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2011年6月20日 (月)

プレイバック功名が辻・(20)迷うが人

地上・BSデジタル放送完全移行 2011年7月24日まで あと34日
地上およびBSのアナログテレビ放送は終了し、デジタル放送へ移行します。


天正7(1579)年7月、長浜城下の山内一豊の屋敷に
黒田官兵衛の嫡男・松寿丸がいます。

「あの蝶は夫婦(めおと)かのう」と
飛ぶ二匹の蝶を見てよねに語りかけるのですが、
「めおとってなぁに?」と例の如く尋ねるよねに
きちんと答えてあげる、秀才ぶりを如何なく発揮しています。

8ヶ月前、荒木村重を説得すべく
摂津有岡城に入った官兵衛の人質、というわけです。

ただ、入城以来、すぐに何の音沙汰もなくなり
「元主君の小寺氏に呼応して毛利に寝返ったのでは?」だの
「説得が失敗し村重に斬られた」だの
推測ばかりが飛び交う羽柴秀吉の陣中ですが、

織田家譜代の家臣ではない官兵衛が
そこまで忠義を尽くすとは思えず、裏切り説が有力です。
でも、秀吉と一豊だけは官兵衛を信じるつもりです。

ただ、見せしめに松寿丸を殺すように
織田信長からの命令が下った時には、
かの秀吉もしぶしぶ従わざるを得ません。


その秀吉から「松寿丸を消せ」という命を受け
長浜に戻った一豊に、千代は
「松寿丸は流行り病で亡くなりました」と遺髪を渡します。

一豊は、松寿丸を匿えば
それに加担した者と一族郎党は皆殺しにしてしまう
その信長の恐ろしさを知っているだけに 千代を咎めますが、

ただ、千代にもたらした六平太の情報では
村重説得に失敗した官兵衛は有岡城の獄に投ぜられていて、
未だ生きているとのこと。
村重に殺されなかったのは、
村重も官兵衛もキリシタンだったゆえです。

合点した一豊は、早く知らせねばと
遺髪を持ってそのまま三木城へ取って返します。


三木城に戻った一豊は、松寿丸の遺髪を秀吉に見せます。
松寿丸が生きていることもつい口を滑らせた一豊ですが、
秀吉は鋭い言葉を浴びせます。
「“消せ”という意味が分かっておらぬようだの」

殺せ、とは一言も言っていないのです。

つまり秀吉は、“松寿丸を殺(したふりを)し”て
泣きまねをしろ、と言うのです。
あまりのショックで泣き叫べば、そのウワサは安土まで聞こえ
松寿丸殺害をきっと信じてくれよう、というわけです。

人タラシたる秀吉の戦法は
こういったところから来ているのでしょうか。

裏切りはまず身内から、というわけで
一豊は秀吉軍団の前で大泣きして演じてみせます。
それどころか、刀を振り回して狂乱気味です。

何も知らない五藤吉兵衛は一豊を励まし、
何も知らない堀尾茂助あらため堀尾吉晴も同情をし、
何も知らない祖父江新一郎は涙すら浮かべています。

そんな一豊の様子を遠巻きに見つめる
前野将右衛門と蜂須賀小六も複雑な表情を浮かべています。


しかし有岡城を取り囲む事態は急展開を迎えます。
村重は家臣領民を見捨ててひとりで城を落ちたのです。

有岡城へなだれ込む秀吉軍。
城内にいた兵士や女こどもは皆殺しされました。

一豊は官兵衛が捕らえられている獄へ行き、無事に救出します。

信長は、こんなに忠義に厚い官兵衛を疑い
松寿丸殺害をとても悔やんでおりまして、
官兵衛のためにと一豊に砂金を与えるのですが、
一豊は、自らの一存で松寿丸を匿っている事を打ち明けます。

信長の、真っ赤に目を腫らした涙目を初めて見ました(^ ^;;)

事態が好転しても、主命に背いたからには
何らかの処分を覚悟する一豊でしたが、
信長の「官兵衛に会わせてやれい!」という言葉で
許しを得たも同然であります。

「行けい」と言われて立ち去る一豊ですが、
与えられた砂金は持って行ったのでしょうか
置いていったのでしょうか。

Kassyとしては、そこが非常に気になります(笑)。


12月。
有岡城の事態には関係なく
三木城の別所長治の抵抗はまだ続いていて、
秀吉軍は兵糧攻めにしています。

翌天正8(1580)年正月、長治が降伏を申し入れて
一豊らが三木城内に足を踏み入れてみると、
そこはまさに飢餓地獄であります。

長治ら主要の者たちは
腹を斬っていただくより他ありませんが、
もしそうなれば、城内に残った者たちには
指一本触れない約束にします。

城内の者たちに粥の炊き出しを行いますが、
その中に何故か小りんの姿が──。

小りんは長らくの兵糧攻めで目が見えなくなり
与えた粥も咽せて気を失ってしまいました。

小りんの姿に気づいた吉兵衛が助け出すのですが、
吉兵衛を追って来た一豊に、小りんは卑怯者呼ばわりします。

これが正々堂々と戦をするやり方か?
草も紙も木の皮も虫も馬も食いつくし、そんな地獄絵図と
刀や鉄砲で戦をするのとどこが違うンだ! と言われては、
一豊は「血を流さずに済んだ」と反論するのがやっとです。

これらの戦いで、一豊と吉晴、中村一氏は
揃って1,300石に加増されました。


明智光秀が、ぶらりと山内屋敷に立ち寄ります。
なんでも先日、病気がちの妻・槙に薬草を届けたそうで
そのお礼も兼ねてです。

一豊にとってみれば
千代は若干出過ぎたところがあって心配なのですが、
槙にとっては、岐阜城下に引っ越して来てからというもの
千代の世話になりっぱなしです。

日ごろ、軽々しく声をかけられる相手ではないだけに
一豊は、武士とは何ぞやと思い切って光秀に聞いてみます。

光秀曰く、その問いは誰しも考える事でしょう、と。
こんな素晴らしい武功を残す光秀はどうか気になるところですが、
その意外な返答に、一豊はある種の安堵感を覚えます。
「当たり前です」


長年にわたって攻め続けた石山本願寺が降伏、
晴れて畿内平定となりました。

すると信長は家臣団を集め、ある決断を下します。
林 通勝と佐久間信盛の両人を、織田家より追放する、というのです。

通勝の追放理由ですが、24年前のことが許せないからだそうです。
24年前とは……信長の弟・織田信行を担ぎ
信長を亡き者にしようと転覆を企てた事件のことであります。

ちなみにこの事件には柴田勝家も加担してはおりますが、
通勝と勝家はその後の働きが全く違います。

佐久間父子の追放理由は、
本願寺攻めで何の功績も残せなかったゆえです。
ただこれも、光秀や秀吉に比べれば全然足りず
何もやっていないのと同じ、というわけです。

通勝は、自分に味方して声を上げてくれる者が
一人もいないことに愕然とします。

──────────

天正8(1580)年1月17日、
三木城城主・別所長治とその一族が切腹し
1年10ヶ月ぶりに包囲が解かれる。

慶長5(1600)年11月、
山内一豊が土佐20万石を有する大名になるまで

あと20年10ヶ月──。


原作:司馬 遼太郎「功名が辻」
脚本:大石 静
音楽:小六 禮次郎
題字:だん きょうこ
語り:三宅 民夫 アナウンサー
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[出演]
仲間 由紀恵 (千代)
上川 隆也 (山内一豊)

武田 鉄矢 (五藤吉兵衛)
前田 吟 (祖父江新右衛門)
和久井 映見 (濃)
石倉 三郎 (前野将右衛門)
生瀬 勝久 (堀尾吉晴)
田村 淳 (中村一氏)
──────────
香川 照之 (六平太)

長澤 まさみ (小りん)

斎藤 洋介 (黒田官兵衛)
烏丸 せつこ (槙)

勝野 洋 (柴田勝家)
名高 達男 (丹羽長秀)
苅谷 俊介 (林 通勝)
俵木 藤汰 (佐久間信盛)

坂東 三津五郎 (明智光秀)
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柄本 明 (羽柴秀吉)

舘 ひろし (織田信長)
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制作統括:大加 章雅
演出:加藤 拓

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