プレイバック功名が辻・(44)関ヶ原
天下分け目の大戦「関ヶ原」。
それを詳細に解説しようとするためか、
ナレーションの三宅民夫アナウンサーが
このドラマで初めて画面に登場しました。
オープニングだけに留まらず、
本編中にも何度か登場することになります(笑)。
石田三成は西軍の総大将として毛利輝元を迎えます。
しかし毛利一族は3つに分裂しております。
三成派の安国寺恵瓊、家康に近い吉川広家、
そして無派閥の小早川秀秋。
一方の徳川家康は小山で評定を開き、結束──。
慶長5(1600)年9月14日・関ヶ原の合戦前夜。
雨が降る中、多くの騎馬隊・兵士たちが進軍中です。
ちなみに東軍の合い言葉は「山が山、麾(さい)が麾」。
合戦を前に、一豊は兵士たちに訓示します。
祖父江新一郎は
兵士たちにその合い言葉を大声で伝えますが、
合い言葉というもの、敵に知れてはならないものだけに
何度も何度も復唱しても大丈夫なんですかねぇ?
……と、いらぬ心配をしてみました。
一豊は、今回の関ヶ原の戦いが生涯最後の戦となると思って
全力で戦うつもりでいます。
そういえば、若かりし頃から
ともに戦ってきた堀尾吉晴はすでに隠居し、
中村一氏はすでにこの世にはおりません。
さて、関ヶ原の位置関係についての
三宅アナによる説明ゼリフがあるのですが、
どこかで聞いたかもという方はいらっしゃいませんかね?
ほとんど、平成12年放送大河ドラマ
『葵 〜徳川三代〜』からの転用と思われますが(^ ^;;)
比較してみると一目瞭然だったりします。
功名が辻バージョン
(語り:三宅民夫アナウンサー)
『関ヶ原は美濃国不破郡(ふわぐん)にあり、
北に伊吹山系、南に鈴鹿山脈、
西に今須山、東に南宮山がそびえる
東西およそ4キロ四方の盆地である。
中山道が東西を走り、
その中央から北国街道と伊勢街道が分岐する、
日本のへそともいうべき交通の要衝であった』
葵バージョン
(語り(水戸光圀):中村梅雀さん)
『関ヶ原は美濃国不破郡(ふわのごおり)に位置し、
かつては不破の関がござり申した。
北に伊吹山系、南に鈴鹿山脈が裾野を広げ、
西に今須山、東に南宮山をひかえて、
東西約4キロ、南北約2キロの高原盆地でござる。
その中を中山道が貫通し、
東は木曽路、西は近江より京・大坂へ通じ、
中央の分岐点より西北へ北国街道、
東南へ伊勢街道と、文字通り交通の要衝でござった』
ついでに、映し出された地図(俯瞰)も転用ですか?
いやいや、ご心配なさらずとも
本編中にはもっともっと映像の転用が出て参ります。
これぞ究極の制作費用節減術でしょうか(^ ^;;)
ま、『功名が辻』に徳川家康役で出演しているため、
『葵』に徳川秀忠役で出演された西田敏行さんの映像は
さすがに使い回しできませんがね。
……あ、そうか。
秀忠は関ヶ原に遅参したからそんな心配はいらぬか(^ ^;;)
ともかく(笑)、
関ヶ原を詳細に見せようというドラマスタッフの心意気は
ひしひしと感じるのですが、ドラマでありながら
ドキュメンタリーの方向に目盛りが振れすぎて、
歴史にさほど興味がないものの
ドラマだからと見ている方々にとっては、
ちと頭が痛くなるような内容になっております。
この関ヶ原の戦いのときの布陣図を見た後世の海外軍人は
即座に西軍勝利を断言したといいます。
三成も、完成した布陣を眺めながら
「間違いなく勝った」と信じていたでしょう。
山内軍は、南宮山の毛利勢の見張り役として布陣しますが、
新一郎はその扱いに不服面であります。
ただ、一豊は直前まで徳川に味方するかどうかを迷っていたので
そんな者に重要な役回りをさせられないという家康の考えには
一豊自身、一応は納得しています。
大坂の屋敷では
千代が手を合わせて一豊の無事を祈っています。
しばらくは両軍睨み合いが続きますが
午前8時、ついに戦闘が開始──。
毛利勢の抑えとして布陣した山内軍ですが、
六平太の情報によると、
実際の毛利勢の抑えは徳川寄りの吉川広家であります。
抑えとしての意味がないと感じた一豊は家康に直談判し、
出陣することにします。
一方、10万の兵を有する西軍でしたが、
実際に戦をしているのはわずか3割ほどでありまして、
毛利、島津、小早川らは動こうとしません。
毛利勢は、先頭にいる吉川軍が動かないために
その山の上にいる毛利本体が動けず、
島津は「貴殿の配下ではなか!」と
三成の説得にも応じず日和見をきめこみ、
そして小早川秀秋は高台院の言葉が頭をよぎり、
三成が約束した関白の座も悪くはないと迷っています。
そんな秀秋を説得する六平太ですが、
演者の香川照之さんのデビュー作は
大河ドラマ『春日局』での小早川秀秋役でしたね(笑)。
ついでながら、東軍の陣に参じた秀秋が
家康と対面するシーンがありますが、
家康役の西田敏行さんと、秀秋役の阪本浩之さんは
大河ドラマ『八代将軍吉宗』で、
徳川吉宗役(阪本さんは青年時代)をなさりましたね。
それを言い出せば、三成役の中村橋之助さんと
一豊役の上川隆也さんは親子役だったわけで、
こういう、時代を経た運命を感じられるから
大河ドラマっておもしろいのです( ^ ^)/
……脱線失礼。
ともかく、家康に大筒を放たれたことで
ビックリした秀秋は石田勢に雪崩を打って突撃。
これで東軍・西軍の形勢は逆転します。
大谷吉継軍全滅、石田三成軍壊滅、
小西行長軍・宇喜多秀家軍総崩れ。
島津義弘軍敗走。
戦が始まって6時間、大戦の決着はつきました。
戦のあと──。
東軍の陣にやってきた秀秋を
武将たちは冷ややかに見ています。
福島正則は「見事な裏切りっぷりじゃのう」と皮肉たっぷりですが、
秀秋としては、自らの行動を正当化したいわけです。
大谷軍など畏れるに足りず! と大きな口を叩きます。
家康は、一応は小早川の働きを認めるそぶりを見せますが、
その働きを褒め讃えた上で、顔色を変えずに次の課題を出します。
「佐和山も攻めてはくださらぬか?」
佐和山とは三成の居城・佐和山城のことであります。
目が泳ぐ秀秋です。
そんな必死な秀秋に攻められて、佐和山城はついに落城。
三成は逃亡を図りますが、田中吉政に捕らえられます。
──────────
慶長5(1600)年9月15日
美濃国不破郡で東軍と西軍が激突、
世にいう「関ヶ原の戦い」で東軍の徳川方が勝利を収める。
慶長5(1600)年11月、
山内一豊が土佐20万石を有する大名になるまで
あと2ヶ月──。
原作:司馬 遼太郎「功名が辻」
脚本:大石 静
音楽:小六 禮次郎
題字:だん きょうこ
語り:三宅 民夫 アナウンサー
──────────
[出演]
仲間 由紀恵 (千代)
上川 隆也 (山内一豊)
前田 吟 (祖父江新右衛門)
永作 博美 (淀)
小倉 久寛 (五藤吉蔵)
浜田 学 (祖父江新一郎)
玉木 宏 (山内康豊)
香川 照之 (六平太)
嵐 広也 (福島正則)
──────────
篠井 英介 (井伊直政)
金田 賢一 (田中吉政)
──────────
中村 橋之助 (石田三成)
──────────
浅野 ゆう子 (高台院(寧々))
西田 敏行 (徳川家康)
──────────
制作統括:大加 章雅
演出:尾崎 充信
| 固定リンク
「NHK大河2006・功名が辻」カテゴリの記事
- プレイバック功名が辻・(49)永遠の夫婦 [終](2011.12.27)
- プレイバック功名が辻・(48)功名の果て(2011.12.23)
- プレイバック功名が辻・(47)種崎浜の悲劇(2011.12.15)
- プレイバック功名が辻・(46)土佐二十万石(2011.12.09)
- プレイバック功名が辻・(45)三成死すとも(2011.12.03)
コメント