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2011年12月23日 (金)

プレイバック功名が辻・(48)功名の果て

本来であれば12月21日(水)にお届けする予定のところ
当日は急きょ280,000counts達成の記事に差し替え、
昨日はヤッテキ第78回をお届けいたしましたので、
計らずも今日となってしまいましたことをお許し願います。
大変お待たせいたしましたm(_ _)m

次回の最終回は、予定通り27日(火)にお届けする予定です。

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高地に入国した山内一豊が まず最初に手がけたのは
河中山城(こうちやまじょう・後の高知城)の建築であります。

当時の居城で、長宗我部氏の居城だった浦戸城は、
今では坂本龍馬の像が太平洋を臨んで立っている
かの桂浜近くにあり、
三方を海で囲まれているがゆえに守りに固く、

一豊は、高知中心部の周辺の町を活性化させるべく
江ノ口川と洲江川の間の平地部を選んで
城を建築させたわけです。

高知の末長い繁栄を願っての町づくりでありましたが、
一方では、新領主・一豊の入国に反発した
一領具足たちへの弾圧を強めていきました。

これにより、一豊の幼い頃から
仕えてきた祖父江新右衛門の子・新一郎と
陰ながら山内家を支えてきた六平太をも失います。

功名を立て、出世するということは
それはそれは名誉なことではあるのですが、
その一方で、その代償も大きく。

一豊と千代の新たな闘いははじまったばかりです。


「お暇をいただきとうございます」
千代は苦しい胸の内を抑えきれません。

一領具足を倒さなければならないという目的は
千代でも分かるのですが、
一豊を信じて集まってきた者たちを
だまし討ちするようなやり方に憤慨しているのです。

千代は、一豊の出世を双六のように楽しんできた節があり
だからこそ、幾多の苦難を乗り越えてここまでこれたのです。
その“あがり”がこういうことであったとは……。

もはや、一豊とともに並んで歩んでいくことはできないと
千代は山内家を出て、
今回の一件で命を落とした者たちを弔うことを決意します。

山内家で養われ、後に仏門に入れた拾を京から呼び寄せ
弔いをさせるからと一豊は食い下がりますが、
新一郎や六平太の葬儀が終わると、
千代は山内家を出て吸江庵で暮らし始めます。

拾が京からやってきました。
仏門に入って湘南と名乗る拾は、もう16歳。
湘南が読経する横で、千代は手を合わせる毎日です。


伏見城では、徳川家康が土佐の近況を聞き一安心です。
一方で、新たな頭痛の種は薩摩島津です。
上洛を促してもなかなか出てくる気配がありません。

島津を怒らせれば黒田如水と必ず手を結び
加藤清正とともに上方へ押し迫ってくるでしょう。
ただ逆に言えば、長宗我部や島津といった牙を抜けば
如水もそうそう動けず、当面は安泰です。

そんな如水が、家康に対面を願い出ています。

家康は、関ヶ原合戦の時の混乱に乗じて
北部九州を平定してしまった如水を詰問しますが、
如水は「平定したは上様のため」とのらりくらりと返答。

大の字になってゴロ〜ンと寝転がります。
家康も、笑うしかありません。

この、家康をバカにした如水の所業は
さすがの家康でも許せず、激怒。
井伊直政に、自らの遺骸を西に向けて葬るように厳命します。


新右衛門が吸江庵にやってきました。
新右衛門は穏やかに、
それとなく千代に戻ってくるようにお願いしますが、
千代としては聞く耳を持ちません。

そこへ、一豊倒れるの報。

慌てて城に帰った千代は一豊の手を握り
精一杯の励ましの言葉を一豊にかけてあげますが、
次の瞬間、一豊はムクッと起き上がります。

山内康豊、五藤吉蔵、そして新右衛門らと結託した
千代への“だまし討ち”です(^ ^;;)

一豊は、種崎浜の一件について
話を聞いてほしいと千代に手をつきます。

種崎浜事件の計画を事前に千代が知れば、
身を盾にしてでも止めたであろうことは
一豊でも容易に想像できます。

であっても、一豊は千代を幽閉してでも
種崎浜事件を決行せねばなりませんでした。

もう戦乱の世はこりごりです。

山内家は、徳川の一大名として土佐で安寧に過ごしたい。
そのためには、いち早く土佐を平定する必要があったし、
如水の動きが怪しい今、長宗我部の残党を滅ぼすことで
何としてもその動きを止めなければならなかったわけです。

種崎浜事件は、山内家にとってずっと汚点となるでしょうが、
あの事件があったからこそ、大乱を防げたのです。

生き残った一領具足たちには土地を開拓させ
その土地は末代に渡ってその者の土地とすること。
そして年に一度は種崎浜事件の弔いをすること。
慈悲深い政治を行っていくことを一豊は千代に約束します。


慶長8(1603)年2月。

京 高台院の屋敷で、千代は高台院から
家康が征夷大将軍に任ぜられることを聞きます。

余談ながら、某辞書サイトにも記載があるように
「うちの人が亡くなって5年」という高台院のセリフ、
日曜日の本放送では“10年”となっていましたよね(^ ^;;)

土曜日の再放送では“5年”に修正されていまして、
完全版DVDでも修正されたものだったのですが、
当然ながら高台院の口では、間違いなく“10年”と発してます。

ともかく、天下人が家康に定まって一安心の高台院です。

一方で、大坂城にも家康の将軍宣下は聞こえておりまして、
淀が福島正則にさっそく噛みついています。


そして3月、一豊と千代は完成した河中山城へ移ります。

一豊は、六平太、新一郎、そして五藤吉兵衛に
天守に立つ姿を見せてやりたかったと言いますが、
千代もまったく同じことを考えていました。

そんなことを話しながら、穏やかな表情だった一豊は
直後、徐々に顔色が悪くなります。

そして──昏倒。

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原作:司馬 遼太郎「功名が辻」
脚本:大石 静
音楽:小六 禮次郎
題字:だん きょうこ
語り:三宅 民夫 アナウンサー
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[出演]
仲間 由紀恵 (千代)
上川 隆也 (山内一豊)

前田 吟 (祖父江新右衛門)
永作 博美 (淀)
小倉 久寛 (五藤吉蔵)
浜田 学 (祖父江新一郎)

玉木 宏 (山内康豊)

香川 照之 (六平太)

斎藤 洋介 (黒田如水)
嵐 広也 (福島正則)

篠井 英介 (井伊直政)
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浅野 ゆう子 (高台院(寧々))

西田 敏行 (徳川家康)
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制作統括:大加 章雅
演出:加藤 拓

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