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2011年7月27日 (水)

プレイバック国盗り物語・総集編後編

足利義昭を室町幕府第15代将軍に就け
上洛を果たした織田信長に対して
反織田同盟の網が急速に張り巡らされています。
その同盟の中心人物は、誰あろう将軍義昭であります。

今や織田の家臣となっている明智光秀に、
義昭の信長討伐スケジュールが披露されます。

義昭が合図を出す
→摂津石山本願寺が立ち上がる
→それを中国の毛利が後押しをする
→同時に北方から越前兵が攻めてくる
越後上杉・甲斐武田も信長を倒すことで意見がまとまり、
近江比叡山も義昭に力を貸すと約束してくれたそうです。

光秀は「さような火遊びは、お止めあそばしませ」と
いつでも冷静です。


将軍義昭の合図に従って、越前朝倉家が信長に反旗を翻します。
信長はその朝倉家を攻撃すべく敦賀まで出兵しますが、
そこに飛び込んできたのは義弟・浅井長政の離反の報であります。

何かの間違いだ、と信長はにわかに信じられませんが
織田陣中に飛び込んでくる物見たちは一様に
浅井の裏切りは本当であると報告してきます。

信長は、長政への怒りを煮えたぎらせていますが、
次の瞬間にはフッと冷静になっています。

朝倉攻めは、浅井が裏切らない見通しがあってやったもので
裏切られた今となっては、挟み撃ちを食らう前に
敦賀から早く逃げるしかありません。
羽柴秀吉を金ヶ崎に残し、全軍撤退です。


元亀元(1570)年、
姉川の戦いで浅井・朝倉連合軍をことごとく打ち負かして
岐阜に戻った信長でしたが、
次は摂津の石山本願寺が信長に反旗を翻します。

休息の暇なく、次から次へと裏切りが続くため
信長は内心「おかしい」と感じていますが、
光秀が将軍義昭を庇い、何かを隠している様子です。

浅井・朝倉軍は比叡山と同盟を結びます。
比叡山には延暦寺という武装集団がおり
しばしば権力と対抗し、不敗を誇っています。

翌、元亀2(1571)年には、
信長はその比叡山に焼き討ちを命じます。

これに真っ向から反対したのが光秀でありますが
結局、手当り次第に本堂を焼き、
全ての僧を生かすことも信長は許しませんでした。


元亀3(1572)年、一つの知らせが将軍義昭を狂喜させます。
甲斐の武田信玄が上洛の途についた、というのです。

信玄は徳川方の城を落としつつ南下。
12月22日、徳川軍は遠江・三方ヶ原で武田軍に敗れ
命からがら逃げ帰っていきます。

武田軍は、更に兵を西へ向かわせます。

信長は、将軍義昭討伐に
柴田勝家・丹羽長秀・明智光秀を選出します。
光秀は義昭の家臣であったため、柴田はそこを危惧しますが
信長としてはそんな光秀がどう出るか、様子を見たいわけです。

元亀4(1573)年4月4日、京の町を焼き払います。

義昭は信長と一旦和睦を結ぶことにしますが、
信玄がなかなか上洛しないことに焦りの色を見せています。
信玄は4月12日、信州で志半ばにして没してしまっていたわけです。

あっけなく捕らえられた将軍義昭は
信長の前に引き出され、引導を渡されます。


信長はその勢いのまま越前朝倉へ攻撃し、
当主朝倉義景を自害に追い込みます。
そして近江浅井長政へ向かい、小谷開城を迫ります。

前半を義兄として、後半を敵として戦った浅井長政は
「儂は信長を知っている!」と胸を張ります。
長政は戒名をつけてもらい、墓石を作らせて
自らの葬式をあげます。

ちなみに演者の杉 良太郎さんは
4年前の大河『天と地と』で信長役をなされておられるので、
「そりゃよ〜くご存知だろうよ」と言いたいのをグッと堪え(笑)。

織田軍との戦いに刀折れ矢尽き、浅井長政は自害して果てました。
信長の天下制覇を阻む壁が音を立てて崩れていきます。


石山本願寺と手を結んだ越後上杉謙信が上洛しようとしています。
その上洛路の途中にある加賀大聖寺城の柴田は
織田家臣たちの援軍を受けるわけですが、

そのメンバーにいた秀吉は柴田とケンカしてしまい、
信長の許しなく勝手に離陣してしまいます。

これが信長の逆鱗に触れますが、秀吉に長浜蟄居を命じます。

一方、柴田軍は思うように戦功を上げられず、
圧倒的な強さの上杉軍に兵を失うばかりです。

そんな時、松永弾正が謀反を起こしたわけです。
織田のほぼ全軍を加賀に割いている今、
松永軍に対峙させる軍は、秀吉をおいて他にはおりません。
結局、松永弾正は城に火を放ち、自害します。


謀反のウワサがあった荒木村重を攻め、
平家の落ち武者が集っていた伊賀を制圧した信長は
信玄亡き後の武田家を継いだ勝頼を攻撃。
天正10(1582)年3月に滅亡に追い込みます。

武田氏を滅ぼした戦勝祝いの席で、光秀がしみじみと
「これでわしらも骨を折ったかいがあった」と語っていますが、
それを信長が聞き咎め、折檻が始まります。

5月、中国攻めの準備にとりかかる光秀に
信長からの驚くべき命令が下ります。
「出雲・石見の二国を与える代わりに
今の所領の近江・丹波は召し上げる」

愛宕山の連歌会に加わった光秀は
「時は今 天が下知る 五月哉」と発句を読みます。

5月29日、信長は京・本能寺へ。


6月2日午前4時、明智全軍が桂川を渡り終え、
光秀が全軍に向かって宣言します。
「我が敵は備中にあらず、本能寺にある!」

朝もやがかかっている本能寺に
光秀謀反の知らせが飛び込んできます。
信長は「是非に及ばず」と迎え撃つ支度にかかります。

しかしわずか数百の兵では、
明智の大軍を蹴散らすのは無理であります。
長刀で応戦していた濃姫も、
多くの敵兵によって斬られてしまいます。

舞うように崩れ落ち、絶命。

煙が迫り来る本能寺の一室で、正座している信長。
脇差し刀を腹に突き立て──。

天正10年6月2日。
その苛烈な行動力によって禁制への扉を開いた織田信長は、
本能寺において自らの命を断ちました。
49歳の生涯でした。


本能寺後の光秀には不運の連続でありました。

備中高松城で交戦中の秀吉の元に
光秀から毛利宛の使者が間違って紛れ込みます。

本能寺において信長が倒れた報を持っていたのです。

秀吉は子どものように泣きじゃくり、
床を這いつくばってその死を悼みます。
秀吉は中国大返しという強行軍で、
アッという間に近畿に立ち戻ります。

さらに光秀は、期待していた細川藤孝の離反を知ります。

6月13日、山崎の戦いにおいて
2時間に渡り秀吉と戦った光秀はついに破れます。

深夜、小栗栖あたりで
光秀は名も無き土民の竹槍にかかって討たれてしまいます。


──光秀の死とともに、一つの時代は終わる。

戦国と呼ばれ、乱世と呼ばれた時代。
一介の油商人・山崎屋庄九郎が
美濃一国の主・斎藤道三となり得た時代。
尾張のうつけと呼ばれた悪童・天下の剣を握り得た時代。

人が、力と知恵の限りを尽くし
国盗りの夢と野望を色鮮やかに織りなした時代は、
ここに終わりを告げる。

そして時代は中世の「破壊」から近世の「建設」へ。
新しき秩序を作る人々を迎え入れようとしていた──


原作:司馬 遼太郎
脚本:大野 靖子
音楽:林  光
語り:中西 龍
──────────
[出演]
高橋 英樹 (織田信長)
松坂 慶子 (濃姫)
宍戸 錠 (柴田勝家)
火野 正平 (羽柴秀吉)
山田 吾一 (蜂須賀小六)
江守 徹 (黒田官兵衛)
樫山 文枝 (千代)
──────────
伊丹 十三 (足利義昭)
杉 良太郎 (浅井長政)
松原 智恵子 (お市)
浜畑 賢吉 (朝倉義景)
米倉斎加年 (竹中半兵衛)
林 隆三 (雑賀孫市)
──────────
大友 柳太郎 (武田信玄)
西村 晃 (里村紹巴)
露口 茂 (葛籠重蔵)
佐藤 友美 (小萩)
中野 良子 (お槙)
伊吹 吾郎 (細川藤孝)

近藤 正臣 (明智光秀)
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制作:遠藤 利男
演出:斎藤 暁・村上 佑二・伊予田 静弘・山本 誠
   重光 亨彦・田代 勝四郎・上岡 耕三

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