スペシャル大河 坂の上の雲・(12)敵艦見ゆ 〜ロシア最大のバルチック艦隊出現…嵐のような砲弾にたたかれる連合艦隊! 奇跡の東郷ターン!〜
三笠を撃沈せよ──
──旗旒用意、Z 揚げッ!
広い海の中を、煙をもくもく吐きながら
ゆっくりと航海しているバルチック艦隊の姿があります。
艦隊のたどった道に足跡を付けるように
吐いた煙が色濃く残っています。
バルチック艦隊は、その遠洋航海をつづけつつある。
これだけの大艦隊がヨーロッパの北海から極東の海まで
それこそ万里の波濤を蹴って遠征するという事業そのものが
すでに英雄詩的であった。
そのバルチック艦隊は、
アフリカ喜望峰をまわり 一路極東を目指していた。
まことに小さな国が 開化期を迎えようとしている。
四国は伊予松山に、三人の男がいた。
この古い城下町に生まれた秋山真之は、
日露戦争が起こるにあたって、勝利は不可能に近いといわれた
バルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。
その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し
史上最強の騎兵といわれる
コサック師団を破るという奇跡を遂げた。
もう一人は、俳句、短歌といった
日本の古い短詩型に新風を入れて
その中興の祖となった俳人・正岡子規である。
彼らは、明治という時代人の体質で 前をのみ見つめながら歩く。
上っていく坂の上の青い天に
もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、
それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。
坂の上の雲 第十二回「敵艦見ゆ」
広島県・呉──。
旅順要塞はすでにおさえた。
三笠以下、東郷の艦隊は その根拠地であった裏長山列島を離れ
第一艦隊は呉へ、第二艦隊は佐世保に入った。
「お〜い!」
「帰ってきたぞーッ!!」
艦上から、陸の仲間へ手を振る海軍兵士たち。
セーラー服が凛々しいです。
どの艦も傷みようがひどかった。
長期間浮きっぱなしであったことと、
大小の海戦のために砲などもずいぶん傷んでいる。
三笠なども、とりかえねばならない砲がいくつかあった。
宮中・御座所──。
「万難を排し、今日の成功を収めたことを嬉しく思う」
明治天皇に拝謁した東郷平八郎、秋山真之ら参謀たちは
天皇からのお言葉を賜ります。
ロシアの増援艦隊(=バルチック艦隊)に勝つ見込みを天皇に問われて
東郷は「誓ってこれを撃滅し、宸襟を安んじ奉ります」とハッキリ答え
皆を驚かせます。
カラスが鳴いている夕暮れ、
一時帰国した真之は、邸宅へ戻ってきます。
「おかえりなさいまし」
戸を開くと、そこには妻の季子と子どもたち、
そして好古の子どもたちが
手をついて出迎えてくれていました。
義姉の多美と母の貞も一緒です。
夕ごはんです。
柱時計が鳴って、時を正確に刻んでいます。
カラスといい、柱時計といい
艦隊の中にいては決して聞けない、のどかな空間です。
「母さん、身体を大事にせないけんよ」と
真之は貞の手をポンポンとやさしく触れます。
……だんだん。
でも、東京生まれの子どもたちは
この“だんだん”という言葉の意味が分かりません。
その意味を真之が教えてあげると
まるで呪文を唱えるかのように、
「だんだん!」と口々につぶやきます。
団欒が続く中、多美が真之に思い切って聞いてみます。
「バルチック艦隊は、今どの辺りにいるんでしょう?」
どうやらご近所からも頻繁に聞かれるようです。
しかしそれは、真之に言わせれば
そんなことが分かれば苦労はしないわけで
「あ」と多美は照れ笑いします。
貞は息子が出世したことが嬉しく、
「淳が偉うなった」と真之を拝みますが
真之にはそれがくすぐったいです。
明治38(1905)年1月・満州 沙河──。
横殴りの雪が吹雪いています。
不気味な地吹雪のうなり声が聞こえます。
戦線が、沙河(さか)の線で凍結している。
沙河とは、奉天の南およそ十キロを蛇行する河である。
日露両軍とも長大な塹壕(ざんごう)を掘り、柱を立て
その上に屋根をかぶせて掩堆(えんたい)にし、
風説と砲弾に堪えるようにしていた。
旅順陥落後、野戦兵力の全てをあげて決戦を強いるという
奉天会戦の作戦案が作られつつあったが、
それには、旅順から乃木軍が北上してくるのを
待たねばならなかった。
ロシア軍としては、
沙河を挟んで手いっぱいに展開している日本軍の
もっとも手薄な最左翼に強烈な重圧をかけ、
同時に正面攻撃を行えば包囲殲滅できるであろう。
秋山好古の騎兵旅団は、その日本軍最左翼を守りつつ
敵情偵察を行っていた。
李大人屯・秋山支隊司令部──。
騎兵第八連隊長の永沼中佐が司令部に入ってきました。
好古は、総司令部からの許可が下りたということで
ロシア軍の補給動脈を爆破する戦法を永沼に命じます。
「実に痛快であります」
永沼は、挺進隊170騎を従えて支隊司令部を出発します。
そんな彼らに敬礼し、頼むぞ! と激励して見送る好古です。
好古は、自分の人生は簡単明瞭でありたいと思っている。
「おれの一生の主眼はひとつだ」とかねがね言っていたが、
ひとつというのは、騎兵の育成ということであった。
永沼は、渾河右岸を進むロシアの騎馬軍団を発見し、
旅団司令部に報告を入れさせます。
煙台の満州軍総司令部では、
松川敏胤大佐と児玉源太郎総参謀長が笑って報告を抹殺します。
こんな寒い中、ロシア軍が攻勢に出るわけがなく
騎兵はちと過敏に反応しすぎているからです。
しかしそれも、好古は見切っていました。
40kmの正面をわずか8,000の兵で守っておりますが、
ロシアは薄っぺらな戦線を破りにくるでしょう。
ロシア軍は秋山支隊の正面に来ます。
そして援軍は、実際に攻勢が始まらなければ
出してくれそうにありません。
8,000で踏み堪えるしかありません。
好古は、酒をぐいっとあおります。
1月25日午前3時・黒林台 秋山支隊前哨基地──。
無数のひづめの音が近づいてくるような音がして
地面に耳を近づけ、澄ました瞬間……、
突然の銃撃を受けます。
あまりに急なことで、支隊は大混乱です。
ひづめの音や馬のいななき、
そして喚声が暗闇から聞こえ、
支隊の面々はその音のする方角に銃を構えますが、
その音の正体はなかなか姿を現しません。
発砲の火花でようやく姿がかすかに見えますが、
気づいた時にはすぐ前、真っ正面に迫っています。
前線が破られ、退却を余儀なくされます。
その報を受けた好古は
「何があっても引くな!」と各隊に伝令を走らせます。
「騎兵を育てあげた以上は、
世界一のコサック騎兵団とさしで戦ってみたい」
という、子どもじみた妄想は
好古の中にも多少は息づいていたが、
しかし、その衝動を抑え抜いていくことが彼の戦闘指導原理であり、
このため、彼の騎兵部隊は戦闘となれば馬を捨てて徒歩兵となり
射撃戦の形をとることによってコサックと戦った。
黒溝台会戦──。
騎兵部隊にとってとても大事な馬は洞穴に隠され
兵たちは歩兵として出撃して行きます。
数多の砲撃を受けながら、
総司令部に援軍の要請を繰り返します。
報告を受けた総司令部では、児玉が
秋山支隊のいる左翼が潰され突破されれば
全日本軍が崩壊するという懸念から、
何としても左翼への援軍編成を命じます。
そんな時、第三軍司令官・乃木希典が
旅順から総司令部に到着。
「乃木のじじいか」と児玉は出迎えますが、
乃木を疫病神扱いする参謀たちは歓迎しません。
総司令官・大山 巌は「ご苦労でした」と労をねぎらいます。
児玉は元来、日露戦争を
純粋な意味での軍事的勝利で解決できるとは
思っていなかった。
冷静な計算の上では、どのように日本軍が勇戦敢闘しても
五分五分に持ってゆければ上等であり、
それを何とか作戦の面で敵を凌駕して
六分四分にこぎ着けるというのが、大山・児玉の目標であった。
日露戦争の陸戦は、その「六分四分」という
わずかな勝ち星を得続けて今日まで来た。
しかし、すでに二年目に入ったこの戦争が
もし三〜四年も続くようになれば、日本の財政は
死滅の危機に瀕することになるかもしれない。
「戦争による財政的滅亡」
という危機感が最初からあったために、日本政府が
このときほど国家運営の上で財政的感覚を鋭くしたことは
それ以前にもそれ以降にもない。
この同じ民族の同じ国がはるかな後年
財政的にも無謀極まりない太平洋戦争をやったということは
ほとんど信じがたいほどであった。
1月29日──。
雪に包まれた地の上に点々と転がるロシア兵の亡きがらを見て
ロシア軍の撤退に気づきます。
黒溝台会戦は、ロシア軍が発動し
その主動によって行われた。
その途中、ロシア軍は
成功寸前の体制を示しつつ退却してしまった。
この会戦は、日本軍にとって決して勝利とは言えない。
いわば、防戦の成功であった。
馬を洞穴から出し、馬上の人となって移動する騎兵たち。
好古は兵の亡きがらに敬礼し、埋葬を命じます。
総司令部から松川参謀が駆けつけました。
難戦でしたな、と言う松川に
“難戦”という一言で片づけては
死んだ兵たちに無礼だ、と穏やかに諭しますが、
そもそも好古は、
ロシア軍が大集団でやって来るという報告を
何度も何度も上げて警報してきたわけで、
それを「冬の間は動かない」と
せっかくの報告を軽視し抹殺した総司令部の人間に
その言葉を言われたくはありません。
マダガスカル島・ノシベ港──。
バルチック艦隊は、
このノシベという漁港に居座り続けている。
ドイツの石炭会社との紛争、本国からの訓令のあいまいさ、
第三艦隊との合流の問題などが重なって、
どうにも錨をあげるわけにはいかないのである。
豆腐売りのラッパの音が聞こえてくる中、
真之は炒り豆をポリポリと食いながら
畳の上に大の字になって天井を睨みつけています。
天井には、電灯が1個。
季子は怪訝そうに天井を見てみますが、
その他には何もありません。
真之は、天井に地図を見ているようです。
日本列島があり、東シナ海、
日本海、太平洋、オホーツク海……。
そしてバルチック艦隊がどこをどう進んでくるのか。
♪行こかウラジオ、帰ろかロシア
ここが思案のインド洋♪
「さて……そろそろ時間か」
再び出発する真之を、季子と貞が見送ります。
連合艦隊が佐世保港を出たのは、二月二十日である。
この「軍艦行進曲」というポピュラーな曲が
三笠艦上で演奏されたのは日本海海戦を通じて
この時だけである。
同じ二十日、煙台の満州軍総司令部に各軍司令官が招集された。
各軍司令官がこのように一堂で顔を合わせるということは、
開戦以来初めてのことであった。
集まったのは、大山総司令官、児玉総参謀長のほか
松川参謀、井口省吾参謀、乃木希典大将ら総勢30余名。
空前の会戦を前に、勝利を誓います。
この奉天の会戦においては、我は帝国陸軍の全力を挙げ
敵は満州において用うべき最大の兵力を
引っ提げてもって勝敗を決せんとす。
この会戦において勝ちを制したる者は、
この戦役の主人となるべく
実に日露戦争の関ヶ原というも不可なからん!
大山は述べ、「いざ!」のかけ声とともに
各軍司令官と酒を呑み干して杯を叩き割ります。
この満州最大の都会は、正式には奉天府という。
クロパトキンが奉天付近において握っていた兵力は
三十二万という、開戦後 空前の大兵力であった。
これに対し、大山・児玉が握っている日本の野戦軍は
総ざらいしても二十五万でしかない。
砲の概数は、ロシア側は千二百門、日本側は九百九十門。
これだけの兵力と火力が
戦線百キロに展開して一大対決を行うとなれば、
世界戦史上空前の大会戦になるであろう。
3月1日 朝──。
大砲を多数放って、ついに戦いが始まります。
全日本軍の一番左を、乃木軍が北へ進んでいる。
乃木に課せられた作戦目的は、遠距離運動を持って敵の右翼へ出
さらに迂回してその背後を突くというものであったが、
彼が理解した自分の任務の性質は
「全軍の犠牲になる」という悲劇的なものであった。
第三軍の進軍速度が遅すぎます。
作戦を理解しておるのか! と松川は声を張り上げ、
それでも野戦重砲を回してほしいという
津野田参謀の望みを断ち切ります。
「総司令部は第三軍に多くを期待しておらんのだ!」
好古は児玉に呼ばれて総司令部を訪れます。
乃木が左を突けば、クロパトキンも兵力を差し向ける。
今度は右を突けば、敵はまた驚いて右にいく。
そうして手薄になる中央突破を図る……という作戦ですが、
好古にはクロパトキンがそう都合良く反応するとは思えません。
「作戦批判はやめていただきたい」と松川はそっけないですが、
一方の児玉は奇策だと笑っているばかりです。
児玉は好古に策を授け、命令を下します。
『秋山支隊は臨時に乃木軍に合すべし。
乃木軍北進の魁となり、遠く奉天北方の鉄道を破壊せよ』
は、と好古はすぐに前線に戻って行きます。
3月2日──。
次々と大砲が撃ち込まれ、破裂します。
逆にこちらは無数の銃弾を受け、
一度に数十数百と兵が倒れていきます。
戦術の原則として、
小部隊が大部隊を包囲する ということはありえない。
ところが、大山・児玉はその原則を無視してやってのけた。
このためクロパトキンは、日本が包囲作戦に出た以上
よほど大きな予備隊を隠しているに違いないと錯覚した。
大山・児玉がやってのけた、この奉天包囲作戦は
日本軍としてはやむを得ない冒険であったにせよ、
危険極まりないものであった。
たくさんの騎馬隊が一斉に駆けていきます。
奉天駅──。
北進する秋山騎兵団の数は、
二倍の六千と拡大されて伝わった。
日露戦争を通じての最大の謎が、このときから始まる。
到着した客車の中で、
ロシア満州軍総司令官・クロパトキンは報告を受けています。
現在の(拡大されて伝えられた)北方の脅威を抱える状況では
鉄道線路が遮断されることが予想されるため、
渾河の線まで退却するように命じます。
いったん退却し、戦線整理をした上で
再度反撃に出た方が得策であるわけです。
各方面からの兵を回せば撃退できます、だの
日本軍の攻撃はそう長くは持ちません、だのという
将校たちの意見を聞き入れず、
クロパトキンは奉天を引き払って退却します。
三月九日、朝。
異様な気象現象が満州の野を覆い、
この会戦をいっそう劇的なものにさせた。
「大風塵起ル」という意味の表現が
あらゆる戦闘報告や記録に出てくる。
この狂風と黄塵が天地を昏(くら)くしつづける前、
未明からロシア軍の退却が始まっていた。
林の中から、丘の上から、そして草むらから
日本の指揮官たちは退却するロシア軍を見ています。
「勝っておるのになぜ退がる!」と頭の中は疑問符だらけですが、
好古は奉天城を指さします。
児玉はいったん東京に戻り、
春になってロシア軍がさらに強大になって反撃に出る前に
講和条約締結のために動かなければなりません。
火を付けた以上は、消さねばなりません。
秋山支隊による行動は、クロパトキンを脅えさせ思考を狂わせ
ついには決戦への気持ちを萎えさせた。
奉天会戦はどうみてもロシア軍が負けるべき戦いではなかった。
兵力火力ともに日本軍よりも格段の差で優位に立っていた。
が、作戦で敗れた。
それも、徹頭徹尾 作戦で惨敗した。
日本国旗が立ち並ぶ中を、しずしずと進軍していきます。
あとは淳──真之がいる海軍の出番だと、
兄は酒を呑みながら弟にバトンを渡します。
4月8日──。
バルチック艦隊が極東への最後の曲がり角ともいうべき
シンガポール沖に達したのは、四月八日であった。
バルチック艦隊の司令長官・ロジェストウェンスキーは
奉天会戦でロシア軍が敗戦した報を受けて
「クロパトキンは左遷だな」などとぶつぶつつぶやいています。
バルチック艦隊が目指すウラジオストクまでの航路は二通りある。
対馬海峡を通って日本海コースを採ってくれれば最もよい。
しかし太平洋を回って津軽海峡や宗谷海峡を経る公算も大である。
が、日本としては、これを迎撃する艦隊を
一セットしか持っていないため、
太平洋と日本海の二か所で
待ち伏せることはできないのである。
朝鮮半島南端・鎮海湾に浮かぶ旗艦三笠で、
真之は地図をくまなく見ながら、あらゆる場合を考慮中です。
真之は、バルチック艦隊が対馬海峡を通ると想定して
哨戒計画を立案している。
哨戒には、非決戦用の艦船が動員された。
その数は七十三隻というおびただしさであった。
能登の沖で待ってはどうか、津軽へ行くか、
まだ対馬で待つべきだ、と参謀たちは紛糾、
「博打ではなかろう」と真之は声を荒げます。
このころの射撃訓練に「内膅砲射撃」という方法があった。
小銃を大砲の中に装置しておく。
砲員は、大砲を操縦して目標を狙い
その小銃弾を目標へ発射するのである。
対馬海峡のコースなら、バルチック艦隊は
そろそろ顔を見せてもよさそうなものですが、
一向に姿を現しません。
もしかしたら太平洋コースを採ったのかも?
そうすれば、ここで待っているのは
よほどの間抜けかもしれません。
そう考えると、真之の表情はますます厳しく鋭く変貌していきます。
見かねた第四駆逐隊指令・鈴木貫太郎中佐は
やんわりと注意し、励まします。
「作戦参謀の顔色は、全ての乗組員に見られておるぞ」
首を長くして待っている間、真之は
正岡子規とのこと、
そして父・秋山久敬の言葉を思い出しています。
「急がば回れ! 短気は損気!」
──もう待てん!
真之は、万が一の備えとして北海方面への移動を視野に入れた
封密命令を出してもらうように東郷に具申します。
東京──。
自転車に乗った海軍大佐・財部 彪は、
人の多い大通りを「どけ! どけ!!」と叫びながら
海軍大臣・山本権兵衛の元へ急ぎます。
財部としては、津軽海峡での待ち伏せ態勢に
切り替えることに大反対の立場であります。
すぐにでも思いとどまらせるべく
軍令部長からの命令書を山本に目を通してもらうべく
ここまで急いできたわけです。
しかし山本の反応は意外なものでした。
「こいはならん! 任せておくのがお前の立場じゃ」
戦をするのは東郷たちであり、
その東郷に対露作戦の全てを任せるのが最良なわけです。
いくら大本営で、第三者的観測の元に正確な判断ができても
横からくちばしを入れることだけは、
山本としてもしたくはありません。
島村は、東郷の参謀長を務めていたが
いまは加藤友三郎に後を譲って
第二艦隊第二戦隊司令官になっている。
対馬海峡での待ち伏せ作戦から
津軽海峡西方に移動する計画が話し合われますが、
その島村は「時期尚早」と異議を唱えます。
敵が遅い遅いとキリキリするがは、まるで巌流島じゃき──。
「そいは対馬海峡じゃ」
東郷が、世界の戦史に不動の位置を占めるに至るのは
この一言によってであるかもしれない。
東郷とて、津軽海峡ルートの可能性を否定したわけではありませんが、
もし北上移動する時は、バルチック艦隊について
新たな情報が入ったときであります。
それまでは、封密命令は開封しないことにします。
島村は、東郷がそう言った以上は
安心して思いっきりやったらいい、と背中を押します。
「秋山……気張りよ」
5月27日午前2時45分・長崎県対馬──。
哨戒艦・信濃丸では、乗組員たちが息を潜めて
海を見つめています。
夜が白みはじめ、敵船の様子が見えるようになると
水兵が「ロシア艦隊視認!」と声を上げます。
午前5時5分──。
信濃丸からの『敵ノ艦隊見ユ、地点二〇三』という電報が
三笠にも届きます。
待っていた、その時です。
『敵艦見ユトノ警報ニ接シ、
連合艦隊ハ直チニ出動、
之ヲ撃滅セントス』
確かにこの内容でいいのですが、真之は付け足します。
『本日天気晴朗ナレドモ浪高シ』
どの艦も、甲板まで石炭を積み上げていたが
戦闘の邪魔となるので、石炭庫に入りきらないものは
迅速に捨てねばならなかった。
入浴後、「消毒済」の戦闘服に着替えた。
外傷を受けた場合の、化膿を防ぐためである。
さらに甲板を洗い、砂をまいた。
戦闘で血みどろになった場合に、
兵員が足を滑らさないようにするためであった。
「天気晴朗」というのは、視界が遠くまで届くため
取り逃がしは少ないということを濃厚に暗示している。
さらに「浪高シ」という物理的状況は
ロシアの軍艦において大いに不利であった。
敵味方の艦が波で動揺するとき、波は
射撃訓練の充分な日本側の方に利しロシア側に不利をもたらす。
「天気晴朗ナレドモ浪高シ」
「きわめて我が方に有利である」ということを
真之はこの一句で象徴したのである。
バルチック艦隊では、甲板で航海無事の祈りが捧げられ
乗組員も胸に十字を切っています。
「Z、揚げ!」
真之の号令により、Z旗が掲げられます。
艦隊との距離は、12,000から10,000、8,500と
徐々に縮まっていきます。
天に向かって掲げられた東郷の右手は、
ゆっくりと左(=反時計回り)に下ろされます。
このとき、世界の海軍戦術の常識を打ち破ったところの
異様な陣形が指示された。
──東郷は狂ったか!?
三笠は艦首を左へ急転回させますが、
転回が終わるまでには、速度16ノットとしても
10分はかかります。
「三笠を撃沈せよ、黄金の10分を無駄にするな!」
ロジェストウェンスキーは命じます。
この敵前回頭という捨て身の運動中、
三笠以下は艦隊のありたけの速力を出していた。
味方にとっては射撃が不可能に近く、
敵にとっては極端に言えば静止目標を撃つほどに容易い。
これに要した十分という時間は
生と死をわける魔の時間として無限に永いように思われた。
三笠は、一個のドラムに化したように
ロシア製の砲弾に叩かれ続けた。
丁字戦法のはじまりである──。
──────────
明治38(1905)年5月27日、
連合艦隊特務艦隊仮装巡洋艦「信濃丸」が
バルチック艦隊の病院船「オリョール」の灯火を海上に発見する。
明治38(1905)年5月27日、
日本とロシア帝国との間で戦われた日本海海戦まで
あと0日──。
原作:司馬 遼太郎 (『坂の上の雲』より)
脚本:野沢 尚
:加藤 拓
:柴田 岳志
音楽:久石 譲
メインテーマ:「Stand Alone」
作詞:小山 薫堂
唄:麻衣
演奏:NHK交響楽団
:東京ニューシティ管弦楽団
テーマ音楽指揮:外山 雄三
脚本諮問委員:関川 夏央
:鳥海 靖
:松原 正毅
:松本 健一
:宮尾 登美子
:山折 哲雄
:遠藤 利男
脚本監修:池端 俊策
時代考証:鳥海 靖
風俗考証:天野 隆子
海軍軍事考証:平間 洋一
:菊田 慎典
陸軍軍事考証:寺田 近雄
:原 剛
艦船考証:泉 江三
軍服考証:柳生 悦子
軍装考証:平山 晋
騎兵考証:岡部 長忠
:末崎 真澄
:清水 雅弘
宮中建築考証:浅羽 英男
取材協力:司馬遼太郎記念館
資料提供:坂の上の雲ミュージアム
:馬の博物館
:アニドウ・フィルム
:海上保安庁海洋情報部
:木村家
:近現代フォトライブラリー
:北海道大学スラブ研究センター
:横浜開港資料館
:ロシア国立映像アーカイブ
撮影協力:豊富町
:防衛省
:陸上自衛隊 第1普通科連隊
:海上自衛隊 横須賀教育隊
:日本元気劇場
:舞鶴フィルムコミッション
:今治市
:天草フィルムコミッション
:宇城市
題字:司馬 遼太郎
語り:渡辺 謙
──────────
[出演]
本木 雅弘 (秋山真之)
阿部 寛 (秋山好古)
石原 さとみ (秋山季子)
柄本 明 (乃木希典)
尾上 菊之助 (明治天皇)
香川 照之 (正岡子規(回想))
伊東 四朗 (秋山久敬(回想))
永澤 俊矢 (永沼秀文)
堤 大二郎 (井口省吾)
清水 綋治 (黒木為禎)
宗近 晴見 (野津道貫)
藤木 勇人 (宗像繁丸)
アレクサンドル・チューチン (ロジェストウェンスキー)
セルゲイ・ハールシン (クロパトキン)
ダンカン (伊地知彦次郎)
頼 三四郎 (永田泰次郎)
蟹江 一平 (飯田久恒)
田中 要次 (成川 揆)
伊吹 剛 (奥保 鞏)
嵐 芳三郎 (田中国重)
高杉 亘 (森山慶三郎)
石井 洋祐 (山田彦八)
山野 史人 (伊東祐亨)
飯田 基祐 (財部 彪)
永井 浩介 (津野田是重)
中村 圭太 (松井健吉)
杉山 文雄 (佐藤鉄太郎)
内倉 憲二 (山路一善)
小林 高鹿 (清河純一)
辻 輝猛 (中屋新吉)
市瀬 秀和 (栗原幸衛)
末宗 慎吾 (清岡真彦)
土平 ドンペイ (阿保清種)
宮下 裕治 (長谷川 清)
アレクサンドル・ポリシューク (イグナチウス)
ダリウス・メスカウスカス (コロン)
アンドリュス・ジューアウスカス (セミョーノフ)
アレクセイ・スカトフ (スウェントルジェッキー)
──────────
松 たか子 (秋山多美)
鶴見 辰吾 (松川敏胤)
赤井 英和 (鈴木貫太郎)
草刈 正雄 (加藤友三郎)
宮坂 健太 (佐藤市五郎)
伊藤 潤 (今村信次郎)
瑞木 健太郎 (枝原百合一)
大窪 晶 (布目満蔵)
磯野 正一 (玉木信介)
明石 鉄平 (山崎厳亀)
神野 崇 (三浦 忠)
増山 耕平 (野口新蔵)
新井 優歌 (与志子)
松浦 愛弓 (健子)
小山 颯 (信好)
仲松 秀規 (信濃丸乗員)
石戸 サダヨシ (信濃丸乗員)
岩永 ひひ男 (信濃丸乗員)
松浦 慎一郎 (信濃丸乗員)
赤木 裕樹 (信濃丸乗員)
尾形 直哉 (信濃丸乗員)
福田 繁 (信濃丸乗員)
宮澤 寿
野呂 拓也
バレンティナス・クリマス
サウリュス・シパリス
アレクサンドル・オクニョフ
三浦 清光 (陸軍兵士)
内藤 羊吉 (陸軍兵士)
渡邊 修一 (陸軍兵士)
斉藤 あきら (陸軍兵士)
平野 貴大 (陸軍兵士)
藤原 鉄苹 (陸軍兵士)
武智 健二 (陸軍兵士)
芹口 康孝 (陸軍兵士)
沙 人 (陸軍兵士)
酒元 信行 (陸軍兵士)
冴羽 一 (陸軍兵士)
河本 タダオ (陸軍兵士)
加藤 智明 (陸軍兵士)
大賀 太郎 (陸軍兵士)
赤城 裕人 (陸軍兵士)
森谷 勇太 (陸軍兵士)
松橋 政義 (陸軍兵士)
松原 征二 (陸軍兵士)
松浦 敬 (陸軍兵士)
伏見 雅俊 (陸軍兵士)
日暮 玩具 (陸軍兵士)
永沼 友由輝 (陸軍兵士)
田中 晶 (陸軍兵士)
末野 卓磨 (陸軍兵士)
小橋川 よしと (陸軍兵士)
小宮山 新二 (陸軍兵士)
倉持 貴行 (陸軍兵士)
串間 保 (陸軍兵士)
小野 孝弘 (陸軍兵士)
大塚 ヒロタ (陸軍兵士)
横内 宗隆 (海軍兵士)
能地 貴之 (海軍兵士)
野田 英治 (海軍兵士)
高久 慶太郎 (海軍兵士)
外間 勝 (海軍兵士)
鈴木 幸二 (海軍兵士)
進藤 健太郎 (海軍兵士)
新宮 乙矢 (海軍兵士)
小林 和寿 (海軍兵士)
小久保 寿人 (海軍兵士)
川﨑 龍一 (海軍兵士)
金子 太郎 (海軍兵士)
枝川 吉範 (海軍兵士)
宇都 隼平 (海軍兵士)
伊藤 力 (海軍兵士)
石井 由多加 (海軍兵士)
足立 学 (海軍兵士)
エレメンツ
エンゼルプロ
クロキプロ
キャンパスシネマ
劇団東俳
ぷろじぇくと大和
グループエコー
ラザリス
テアトルアカデミー
劇団ひまわり
NHK東京児童劇団
フジアクターズシネマ
キャラJOB
劇団いろは
セントラル子供タレント
稚内市のみなさん
幌延町のみなさん
猿払村のみなさん
浜頓別町のみなさん
豊富町のみなさん
つくばみらい市のみなさん
小松市のみなさん
小松工業高校吹奏楽部のみなさん
加賀市のみなさん
舞鶴市のみなさん
熊本市のみなさん
天草市のみなさん
宇城市のみなさん
高橋 英樹 (児玉源太郎)
所作指導:橘 芳慧
馬術指導:田中 光法
海軍軍事指導:堤 明夫
軍楽隊指導:谷村 政次郎
無線通信指導:中村 治彦
砲術指導:佐山 二郎
アクション指導:深作 覚
祝詞指導:正岡 一男
宮中ことば監修:堀井 令以知
宮中ことば指導:井上 裕季子
松山ことば指導:野沢 光江
薩摩ことば指導:西田 聖志郎
土佐ことば指導:岡林 桂子
長州ことば指導:一岡 裕人
広島ことば指導:沖田 弘二
宗像ことば指導:中垣 浩二
ロシア語指導:中川 エレーナ
タイトルバック:菱川 勢一
ドキュメンタリー部映像加工
:ドローイング アンド マニュアル
VFXプロデューサー:結城 崇史
VFXスーパーバイザー:長尾 健治
──────────
舘 ひろし (島村速雄)
竹下 景子 (秋山 貞)
米倉 斉加年 (大山 巌)
石坂 浩二 (山本権兵衛)
渡 哲也 (東郷平八郎)
──────────
エグゼクティブ・プロデューサー:西村 与志木
:菅 康弘
制作統括:藤沢 浩一
:中村 高志
プロデューサー:関口 聰
美術:山下 恒彦
:西之原 豪
技術:飛地 茂
音響効果:米本 満
撮影:佐藤 護
照明:富岡 幸春
音声:野原 恒典
映像技術:堀之内 崇光
VFX:高口 英史
CG:石原 渉
美術進行:栗原 誠
記録:野田 茂子
編集:大庭 弘之
(ラトビア・フランス・エストニアロケ)
制作協力:FILM ANGELS STUDIO
プロデューサー:トマス・マカラス
ロシア陸軍考証:アレクサンドル・ディディキン
ロシア海軍考証:アレクセイ・イェメーリン
アクション指導:オレグ・ボーチン
撮影協力:Municipality of Pisa
(マルタロケ)
制作協力:MFS
プロデューサー
:コーネリア・アッツォパルディ・シェルマン
ロシア海軍考証:セルゲイ・チェルニャフスキー
(中国ロケ)
撮影協力:国家広播電影電視総局
コーディネーター:李 泓冰
美術協力:銭 運選
演出協力:陸 濤
演出:木村 隆文
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』
第13回「日本海海戦」[終]
2011(平成23)年12月25日
デジタル総合:午後7時30分〜
BSプレミアム:午後6時〜
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