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2012年1月27日 (金)

プレイバック義経・[新] (01)運命の子

昨年から続いております「プレイバック」シリーズ。
昨年末『功名が辻』を書き終えたばかりではありますが、
今年も引き続いてやりますよぉ!( ^ ^)/

今年は、その『功名が辻』の前年
平成17年に放送された宮尾登美子さん原作の『義経』です。


荒れる波。
踊り狂う波。
波、波。

夜明け前で辺りは薄暗く、
不気味なほど海が黒く見えます。

寿永3(1184)年2月7日 摂津・一の谷──。

崖の下には平氏本陣がありますが、
早暁ということもあり、わずかな見張り兵を除いて
皆、寝静まっております。

その海辺を見下ろす崖の上には、
数騎の騎馬武者たちが音もなく一列をなします。
あまりの平氏の無防備なさまに、武者たちは
複雑な面持ちで本陣を睨みつけています。

そのうち、大将と思しき若武者の下知が。
「方々……参る!」


原作:宮尾 登美子
   「宮尾本平家物語」「義経」より

脚本:金子 成人

音楽:岩代 太郎

テーマ音楽演奏:NHK交響楽団
テーマ音楽指揮:ウラディーミル・アシュケナージ
演奏:東京都交響楽団

資料提供:村上 元三
脚本協力:川上 英幸
    :眞鍋 由起子
 ─────
題字:陳 燮君
タイトル画:宮田 雅之

時代考証:奥富 敬之
風俗考証:二木 謙一
建築考証:平井 聖
衣裳考証:小泉 清子
芸能考証:橋本 裕之
    :野村 万之丞

所作指導:猿若 清三郎
殺陣武術指導:林 邦史朗
馬術指導:田中 光法
京・御所ことば指導:小林 由利

撮影協力:岩手県江刺市
    :茨城県高萩市
    :いばらきフィルムコミッション
    :山梨県フィルムコミッション
    :京都市

撮影協力:毛越寺
    :厳島神社
舞楽:東京楽所

──────────

[出演]


滝沢 秀明 (源 義経)

松平 健 (武蔵坊弁慶)

南原 清隆 (伊勢三郎)

うじき つよし (駿河次郎)

伊藤 淳史 (喜三太)
海東 健 (佐藤忠信)

宮内 敦士 (佐藤継信)
長谷川 朝晴 (鷲尾三郎)

──────────

森口 瑶子 (経子)

かとう かずこ (領子)

南風 洋子 (池禅尼)

大橋 吾郎 (平 時忠)
三浦 浩一 (平 頼盛)


阿部 寛 (平 知盛)

鶴見 辰吾 (平 宗盛)

細川 茂樹 (平 重衡)


梅津 栄 (朱雀の翁)

白石 加代子 (お徳(語り))

左右田 一平 (住職)
平野 忠彦 (平 盛国)

神木 隆之介 (牛若)
池松 壮亮 (源 頼朝(幼少))

来須 修二 (家貞)
伊藤 隆大 (平 宗盛(幼少))
岡田 慶太 (平 重衡(幼少))

西川 美也子 (萱)
森 康子 (在の女)
辻 葉子 (真砂)

大木 正司 (大炊の長者)
窪田 吾朗 (僧)
須賀 友之 (家人)

堀越 美穂 (鶴羽)
市川 男寅 (安徳天皇)
中村 陽介 (今若)
吉川 史樹 (乙若)

尾上流菊之会
若駒プロ
倉田プロ
JAE
劇団ひまわり
劇団東俳
テアトルアカデミー
キャンパスシネマ

──────────

平 幹二朗 (後白河法皇)


勝村 政信 (平 重盛)

加藤 雅也 (源 義朝)

稲森 いずみ (常盤)


松坂 慶子 (時子)


渡 哲也 (平 清盛)

──────────

制作統括:諏訪部 章夫

美術:田中 伸和
技術:菱木 幸司
音響効果:加藤 直正
記録:津崎 昭子
編集:久松 伊織

撮影:熊木 良次
照明:中山 鎮雄
音声:大塚 茂夫
映像技術:高橋 佳宏
美術進行:松谷 尚文

演出:黛 りんたろう


義経と平氏との関わりは、それから25年前に遡ります。
幼名を「牛若」と名乗っていた義経が生まれてすぐのころ。

平治の乱で敗れた源 義朝を父に持つ牛若ら幼い兄弟と
子らの手を引く母・常盤は、
雪が静々と降る中、京の都から落ち延びていきます。

平治元(1159)年12月26日。

朝廷を守る武士の中から平氏と源氏が力を持ち始めますが、
朝廷や摂関家とのつながりを武器に
互いに勢力拡大を狙った結果、
ついに両者は京の都で衝突してしまいます。

平氏の頭領・平 清盛と、源氏の頭領・源 義朝の覇権を懸けた戦は
逃げ惑う常盤ら親子の目の前でも繰り広げられております。

都から落ちようとする義朝と源 頼朝ら一行を見つけると
常盤は思わず駆け寄り、生まれたばかりの牛若を義朝に見せます。
頼朝にとって牛若は異母弟となるせいか、
遠くから、複雑な面持ちで牛若を見ているだけです。

「子らを頼む」と義朝は脇差しを取らせます。


義朝一門を根絶やしにせよという清盛の厳命によって、
都から尾張国に落ち延びた義朝は
味方の裏切りによってだまし討ちに遭い、
非業の最期を遂げます。

一方、尾張へ向かう道中に義朝とはぐれた頼朝は
父を追って美濃へ入りますが、
平氏による追っ手によって捕らえられ、京・六波羅へ送られます。

源氏の勢力を抑えた清盛は、後白河上皇の信頼を一気に得
平氏が頂点に登りつめた時代を謳歌しています。

そんな清盛の前に頼朝が連行されたのは、そんな時。
敗将の子として、自らの運命を覚悟している頼朝ですが
ひとまず処分は先送りされることになります。


常盤親子は、京の近くに住んでいる
母・関屋を頼って都を落ちる途上ですが、
いざ生家へ戻ってみると、
そこにもすでに平氏の手が伸びていました。

計らずもさらに続く常盤親子の逃亡の旅。

途中、親子を助けた僧は、もし源氏ゆかりの者ならばと
都近くで流れていた
義朝最期というウワサを常盤らに教えるのですが、

こうして助かったのに、夫が討たれたとあっては
逃亡する意味もなくなります。
幼い子らにも「お父上の元に」と後追いすることにしますが、
牛若の純真な顔を見ると、できません。

ただ、義朝の首を討たれたことに加えて
自分の母も捕らえられたという情報も耳にすると、
母を助けんがため、直接清盛に会って
清盛の慈悲にすがるよりほか方法はなさそうです。


頼朝の処分で、平氏一門が割れています。

わが子に似ている、と言い出した清盛の継母・池禅尼が
助命のハンガーストライキを決行したこともあり、
池禅尼の子で清盛の弟・平 頼盛や
清盛の長男・平 重盛までも頼朝助命に動き出します。

一方で、平 盛国らは
あくまでも頼朝を成敗すべし、との立場。

そんな中での常盤の訪問は、清盛の心を揺れ動かし
清盛はひとりで、思い悩みます。


清盛を幼少時から知る組紐屋のお徳は
ふらりと清盛邸に立ち寄ります。

清盛にとって、お徳は
幼くして失った母・鶴羽のこともよく知っている人物で
言いたいことをストレートに話してくれるので
清盛は気に入っています。

お徳は、幼い頃に母親を失った清盛の辛さ寂しさを理解しつつも
さらりと言ってのけます。
「あの常盤さんが、どことのう……鶴羽さんに似てはりますのや」

このお徳の一言がきっかけになったかどうかは分かりませんが、
ついに処分が下されます。

今若と乙若は仏門に入れますが、
牛若は幼少ゆえ、常盤とともに洛中住まいを認める、
という寛大な処置であります。

そして頼朝も、打ち首ではなく伊豆配流。
流罪としては最も重い処分ではありながら、
命を助けられたことだけでもいいのかもしれません。

常盤は、そんな寛大な処置を下された清盛に感謝しつつ
清盛からの思いがけない告白を受け入れ、
これからは清盛の思い人として過ごすことになります。


5年後──。

乳飲み子だった牛若は成長し、
清盛の子・平 重衡らと元気に遊び回っています。

そこへ現れた清盛に、牛若が「父上!」と駆け寄ったことが
常盤にはとてもショックであります。
ただ、家人が厳しく注意するも
清盛はほとんど意に介しておりませんが。

そしてこの時、常盤のお腹の中には
清盛の子が宿っておりました。

──────────

この大河ドラマプレイバック版でも
カウントダウンをしていきましょうか。

このドラマでは、
壇ノ浦の戦いで平氏一門を滅亡に追いやった源 義経が
兄・源 頼朝と対立し、鎌倉入りを認められない中で
叛意なき旨を頼朝に書状にしたためた日(腰越状)を
“その時”に設定します。


平治元(1159)年12月29日、
源 義朝が尾張国内海荘司・長田忠致の裏切りに遭い、殺害される。

元暦2(1185)年5月24日、
源 義経が兄・源 頼朝に弁明の腰越状を送るまで

あと25年5ヶ月──。

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