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Kassy号〜♪の車窓から 2011

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2011年12月 4日 (日)

(10)旅順総攻撃 〜ロシア要塞を攻略せよ! 空前の陸上作戦が始まる! 真之は、好古は、そして日本の運命は…激闘第3部〜

まことに小さな国が 開化期を迎えようとしている。

小さな といえば、明治初年の日本ほど
小さな国はなかったであろう。
産業と言えば農業しかなく、
人材と言えば、三百年の間
読書階級であった旧士族しかなかった。

明治維新によって、日本人は初めて
近代的な国家というものを持った。
誰もが 国民になった。

不慣れながら……「国民」になった日本人たちは、
日本史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した。
この痛々しいばかりの昂揚が分からなければ、
この段階の歴史は分からない。

社会の どういう階層のどういう家の子でも、
ある一定の資格を取るために
必要な記憶力と根気さえあれば、
博士にも官吏にも軍人にも教師にもなりえた。
この時代の明るさは、こういう楽天主義から来ている。

今から思えば、実にこっけいなことに
米と絹のほかに、主要産業のないこの国家の連中が
ヨーロッパ先進国と同じ 海軍を持とうとした。
陸軍も同様である。
財政の成り立つはずがない。

……が、そのようにして
ともかくも 近代国家をつくり上げようというのが
もともと維新成立の大目的であったし、
維新後の新国民たちの 少年のような希望であった。

この物語は、その小さな国が
ヨーロッパにおける最も古い大国の一つ・ロシアと対決し、
どのように振る舞ったかという、物語である。

主人公は、あるいは
この時代の小さな日本ということになるかもしれないが、
ともかくも、我々は三人の人物の後を追わねばならない。


四国は伊予松山に、三人の男がいた。

この古い城下町に生まれた秋山真之は、
日露戦争が起こるにあたって、勝利は不可能に近いといわれた
バルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。

その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し
史上最強の騎兵といわれる
コサック師団を破るという奇跡を遂げた。

もう一人は、俳句、短歌といった
日本の古い短詩型に新風を入れて
その中興の祖となった俳人・正岡子規である。

彼らは、明治という時代人の体質で 前をのみ見つめながら歩く。

上っていく坂の上の青い天に
もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、
それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。


坂の上の雲 第十回「旅順総攻撃」


LONDON (ロンドン)・1904──。

♪ああ 金の世や 金の世や 地獄の沙汰も 金次第〜

日本銀行副総裁・高橋是清は
鼻歌を歌いながらロンドン銀行街を歩き回ります。

日本には金がない。

日露戦争が始まる直前に日本銀行が持っていた正貨は
わずか一億千七百万円にすぎず、これでは戦争ができない。
日本銀行副総裁・高橋是清は、
ロンドンにおけるあらゆる主要銀行や大資本家を歴訪した。

が、結果は絶望的であった。
かれらは日本の立場に同情をしたが、
しかし金を貸す相手ではないとみていた。

金がなければ、戦を続けたとて あと半年も持たない。
というのが高橋の持論であります。

イギリス政府の援助を期待したいところですが、
イギリスの世論は、白色人種と黄色人種を天秤にかければ
おのずと答えは分かりきったようなものです。
そもそも英国王室はロシア皇帝と親戚でもあります。

そこへ高橋宛の電話が──。

パーズ銀行のシャンド取締役からの電話でして、
5,000万円出してもいい、という金融家がいるとのこと。
さすがの高橋もとても驚き、電話口へ。

世界が、この戦争を注意深く見つめていた。
大方の見方は「ロシア有利」であった。

「サンキュー! サンキュー!!」という
高橋の明るい声が響き渡ります。


戦艦三笠──。

連合艦隊参謀・有馬良橘が大本営付になって
戦艦三笠を離れることになりました。
どうやら、強く主張した旅順の閉塞奇襲作戦が失敗に終わり
それをとても気にしているようです。

日本海軍としては、旅順を陸から攻略してほしいわけですが
陸軍の旅順に対する感覚が鈍すぎると秋山真之はため息まじりです。
次に動くのがバルチック艦隊が回航した時ではすでに遅すぎます。
海上補給路を断たれた満州の陸軍が孤立無援になるのは必定なのです。

ロシアの艦隊は、本国のバルチック艦隊を待っている。
旅順が陥ちぬままバルチック艦隊を迎えれば、
連合艦隊に勝ち目はない。

陸軍参謀本部は、開戦当初
「旅順攻略」というものは、作戦案のどの章にもいれていない。

満州の大陸部をてのひらとすれば、
小指1本つきでているのが遼東半島である。
旅順要塞は遼東半島の先の方の、金州半島のまだ先端にある。

陸軍は、その先端にはさわらず旅順北方の南山付近を占領し、
その南山付近に強力な防御戦を構築して
旅順を封じ込めてしまってから、主力は満州平野へ北上してゆく。

つまり、小指の関節のあたりを糸で縛ることによって
血行を止め、旅順を腐らせる。
そういう作戦で、あくまでも陸軍作戦の指向は満州平野であり
地名で言えば、遼陽を制し奉天を制することであった。


明治37(1904)年6月7日・金州城下。

海軍は、旅順を陸から攻略してほしいと陸軍に強く要請した。
これに対し陸軍は、第一師団、第十一師団を割いて
新たに第三軍を編成して旅順攻略にあて、
その司令官に乃木希典を任命した。

参謀長の伊地知幸介は
海軍からのその要請に一定の理解を示しますが、
その要請をそのまま丸呑みしてしまうと
陸軍としての戦略が成立しないと憤慨しております。

しかし彼のその主張は、テントの中で横になっている
乃木にもしっかりと聞こえておりますけど(^ ^;;)

乃木は、津野田大尉を引き連れて
南山のロシア陣地跡を見に行くことにします。

乃木の長男・勝典少尉は
歩兵第一連隊の小隊長として金州城の攻撃に参加したが、
ロシア軍の機関銃のために盲管銃創を受け、翌日病院で死んだ。

暮れなずむ南山の小高い岡の上に立った乃木は、
天を見上げたまま無言でした。
何を思っていたのでしょう。

日暮れです、と催促されるまで
微動だにせず見つめる乃木でした。

山川草木転荒涼 (さんせん そうぼく うたた こうりょう)
十里風腥新戦場 (じゅうり かぜ なまぐさし しんせんじょう)
征馬不前人不語 (せいば すすまず ひと かたらず)
金州城外立斜陽 (きんしゅう じょうがい しゃようにたつ)

という、詩人としての乃木の絶唱はこのときにできている。

乃木は、ロシアが放棄した
大連に近いあたりに最初の司令部を置き、
旅順攻撃の作戦を練った。


7月12日──。

満州軍総司令官である大山 巌と総参謀長・児玉源太郎は
裏長山列島の根拠地に碇を下ろしていた連合艦隊を訪ね
旗艦三笠で、東郷平八郎と会った。
共同作戦について打ち合わせるためであった。

三笠に乗り込んだのが晴天の下であったためか、
陸軍の軍服が濃いクリーム色であるのも手伝って
白の海軍軍服がさらに真っ白に見えますね(^ ^;;)

改めて、海軍の要望はたった一つ。
旅順港からロシア艦隊を追い出してもらうということだけです。

追い出してもらえさえすれば、
ロシア艦隊を壊滅できる自信はあります。
そして壊滅後、連合艦隊はすぐにも佐世保に戻って艦の整備をし
バルチック艦隊に備えなければなりません。

陸軍は、海軍のそんな窮状はよく分かっておりますが、
バルチック艦隊がロシアを出港したとは聞いておりません。

旅順攻略のために作った第三軍はすでに大連に上陸、
8月下旬に旅順要塞の攻略を始める予定なのです。
要塞を攻略すればロシア艦隊はおのずと追い出せるわけで
そんなに時間はかからないというのが陸軍の見通しです。

真之は、そんな見通しを語る児玉に噛みつきます。

金州の要塞攻略に陸軍を援護した時の経験から、
ロシア要塞は堅固であり生半(なまなか)な砲では破壊できず
要塞の機関砲によってたくさんの兵を失いました。
攻略に時間がかかるようなら要塞陥落の必要性はないわけです。

旅順港に閉じこもるロシア艦隊に砲弾を撃ち込んでくれればいい。
そのために、旅順の西北に位置する二〇三高地を迅速に奪取し
観測点を置いて砲撃すれば、2階から石を落とす要領で
容易に艦隊を砲撃することができる──。

そんな真之の生意気な(と陸軍には思えた)主張で
ムッとした表情になる面々ですが、
児玉は、真之が陸軍の秋山好古の弟で
海軍一の秀才と知った上で、穏やかに言います。

「追い出しのためだけに、第三軍4万を動かすわけにはいかん」

そもそもの第三軍の目的は、
旅順そのものを陥落させることにあるからです。


大連・満州軍総司令部──。

第一軍は摩天嶺付近に進出。
第二軍は蓋平付近にあって、遼陽に向かって北進中。
第三軍は旅順に向かい前進中。

大山と児玉はテントの中で、第一軍から第三軍までの
現在地とその現況について報告を受けております。

陸軍と海軍のどちらかが勝てばいいというものではないだけに
ここは海軍の要請通り、乃木に頑張ってもらって
旅順攻略を急がなければなりません。

ただ、乃木は未だ動く気配はありません。

児玉と乃木は同じ長州人で、同じく維新後 陸軍に籍を置き
明治十年の西南の役では、
双方若い少佐として熊本で西郷軍と戦った。

大山と児玉一行は、そのまま
乃木や伊地知らが詰める北泡子崖村の柳樹房に向かい
第三軍司令部前で、乃木らの出迎えを受けます。

旅順攻略の方針について話し合いますが、
児玉は、真之が主張した二〇三高地攻略案を諮ってみます。

しかし二〇三高地は日本軍が手中に収める満州の鉄道からは
離れた場所にありまして、
伊地知は「戦えもはん」とはねつけます。
周囲の人間も、およそ同意見のようです。

七月下旬、第三軍は金州半島を南北に遮断しつつ
ついに旅順要塞の前面に展開し、総攻撃の態勢をとった。
総攻撃の予定日は、八月十九日と決めた。


8月10日。
旅順郊外を哨戒中の水雷艇からの電報です。
「港内に煤煙高く上がり敵艦隊出動の兆しあり」
どうやら、陸軍の動きにロシア艦隊が反応したようです。

真之は、作戦計画どおりの遂行を提案し、
島村速雄参謀長は力強く頷きます。
東郷は、参謀たちを一人ひとり見回し、言葉をかけます。
「各艦、奮迅の働きを望む──」

黄海海戦のはじまりであります。

連合艦隊の作戦は、失敗に終わった。
ロシアの艦隊は大きな被害を受けはしたが、旅順に逃げ戻り
結果として連合艦隊は再び旅順港の番人になった。

旅順の第三軍司令部には、海軍から
連絡将校として岩村団次郎中佐が派遣されていた。

岩村は、旅順艦隊の意図が出撃ではなく
ウラジオストクへの逃走であったことが見抜けなかったと
苦虫を潰したような顔でつぶやきますが、

伊地知は海軍をバカにしたような発言をするし、
周囲の人間も、表向きは慰めつつも
その言葉の裏にはどこか見下すニュアンスを含んでいて、
岩村は小さくなり、言葉も出ません。


八月十九日、第三軍は旅順総攻撃を開始した。

──第一回 旅順総攻撃──

その作戦計画は、要塞の東北正面
すなわち二龍山・東鶏冠山両砲台間を
攻撃の主目標とするものである。

要塞の最も堅固な部分を突破することで、
一気に要塞の壊滅を狙ったのである。

数多くの大砲が撃ち込まれ、銃声も絶えません。

呉家房村・磐龍山堡塁後方では
攻撃によってたくさんの負傷者が担ぎ込まれ
荒々しく手当てされます。

「戦闘開始から一時間で、第七連隊は
連隊長以下ことごとく戦死 または負傷!」

戦況視察にやって来た乃木は、その報告を受け
実際に戦況をその目で確かめますが、
地雷が爆発し、機関銃や速射砲が雨のように浴びせられて
あまりの凄惨さに言葉を失います。

ロシア側は、旅順要塞を作るについて
セメントを二十万樽以上使っている。
すべてベトンで固め、堡塁群が互いに連絡し合っている。
野砲程度の砲弾を撃ち込んでも、放題の上の土砂を吹き飛ばすだけで
堡塁の本隊には少しも損傷を与えない。

砲台の前には地雷原があり、鉄条網があり、
その周りに機関銃と速射砲がある。

日本軍は一隊全滅すれば、いま一隊が屍を越えて突撃し
まれに砲台の胸壁によじ登る者があっても
登った向こうにはまた側防機関銃があり、
そこを走り抜けて突入したところで さらにまた防御がある。

旅順攻撃は、維新後 近代化を急いだ日本人にとって
はじめて「近代」というもののおそろしさに接した
最初の体験であったかもしれない。
要塞そのものが「近代」を象徴していた。

それを知ることを、日本人は血であがなった。


8月24日、第三軍司令部では
乃木や伊地知が黙って戦死者報告を受けています。

岩村中佐は、突然の撤退命令に驚いて
真偽を確認すべく司令部に飛び込んできますが、
明日には砲弾が尽きる、という伊地知の言葉に大激怒。
「弾量の差は初めから分かっておったではないですか!
旅順艦隊を撃滅できんうちにバルチック艦隊がやってきたら
日本は終わりじゃ言うがじゃ!」

八月二十四日午後四時、乃木は以下の命令を全軍に発した。

強襲を中止す
各師団とも
目下占領せる地を
堅固に守備し
後命を待つべし

日本軍の死傷は一万六千にのぼるという、すさまじい敗北に終わり
しかも旅順をおとすどころか、その大要塞の鉄壁には
かすり傷ひとつ負わせることができなかった。

要塞側の圧倒的な勝利であった。

そして乃木の発した撤退命令に激昂する男がもうひとり。
戦艦三笠の甲板上で「はよ降ろせ!」と言ってきかない
真之であります。

海軍と陸軍の共同作戦会議の際には、
旅順要塞は堅固ゆえ落とさなくていいと言ったはずです。
たくさんの死傷者が出たのは
第三軍が作戦目的を分かってないからであり、
それを説明しに旅順の第三軍に直談判に行くというわけです。

しかし「喧嘩する相手を間違えるな!」と
島村参謀長は真之を引き止めます。


騎兵第一旅団司令部──。

第13連隊の後藤秀四郎騎兵中尉と小林環騎兵少尉による
“遼陽周辺に多数の堡塁を発見した”という報告を好古は受けます。

好古の騎兵旅団は
「遠ク北方ニ前進シ敵情ヲ捜索スベシ」という命令を受け
二十日間に渡って敵情捜索をしていた。

「遼陽での海戦が迫っている。
この遼陽に大軍を終結して、日本軍を一挙に殲滅するのだ」
というのがロシア軍の遼陽海戦の主題であり、決意であった。

日本軍は、無制限な北上を嫌うことをクロパトキンは知っている。
補給線が長くなり、弾薬食料の輸送も
はかばかしくゆかなくなる上に合戦ごとに兵力消耗し、
北上しきったあたりではよほど衰弱するであろう。

すぐれた戦略戦術というものは、いわば算術程度のもので
素人が十分に理解できるような簡明さを持っている。
クロパトキンの兵力は二十三万である。

日本軍は、十四万でしかない。


蓋平・満州軍総司令部──。

ここで幾日も留まるのは兵の士気に関わる、だの
今ある弾を一度に注ぎ込む、だの
集まった幕僚たちは言いたい放題ですが、

児玉のツルの一声で静まり返ります。
「がむしゃらに突っ込んで、
後のことは後で考えるというわけにはいかんのじゃ!」

そこへ好古が合流、敵情視察の報告通りの説明をします。

児玉は、第二軍から秋山旅団に必要分の兵を割かせ
秋山旅団は“秋山支隊”として
第二軍左翼を援護するよう命を下します。

♪父は遼陽奉天に 小伯父は旅順に日本海
 日が暮れたなら天を見よ 絶えず動かず北極星
 絶えず動かず北極星


日本・好古の家には老母の貞と、身重の妻・多美が留守を守りますが、
そこに真之の妻・季子が訪ねてきます。
真之からの手紙は来るかい? と貞に訪ねられた季子は
「手紙が来ないのは元気な証拠でしょう」と呑気です。

季子は、好古から多美へ届いた手紙を見せてもらいます。

お祖母さんの心意気
戦などやめて平和に暮らしたい
戦は平和の為にせよ

よしこのやさしさ 父さんの 戦がえりが まちどおしい
健子のおちつき 遅くても 勝ってください お父さん
信好の健気さ 父さんが 負けたらわしが 仇うち
勝子の名をば 懐に おっと忘れた 季子に豊子──

淳サン(=真之)とは違って本当に歌が下手くそ。
多美も貞もみんなでクスッと笑います。

そんな中、季子は目に涙をいっぱいにためています。


遼陽・首山堡──。

ロシア軍は、あくまでも自軍から発砲し続ければ
日本軍の弾切れは間もなくなので、
いずれにせよ勝利は間違いないと確信していますが、

秋山旅団は、立て続けに騎兵砲を撃ち たちまち移動して
別の場所から騎兵砲を撃つ、という作戦に出ます。
銃弾をかいくぐりながら陣地から陣地へ移動するこの戦法は
ともすればあちらこちらから日本軍が湧いてくるような印象を与え
ロシア軍の冷静さを完全になくさせるものでした。

九月二日、
クロパトキンは日本軍にとって理解しがたい行動を始めた。
全軍が退却を開始したのである。

クロパトキンは退却に当たって記者会見を開き
これを“奉天までの予定の退却”であると公表した。
そのために、世界の目には日本は勝利者としては映らなかった。


「何故第一軍は、逃げる露軍を撃破せざりしか。
追撃して背中に一太刀浴びせれば、
遼陽にて露軍を撃破せし事あらん……」

大本営から届けられた詰問状に
児玉は「どういう了見か!」と激昂します。
弾がなければ後追いしたくてもできぬではないか、
というのが児玉の主張であります。

ロシア熊が、最後の致命傷を与えるべくわずかに引き下がっている。
小さな日本路は満身創痍でかろうじて遼陽にたどり着きはしたものの、
それは勝利というものではなく、ロシア熊が引き下がったために
単に突ンのめったというにすぎない。

極端に言えば、満州の陸戦における行司役は
タイムスとロイター通信であった。
それによって、国際的な心理や世論が動かされた。

世界中を駆け回ったニュースは、日本軍非勝利説であり
このためロンドンにおける日本公債の応募は激減し、
日本の戦時財政に手痛い衝撃を与えることになった。


この男は、アメリカの金融家 ヤコブ・シフである。
日本政府が必要とする公債発行額の半分、
五千万円を引き受けたユダヤ人である。

冒頭、パーズ銀行のシャンド取締役から紹介を受けた
5,000万円出してもいいという金融家が彼のことです。

ヤコブは、日本銀行副総裁の高橋と対面するわけですが、
高橋は相手の表情を窺いながら、言葉を選んで話します。
「日本敗戦の報道は、事実とは反対でして」
ゆえに、値が下がっている日本公債も必ず上がると言うわけです。

ヤコブは高橋が第2回公債の募集のために
アメリカ・ニューヨークへ渡る予定を掴んでおりまして
次も宜しく、という高橋の願いは一応は聞き入れます。

世界的にロシア有利という見方の中で、
なぜ日本側に融資しようと思ったのか?
苦々しい顔で、ヤコブは続けます。

「ロシアにはユダヤ人が500万人もいるが
ユダヤ人というだけで迫害され、虐殺されている。

迫害を止めてほしいとロシア皇帝に頼み
その条件付きでお金を貸したこともあるものの、
ロシアには約束を守るという習慣がなく、
日本の優秀な組織と軍事力に絶大な信頼を寄せている。

小さい日本が大きなロシアに勝てるかは分からないが
帝政ロシアは必ず衰弱する」

世界は、想像以上にとても複雑に絡み合っています。


バルチック艦隊はいつ出てくるか。

旅順の港とその大要塞は、日本の陸海軍にとって
最大の痛点であり、ありつづけている。
東郷の艦隊はなおもこの港の口外に釘付けにされ、
番人の役目を続けている。

「乃木軍が早く旅順を陥としてくれれば」ということは
悲鳴を上げたくなるほどの願望になっていた。

有坂成章陸軍技術審査部長の提案を受け、
参謀次長・長岡外史によって28サンチ榴弾砲が
第三軍に配備されることになりました。

巨砲。
というその表現に最もふさわしいのが
二十八サンチ榴弾砲であった。
「海岸砲」とこの当時呼ばれていた。

しかし伊地知はこれを拒否。

28サンチ榴弾砲のための砲床づくりで
コンクリートが乾くまでに1〜2ヶ月かかるし、
歩兵上がりの長岡には分からないでしょうが、
操作も思った以上にやっかいなのです。

ただ、長岡も引かず
拒否回答を無視して送りつけたそうです。
児玉は、伊地知の回答にあきれ果てています。

児玉は、目の前のロシア軍が動かないのを見て
満州軍司令部を離れ、第三軍の督励に向かった。


──第二回旅順総攻撃──

二○三高地問題について事態が変化したのは
この第二回総攻撃の時である。

乃木の隷下にある第一師団の星野参謀長が
この高地の重要性を認め、
ぜひ攻撃したいと軍司令部での参謀長会議で献策した。

しかしながら、あくまで折衷案に過ぎず
攻撃の主眼は依然として前回万余の血を吸った堡塁群であり
いわば、兵力は分散した。

旅順要塞相手に正面攻撃で勝ち目があるか!
兵を突っ込ませ、何の手も打たぬとは……それでも参謀か!
督励する児玉に対し、乃木はあくまでも正面攻撃を主張。

乃木の固い決心を聞いて、児玉は帰っていきます。
「遼陽で待っとるぞ」

日本は、旅順で滅びるのではないか。
という暗い感じを、誰しもが持った。

幕末から維新にかけて、日本は
史上類のない苦悩を経て近代国家を作り上げたが、
それがわずか三十七年で滅びるかもしれない。
ということであった。

二度目の旅順総攻撃は、四千九百人の死傷者を出し
失敗に終わった。


正岡 律は、田んぼ道で野辺送りの一群とすれ違います。

「稲の秋 命拾ふて 戻りけり」
兄・正岡子規が詠んだ歌です。

一群の後ろ姿に深々と頭を下げる律です。


10月9日──。

十月、バルチック艦隊はついに出港した。

バルチック艦隊が日本近海に現れるのは、早くて1月上旬。
第三軍に、もう一度総攻撃をかける力は残っているのでしょうか。
戦艦三笠の艦上で、真之は大いに悩んでいます。

これまでの第三軍の働きを無駄にしないためにも
二〇三高地に残る力をかけたいわけですが、
東郷はそれを遮って真之を諭します。
「乃木さんはもっと苦しか。待つ時は待たにゃならぬ」


28サンチ榴弾砲拒否の一件で、長岡は
乃木の更迭を天皇陛下に奏上したそうですが、
陸軍参謀総長の山県有朋曰く、陛下は
「乃木の更迭は、何があろうとそれはならぬ」だそうです。

乃木を代えねば無益な殺生が繰り返され
日本が滅びてしまうという危機感を抱く長岡には見向きもせず、
陛下からの激励の勅語と、山県による檄文を飛ばすとのことで
長岡の主張を抹殺しようとします。

  百弾激雷 天もまた驚く
  合囲半歳 万屍横たわる
  精神到るところ 鉄より堅く
  一挙直ちに屠れ 旅順の城を

ただ、山県としては長岡の気持ちも分からなくもありません。


乃木は、陛下からの勅語を参謀たちの前で読み上げます。

ただ、参謀たちの間では、ここまで苦境にさらされているのは
自分たちの責任であると自責の念にかられています。
乃木は涙ながらに「皆、ようやっておる」とだけ伝え、
部屋を後にします。

翌日午後十一時、乃木は 各師団に第三回総攻撃の軍命令を下した。
あくまでも、正面攻撃により旅順要塞を陥とすという作戦である。

「乃木を……頼みます」
遠く満州軍総司令部から、児玉が一心に祈っています。

──────────

明治37年(1904年)10月15日、
ロジェストヴェンスキー中将率いるバルチック艦隊が旅順へ向けて出発。

明治38(1905)年5月27日、
日本とロシア帝国との間で戦われた日本海海戦まで

あと7ヶ月──。



原作:司馬 遼太郎 (『坂の上の雲』『殉死』より)


脚本:野沢 尚
  :加藤 拓
  :柴田 岳志


音楽:久石 譲


メインテーマ:「Stand Alone」
    作詞:小山 薫堂
     唄:麻衣

演奏:NHK交響楽団
  :東京ニューシティ管弦楽団

テーマ音楽指揮:外山 雄三

脚本諮問委員:関川 夏央
      :鳥海 靖
      :松原 正毅
      :松本 健一
      :宮尾 登美子
      :山折 哲雄
      :遠藤 利男

脚本監修:池端 俊策

時代考証:鳥海 靖
風俗考証:天野 隆子
海軍軍事考証:平間 洋一
      :菊田 慎典
陸軍軍事考証:寺田 近雄
      :原 剛
軍服考証:柳生 悦子
軍装考証:平山 晋
騎兵考証:岡部 長忠
    :末崎 真澄
    :清水 雅弘

取材協力:司馬遼太郎記念館

資料提供:坂の上の雲ミュージアム
    :馬の博物館
    :アメリカ議会図書館資料映像コレクション
    :アニドウ・フィルム
    :海上保安庁海洋情報部
    :倉敷紡績
    :齋藤武子
    :北海道大学スラブ研究センター
    :早稲田大学図書館
    :BFI National Archive
    :British Pathé
    :Collections Gaumont Pathé Archives
    :The Dock Museum
    :Getty Images
    :Huntley Film Archives

撮影協力:はこだてフィルムコミッション
    :豊富町
    :つくばみらいフィルムコミッション
    :防衛省
    :陸上自衛隊 第1普通科連隊
    :海上自衛隊 横須賀教育隊
    :日本元気劇場
    :なごや・ロケーション・ナビ
    :日本ラインフィルムコミッション
    :博物館明治村
    :舞鶴フィルムコミッション

題字:司馬 遼太郎


語り:渡辺 謙

──────────

[出演]

本木 雅弘 (秋山真之)


阿部 寛 (秋山好古)


菅野 美穂 (正岡 律)


石原 さとみ (秋山季子)


柄本 明 (乃木希典)


村田 雄浩 (伊地知幸介)


的場 浩司 (長岡外史)


香川 照之 (正岡子規(声))

加藤 雅也 (有馬良橘)

川野 太郎 (豊島陽蔵)

堤 大二郎 (井口省吾)

山口 馬木也 (岩村団次郎)

清水 綋治 (黒木為禎)

矢島 健一 (有坂成章)

宗近 晴見 (野津道貫)

宮内 敦士 (藤井茂太)

ティモフィー・ヒョードロフ (ニコライ二世)
アレクサンドル・チューチン (ロジェストウェンスキー)
セルゲイ・パールシン (クロパトキン)
レオン・リセック (シフ)
デビッド・クウィルタ— (シャンド)

ダンカン (伊地知彦次郎)
頼 三四郎 (永田泰次郎)
伊吹 剛 (奥 保鞏)
伊藤 洋三郎 (落合豊三郎)
千葉 哲也 (大庭二郎)
谷川 昭一朗 (白井二郎)
嵐 芳三郎 (田中国重)
永井 浩介 (津野田是重)
浜田 学 (佐藤鋼次郎)
リュボミラス・ラウチェービチュス (コンドラチェンコ)
リマス・モルクーナス (シタケリベルグ)

──────────

松 たか子 (秋山多美)


鶴見 辰吾 (松川敏胤)


草刈 正雄 (加藤友三郎)


アレクセイ・シェフチェンコ (アレクサンドロウィッチ)
ゲオルギー・シュベチコフ (ミハイロウィッチ)
渡部 賢治 (深井英五)
ヨシダ 朝 (筑紫熊七)
田上 晃吉 (後藤秀四郎)
片岡 暁孝 (小林 環)
辻 輝猛 (中屋新吉)
佐久間 哲 (奈良武次)
西田 聖志郎 (一戸兵衛)
新井 優歌 (与志子)
松浦 愛弓 (健子)
小山 颯 (信好)
木村 栄
村上 新悟
末宗 慎吾
大窪 晶
西村 雄正
ギオルギー・ストレーレッツ
サルーナス・プイドーカス
ドミトリス・デニシュカス
アンドリュス・パウラービチュス
オレグ・フェドロ
平野 貴大 (陸軍兵士)
三浦 清光 (陸軍兵士)
内藤 羊吉 (陸軍兵士)
渡邊 修一 (陸軍兵士)
斉藤 あきら (陸軍兵士)
藤原 鉄苹 (陸軍兵士)
小宮山 新二 (陸軍兵士)
沙人 (陸軍兵士)
芹口 康孝 (陸軍兵士)
松原 征二 (陸軍兵士)
酒元 信行 (陸軍兵士)
大塚 ヒロタ (陸軍兵士)
河本 タダオ (陸軍兵士)
伏見 雅俊 (陸軍兵士)
末野 卓磨 (陸軍兵士)
永沼 友由輝 (陸軍兵士)
森谷 勇太 (陸軍兵士)
串間 保 (陸軍兵士)
武智 健二 (陸軍兵士)
日暮 玩具 (陸軍兵士)
赤城 裕人 (陸軍兵士)
加藤 智明 (陸軍兵士)
松浦 敬 (陸軍兵士)
小野 孝弘 (陸軍兵士)
大賀 太郎 (陸軍兵士)
松橋 政義 (陸軍兵士)
冴羽 一 (陸軍兵士)
倉持 貴行 (陸軍兵士)
田中 晶 (陸軍兵士)
小橋川 よしと (陸軍兵士)
野本幸一郎 (陸軍兵士)
外間 勝 (海軍兵士)
小林 和寿 (海軍兵士)
横内 宗隆 (海軍兵士)
金子 太郎 (海軍兵士)
伊藤 力 (海軍兵士)
野田 英治 (海軍兵士)
鈴木 幸二 (海軍兵士)
宇都 隼平 (海軍兵士)
枝川 吉範 (海軍兵士)
高久 慶太郎 (海軍兵士)
新宮 乙矢 (海軍兵士)
能地 貴之 (海軍兵士)
足立 学 (海軍兵士)
進藤 健太郎 (海軍兵士)
川﨑 龍一 (海軍兵士)
石井 由多加 (海軍兵士)
小久保 寿人 (海軍兵士)

劇団ひまわり
劇団東俳
劇団いろは
フジアクターズシネマ
エレメンツ
テアトルアカデミー
キャンパスシネマ
エンゼルプロ
グループエコー
キャラJOB
フラッシュアップ
クロキプロ
トップアクト
ぷろじぇくと大和
函館市のみなさん
稚内市のみなさん
幌延町のみなさん
猿払村のみなさん
浜頓別町のみなさん
豊富町のみなさん
つくばみらい市のみなさん
小松市のみなさん
加賀市のみなさん
犬山市のみなさん
舞鶴市のみなさん


高橋 英樹 (児玉源太郎)


所作指導:橘 芳慧
馬術指導:田中 光法
海軍軍事指導:堤 明夫
無線通信指導:中村 治彦
砲術指導:佐山 二郎
アクション指導:深作 覚
医事指導:中村 毅志夫
看護指導:押川 真喜子
邦楽指導:本條 秀太郎
書道指導:望月 暁云
野球指導:稲見 達彦
松山ことば指導:野沢 光江
土佐ことば指導:岡林 桂子
薩摩ことば指導:西田 聖志郎
長州ことば指導:一岡 裕人
広島ことば指導:沖田 弘二
英語監修:バーミンガム・ブレーンズ・トラスト
ロシア語指導:中川 エレーナ
タイトルバック:菱川 勢一
ドキュメンタリー部映像加工
       :ドローイング アンド マニュアル
VFXプロデューサー:結城 崇史
VFXスーパーバイザー:長尾 健治

──────────

西田 敏行 (高橋是清)


舘 ひろし (島村速雄)


竹下 景子 (秋山 貞)


米倉 斉加年 (大山 巌)


江守 徹 (山県有朋)


渡 哲也 (東郷平八郎)

──────────

エグゼクティブ・プロデューサー:西村 与志木
               :菅 康弘

制作統括:藤沢 浩一
    :中村 高志

プロデューサー:関口 聰
美術:山下 恒彦
  :岡島 太郎
技術:宮路 信広
音響効果:島津 楽貴
撮影:安藤 清茂
照明:牛尾 裕一
音声:加村 武
映像技術:横田 幹次
VFX:釣木沢 淳
CG:織田 芳人
美術進行:塩野 邦男
記録:野田 茂子
編集:大庭 弘之

(イギリスロケ)
プロデューサー:ロレイン・グッドマン
コーディネーター:阪本 泉
制作協力:NHK Cosmomedia (Europe) Ltd.

(ラトビア・フランス・エストニアロケ)
制作協力:FILM ANGELS STUDIO
プロデューサー:トマス・マカラス
ロシア陸軍考証:アレクサンドル・ディディキン
アクション指導:オレグ・ボーチン
撮影協力:Municipality of Pisa

(マルタロケ)
制作協力:MFS
プロデューサー
   :コーネリア・アッツォパルディ・シェルマン
ロシア海軍考証:セルゲイ・チェルニャフスキー

(ロシアロケ)
プロデューサー:アレクサンドル・ワシリコフ
コーディネーター:スペトラーナ・ミハイロワ
外交史考証:アレクサンドル・パノフ
衣裳デザイン:バベル・リバトフ
      :エレーナ・バリン
美術協力:アレクサンドル・ザゴースキン
演出協力:アレクサンドル・ミッタ


演出:加藤 拓


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』
第11回「二〇三高地」

2011(平成23)年12月11日

デジタル総合:午後7時30分〜
BSプレミアム:午後6時〜

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コメント

昔の、日本人は凄いですね、
でも、ボランティアでも、
年配者が、確かに多いですが、
T京から1人で寒いこの季節、
車の中で寝泊りしながらの若者も、
仕事の合間を縫って、
毎月5~6回来るそうです。
若い力を見せ付けられました。
日本は、まだまだ、これからだと思いました。
頑張れ日本!

──────────

うっちゃんさーん。


>若者も、仕事の合間を縫って、毎月5~6回来る
そういう方もいらっしゃるんですね!
すごいなぁ……。

前にも書きましたけど、Kassyには
とても真似できることではありません。
その行動力、すごいです。

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