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Kassy号〜♪の車窓から 2011

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2011年10月23日 (日)

(41)姉妹激突!

【アヴァン・タイトル】

──齢 七十を越えた家康、二十歳を越えた秀頼。

天下取りへの執念を燃やす家康にとって、
秀頼の存在が脅威となる。

残された時は、あとわずか。
家康は、最後の戦いに打って出る。

江たちに、悲劇が迫っていた──


慶長19(1914)年・夏。

江戸城内の廊下を、竹千代(11)を先頭に
のっしのっしと行軍(?)するお側衆一行。

出会い頭に衝突した家臣に凄い剣幕でまくしたて、
弟の国松(9)にも八つ当たりするなど、
最近の竹千代は非常にささくれ立っております。

第一のお世話係・福(36)は
上に立つものはあれぐらいの強さがないと……と笑いますが、
江(42)としては、竹千代は驕っているとしか思えません。

江の脳裏には、徳川家康(73)が言い放った
“世継ぎだが、竹千代と定めたわけではない”
という言葉が残っているわけですが、
そうでなくとも、誰からも好かれる男子に
育ってほしいという一念のみです。


徳川秀忠(36)は将軍就任後10年目に入りますが、
あれこれと指示しても、家臣達は
やれ大御所様だ、やれ駿府だと言い出して
一向に前進の気配がありません。

誰がどう見ても、最終決定権は家康にあって
秀忠はただの木偶人形と言っても過言ではなさそうです。

竹千代の性根が腐ってしまいかねないと心配されるのと同じように
このままでは、秀忠の性根も腐ってしまいかねません。
「親父は今年73だったかな? なかなか死なぬのう……」と
口走っているほどです。

秀頼が関白となり、秀忠が将軍でそれを縁の下から支える。
秀忠が思い描いてきた、
天下泰平のための豊臣・徳川の連立政権への夢を
家康に憚らずに実現させるためには、
ここはまず家康よりも先に動く必要がありそうです。

秀忠は思い立ったように豊臣秀頼(22)に文を書きます。

ただそれも、今まで数多くの人物を観察してきた家康から見れば
頭が2つあっては国も2つに分裂、世は乱れるばかりと冷静に分析。
ということは、徳川が筆頭になるには
豊臣家は一大名という扱いに落とさなければなりません。

今や豊臣家は65万石といえども、朝廷とのつながりが深く
大坂城が居城ゆえに大坂や堺の商人たちを味方に付けているのが
東国武士たる家康がやっかいだと考える所以です。

豊臣には、できるだけ
大坂・京から遠く離れてもらう必要があります。
問題は、その大義名分です。


さて、その豊臣家ですが
豊臣秀吉の十七回忌に合わせ、その供養のために
方広寺修築と、新たに鋳造した鐘のつき初め、
そして大仏開眼を控えております。

その一連の役目は片桐且元(59)が担っておりますが、
大野治長(46)は、方広寺修築に対してのあまりの且元の執拗さに
裏で家康がバックボーンとして控えているにちがいないと読みます。
つまり、豊臣家の財を削るために家康がさせているのだと主張。

秀頼は、財を削るとはいえ、豊臣家には
それしきでは全く揺るがぬ財力を持っているので
全く気にするそぶりを見せませんが、
淀(46)は、一瞬暗い表情を浮かばせます。


それからひと月ほど後。
本多正純(50)は家康にある紙を差し出します。
方広寺の鐘の鐘銘(の写し)であります。

──国家安康 君臣豊楽。

家康の名を切り裂き、豊臣が君(主)であると公言。
……と強引に解釈したようです。

恐らくは「戯れ言じゃ!」とガハハと笑う場面でしょうが、
これ妙案、と家康はこれで豊臣に難癖をつけてみます。
さて、豊臣はどう出るか……?


「ここは、弁明に努めるしかありますまい」
戦の口実を与えないためにも、秀頼は冷静に判断。
今は堪えましょうぞ、と母を鎮める秀頼を差し置いて、
淀は戦支度を始めるように治長に命を下します。

申し開きの使者として且元を急ぎ駿府へ送っていましたが、
家康との対面がないまま、駿府城付近の寺に留め置かれたままです。

秀頼は、秀忠から届いた書状を懐から出し、
この世を泰平にするためにも
家康の疑いを晴らさなければならないと力説します。
結局、淀の乳母・大蔵卿局が使者第二陣として駿府へ。

次第に気が重くなってきた大蔵卿の心配を他所に、
すぐに駿府城に通され、弁明の機会を与えられます。

終始ニコニコの家康は
「豊臣を疎かにしようなど、毛の先ほども思わず」と
大蔵卿を感激させて大坂へ返します。

一方、留め置かれた且元は
大蔵卿が大坂城で子細を報告中にようやく戻ってきましたが、
大坂城明け渡すか、秀頼もしくは淀の身柄を江戸へ送るか
徳川に二心のない証とするために、二者択一を迫っていると
血の気が引いた顔で報告します。

しかもこれは、家康が直々に提示した条件ではなく
正純が家康の名代として提示したものに他ならず、
家康に直接面会を果たした大蔵卿と比較すれば
どちらが信ずるに足りるか、自ずとわかるものです。

淀の怒りが、ふつふつと湧いてきます。
もはや秀頼とて止める手段はありません。


豊臣と戦──。

江が恐れていたことが、ついに起きてしまいます。
家康は諸大名に大坂へ出陣するように命を下したわけです。

無論、将軍たる秀忠にもその命は下りますが、
淀や秀頼、そして千姫を失わないようにするためにも
大坂へ出向くつもりです。

大坂城には“関ヶ原牢人”と呼ばれる、
関ヶ原合戦で敗北して領地を失った武士たちが
これぞチャンスと続々と集まり出します。

総勢、十万以上。
その中には、信州上田城で関ヶ原へ向かう秀忠を食い止めた
真田幸村の姿もありました。

しかし、大名家による豊臣方参戦はありません。
徳川に気遣っているわけです。
淀はそれを嘆きつつ、幸村参陣を多いに喜びます。


秀忠の脳裏に、上田城合戦の悪夢が甦ります。

しかも、天下泰平のために
豊臣と並び立つことを考えた秀忠ですが、
家康にとっては、それは「ない」のです。
いわば、天下泰平のための戦であります。

11月19日、ついに戦の火蓋が切って落とされます。
決戦・大坂冬の陣です。

──────────

慶長19(1614)年11月19日、
徳川家康と豊臣秀頼の戦が、大坂城 木津川口砦で始まる。


慶長20(1615)年5月8日、
大阪夏の陣で敗れ、豊臣家が滅亡するまで

あと5ヶ月──。

(『春日局』では「(28)和平か決戦か」〜「(29)大坂攻め」付近)


原作・脚本:田渕 久美子
脚本協力:田渕 高志
音楽:吉俣 良
題字:菊池 錦子
──────────
[出演]
上野 樹里 (江)
宮沢 りえ (淀)
水川 あさみ (常高院)

向井 理 (徳川秀忠)
鈴木 保奈美 (市・語り)
──────────
武田 真治 (大野治長)
浜田 学 (真田幸村)
太  賀 (豊臣秀頼)
忽那 汐里 (千)
三田村 邦彦 (片桐且元)
──────────
富田 靖子 (福)
草刈 正雄 (本多正信)
北大路 欣也 (徳川家康)
──────────
制作統括:屋敷 陽太郎・櫻井 賢
演出:伊勢田 雅也


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『江 〜姫たちの戦国〜』
第42回「大坂冬の陣」

デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜

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