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2011年3月 1日 (火)

プレイバック功名が辻・[新] (01)桶狭間

地上・BSデジタル放送完全移行 2011年7月24日まで あと145日
地上およびBSのアナログテレビ放送は終了し、デジタル放送へ移行します。


現在、毎週日曜日には大河ドラマのあらすじを
Kassyの個人的感想も隠し味程度に混ぜながら
お届けしておりますが、いかがでしょうか。

当然ながら、それらの記事はブログをやっていた時期に
ドラマをオンタイムで見た『風林火山』以降の作品であります。

せっかくなので(←何が“せっかく”か分かりませぬが(笑))、
それより以前に放送された作品も、同様に記事にしていくことで
Kassyの中の視聴記録としたいと思うのですが、

そこで考えた企画が
今回からの「プレイバック」シリーズであります。

基本的には、その『風林火山』から遡っていく形にしたいので
今回からお届けする作品は、平成18年に放送された
司馬遼太郎さん原作の『功名が辻』です。


──人の世に戦のない時代はない。

ハイテク兵器が戦争の形を変えたように、
430年前、信長軍が見せた射撃戦は 戦の常識を一変させた。

3,000挺の鉄砲による大規模で組織的な射撃戦は
ヨーロッパでさえまだ行われていない。
実に、世界初のことであった。

戦国時代はまさしく革新の時代であった。
しかし、信長、秀吉、家康と受け継がれていった
天下統一の野望の下で、
おびただしい数の命も失われたのであった。

この物語は、
乱世の片隅で命の瀬戸際に手と手を携えて生き抜き、
ついには土佐24万石の盟主にまで登りつめた
山内一豊と その妻千代の物語である──


原作:司馬 遼太郎「功名が辻」

脚本:大石 静

音楽:小六 禮次郎

テーマ音楽演奏:NHK交響楽団
テーマ音楽指揮:ウラディーミル・アシュケナージ
演奏:FAIR WIND music

題字:だん きょうこ
語り:三宅 民夫 アナウンサー

時代考証:小和田 哲男
風俗考証:二木 謙一
建築考証:平井 聖
衣裳考証:小泉 清子

殺陣武術指導:林 邦史朗
馬術指導:田中 光法
所作指導:橘 芳慧

能楽指導:観世 喜正
小鼓指導:後藤 嘉津幸
邦楽指導:清元 栄吉

撮影協力:滋賀ロケーションオフィス
    :滋賀県高島市
    :滋賀県野洲市
    :滋賀県東近江市
    :高知フィルムコミッション
    :いばらきフィルムコミッション

──────────

[出演]


仲間 由紀恵 (千代)

上川 隆也 (山内一豊)


武田 鉄矢 (五藤吉兵衛)

前田 吟 (祖父江新右衛門)

和久井 映見 (濃)

石倉 三郎 (前野将右衛門)

浜田 学 (祖父江新一郎)
高山 善廣 (蜂須賀小六)

──────────

大地 真央 (市)


香川 照之 (六平太)


宅麻 伸 (若宮喜助)

木村 多江 (とも)

永井 杏 (千代(幼少))


勝野 洋 (柴田勝家)

名高 達男 (丹羽長秀)

苅谷 俊介 (林 通勝)

俵木 藤汰 (佐久間信盛)


江守 徹 (今川義元)


西田 敏行 (徳川家康)


二瓶 鮫一 (浅野又右衛門)
真由子 (やや)

坂口 芳貞 (村長)
福本 清三 (義元の老臣)

窪田 弘和 (林阿弥)
岡田 和範 (梁田政綱)
橋本 啓輝 (織田信行)
石田 晃一 (細作)

田中 壮太郎 (伝令)
青木 哲也 (斥候)
車 邦秀 (大森常則)
─────
若駒
NAC

倉田プロ
JAE
エンゼルプロ
劇団ひまわり
劇団東俳

キャンパスシネマ
テアトルアカデミー
滋賀県のみなさん
高知県越知町のみなさん
茨城県伊奈町のみなさん

──────────

浅野 ゆう子 (寧々)


柄本 明 (藤吉郎)


佐久間 良子 (法秀尼)


舘 ひろし (織田信長)

──────────

制作統括:大加 章雅

美術:岸 聡光
技術:市川 隆男
音響効果:久保 光男
記録:野田 茂子
編集:水島 清子

撮影:横山 義行
照明:木村 中哉
音声:冨沢 裕
映像技術:横田 幹次
美術進行:松谷 尚文

演出:尾崎 充信


永禄3(1560)年 近江・浅井領──。

北近江に位置する浅井領内のある田んぼで、
父・若宮喜助とともに田植えに勤しむ千代。

その横で千代にちょっかいをかける六平太。
稲を千代に投げつけてはキッキッキッと笑っています(^ ^;;)
サルかお前は(笑)。

そんな時、南近江の六角と戦うために出陣命令が下ります。

喜助はこの付近の領主さまらしく、
村人に比べると屋敷の構えも幾分か立派なのですが、
この屋敷で仕える人がわずかしか見当たらないところをみると
大量に雇えるほど裕福というわけではなさそうです。

千代の母のともは病気で伏しがちですが、
出陣命令を聞いて、千代とともに手際良く準備します。

喜助は千代に言葉を言い残すのですが、そのセリフがいかにも
「私はこの戦で帰ってきませんよ」と言わんばかりのものでして、
この先の展開がちょっとだけ読めたような気がしました。

とはいえ、この時代の武士(喜助の場合は半農半武士)は
いつも生命の境界線を生き抜いているわけで、
喜助は戦に出るたびに、
愛娘に毎回言葉を言い残していると解釈すればよさそうです。

でも「お前は赤ん坊のころから、よく泣き、よく笑い、
よく乳を飲み、よく寝る子じゃった」と懐かしむ喜助に
『父ちゃん、それ何度も聞いた』と言ってしまえば、
感動シーンがメチャクチャになることうけあい(笑)。

六平太は、親を戦で失ったらしく
出陣命令を聞いて「オヤジの仇!」と勇んで戦に出て行きます。


そのころ、尾張国では
当主の織田信長が危急存亡の時を迎えていました。

駿河国の今川義元が上洛すべく
大軍を引き連れてこの尾張に攻め込むのだそうです。
信長は密かに桶狭間山を下見します。

ゼイゼイと息を切らしながら後からついてくるのは藤吉郎です。
藤吉郎は後の豊臣秀吉となる人物で、当時はまだ25歳。
27歳の信長にガンバって仕えていますが、

演者の柄本 明さんは当時58歳。
あんな長距離を全速力で走らせては、
そりゃあ鬼のような形相になりますわな(笑)。


そしてまた同じころ、
田んぼ道をてくてくと進む3人の男たちの姿があります。
2メートルほどの槍を持ち、格好は汚らしくはありませんが
仕官先を探すといったような、いかにも浪人っぽい姿です。

後ろから馬の駆ける音が近づき、3人は慌てて道を空けますが
後からついてくる藤吉郎の「御屋形さま〜!」という声を聞き、
「父の仇!」と信長を追いかけていきます。

しかし、馬で駆ける信長に追いつくはずもなく。
サラサラと流れる小川の横でふて寝。

追いかけていった男は山内一豊。
元は岩倉織田家の家老・山内盛豊の息子ですが、
その父が岩倉城で信長に討たれて以来、織田を離れ
仕官先を探して諸国を巡っています。

そして残り2名は、この一豊に仕える家臣の
言葉尻は易しく、温かく見守るタイプの祖父江新右衛門と
何事も説教タイプに見える五藤吉兵衛です。

清洲城では、今川を迎え撃つにあたって軍議を図っています。
籠城か討って出るかで喧々囂々の議論が交わされますが、
横になっていた信長はムクッと起き上がり
「3年分の兵粮を貯えよ」と指示しておきます。

3年分って(^ ^;;)


千代の住む村では、六角勢が攻め込んできて
田畑や屋敷に火をかけてきます。
千代は病気の母を連れて屋敷を出ますが、
千代が心配で様子を見にきた六平太が手を貸します。

喜助は鉄砲に撃たれて命を落としたそうです。
ともは千代に西美濃の姉(千代の伯母)を頼るように言い置いて
兵士に殺されてしまいます。
六平太も、その兵士と取っ組み合いになり崖から転落。

ひとり残された千代は、そのまま西美濃を目指しますが……。


川では、腹を空かせた一豊が素手で魚を狙いますが
魚のほうが一枚上手のようで、
つかんでもするりと逃げられてしまいます。

千代は運良く、そこを通りかかります。
全身ずぶ濡れの小娘がよろめきながら歩いているのです。

六平太とはぐれた千代は
林の中をさまよっている時に人買いにさらわれ、
他の子どもたちと舟に乗せられて運ばれる最中に
蜂須賀小六によって助け出されたのでした。

一豊は傷の手当を丁寧にしてやりますが、
どうしても美濃に行きたいという千代を放ってはおけず
ケガが治るまでは尼の世話になれと紹介しておきます。

尼とは法秀尼、一豊の母です。

「一豊さまに聞いた」と、千代はさっそく法秀を訪ねます。
法秀は法秀で千代を歓迎し、千代に感謝しています。
千代のおかげで息子の消息が分かったわけですからね。

戦が始まるこの時期の美濃行きは危ないと、
法秀はしばらく千代を預かることにします。


今川義元がゆっくりと尾張へ近づいてきました。
1560年5月19日のことであります。

出陣した信長は味方を鼓舞し、
義元は桶狭間で休息を取ります。

そのうち、信長にとって惠みとなる雨が降り出します。

戦況を見守っていた一豊は、
目の前に信長の姿を認めて居ても立ってもいられません。
信長を討つべく急きょ参戦しますが──。

軍神・摩利支天の化身のように思えたそうです。
信長を討てません。

世に言う「桶狭間の戦い」で、
圧倒的兵力を持つ今川軍を叩いた織田軍は
奇跡の勝利を収めて清洲へ凱旋します。


法秀の元で暮らす千代は、
一豊に履かせてもらった草履を見つめています。

──────────

この大河ドラマプレイバック版でも
カウントダウンをしていきましょうか。

このドラマでは、
山内一豊が土佐20万石を有するに至った日を
“その時”に設定します。

永禄3(1560)年5月19日、
織田信長が桶狭間の戦いで今川義元を破る。

慶長5(1600)年11月、
山内一豊が土佐20万石を有する大名になるまで

あと40年6ヶ月──。

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