聞「日本」の主筆・陸 羯南は
子規にとって生涯の恩人であった。

子規の生涯を通じ、その収入は
この新聞「日本」から入る安い月給のほかなかった。

編集主任は、古島一念という この当時の名記者であった。

新聞「日本」に戻った羯南は、
子規から預かった「病床六尺」を古島に手渡します。

突然降り出した雨を見ながら、羯南は複雑な表情です。
精力的に創作活動を続けていた子規も
雨が降ったら子規の麻酔の効力が切れて
また死ぬほどの激痛が子規を苦しめるのです。

その言葉通り、子規は
「律……母上……痛いよぅ……」と激痛に呻いています。

──おかしければ、笑う。
悲しければ、泣く。
痛みの激しい時は、うめくか叫ぶ。
盛んにうめき 盛んに叫び 盛んに泣くと、少し痛みが減ずる。

死は恐ろしくないのであるが、苦しみが恐ろしいのだ。
病苦でさえ耐えきれぬのに、
このうえ死に損なうと思うと恐ろしい。──


海軍少佐・広瀬武夫は、ロシア駐在武官の任を解かれて
ウラジオストク・旅順経由で日本に帰ってきた。

広瀬は、真之が講座を開く海軍大学校にやってきて、
ロシア艦隊の見たまま・ありのままを生徒たちに聞かせます。
生徒たちもなかなか興味津々です。

しかし、聴講生の八代六郎は
真之に「愚劣極まる!」と愚弄されたそうで、
それ以来、真之との関係があまり上手くいっていません。

その愚痴を広瀬にぶつけるわけですが、
少佐の真之が大佐の八代に言う言葉ではないと同情しつつ
二人のギクシャクをけっこう楽しんでいる広瀬です。


清国天津・日本租界──。

北進事変がおわってから、列強は清国に駐屯軍をおいた。
名目は、居留民の生命財産の保護ということであった。
無論、権益の保護もする。

各国ともなかば恒久的な駐屯であった。
天津における日本の司令部は
『清国駐屯軍守備隊司令部』と呼称された。

司令官に任命されたのは、
すでに大佐に進級している秋山好古である。

租界 という、諸外国が中国各地に設けた区域で
好古は 鹿児島県人の伊集院彦吉と巡回します。

洋風の建物が建ち並ぶフランスやイギリスの租界と違い、
日本租界の有様は「ひどい」の一言です。
好古自ら、上半身裸になって道普請に精を出します。

そんな中、直隷総督・袁世凱が通りかかります。
日本駐屯軍司令官に会いたいから案内せよ、という袁に
好古は笑って、袁の乗る馬の手綱を引いて司令部へ。

日本軍司令部──。

身なりを整えて袁の前に再び現れた好古は
袁と酒を酌み交わします。

好古は日本人だけでなく
天津駐在の欧州各国の軍人や、清国の官民にも人気があった。
好古のごく自然な東洋豪傑風の人格に安心したり
なついたりしたのであろう。

その評判は、当然 直隷総督の袁世凱の耳にも入っていた。
袁世凱は、病没した李鴻章に代わって声望を高め始めていた。

──酒を嗜み 騎馬を好み 日に数斗を飲み 郊原に馳騁す──

好古は袁を最大にもてなしますが、
同じアジア人でありながら、清国から土地や財産
そして多くの人民の命を奪ったことを
袁はチクリチクリと刺します。

好古は、連合軍の中では日本は最も格下であり
行政権の変換は連合国の合意がなければ
実現は無理だと本音で語ります。

司令官自らツルハシ振るって道路普請……。
袁は妙に納得し、好古を気に入ります。

袁世凱がいかに食えぬ男であるかは、
北進事変のときの挙動でもわかる。

あのとき清国は、
義和団と連合して ついに列国に宣戦布告するにいたるが、
袁世凱は その軍隊を最後まで山東半島にとどめてうごかさず、
清軍および義和団が壊滅すると、
無傷の軍隊をひきいて戦後経営にのりだした。

袁世凱はのちに清王朝をたおし、初代の中華民国大総統になる。
その袁世凱が、他人目にもおかしいほど好古を信頼したのである。


東京・根岸──。

東京へ移ってから、真之は一度
子規を根岸の家へ見舞に行った。

子規がみるみるおとろえていくことに
真之は衝撃を受けますが、それを平静に受け止めます。

子規は、痛さに畳をのたうち回っても
すばらしい俳句が次々に浮かんできているわけで、
この状態ではまだ死ねない、と考えているようです。

ヒグラシの鳴く中、律は真之を見送りに出てくれますが
真之には衝撃的な告白をします。
もう充分、充分苦しんだからこそ
「もう死んでもええよ……時々心の中でそう呟くんじゃ」

それでも、兄・子規は
律が作ったごはんを残さず食べ、
草花帖は絵でいっぱいにし、どんどん俳句を詠む……。

どんなに苦しくても生きようとします。


横須賀鎮守府──。

その日、真之は横須賀に出張中であった。


子規は朝から具合悪く、医師が付きっきりであった。
昼、虚子や碧梧桐を枕元に呼んだ。

──糸瓜咲て 痰のつまりし 仏かな

──痰一斗 糸瓜の水も 間にあはず

──をとゝひの へちまの水も 取らざりき

碧梧桐が筆に墨をつけ、律が紙を支えて
子規がか細い腕で一文字一文字を書いていきます。

明治35(1902)年9月19日 午前一時──。

子規のうなり声が聞こえなくなったことに
異変を感じた八重は、律と虚子に声をかけます。

蚊帳の中の子規は息がありません。

ねえ兄さん、どこにおるん?
そこに死神はおいでか?
兄さんをいじめるやつは、ウチが懲らしめてやるけん、
兄さん、兄さん、戻ってきてくだされ……。

律の必死の呼び戻しにも、子規は答えません。
泣きじゃくる声が、いつまでもこだましていました。

碧梧桐や鼠骨を呼びに出た虚子は、
ゆったりと飛ぶ蛍を見かけてフッと詠み上げます。

──子規逝くや 十七日の 月明に


出張から帰る列車の中、真之は
「死んだか、ついに」「長患いだったらしいな」
「惜しい文学者を亡くした」などと
向かい側の席で新聞を見ながら乗客が話しているのを聞き、
そこで初めて、子規が亡くなったことを知ります。

上根岸の子規庵の辺りは、路地裏だし 家もせまいし、
会葬者の数は、子規自身も二十〜三十人が限度とみていたのだが
新聞の死亡欄などで知ったひとたちが、百五十人もあつまってきた。

なにごとにも ひとに指示することの好きな子規は
自分の葬儀についても、すでに指示をかきのこしている。

「葬式の広告など無用に候」
「家や町内も狭きゆえ、大勢来ると柩の動きもとれまじく候」
「戒名も無用に候」
「柩の前にて通夜することも無用に候」
「柩の前にて空涙は無用に候」
「談笑平生の如くあるべく候」

庭に咲いていた真っ赤な鶏頭をたくさん摘み、
柩の子規に添えては手を合わせていく参列者たち。
真之や好古と一緒に故郷松山で撮影した写真も
柩に納められています。

子規は、開明期をむかえて上昇しつつある国家を信じ、
らくらくと肯定し、自分の壮気をそういう時代気分の上にのせ、
時代の気分とともに壮気がふくらんでゆくことに
すこしの滑稽感もいだかず、

その若い晩年において死期を悟りつつも、
その残されたみじかい時間のあいだに
自分のやるべき仕事の量の多さだけを苦にし、悲しんだ。

真之は子規庵へ急ぎますが、すでに葬列が出発した後でした。
友の冥土ゆきを最敬礼で送り出します。

これほど不幸な材料を多く背負いこんだ男もすくなかったろうが、
しかし この男の楽天主義は
自分を不幸であるとはどうしても思えないようであった。

明治という このオプティミズムの時代にもっとも適合した
資質をもっていたのは、子規であったかもしれない。


二ヶ月後──。

子規の墓にお参りする真之は、律と再会。

随筆では“理詰めの女”“冷淡”“かんしゃく持ち”など
律のことをさんざんに書いていた子規ですが、

──いもうとの 帰り遅さよ 五日月

──母と二人 いもうとを待つ 夜寒かな

お使いで帰りが遅い律を心配して詠んだ子規の句です。
内心ではとても心配でたまらなかったようですね。

そこで律は真之に進学の決意を伝えます。
これからは自分のために生きたい、という考えは
真之も賛同してくれます。


那須野・石林──。

乃木希典中将は二年前から陸軍を休職し、
那須野で妻・静子と共に農夫の生活を送っていた。
その乃木を、旧友の児玉源太郎中将が激務を縫って訪れた。

「自分の生涯は山田の案山子である」と
しばしばこの時期の乃木希典は洩らしている。

──なすことも なくて那須野に
  すむ吾は なす唐なすを 食うて屁をこく──

農夫の生活を送る乃木らしい歌というか、
ちょっとお茶目な歌に、一同は爆笑であります。

児玉は乃木に、いよいよロシアと戦が近づいてきたと伝えます。

戦費調達に奔走する児玉は
金策で神経衰弱になりそうだと愚痴を漏らしますが、
乃木は「臥薪嘗胆、もはや限界じゃ」と諦め顔です。

われわれが、明治という世の中をふりかえるとき、
宿命的な暗さがつきまとう。
貧困、つまり国民所得のおどろくべき低さがそれに原因している。

この当時、都会地の一部をのぞいては靴をはく習慣もない。
手製のわら草履かはだしであり、食物は米と麦とあわ・ひえで、
副食物のまずしさは話にならない。

激務を縫っての訪問で、児玉は
乃木邸の2階で大いびきをかいて寝入ってしまいます。
そんな児玉の姿を乃木は初めて見ますが、
児玉はそれだけ乃木に会いたかったということでしょう。

農夫の真似事も終わりの時が近づいたようです。


真之は過労が重なり、胃腸を病んで入院していた。
真之は子規の死後 兵学研究に没頭し、
「野島流海賊古法」などを読みふけった。

妻のいない真之の世話は多美の役目ですが
「カビ臭い本ばかり病室に持ち込んで」などと
皮肉たっぷりです。
しかも、こういう時に奥方がいらっしゃれば……と
真之には頭が痛くなる言葉ばかり。

「アシにだって見舞いに来てくれる女子ぐらいは、おる!」
と強がってみせますが、来てくれるのは律です。
学校帰りに寄ってくれることになっています。

多美が帰った後、
病室を訪れた女子は なんと稲生季子でした。
真之は入院中と八代に聞いて駆けつけたそうです。

季子に軍学について語っていたころ、
その病室の廊下では、
共立女子職業学校の制服に身を包んだ律が
黙って立っていました。

親しげな二人の姿を遠くから見、複雑な表情を浮かべた律は
「ええお相手が見つかったんじゃ」と自分を納得させ
持参した桃を病室前に置いて、静かに病院を去ります。


退院後、共立女子職業学校の校門で
真之が律を待っています。

職業学校から出て来るのは、若かりし女子ばかりで
真之の存在はちと浮いております。
乙女たちにジロジロ見られておりますぞ、秋山少佐!

出て来た律は真之に驚きますが、笑顔が絶えません。
同級生の中では年齢が飛び抜けて離れているし、
制服姿が恥ずかしいけど、
毎日が新鮮な気分で、それがとても嬉しいのです。

律は、季子のことで真之を軽くからかいますが、
真之には返す言葉がなく、タジタジです。
しかし律は、安心した気持ちもありながら
やっぱり少し灼いているのかもしれません。

その帰り道、突然の雨に降られて雨宿りの真之は
日本政府の腰抜け外交を批判する集会が
道筋で開かれているのを目撃します。

たちまち警官がそれを阻止しようと駆けつけますが、
民衆の怒りは収まらず、
警官たちを担ぎ上げては川へ投げ落としています。

日本政府は戦争をおそれた。
ロシアへの恐怖が対露交渉のテンポをゆるやかにしていたし、
それが、国民一般の目には ロシアに対する哀願的態度にうつった。
世論は好戦的であった。

四ヶ月後、真之は連合艦隊参謀として、
佐世保に赴任することになる。

日露開戦まで、あと半年余りであった。

──────────

明治35年(1902年)9月19日、
正岡子規、没す。

明治38(1905)年5月27日、
日本とロシア帝国との間で戦われた日本海海戦まで

あと2年8ヶ月──。



原作:司馬 遼太郎 (『坂の上の雲』『殉死』より)


脚本:野沢 尚
  :佐藤 幹夫
  :柴田 岳志


音楽:久石 譲


メインテーマ:「Stand Alone」
    作詞:小山 薫堂
     唄:森 麻季

演奏:NHK交響楽団
  :東京ニューシティ管弦楽団

テーマ音楽指揮:外山 雄三

脚本諮問委員:関川 夏央
      :鳥海 靖
      :松原 正毅
      :松本 健一
      :宮尾 登美子
      :山折 哲雄
      :遠藤 利男

脚本監修:池端 俊策

時代考証:鳥海 靖
風俗考証:天野 隆子
海軍軍事考証:平間 洋一
      :菊田 慎典
陸軍軍事考証:寺田 近雄
      :原 剛
艦船考証:泉 江三
軍服考証:柳生 悦子
軍装考証:平山 晋
騎兵考証:岡部 長忠
    :末崎 真澄
    :清水 雅弘

取材協力:司馬遼太郎記念館

資料提供:坂の上の雲ミュージアム
    :子規記念博物館
    :子規庵保存会
    :馬の博物館
    :大龍寺
    :此経 啓助
    :ミズノプリンティングミュージアム

撮影協力:天草フィルムコミッション
    :宇城市
    :呉市
    :陸上自衛隊呉地方総監部
    :海上自衛隊第1術科学校・幹部候補生学校
    :くろ谷金戒光明寺
    :国宝彦根城
    :博物館明治村
    :日本ラインフィルムコミッション
    :防衛省
    :千葉県立房総のむら
    :千葉県フィルムコミッション
    :栄町FCサポーター
    :香取神宮

題字:司馬 遼太郎


語り:渡辺 謙

──────────

[出演]

本木 雅弘 (秋山真之)


阿部 寛 (秋山好古)


香川 照之 (正岡子規)


菅野 美穂 (正岡 律)


原田 美枝子 (正岡八重)


佐野 史郎 (陸 羯南)


藤本 隆宏 (広瀬武夫)


織本 順吉 (長谷川祖吉)

蛍 雪次朗 (政吉)

薜 勇 (袁 世凱)
佐藤 蛾次郎 (壮士)
蟹江 一平 (飯田久恒)
森脇 史登 (高浜虚子)
大藏 教義 (河東碧梧桐)
松尾 敏伸 (下村延太郎)
亀山 忍 (伊集院彦吉)
木崎 浩之 (乃木勝典)
橋爪 遼 (乃木保典)
中島 陽典 (秘書・野田)
ジャッキー・ウー (袁 克定)

──────────

石原 さとみ (稲生季子)


片岡 鶴太郎 (八代六郎)


松 たか子 (秋山多美)


ささの 貴斗 (升(回想))
吉田 里琴 (律(回想))
建 蔵 (古島一念)
小林 利也 (福本日南)
古川 伴睦 (国分青崖)
菟田 高城 (寒川鼠骨)
加世 幸市 (内藤鳴雪)
岸本 光正 (伊藤左千夫)
薬師寺 順 (佐藤紅緑)
宮治 舞 (羯南の娘)
児玉 萌々 (羯南の娘)
五十嵐 貴裕 (大柴隆二)
本庄 正季 (菅野彦蔵)
yumi (女学生)
友吉 鶴心 (琵琶)

片山 知彦
有馬 教仁
窪田 吾朗
丸山 妙子
長谷川 公彦
植村 恵
木庭 博光
北岡 龍貴
清水 秀則
黒部 弘康
橋口 哲央
佐藤 博秋

舞夢プロ
放映新社
VIVIT
テアトルアカデミー
セントラル子供タレント
劇団ひまわり
劇団東俳
キャンパスシネマ
エンゼルプロ
エレメンツ
アルマット
アクティブハカタ
天草市のみなさん
宇城市のみなさん
呉市のみなさん
江田島市のみなさん
犬山市のみなさん
加賀市のみなさん
栄町のみなさん
つくばみらい市のみなさん


西田 敏行 (高橋是清)


所作指導:橘 芳慧
馬術指導:田中 光法
海軍軍事指導:堤 明夫
医事指導:中村 毅志夫
看護指導:押川 真喜子
アクション指導:深作 覚
松山ことば指導:野沢 光江
長州ことば指導:一岡 裕人
大分ことば指導:池永 宗士郎
栃木ことば指導:手塚 政雄
中国語指導:陳 浩
タイトルバック:菱川 勢一
ドキュメンタリー部映像加工
       :ドローイング アンド マニュアル
VFXプロデューサー:結城 崇史
VFXスーパーバイザー:長尾 健治

──────────

柄本 明 (乃木希典)


真野 響子 (乃木静子)


竹下 景子 (秋山 貞)


高橋 英樹 (児玉源太郎)

──────────

エグゼクティブ・プロデューサー:菅 康弘
               :西村 与志木

制作統括:中村 高志
    :藤沢 浩一

プロデューサー:関口 聰
美術:山下 恒彦
  :河島 太郎
技術:宮路 信広
音響効果:島津 楽貴
撮影:岡田 裕
照明:関 康明
音声:野原 恒典
映像技術:片田 直行
VFX:釣木沢 淳
CG:井藤 良季
美術進行:田中 裕
記録:野田 茂子
編集:石川 真紀子

(中国ロケ)
撮影協力:国家広播電影電視総局
コーディネーター:李 泓冰
美術協力:銭 運選
演出協力:陸 濤


演出:佐藤 幹夫


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』
第8回「日露開戦」

2010(平成22)年12月19日

アナログ総合・デジタル総合:午後7時30分〜
デジタルハイビジョン:午後5時30分〜
衛星第二テレビ:午後10時〜

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コメント

このような内容を見たり、読んだりするだけでも、人間の心の大切さ、絆、人間の腹黒い部分、善良な心の部分、さまざまな情景が見て取れます。それだけでも学びにもなりますし、何が大切か、を、気づかせてくれます。

──────────

フランクリンプランナーに挑戦中さーん。初めまして!
Kassyです。よろしくお願いいたします!


>人間の心の大切さ、絆、
>人間の腹黒い部分、善良な心の部分
確かにそうですね。

気持ちの上では、絆は大切にしたい部分ですが
そこには建前があり、大人の事情で
単純に首を縦に振れない部分もあって、
どうしても腹黒い部分も出てきてしまう。

どちらをとるか、というのは難しい問題で
その中で何が大切なのかというのは
永遠なテーマなのかもしれませんね。

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