スペシャル大河 坂の上の雲・(13)日本海海戦 [終] 〜撃滅! バルチック艦隊─遂に日露戦争勝利! 3年にわたる物語が今夜完結 坂の上に見えたものは 感動のラストシーン〜
明治16(1883)年・横浜 YOKOHAMA──。
高橋是清に連れられて赴いた横浜港で、
秋山真之と正岡子規のふたりは
港に浮かぶ巡洋艦「筑紫」を見ています。
そのカッコ良さに興奮した真之は、
ギリギリまで巡洋艦に近づき、見送ります。
まことに小さな国が 開化期を迎えようとしている。
明治38(1905)年・対馬 TSUSHIMA──。
天に向かって掲げられた東郷の右手は、
ゆっくりと左(=反時計回り)に下ろされます。
「天気晴朗ナレドモ浪高シ」
坂の上の雲 最終回「日本海海戦」
このとき、世界の海軍戦術の常識を打ち破ったところの
異様な陣形が指示された。
丁字戦法の始まりである。
三笠は艦首を左へ急転回させますが、
転回が終わるまでには、速度16ノットとしても10分。
ロジェストウェンスキーはすかさず命じます。
「三笠を撃沈せよ、黄金の10分を無駄にするな!」
要するに、東郷は敵前でUターンをした。
Uというよりもα運動というほうが正確に近いかもしれない。
後続する各艦は、三笠が左折した同一地点に来ると
よく訓練されたダンサーたちのような正確さで左へ曲がってゆく。
それに対してロジェストウェンスキーの艦隊は
二本もしくは二本以上の矢の束になって北上している。
その矢の束に対し、東郷は横一文字に遮断し
敵の頭を押さえようとしたのである。
ただこの戦法は、場合によっては
味方の破滅を招く恐れもあった。
三笠の各艦が次々に回頭している間
味方にとっては射撃が不可能に近く、敵によっては
極端に言えば静止目標を射つほどに容易い。
この狭い海峡の中で、日露ともに大量の大砲をぶっ放し
海に落ちれば大きな水しぶきが上がり、
艦に命中すれば確実に攻撃力を弱めさせています。
敵との距離が6,400まで縮まったとき、
東郷は「よし」と頷き、射撃を許可します。
「試し撃ち方、始めッ!」という命令が
緊迫した中伝言ゲームのように一字一句間違いなく伝えられ
ロシア艦隊に向けて砲撃。
迎えるロシア側では、水兵たちがその砲撃に慌てふためいて
甲板上をあちこちに行き来していますが、
何だあの爆発は!? と目を見張っている間にも
日本軍の攻撃は絶え間なく続けられます。
うち一発が敵艦に命中、火柱が上がり大火災が発生──。
目標は、敵の旗艦 スワロフであった。
「水戦のはじめにあたっては、わが全力をあげて敵の先鋒を撃ち
やにわに二、三艘を討ち取るべし」というのは、
秋山真之が日本の水軍の戦術案から抽(ひ)き上げた戦法であった。
東郷は、真之の樹てた戦術原則のとおりに艦隊を運用した。
「天気晴朗ナレドモ、浪高シ」
「天気晴朗」というのは、視界が遠くまで届くため
取り逃がしは少ないということを濃厚に暗示している。
さらに「浪高シ」という物理的状況は
ロシアの軍艦において大いに不利であった。
敵味方の艦が波で動揺するとき、波は
射撃訓練の充分な日本側の方に利しロシア側に不利をもたらす。
「きわめて我が方に有利である」ということを
真之はこの一句で象徴したのである。
ロシア艦隊は砲撃爆発を受け、攻撃どころではありません。
司令官・ロジェストウェンスキーも爆発の衝撃で
甲板に叩き付けられます。
とはいえ、日本海軍もまったくの無傷というわけでもなく
ロシアの応戦によりそれ相応の被害を被っております。
ただ、被害の程度だけで言えばロシア側の方が
よりひどいと言うことができるかもしれません。
外をご覧ください、と促された
ロジェストウェンスキーの目の前には、
目を覆わんばかりの光景が広がっています。
旗艦スワロフに加え
戦艦アレクサンドル三世とボロジノが火災を起こし、
黒煙がもくもくと上がっています。
戦艦オスラービアに至っては、炎を上げながら
ゆっくりと沈没しつつあります。
海に投げ出された乗員は、溺れながらも助けを求めますが
しかし混乱の中で一人、またひとりと沈んでいきます。
真之の、対バルチック艦隊の戦法は彼の独創で、
どの国の戦術書にもない。
細長い日本海を七段に区分し、白昼の主力艦隊による砲撃戦と
日没後の駆逐艦・水雷艇による夜襲を繰り返すことで、
敵を一隻残らず沈める。
夜襲は五十隻を超える駆逐艦・水雷艇の受け持ちであった。
かれらは夜明けまで、一睡もしないであろう。
三笠内の居住区には負傷者がびっしり横たわり、
さらに次々と担架で運び込まれています。
そのたびに「どけ! 通るぞ」と声が響くのですが、
真之はその痛ましさに衝撃を受けます。
翌5月28日、海軍省大臣室では
海軍大臣・山本権兵衛が戦況報告の電報を受け取ります。
その報告を読み上げた海軍軍令部長・伊東祐亨は
思わず「勝った……」とつぶやきますが、
山本は手を緩めるつもりはなさそうです。
「まだ、敵艦隊を全滅させた訳ではありもはん!」
ネボガドフ艦隊の旗艦ニコライ一世と遭遇した連合艦隊は
数多の砲弾を撃ち込みますが、
ニコライ一世は応戦を一切しません。
その様子に疑問を持つ真之ですが、
ニコライ一世で旗が掲げられているのを発見します。
白旗──「ワレ降伏ス」の万国信号です。
武士の情け、と真之は東郷に発砲停止を進言しますが、
東郷は無言のままです。
つまり、敵が本当に降伏する意思があるというのなら
艦を停止させるはずです。
艦も停止させず、砲門を連合艦隊側に向けたままでは
降伏とは解釈できません。
「昼あんどん」東郷が、珍しく怒鳴ります。
更に続けた砲撃で、爆発とともに炎が上がり
ニコライ一世はようやく停船、降伏。
東郷は即時発砲中止を命じ、三笠から戦闘旗が下ろされます。
ニコライ一世に乗船した真之は
戦死者の多く横たわる中をひとり進んでいき
深い黙祷を捧げます。
東京根岸──。
正岡子規の没後も、子規庵には
高浜虚子や河東碧梧桐らが集まっています。
そんな彼らの元にも、連合艦隊勝利の報は届いており
「淳さんがおる限り、連合艦隊が勝つと保証する!」と
まるで淳さんが守り神のような扱いです。
「我が輩には大和魂が欠けておる。
だから最近は大和魂に出逢うと、少し道を避けるようにしている。
誰も口にせぬものはないが、誰も見たものはない。
誰も聞いたことはあるが、誰も会ったものはない。
大和魂はどんなものかと聞いたら、大和魂さと答えて行き過ぎた。
5〜6間行ってから、エヘンという声が聞こえた」
そこへ混じってきた夏目漱石は、大和魂について
文才らしくポンポンと文章が出てきますが、
正岡 律には、大和魂がバカにされているようで
ちと不愉快に聞こえます。
ただ、漱石としては揶揄する気持ちはなく、
たかが文学士といっても
結局は軍人に頼らなければ生きていけない己の無力さが悔しく、
それに対しての妬みから、そういう表現になったようです。
さらに言えば、もし日本がバルチック艦隊に負けていれば
ロシアの植民地になるわけで、
日本文学も、落語も歌舞伎も能も狂言も
日本語で楽しめなくなってしまう。
そんな危機感を抱いているのです。
ロジェストウェンスキーから指揮権を託された
ネボガドフ提督は真之と対面、
バルチック艦隊の最期を真之に聞きます。
沈没したのは、戦艦スワロフ、アレクサンドル三世、
ボロジノ、オスラービア、巡洋艦ウラルと
駆逐艦3隻、工作艦カムチャツカ、貨物船ルーシ……。
その現実にがっくりと肩を落としたネボガドフは
力なく椅子に腰掛けます。
いったい、これを勝利というような
規定の曖昧な言葉で表現できるであろうか。
「日本側の損害は水雷艇三隻」という
信じがたいほどの軽微さで無傷というに近かった。
これに対し、ロシア艦隊の主力艦のことごとくは
撃沈、自沈、捕獲されるという
当事者たちでさえ信じがたい奇蹟が成立したのである。
H・W・ウィルソンという英国の海軍研究家は
日露双方の発表によって日本海海戦の事情が明快になったとき
「なんと偉大な勝利であろう。
自分は陸戦においても海戦においても
歴史上このような完全な勝利というものをみたことがない」
と書き、さらに
「この海戦は白人優勢の時代が既に終わったことについて
歴史上の一新紀元を劃(かく)したというべきである。
将来は白色人種も黄色人種も
同一の基盤に立たざるを得なくなるだろう」
とし、この海戦が世界史を変えたことを指摘している。
「我が連合艦隊は、日本海でバルチック艦隊を撃破せり!」と
街中で号外が飛び交う中、季子は
その号外を手に取って家に飛び込みます。
夫の無事を一心に祈っていた季子は安堵したか
号外を胸に抱いてボロボロと涙を流し、喜びます。
一方、多美も号外を持って母の貞の元へ駆けてきます。
病の床についている貞もゆっくり起き上がり、
連合艦隊勝利とともに真之の無事を喜んでいます。
満州・花揚樹──。
6月20日、秋山好古は
ミシチェンコ騎兵団と対峙しています。
満州の戦場で、好古は
母親の貞が病没したというしらせを受けた。
「淳は、間に合うたかの」と兄は弟を気遣います。
その時弟は、習志野の兄の家におりました。
ただ、真之が好古の家に到着した時には
貞はすでに息を引き取っていて、
死に目には会えませんでした。
「母さん、アシは世の中のお役に少しは立てたんじゃろか」
静かに眠る母に言葉をかける真之でした。
夜、久々に枕を並べる真之と季子ですが、
真之は眠れず、散歩に出ようとします。
季子が止めるも
なお強引に出かけようとする真之の背中に
季子は後ろから強く抱きしめます。
「海軍を辞めようかと思う」
戦で命を落とした兵たちを多く見てきたため
トラウマとなって脳裏に焼き付いているようです。
何かにすがりつきたく、
肩をふるわせて崩れ落ちる真之を見て
季子は妻の愛で包んであげています。
ロシアの帝政は、強大な軍事力を持つことによってのみ存在し
国内の治安を保ってきた。
それが崩壊した以上、日露戦争はロマノフ王朝そのものを
存亡の崖っぷちに追い込んでしまったことになる。
このときロシアに講和を働きかけたのは、
米国大統領セオドア・ルーズベルトであった。
日本側の講和の全権大使には、
外務大臣の小村寿太郎が任命された。
明治三十八年九月五日、ポーツマスで日露講和条約が調印された。
しかし日本は、ロシアから賠償金を得ることはできなかった。
ここに、大群衆が登場する。
大群衆の叫びは、平和の値段が安すぎるというものであった。
講和条約を破棄せよ、戦争を継続せよ、と叫んだ。
「国民新聞」を除く各新聞は、こぞってこの気分を煽り立てた。
九月五日、日比谷公園で開かれた全国大会は
参集するもの三万といわれた。
彼らは暴徒化し、一時は無政府状態に陥った。
政府はついに戒厳令を布(し)かざるを得なくなったほどであった。
勝利というのは絶対のものではない。
敗者が必要である。
ロシアは自らに敗けたところが多く、
日本は、その優れた計画性と敵軍のそのような事情のために
きわどい勝利を拾い続けたというのが、日露戦争であろう。
10月25日。
朝の薄暗い中を、思い立って
真之はひとり出かけていきます。
ひとつの情景がある。
連合艦隊が横浜沖で凱旋の観艦式を行った翌々日、
真之は、朝まだ暗いうちに家を出た。
途中の茶店で朝飯代わりの団子を食らい、
豆腐売りのラッパの音が聞こえる中を
ステッキ片手に進んでゆく真之です。
子規が死んで、三年が過ぎていた。
子規庵の閉じられた門をジッと見つめて
その場に立ち尽くす真之でしたが、
特に何もアクションを起こさず、
そのままスタスタと歩いていきます。
正岡八重は、そんな紳士の後ろ姿を見かけますが、
真之のようにも見えます。
「あれは淳さんみたようじゃったが……」と八重に言われ、
律は真之が去っていった方角に駆け出します。
真之はその後三キロの道を歩き、
子規の菩提寺である田端の大龍寺まで行っている。
真之がこの墓前に立ったとき、
まだ真鍮板に刻んだ墓誌の碑はできていなかったが、
その草稿だけはできていた。
そこには、子規がその短い生涯を費やした
俳句、短歌のことは一字も触れられておらず、
ただ自分の名を書き、生国を書き、
父の藩名とお役目を書き、母に養われたことを書き、
勤め先を書き、さらに月給の額を書いて締めくくっている。
正岡常規、又の名は処之助、又の名は升、
又の名は子規、又の名は獺祭書屋主人、又の名は竹ノ里人。
伊予松山に生れ、東京根岸に住す。
父隼太、松山藩御馬廻加番たり卒す。
母、大原氏に養はる。
日本新聞社員たり。
明治三十五年九月十九日没す。
享年三六、月給四十円──。
突然降り出した雨に、真之は墓石の前から離れます。
その雨は、子規庵の律のところもそうでして、
干していた洗濯物を慌てて取り込んでいます。
律は、真之は軍艦に乗っているから
先ほど八重が見たのは人違いと言いますが、
もしかしたら自らそう言うことで、
自分自身を納得させようとしているのかもしれません。
子規の墓前を後にした真之は、雨の坂を下った。
道は飛鳥山、川越へ通ずる旧街道である。
雨の中で緑がはるかに煙り、
真之はふと三笠の艦橋からのぞんだ
あの日の日本海の海原を思い出した。
真之は結局、海軍を辞めなかった。
余談ながら、明治期に入っての文章日本語は
日本そのものの国家と社会が一変しただけでなく
外来思想の導入にともなって甚だしく混乱した。
その混乱が整備されてゆくについては、
規範となるべき天才的な文章を必要とした。
漱石も子規もその規範になった人々だが、
真之の文章も、この時期での
そういう規範の役目をしたと言うべきであったろう。
彼の文章がもっとも光彩を放ったのは、
「連合艦隊解散の辞」である。
一枚の紙に、サラサラと筆を流しております。
達筆です。
百発百中の一砲
能(よ)く百発一中の
敵砲百門に
対抗しうるを覚らば
我ら軍人は
主として武力を
形面上に
求めざるべからず
惟(おも)ふに武人の一生は
連綿不断の戦争にして
時の平戦に由(よ)り
其(そ)の責務に
軽重あるの理なし
事有れば武力を発揮し
事無ければ
これを修養し
終始一貫
その本文を尽(つく)さんのみ
神明はただ
平素の鍛錬に力(つと)め
戦はずして
すでに勝てる者に
勝利の栄冠を
授くると同時に
一勝に満足して
治平に安(やすん)ずる者より
ただちにこれをうばふ
古人曰(いは)く、
勝つて兜(かぶと)の
緒を締めよ、と──。
多数の武官の前で、東郷はそれをとうとうと読み上げます。
それを聞く武官たちは、微動だにしません。
明治三十九年一月、乃木の第三軍が満州から凱旋した。
「乃木のじじいよ」と
ゆっくりと歩を進める乃木希典を、
児玉源太郎は出迎えます。
児玉は日本の未来を不安視しますが、
乃木はそう受け取ってはいないようです。
「何一つ、変わりはせぬ」
そうかのう、と何度もつぶやく児玉を置いて
乃木は天皇に拝謁するために立ち去ります。
維新後、日露戦争までという三十年余りは
文化史的にも精神史のうえからでも、
ながい日本歴史の中で実に特異である。
これほど、楽天的な時代はない。
むろん、見方によってはそうではない。
庶民は重税にあえぎ、
国権はあくまで重く民権はあくまで軽く、
足尾の鉱毒事件があり女工哀史があり小作争議がありで、
そのような被害意識の中から見れば、
これほど暗い時代はないであろう。
しかし被害意識でのみ見ることが庶民の歴史ではない。
明治はよかったという。
「降る雪や明治は遠くなりにけり」という
中村草田男の澄み切った色彩世界が持つ明治が
一方にある。
この物語は、その日本史上類のない
幸福な楽天家たちの物語である。
楽天家たちは、そのような時代人としての体質で
前をのみ見つめながら歩く。
上っていく坂の上の青い天に
もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、
それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。
ある晴れた日、子どもたちが川遊びに興じる横を
好古と真之は釣り道具片手に海辺に繰り出します。
小舟を一隻借り、小さな入り江で仲良く釣りです。
お前と釣りをするのは何十年ぶりかのう、と好古はつぶやきますが
家が貧しく、風呂屋でアルバイトしながら勉強していた好古は
釣りで遊べる訳もないので、兄弟で釣りというのは初めてです。
考えてみれば、今の真之があるのはすべて
好古のお陰といっても過言ではありません。
改めて、好古にお礼を言います。
好古は、日本のこれからを真之に訊ねてみますが
「急がねば、一雨来るかもしれんぞね」と真之は言います。
言葉通り天候のことなのか、それとも
日本のこれからを比喩的に論じたのかは分かりませんが、
兄も「それは急がねばならんな」と受けています。
秋山真之の生涯は、必ずしも長くはなかった。
大正七年二月四日、満四十九歳で没した。
臨終のとき、集まっていた人々に
「みなさんいろいろお世話になりました。
これから独りでゆきますから」と言った。
それが最期の言葉だった。
好古はやや長命した。
陸軍大将で退役した後は故郷の松山に戻り
私立の北予中学という無名の中学の校長を務めた。
昭和五年十一月、死の床についた好古は
数日うわごとを言い続けた。
ベッドに横たわったまま、息づかい荒く
「馬曳け……ゆくぞ……奉天へ……」
好古は、荒野を駆け回っているのかもしれません。
多美は好古の大きな手を握りしめます。
顔に当たる夕日がまぶしく映ります。
「馬から落ちてはいけませんよ」と
好古の耳元でささやくと、長く息を吐いた後で
静かにこの世を去りました。
七十一歳でした。
── 完 ──
──────────
原作:司馬 遼太郎
(『坂の上の雲』『雑貨屋の帝国主義』より)
脚本:野沢 尚
:加藤 拓
:佐藤 幹夫
音楽:久石 譲
メインテーマ:「Stand Alone」
作詞:小山 薫堂
唄:麻衣
演奏:NHK交響楽団
:東京ニューシティ管弦楽団
テーマ音楽指揮:外山 雄三
脚本諮問委員:関川 夏央
:鳥海 靖
:松原 正毅
:松本 健一
:宮尾 登美子
:山折 哲雄
:遠藤 利男
脚本監修:池端 俊策
時代考証:鳥海 靖
風俗考証:天野 隆子
海軍軍事考証:平間 洋一
:菊田 慎典
陸軍軍事考証:寺田 近雄
:原 剛
艦船考証:泉 江三
軍服考証:柳生 悦子
軍装考証:平山 晋
騎兵考証:岡部 長忠
:末崎 真澄
:清水 雅弘
宮中建築考証:浅羽 英男
宮中考証:米窪 明美
取材協力:司馬遼太郎記念館
資料提供:坂の上の雲ミュージアム
:子規記念館
:子規庵保存会
:馬の博物館
:早稲田大学図書館
:ロシア国立映像アーカイブ
:横浜開港資料館
:木村家
:海上保安庁海洋情報部
:アメリカ国立公文書館
:Collections Gaumont Pathé Archives
:BFI National Archive
:Association frères Lumière
撮影協力:天草フィルムコミッション
:宇城市
:松山市
:今治市
:内子町
:京都府
:くろ谷金戒光明寺
:舞鶴フィルムコミッション
:名古屋市 市政資料館
:なごや・ロケーション・ナビ
:日本ラインフィルムコミッション
:博物館明治村
:日本元気劇場
:海上自衛隊 横須賀教育隊
:防衛省
:埼玉県
:川口市
題字:司馬 遼太郎
語り:渡辺 謙
──────────
[出演]
本木 雅弘 (秋山真之)
阿部 寛 (秋山好古)
香川 照之 (正岡子規)
菅野 美穂 (正岡 律)
原田 美枝子 (正岡八重)
小澤 征悦 (夏目漱石)
大和田 伸也 (井上 馨)
加藤 雅也 (有馬良橘)
綾田 俊樹 (桂 太郎)
アレクサンドル・チューチン (ロジェストウェンスキー)
ダンカン (伊地知彦次郎)
頼 三四郎 (永田泰次郎)
蟹江 一平 (飯田久恒)
大林 丈史 (松方正義)
山野 史人 (伊東祐亨)
森脇 史登 (高浜虚子)
大藏 教義 (河東碧梧桐)
石井 洋祐 (山田彦八)
小林 高鹿 (清河純一)
永田 耕一 (軍医総監・鈴木)
永井 浩介 (津野田是重)
日野 誠二 (山本信次郎)
辻 輝猛 (中屋新吉)
宮下 裕治 (長谷川 清)
アンドリュス・ジューアウスカス (セミョーノフ)
アレクサンドル・ポリシューク (イグナチウス)
ダリウス・メスカウスカス (コロン)
アレクセイ・スカトフ (スウェントルジェッキー)
ドナタス・シムカウスカス (レドキン)
ルボミール・ミサック (スミルノフ)
──────────
石原 さとみ (秋山季子)
的場 浩司 (長岡外史)
草刈 正雄 (加藤友三郎)
松 たか子 (秋山多美)
ボリス・ブラジク (ネボガトフ)
マーク・ベッソン (クロッス)
菟田 高城 (寒川鼠骨)
岸本 光正 (伊藤左千夫)
薬師寺 順 (佐藤紅緑)
土平 ドンペイ (安保清隆)
伊藤 潤 (今村信次郎)
瑞木 健太郎 (枝原百合一)
大窪 晶 (布目満造)
磯野 正一 (玉木信介)
明石 鉄平 (山崎厳亀)
神野 崇 (三浦 忠)
増山 耕平 (野口新蔵)
新井 優歌 (与志子)
松浦 愛弓 (健子)
小山 颯 (信好)
仲村 渠早苗
天原 まさみち
巽 よしこ
大川 真澄
三村 直司
高松 いく
深山 咲輝
江上 晶真
リカルドB
赤城 裕人 (陸軍兵士)
大賀 太郎 (陸軍兵士)
大塚 ヒロタ (陸軍兵士)
小野 孝弘 (陸軍兵士)
加藤 智明 (陸軍兵士)
河本 タダオ (陸軍兵士)
串間 保 (陸軍兵士)
小宮山 新二 (陸軍兵士)
斉藤 あきら (陸軍兵士)
冴羽 一 (陸軍兵士)
酒元 信行 (陸軍兵士)
沙 人 (陸軍兵士)
末野 卓磨 (陸軍兵士)
芹口 康孝 (陸軍兵士)
武智 健二 (陸軍兵士)
内藤 羊吉 (陸軍兵士)
永沼 友由輝 (陸軍兵士)
日暮 玩具 (陸軍兵士)
平野 貴大 (陸軍兵士)
伏見 雅俊 (陸軍兵士)
藤原 鉄苹 (陸軍兵士)
松浦 敬 (陸軍兵士)
松原 征二 (陸軍兵士)
松橋 政義 (陸軍兵士)
三浦 清光 (陸軍兵士)
森谷 勇太 (陸軍兵士)
渡邊 修一 (陸軍兵士)
足立 学 (海軍兵士)
石井 由多加 (海軍兵士)
伊藤 力 (海軍兵士)
宇都 隼平 (海軍兵士)
枝川 吉範 (海軍兵士)
金子 太郎 (海軍兵士)
川﨑 龍一 (海軍兵士)
小久保 寿人 (海軍兵士)
小林 和寿 (海軍兵士)
新宮 乙矢 (海軍兵士)
進藤 健太郎 (海軍兵士)
鈴木 幸二 (海軍兵士)
外間 勝 (海軍兵士)
高久 慶太郎 (海軍兵士)
野田 英治 (海軍兵士)
能地 貴之 (海軍兵士)
横内 宗隆 (海軍兵士)
エレメンツ
稲川素子事務所
グループエコー
ラザリス
キャンパスシネマ
テアトルアカデミー
劇団東俳
エンゼルプロ
フジアクターズシネマ
舞夢プロ
キャラJOB
クロキプロ
劇団ひまわり
セントラル子供タレント
NAC
天草市のみなさん
宇城市のみなさん
松山市のみなさん
内子町のみなさん
舞鶴市のみなさん
犬山市のみなさん
小松市のみなさん
加賀市のみなさん
つくばみらい市のみなさん
高橋 英樹 (児玉源太郎)
加藤 剛 (伊藤博文)
所作指導:橘 芳慧
馬術指導:田中 光法
海軍軍事指導:堤 明夫
砲術指導:佐山 二郎
アクション指導:深作 覚
医事指導:中村 毅志夫
松山ことば指導:野沢 光江
薩摩ことば指導:西田 聖志郎
長州ことば指導:一岡 裕人
広島ことば指導:沖田 弘二
ロシア語指導:中川 エレーナ
タイトルバック:菱川 勢一
ドキュメンタリー部映像加工
:ドローイング アンド マニュアル
VFXプロデューサー:結城 崇史
VFXスーパーバイザー:長尾 健治
──────────
石坂 浩二 (山本権兵衛)
舘 ひろし (島村速雄)
竹下 景子 (秋山 貞)
柄本 明 (乃木希典)
竹中 直人 (小村寿太郎)
江守 徹 (山県有朋)
渡 哲也 (東郷平八郎)
──────────
エグゼクティブ・プロデューサー:西村 与志木
:菅 康弘
制作統括:藤沢 浩一
:中村 高志
プロデューサー:関口 聰
美術:山下 恒彦
:西之原 豪
技術:川邨 亮
音響効果:西ノ宮 金之助
撮影:安藤 清茂
照明:牛尾 裕一
音声:高橋 英明
映像技術:横田 幹次
VFX:西垣 友貴
CG:松永 孝治
美術進行:萩原 春樹
記録:野田 茂子
編集:大庭 弘之
(マルタロケ)
制作協力:MFS
プロデューサー
:コーネリア・アッツォパルディ・シェルマン
ロシア海軍考証:セルゲイ・チェルニャフスキー
アクション指導:ルポミール・ミサック
(フィンランドロケ)
制作協力:FILM ANGELS STUDIO
プロデューサー:トマス・マカラス
ロシア海軍考証:アレクセイ・イェメーリン
演出:加藤 拓
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- スペシャル大河 坂の上の雲・(09)広瀬、死す 〜さらば愛しきロシアの友よ! 空前の大スペクタクル 旅順艦隊を封鎖せよ〜(2010.12.26)
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大国に挑んだ小国の国民
勝った小国!
国内の暴動!
軍を辞めたいと思う軍人!
大国の崩壊!
貿易から外された小国の道!
何を、現代人に伝えたいのでしょうか。
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うっちゃんさーん。こんにちは!
今日も乗務お疲れさまでーす。
>勝った小国! 国内の暴動!
ああいうふうにつぶさに見てみると
物事には原因があって結果があるわけで、
国内の暴動も次の戦争へつながる道も
次第に見えてくるので、
なるほどな、と唸った部分ではありました。
>何を、現代人に伝えたいのでしょうか。
作者の司馬遼太郎さんは、
明治期における日本人の気質を伝えたかったのかな、
という気もしなくもないですが、
それを映像作品にしてしまうと、
どうしても戦争部分の描写に力が入ってしまい
主人公たちを英雄視してしまいがちです。
それを恐れて、司馬さんはテレビや映画を問わず
映像化を許さなかったはずですが、
やっぱり危惧したような
出来映えになってしまっていましたね。
司馬さんが伝えたかったことと、
NHKさんが伝えたかったことというのは
変わってきているように思えます。
投稿: ★うっちゃん | 2012年1月14日 (土) 21:57
昔の人の気質ですか!
K児島での災害、東北での災害
日本人の助け合い、変わったのでしょうか?
戦った人の、苦しさ、悲しさ、虚しさ
を伝えたかったと、
思いたいです。
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うっちゃんさーん。こんにちは!
今日も乗務お疲れさまでーす。
>戦った人の、苦しさ、悲しさ、虚しさ
解釈は非常に難しいところだと思います。
どの解釈が正解かというのは、恐らくは
司馬さんご本人でしか分かりようがありません。
それこそ、うっちゃんさんがおっしゃるような
“戦った人の苦しさ、悲しさ、虚しさ”というのは
ベースとしては必須です。
第二次大戦時の人物たちではなく、なぜに
日清・日露戦争時の秋山好古・真之兄弟と
正岡子規に主軸を置いたのか。
単に同時期の、松山出身の人物って
ことだけではないと思うのです。
第12回「敵艦見ゆ」のナレーションで、
おそらくは原作からの引用だと思うのですが
次の部分があります。
>同じ民族の同じ国がはるかな後年
>財政的にも無謀極まりない太平洋戦争を
>やったということは、ほとんど信じがたいほど
一口に戦争と言っても、
日清日露の戦争観と太平洋戦争の戦争観は
違っているように見えます。
戦争は肯定されるべきものではないというのは
絶対条件なのですが。
ただ、あの映像作品では、
日清日露と太平洋戦争の違いもそうですが、
司馬さんが伝えたかったことが
Kassyはよく分かりませんでした。
(Kassyに理解力がないだけだと言われれば
身もふたもないのですけど(笑))
それこそ、司馬さんが生前危惧して
映像化を許可しなかった
「いたずらに戦争場面の描写に熱中し、
(司馬)先生の思想を伝えることは出来ない」
という部分にかかってくるのだろうと思います。
……考えれば考えるほど、難しいですね(^ ^;;)
投稿: ★うっちゃん | 2012年1月17日 (火) 22:33
興味深い内容でした。
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名無しさーん。こんにちは!
ご覧いただいてありがとうございます。
また、感想をどうぞお寄せくださいね。
ご遠慮なく!
投稿: ★名無し | 2013年10月 9日 (水) 08:25