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2010年12月26日 (日)

スペシャル大河 坂の上の雲・(09)広瀬、死す 〜さらば愛しきロシアの友よ! 空前の大スペクタクル 旅順艦隊を封鎖せよ〜

地上・BSデジタル放送完全移行 2011年7月24日まで あと210日
地上およびBSのアナログテレビ放送は終了し、デジタル放送へ移行します。


まことに小さな国が 開化期を迎えようとしている。

四国は伊予松山に、三人の男がいた。

この古い城下町に生まれた秋山真之は、
日露戦争が起こるにあたって、勝利は不可能に近いといわれた
バルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。

その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し
史上最強の騎兵といわれる
コサック師団を破るという奇跡を遂げた。

もう一人は、俳句、短歌といった
日本の古い短詩型に新風を入れて
その中興の祖となった俳人・正岡子規である。

彼らは、明治という時代人の体質で 前をのみ見つめながら歩く。

上っていく坂の上の青い天に
もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、
それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。


坂の上の雲 第九回「広瀬、死す」


明治37年2月5日(1904年)・佐世保港──。

明治三十七年二月五日、
連合艦隊司令長官・東郷平八郎の元に
「封密命令」が届けられた。

御前会議は、ついに 対ロシア開戦を決定したのである。

東郷平八郎は、封書の裏に山本権兵衛と名が記された
「封密命令」を手に取って、
各隊の司令官と艦長四十人以上を三笠に集めさせます。

島村速雄参謀長が封密命令を読み上げますが、
その間、作戦会議室にいる者たちは一言も発しません。

その直後には その一人ひとりにシャンパンが配られ、
東郷の音頭で、一同の勇戦奮闘と前途の成功を期して杯をあげます。
ある種の悲愴感が漂っていた室内は、
一気にその緊張から解放されて歓声が沸き立ちます。

真之は三笠の艦上で、
戦艦朝日の水雷長を務める広瀬武夫と再会します。

来たるロシア戦が特別な意味を持つ広瀬にとって、
そういう自分だからこそできる役割を
参謀である真之に探してほしいと願い出ます。

真之は「生還できないような作戦は立てません」と言いますが、
広瀬に言わせれば、そんな作戦はあり得ません。

二月六日 午前九時、
連合艦隊主力は佐世保港から出撃した。

群衆たちがバンザイで見送る中、真之の妻・季子は
出撃してゆく艦隊を見つめ、不安気な顔をしています。


艦内の各所の鎖を撤去し、砲口を覆っていた布を外すなど
将校たちは来るべき“そのとき”に備えています。

ロシア旅順艦隊が大挙して出港した、という
海軍が得た情報は、正しかった。
2月3日の夜 大連に行き、4日に帰港したが、
内港ではなく外港に停泊した。

海軍の戦略からいえば、これほどの好機はなかった。
洋上でこれをとらえ、大痛撃を与えるべきであった。

この旅順軍港は、ロシアが山も島も湾口も、
鉄とコンクリートで鎧ってしまうほどの砲台群で
武装していることは、日本側も想像している。

ロシア艦隊はそこを巣にしている。

それを撃つといっても、とても入り込むことはできない。
「港外に誘いだして撃つ」というのが最初からの考えであった。
出てくるかどうかが、
日露間の海軍の勝敗のわかれ目になるはずであった。


ロシア帝国・サンクトペテルブルク──。

日本国がロシア国に対して国交断絶を通告したのは、
明治三十七年二月六日であった。

朝鮮内の日本の権益を慈悲で認めてあげたにもかかわらず
野蛮な日本から国交断絶の通告を送りつけられてくるとは、
皇帝に無礼ではないか──。

ロシア皇帝・ニコライ二世は憤慨していますが、
同席しているラムズドルフ外務大臣は
皇帝の譲歩案が最初から日本側に届いていない可能性を示唆。

つまり、皇帝からの訓電はアレクセーエフの元で止まっており
東京のローゼン公使には行き渡っていない。
アレクセーエフにとって極東総督は名ばかりで、
戦争でひと儲けすることしか頭にありません。

アレクセーエフの単独プレーに怒り心頭の皇帝ですが、
ともかく、日本が国交断絶を通告してきた以上
ロシアとしても 急いで御前会議を開いて
陸海軍とも臨戦態勢に入らなければなりません。

臆病な日本人の性質を知っている皇帝は、
この通告が戦争を意味するはずはなく
即座にロシアに戦争を仕掛けてはこないと考えています。

ニコライ二世が御前会議を招集したのは、それから二日後だった。


国交断絶の報は、極東総督アレクセーエフのもとにも伝えられた。
旅順港では、日本人居留民の総引揚げが開始されていた。

旅順・極東総督府──。

アレクセーエフは、旅順の日本人たちが慌てふためいて
引き揚げている様子を眺めて“戦争は近い”と感じながらも、
仁川の艦隊に知らせず、地元新聞社の報道も許可せず、

旅順艦隊には、普段通りの日課をこなすように
指示するにとどめています。


佐世保を出た連合艦隊主力が、
旅順港の東方 四十四海里にある円島付近の洋上に達したのは、
二月八日 午後六時である。

「予定のごとく進撃せよ。一同の成功を祈る」との
信号旗が、旗艦三笠のマストに翻ります。
それに対し、第一駆逐隊の白雲からは
「確かに成功を期す」と返答の信号が掲げられました。

全襲撃部隊が、艦隊主力からはなれた。

真之はこの襲撃に、連合艦隊が持っている駆逐艦兵力の
すべてを投入するつもりで計画しております。

この駆逐艦群による奇襲では、ロシアの軍艦を五隻は沈めたい──。

もしも減らせなければ
後々の洋上での主力決戦は日本軍が絶対的に不利になるので、
この奇襲作戦のテーマは、少しでも敵を減らすことにあります。


戦艦朝日──。

広瀬が、愛しきアリアズナからの手紙を読んでいます。

──親愛なるタケオ、お元気でしょうか。
  サンクトペテルブルクは相変わらずの雪で、
  私は家に閉じこもっています。

  昨日、ボリスから手紙が届きました。
  ボリスの戦艦は「旅順」という港に到着したそうです。
  要塞の上に立つと、タケオが住む日本が見えるようだ、
  と書いてあります。
  ボリスらしい冗句でしょうが、心臓がドキンとしました。

  どうか、くれぐれもお身体を大事になさってください──

そこで広瀬は、同じ旅順内に
同志ボリスがいることを知るわけですが、
ボリスは、旅順に広瀬がいることを知りません。

この夜、旅順は
いかなる危険をも予想することがおろかしいほどに平穏であった。

さらにわるいことに、この日はマリア祭であった。
ロシアの宗教習慣として、この聖母マリアの名にあやかった
マリアという名の女性を祝賀することになっている。

艦隊の司令長官であるスタルク中将の夫人がマリアであった。
このため司令長官夫人は部下の将校多数を官邸にまねき、
祝賀の夜宴を催した。

ボリスは今夜当直らしく、旅順の官邸から艦に戻ります。

日本人居留民が大挙して引き揚げて
今は平穏な旅順を ボリスは「何かありそうだ」と怪しみますが、
総督や将軍たちが食事を楽しんでいる様子を見て
思い過ごしかもしれない、と思い直し、
ロシア旅順艦隊・戦艦 ツェザレビッチに戻っていきます。

しかし、ボリスの予想は外れてはいませんでした。
日本海軍の奇襲作戦の準備は着々と進み、
そしてついに魚雷による攻撃が始まります。

官邸では「花のワルツ」の音楽に合わせて
優雅にダンスが行われていますが、
外では落雷のような轟音と閃光が光ります。

一瞬のことに驚いてダンスをやめる参加者たちですが、
幕僚たちは艦隊の礼砲と勘違いし、親愛の拍手を始める始末。
そしてダンスは続けられます。

そんな勘違いの最中にも、
ツェザレビッチでは 奇襲を受けて大わらわ。
ボリスも海に投げ出されてしまいます。

ダンスの輪の中にいたアレクセーエフは、
副官から駆逐艦隊からの奇襲があった旨の報告を受けますが、
アレクセーエフは、『宣戦布告なき無法な奇襲』と
世界中の新聞が書き立てる、と慌てる様子を見せません。

しかし、日本のこの水雷攻撃部隊も きわめて不手際だった。

ぜんぶで二十本の魚雷を射ちながら、
戦艦二・巡洋艦一を大破させただけでおわった。
大破三艦とも、二カ月の修理で
戦列に復帰できる程度の手傷であった。

条件のよさからみれば、
考えられぬほどに貧しい戦果しかあげられなかった。

こののちロシア旅順艦隊は、港内ふかくひきこもり
要塞にまもられてひたすら消極主義をとった。


九日の夜があけると、皇帝は宣戦布告を発した。

ロシアは、日本のだまし討ちに対する自衛を主張した。
しかし、ロシア側の言い分は国際的同調を得られなかった。
当時の慣習では、武力行使の前に宣戦布告は
必ずしも必要なかったのである。

教会には アリアズナがお祈りを捧げにやって来ています。

その帰り、アリアズナとともに馬車に乗っている父は
ボリスが広瀬と戦場で遭遇しないことを祈っています。


日本公使館──。

駐露公使・栗野慎一郎は、日本とロシアが
開戦という最悪の結末に失望感をあらわにします。

ペテルブルクの日本公使館が
開戦によってひきあげたのは明治三十七年二月八日で、
公使以下、一路 ストックホルムをめざした。

児玉源太郎の秘密命令を受け
ロシアで革命工作を続けていた明石元二郎も、
ストックホルムに拠点を移すことになった。


日本国内では、旅順港沖での開戦は
号外をもって大々的に報じられた。
国民は、大国ロシアを相手に奮闘する
連合艦隊の姿に狂喜し、街は祝賀色に彩られた。

「新聞日本」前で、戦争開始 初戦勝利の号外を手にした律は
その号外の中にある『戦争開始さる』の文字に、
ついに戦争が始まってしまったと蒼ざめます。

戦争の行方よりも、
幼いころから無鉄砲だった真之の身が心配である律は
祝賀ムードの町中を走り抜け、慌てて真之家へ。

しかしそこには、なぜか紳士靴が一組……。

それを見つけた途端、律の表情がかなり険しくなりますが、
その靴の正体は、季子の父・稲生真履でありまして、
父も季子が心配で様子を見に来ているわけです。

そういう事情と知って、律もひとまずは一安心です。
早とちりしなくてよかったね、リーさん(^ ^;;)

律が持ち込んだ号外を見るや否や、
真履は義理の息子である真之を 少しオーバーに褒め讃えます。

それは、娘に元気を出してもらおうという親の気遣いであり、
律も、恐らくは泣いているであろう季子を心配して
真之家へ駆け込んできたわけですが、
季子は「大丈夫です!」と強がってみせます。

しかし、律から見れば そんなウソはお見通しです。
怖いのは誰も同じなのですね。


開戦のとき、秋山好古は四十六歳で
千葉県習志野の騎兵第一旅団の旅団長をしている。
陸軍少将であった。

この戦争は、海軍の制海権獲得戦ではじまっており、
陸軍はしばらく待機していた。

騎馬隊の先頭で走る好古は、
家族全員で撮影した写真を添えて
戦争の先頭にいるであろう弟に向けて手紙を送ります。

戦艦三笠では、東郷や島村らとともに今後の作戦を練っています。

旅順港外での最初の戦いは、
結局のところ双方とも一隻も沈んでいません。
ということは、当初の計画通りには
ロシア側の敵艦を沈められなかったわけです。

日本としてはバルチック艦隊が救援のために到達する前に
旅順艦隊をなんとか叩き潰しておきたいところですが
今回の奇襲作戦のこともあって、奥深くに隠れてしまい
なかなか表に出てきてくれません。

逆に、旅順艦隊が出撃できなくするのはどうだろう?
旅順要塞を閉塞(封鎖)するしかない、と有馬良橘中佐は提案します。
ただ「閉塞の権威」といわれた真之は大反対の立場です。
これに有馬は意外そうな顔をします。

かつて真之は、
米西戦争の際の閉塞作戦を目の当たりにしていますが、
あの時とは地理的状況も軍備規模もあまりに違いすぎます。
しかも閉塞作戦では失う兵も多く、被る犠牲が大きすぎます。

旅順要塞を甘く見ていたら立ち行きません。
やれば必ず、無数の兵を失ってしまいます。
無数の兵の死を頼んで立てる作戦ならば
作戦家は必要ない、というのが真之の美学です。

東郷は、閉塞作戦の計画・準備を指示することで有馬の顔を立て
出撃時刻を秋山の主張する夜間にすることで秋山の顔を立てます。

ともかく、閉塞隊員を
無事に収容する方法を考えなければなりません。
兵を無駄に失うことだけは避けねばなりません。

港口に沈める汽船は、五隻である。
総人員は指揮官、機関長をのぞくと六十七人が必要であった。

下士官以下の人員は、ひろく艦隊から志願者をつのった。
たちまち二千人が応募し、有馬や広瀬をおどろかした。
なかには、血害をして志願する者もいた。

有馬は「兵を奮い立たせる作戦こそ、ええ作戦や」と
己の主張が正しかったことを秋山に見せつけます。
秋山は、何とも言えない複雑な表情を浮かべています。


第一次 旅順口閉塞作戦──。

閉塞隊の五隻は、二月二十三日の薄暮、
円島の東南方 二十海里の洋上にあつまった。
ここを出発点とし、
諸隊がそれぞれの航路をとって旅順にゆくことになる。

閉塞隊五隻のうちの一隻・報国丸に乗船した広瀬を
真之は ただ黙って見送ります。
その報国丸には、ロシア語で書かれた垂れ幕が掲げられていました。

──尊敬すべきロシア海軍軍人諸君。
  請う、余を記憶せよ。
  余は日本の海軍少佐・広瀬武夫なり。
  報国丸をもってここに来る。
  さらにまた幾回か ここに来らんとす。
  我が親しき友よ、健やかなれ──

進軍しながらも、報国丸では
爆破用スイッチの点検に余念がありません。

この閉塞は、第一次閉塞といわれる。
結果としては、うまくゆかなかった。

旅順要塞からの激しい砲撃を受けて作戦は失敗。
しかし、幸いにして死者は出ませんでした。
戻ってきた広瀬は、受けた傷の手当をしています。
多少の出血はあるものの、かすり傷のようです。

真之は正直、戦略に迷っています。
夜間出撃にしたことで、犠牲は確かに抑えられましたが
閉塞作戦で閉塞できなければ何の意味もありません。
有馬にきつく責め立てられたようです。

「お前の立てる作戦を信じちょる」と広瀬は叱咤します。


ちょうどその頃、旅順艦隊では
自沈した報国丸に貼り付けてあったロシア語の幕を発見します。
ボリスはそこで初めて、広瀬が旅順にいることを知ります。

この男は、この三月に 新しくロシア旅順艦隊司令長官に着任した
ステパン・マカロフ中将である。
ロシア海軍の至宝といっていい。

ヨーロッパの全ての国の海軍を見まわしても、
マカロフほどの理論家はいない。
かれの着任とともに、
旅順艦隊の士気は見ちがえるほどにあがった。

アリアズナは 広瀬も旅順にいることを知り、
広瀬とボリスが敵味方に分かれて殺し合わねばならぬという
その運命の酷い仕打ちに、目に涙を浮かべて家を飛び出します。


第二閉塞隊として、広瀬が指揮官を務める福井丸など
その隊の詳細が発表されます。

第二回閉塞作戦は、四隻えらばれた。
指揮官は前回とおなじであり、総指揮官は有馬良橘、
それに広瀬武夫、斉藤七五郎、正木義太である。

広瀬はアリアズナへの手紙をしたためていました。
訪ねてきた真之に、自分にもしものことがあったら
写真の令嬢(アリアズナ)に届けてほしい、と手紙を託します。

第二次 旅順口閉塞作戦──。

三月二十六日午後六時半、閉塞船の四隻は根拠地を出発した。

二十七日 午前二時。
老鉄山の南方に達するや、千代丸を戦闘に単縦陣をつくり
福井丸・弥彦丸・米山丸の順で、港口にむかって直進した。

福井丸では、必ず閉塞作戦を成功させ全員生還させる! との
広瀬の宣言に、隊員たちは気合い充分であります。
ついに千代丸から突入が令され、閉塞作戦に取りかかります。

しかし、旅順要塞の探照灯に閉塞船を発見され
さらに敵駆逐艦の待ち伏せに遭ってしまいます。
アッという間に閃光と轟音に包まれる旅順の海。

集中砲火を受け被弾した千代丸は爆沈する準備を始め、
それを確認した広瀬は、千代丸の左へ福井丸を回します。

次々に放たれる大砲の攻撃を受けながら福井丸も負けじと砲撃し
広瀬もついに投錨自沈の用意を始めさせますが、
ロシア駆逐艦から放たれた魚雷が福井丸の船首に命中、
船内大爆発を起こして船底が裂けてしまいます。

広瀬は、船員と短艇に福井丸の起爆装置を積み込んで
乗員退避する準備に取りかかります。
「早くしろ!」「気をつけろ!」と焦りながらの退却ですが、
脱出作業自体には時間が充分にあります。

しかし点呼をとってみると、杉野上等兵曹だけがいません。
広瀬は船内をくまなく探し回りますが、見つかりません。
水雷命中時にはね飛ばされたのでは? と飯牟礼隊員が言いますが、
「推測でモノを言うなッ! もし生きちょったらどうする!?」と
飯牟礼を怒鳴りつけます。

それから船内に三度戻って杉野を探しまわりますが、
その間にも敵の攻撃は手を緩めるところを知らず
福井丸は被弾、被害が拡大しています。
結局は杉野は見つからず、広瀬はついに諦めて短艇に戻ります。

福井丸から多少離れたところで、広瀬は例の起爆装置を起動。
爆破された福井丸は沈んでいきます。

広瀬は、恐怖で固まる隊員を「いいぞ、いいぞ!」と励まし
隊員たちも、最後の力を振り絞って短艇を漕いでいきます。

アリアズナが「あなたの国の言葉を教えて。あれは?」と
太陽を指さして言った湖畔での様子が、広瀬の脳裏に蘇り……。
その瞬間、短艇は爆発音と悲鳴が響き渡ります。

広瀬が、消えました。

旅順の海深くに、アリアズナが贈った懐中時計が
音もなくゆるやかに落ちていきます。


艦隊三笠では、有馬による
第二次閉塞作戦の報告が東郷になされています。
戦死者は、福井丸の広瀬武夫少佐・杉野孫七上等兵曹・
小池幸三郎二等機関兵・菅波政次二等信号兵曹の四名。

東郷も島村も、沈痛な面持ちでその報告を聞いています。

「作戦を完遂できなかった責任は、閉塞作戦を指揮した自分に」と
有馬は言い、何か言おうとした真之を止めます。

真之は「ごろ寝してきます」と
作戦会議室から離れて自分の部屋へ戻りますが、
広瀬らを失った哀しさや悔しさで涙を溜めます。


旅順で発行されていた新聞「ノーヴィ・クライ」は、
四月三日付けで、広瀬武夫の死について詳細な記事を残している。

その記事によれば、「福井丸」の船首付近で日本人将校の遺体を発見。
ロシア海軍は、その勇猛果敢なる将校の死を悼み、
ロシア正教にのっとり、手厚く葬儀をおこなった。

ロシアの水兵が棺を運び、聖歌隊が葬送の曲を歌う中
葬られたという。

空に向かって銃声が響く中、ボリスは友の死を悼み
一輪の白い花を添えて最後の別れの言葉をかけます。

広瀬の手紙は、中立国を経て アリアズナの元へ届いた。

──アーダ。
  いつか君に教えてもらったね。
  人が人を思いやる優しい気持ちを、
  ロシアでは『クマナスティ』という。
  いくら国同士が戦っても、僕はこの気持ちを大切にしたい──

アリアズナは、海軍少将の娘でありながら、
その未来の夫である日本海軍の士官のために、喪に服した。


海軍の閉塞作戦は失敗に終わった。

敵の旅順港内には、世界有数の大艦隊が潜伏している。
もし、この大艦隊が自由に海上にのさばり出れば、
日本は海上補給を断たれ、満州に上陸した陸軍は孤軍と化し
敵の襲来を待たずして立ち枯れてしまうのは当然であった。

連合艦隊は、その旅順の口をふさいで
敵が出て来ないように封鎖している。
この状況を打ち破る方法がただ一つあった。
陸軍による旅順要塞の攻略である。

旅順攻撃は、維新後近代化をいそいだ日本人にとって
はじめて「近代」というもののおそろしさに接した
最初の体験であったかもしれない。

要塞そのものが「近代」を象徴していた。
それを知ることを、日本人は血であがなうことになる。

──────────

明治37年(1904年)3月27日、
第二次閉塞作戦において、広瀬武夫が死す。

明治38(1905)年5月27日、
日本とロシア帝国との間で戦われた日本海海戦まで

あと1年2ヶ月──。



原作:司馬 遼太郎 (『坂の上の雲』より)


脚本:野沢 尚
  :佐藤 幹夫
  :柴田 岳志


音楽:久石 譲


メインテーマ:「Stand Alone」
    作詞:小山 薫堂
     唄:森 麻季

演奏:NHK交響楽団
  :東京ニューシティ管弦楽団

テーマ音楽指揮:外山 雄三

脚本諮問委員:関川 夏央
      :鳥海 靖
      :松原 正毅
      :松本 健一
      :宮尾 登美子
      :山折 哲雄
      :遠藤 利男

脚本監修:池端 俊策

時代考証:鳥海 靖
風俗考証:天野 隆子
海軍軍事考証:平間 洋一
      :菊田 慎典
陸軍軍事考証:寺田 近雄
      :原 剛
艦船考証:泉 江三
軍服考証:柳生 悦子
軍装考証:平山 晋
騎兵考証:岡部 長忠
    :末崎 真澄
    :清水 雅弘

取材協力:司馬遼太郎記念館

資料提供:坂の上の雲ミュージアム
    :子規記念博物館
    :馬の博物館
    :海上保安庁海洋情報部
    :高橋 洋一

撮影協力:宇城市
    :天草フィルムコミッション
    :舞鶴フィルムコミッション
    :博物館明治村
    :日本ラインフィルムコミッション
    :日本元気劇場
    :海上自衛隊 横須賀教育隊
    :記念艦三笠
    :防衛省
    :埼玉県
    :川口市
    :豊富町

題字:司馬 遼太郎


語り:渡辺 謙

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[出演]

本木 雅弘 (秋山真之)


阿部 寛 (秋山好古)


菅野 美穂 (正岡 律)


原田 美枝子 (正岡八重)


藤本 隆宏 (広瀬武夫)


マリーナ・アレクサンドロワ (アリアズナ)

加藤 雅也 (有馬良橘)

塚本 晋也 (明石元二郎)

利重 剛 (栗野慎一郎)

ティモフィー・ビョードロフ (ニコライ2世)
アルチョム・グリゴリエフ (ボリス・ビルキツキー)
バレーリー・ジャコフ (マカロワ)
ゲンナジー・ベンゲロフ (アレクセーエフ)
ダンカン (伊地知彦次郎)
頼 三四郎 (永田泰次郎)
古本 新乃輔 (杉野孫七)
蟹江 一平 (飯田久恒)
加納 竜 (稲生真履)
鷲生 功 (山下源太郎)
石井 洋祐 (山田彦八)
市山 貴章 (書記官・秋月)
深作 覚 (浅井正次郎)
木村 昇 (平野松三郎)
ビクトル・コスチェツスキー (コバリスキー)
セルゲイ・シェルグノフ (外務大臣・ラムズドルフ)
セルゲイ・パールシン (陸軍大臣・クロバトキン)
イワン・チムチェンコ (アレクセーエフの副官)
エレーナ・プラネフスカヤ (スタルク夫人)
大和田 伸也 (井上 馨(回想))
大林 丈史 (松方正義(回想))

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石原 さとみ (秋山季子)


石坂 浩二 (山本権兵衛(回想))

米倉 斉加年 (大山 巌(回想))

竹中 直人 (小村寿太郎(回想))

尾上 菊之助 (明治天皇(回想))

江守 徹 (山縣有朋(回想))

加藤 剛 (伊藤博文(回想))

高橋 英樹 (児玉源太郎(回想))


松 たか子 (秋山多美)


バレンティノ・ストヤノフ (ツェサシビッチ号航海長)
マキシム・エステルキン (ボリスの同僚士官)
辻 輝猛 (中屋新吉)
野村 修一 (機関士・栗田)
宇佐美 健 (ロシア語を読む士官)
新井 優歌 (与志子)
松浦 愛弓 (健子)
小山 颯 (信好)
永井 慎一 (閉塞隊員)
佐藤 文吾 (閉塞隊員)
醍醐 直弘 (閉塞隊員)
仲松 秀規 (閉塞隊員)
救仁郷 将志 (閉塞隊員)
副島 龍一 (閉塞隊員) 
石戸 サダヨシ (閉塞隊員)
岩永 ひひ男 (閉塞隊員)
松浦 慎一郎 (閉塞隊員)
赤木 裕樹 (閉塞隊員)
尾形 直哉 (閉塞隊員)
福田 繁 (閉塞隊員)
河本 タダオ (騎兵旅団)
酒元 裕行 (騎兵旅団)
田中 晶 (騎兵旅団)
冴羽 一 (騎兵旅団)
渡邊 修一 (騎兵旅団)
伏見 雅俊 (騎兵旅団)
永沼 友山輝 (騎兵旅団)
大塚 ヒロタ (騎兵旅団)
倉持 貴行 (騎兵旅団)
小橋川 よしと (騎兵旅団)
森谷 勇太 (騎兵旅団)
末野 卓麿 (騎兵旅団)
平野 貴大 (陸軍兵士)
越智 健二 (陸軍兵士)
藤原 鉄拳 (陸軍兵士)
日暮 玩具 (陸軍兵士)
赤木 裕人 (陸軍兵士)
串間 保 (陸軍兵士)
芹口康孝 (陸軍兵士)
小宮山 新二 (陸軍兵士)
斉藤 あきら (陸軍兵士)
松原 征二 (陸軍兵士)
三浦 清光 (陸軍兵士)
加藤 智明 (陸軍兵士)
汐 人 (陸軍兵士)
内藤 羊吉 (陸軍兵士)
松浦 敏 (陸軍兵士)
大賀 太郎 (陸軍兵士)
松原 政義 (陸軍兵士)
小野 孝弘 (陸軍兵士)
山野 史人
牛尾 穂積
成瀬 智彦
江木 圭
ミハイル
ワレーラ
マジット
上野 太
山本 修
枝光 利雄

劇団ひまわり
劇団東俳
劇団いろは
NHK東京児童劇団
セントラル子供スタジオ
フジアクターズシネマ
エレメンツ
テアトルアカデミー
キャンパスシネマ
エンゼルプロ
VIVIT
キャラJOB
NAC
クロキプロ
ラザリス
稲川素子事務所
熊本市のみなさん
天草市のみなさん
宇城市のみなさん
舞鶴市のみなさん
小松市のみなさん
小松高校吹奏楽部のみなさん
加賀市のみなさん
つくばみらい市のみなさん

所作指導:橘 芳慧
馬術指導:田中 光法
海軍軍事指導:堤 明夫
軍楽隊指導:谷村 政次郎
砲術指導:佐山 二郎
アクション指導:深作 覚
医事指導:中村 毅志夫
松山ことば指導:野沢 光江
大分ことば指導:池永 宗士郎
博多ことば指導:明石 良
薩摩ことば指導:西田 聖志郎
土佐ことば指導:岡林 桂子
和歌山ことば指導:小林 由利
ロシア語指導:中川エレーナ
タイトルバック:菱川 勢一
ドキュメンタリー部映像加工
       :ドローイング アンド マニュアル
VFXプロデューサー:結城 崇史
VFXスーパーバイザー:長尾 健治

──────────

舘 ひろし (島村速雄)


草刈 正雄 (加藤友三郎)


竹下 景子 (秋山 貞)


渡 哲也 (東郷平八郎)

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エグゼクティブ・プロデューサー:菅 康弘
               :西村 与志木

制作統括:中村 高志
    :藤沢 浩一

プロデューサー:関口 聰
美術:山下 恒彦
  :神林 篤
技術:川邨 亮
音響効果:西ノ宮 金之助
撮影:岡田 裕
照明:富岡 幸春
音声:野原 恒典
映像技術:横田 幹次
VFX:西垣 友貴
CG:松永 孝治
美術進行:萩原 春樹
記録:野田 茂子
編集:石川 真紀子

(ロシアロケ)
プロデューサー:アレクサンドル・ワシリコフ
コーディネーター:スペトラーナ・ミハイロワ
外交史考証:アレクサンドル・パノフ
衣裳デザイン:バベル・リバトフ
      :エレーナ・バリン
美術協力:アレクサンドル・ザゴースキン
演出協力:アレクサンドル・ミッタ

(ラトビア・エストニアロケ)
制作協力:FILM ANGELS STUDIO
プロデューサー:トマス・マカラス

(マルタロケ)
制作協力:MFS
プロデューサー
   :コーネリア・アッツォパルディ・シェルマン
ロシア海軍考証:セルゲイ・チェルニャフスキー
アクション指導:ルボミール・ミサック


演出:木村 隆文


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』
第10回「旅順総攻撃」

2011(平成23)年12月4日 放送(予定?)

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