プレイバック功名が辻・(29)家康恐るべし
天正11(1583)年9月、秀吉は日本の中心の城として
大坂城の築城を開始します。
姫路城へご機嫌伺いに赴いた千代は
秀吉に「一豊はくさっておろうのう」と言われ、
殿へのご恩、一日たりとも忘れたことはございません、と
模範解答的な返答で、秀吉や寧々を笑わせます。
その帰り、千代は廊下で若い武将とすれ違ったのですが、
千代の顔を覚えていたか、その武将は振り返り再会を喜びます。
かつて、調略のために養子に出されていた治兵衛であります。
千代の元を離れてから、治兵衛はあちこちに養子に出され
政略の嫁取りをさせられ、半ばうんざり気味の治兵衛です。
治兵衛、羽柴秀次であります。
翌 天正12(1584)年正月。
安土城で、織田家の後を継ぐ三法師の年賀挨拶が行われます。
しかし、織田の家臣たちはその後、
織田信雄への挨拶に出向いているそうです。
中村一氏の考えでは、信雄にとって
織田の家臣たちが挨拶にきてくれる中、秀吉だけが来ないとなれば
秀吉を畏れるようになり、家臣たちとともに徳川家康に加担する。
そうなれば、秀吉にとって信雄を討つ口実ができる……。
秀吉にとって、織田家はもはや無用のものであり
信雄が家康と手を組めば徳川を滅ぼすこともできるわけで、
一石二鳥なわけです。
一豊は、日本一律儀な家康が
秀吉と戦をする訳はないと考えていますが、
一氏や堀尾吉晴は「甘いのう」と言って
砂糖菓子をポリポリかじります。
千代も一氏らと同じことを思っていました。
ただ、一豊は政治的な考えを得意げに語る千代があまり好きではなく
ついつい夫婦喧嘩になってしまう訳ですが、
それを廊下で聞いていたよねは、
父が今度いつ戦に出て行くか分からない今、
一緒にいる間は「ケンカはおやめくださりませ」と
今にも泣きそうな顔です。
一豊は愛娘には甘いらしく、よねと千代に素直に謝ります。
「正四位下 左近衛権中将」(しょうしいげ さこのえごんのちゅうじょう)
という位を秀吉は家康に与え、それでも応じなければ
「従三位参議」(じゅさんみさんぎ)という
秀吉よりも高い位を与えます。
自分よりも高い位を与えれば
家康はお礼として動かざるを得ません。
そう見込んだはずでしたが、それでも家康は動きません。
礼状一つで事をすませ、決して頭を下げようとしないわけです。
そんな家康を、信雄が訪ねてきます。
信雄は秀吉憎しで固まっておりまして
家康が味方してくれれば勇気100倍です。
自分と同じように秀吉を憎いと考えている諸侯は
他にもたくさんいるはずで、
家康は、その武将たちの調略一切をすべて信雄に任せます。
ただ、信雄が帰った後
家康は信雄を「まことのうつけであるな」と評し
家臣たちと一緒に大笑いしています。
とはいえ、25,000の兵を持っている信雄はあなどれません。
徳川軍34,000と合わせれば、戦いようがあります。
3月、家康はついに立ち上がります。
両雄激突、小牧・長久手の戦いであります。
とはいえ、両軍はしばらく睨み合いが続きます。
「中入り」という、
戦場とはほど遠い相手方の本拠地を攻撃することで
相手を強引に動かそうとする戦法を主張する秀次ですが
それは賎ヶ岳の戦いの折にも
柴田勝家軍の佐久間盛重が立てた戦法でして、
その結果、柴田軍は敗北したのでした。
秀吉も、先に動いたら負けると考えていながら
今回は秀次の熱意に負けてやらせてみます。
しかし、家康による徹底した情報戦で
秀吉軍の中入り戦法もたちまち知るところとなっています。
「奇襲には奇襲を持って征す」と秀次軍に攻撃を仕掛けます。
秀次軍、総崩れ──。
秀吉は、帰陣した秀次に罵詈雑言の言葉を浴びせます。
陣が同じだった一豊は、叩き斬ろうとする秀吉から秀次を守り
秀吉に対して詫びの言葉を入れさせます。
こうして戦いは終わり、局地戦では家康軍は勝ちましたが
秀吉による信雄調略が功を奏し、和睦に至ります。
結局、家康が戦をしたのは無駄骨ということになり、
「私はいったい何だったのでしょう」と(笑)。
7月、関白職に就いた秀吉は一豊を大坂城に召し出します。
子のない秀吉の跡取りとして
秀次は大事に育てていきたいところです。
そんな秀次を身をもって守り抜いた一豊の肩に
秀吉はポンと手をかけ……。
屋敷へ戻った一豊は、ほとんど放心状態です。
その異変にいち早く気づく千代ですが、
一豊の口から出たのは、意外な一言でした。
「千代、よね、喜べ。長浜城を賜ったんじゃ」
一気に20,000石に加増、これで城持ち大名です。
あまりに急なことで、千代はにわかには呑み込めません。
それが夢ではなくホントのことだと分かった時、
愛娘の前で抱き合って大喜びする千代と一豊でした。
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天正12(1584)年4月9日
長久手の戦いで羽柴秀吉と徳川家康が戦う。
慶長5(1600)年11月、
山内一豊が土佐20万石を有する大名になるまで
あと16年6ヶ月──。
原作:司馬 遼太郎「功名が辻」
脚本:大石 静
音楽:小六 禮次郎
題字:だん きょうこ
語り:三宅 民夫 アナウンサー
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[出演]
仲間 由紀恵 (千代)
上川 隆也 (山内一豊)
前田 吟 (祖父江新右衛門)
生瀬 勝久 (堀尾吉晴)
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成宮 寛貴 (羽柴秀次)
田中 健 (本多作左衛門)
斎藤 洋介 (黒田官兵衛)
名高 達男 (丹羽長秀)
嵐 広也 (福島正則)
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中村 橋之助 (石田三成)
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浅野 ゆう子 (寧々)
柄本 明 (羽柴秀吉)
西田 敏行 (徳川家康)
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制作統括:大加 章雅
演出:加藤 拓
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