プレイバック新・平家物語 総集編上ノ巻
2012年に放送される大河ドラマは
もう各所で公表されているように『平 清盛』であります。
もう言うまでもありませんが、
毎週放送される大河ドラマの視聴録に合わせて
関連した過去の大河作品も遡って視聴し、
その記録を残していくべく立ち上げた“プレイバック”シリーズ。
まずは、昭和47(1972)年に放送されました
大河ドラマ第10作『新・平家物語』(吉川英治 原作)を
前編後編の2回に分けてお届けしたいと思います。
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず ただ春の世の夢のごとし……
厳島神社で納経奉呈が行われています。
平家公達たちの先頭に立って朱の回廊を歩くのは、平 清盛。
座の中央で、舞楽を堪能しています。
話はさかのぼって──、
平 忠盛は心ここにあらずという体でボーッとしておりまして、
その部屋へ、泰子(祗園女御)が入ってきます。
「ねえ〜、あの単衣……私だったらお似合いですの。
色もいい具合に仕上がっているし、
買ってよろしゅうございましょ?」と甘えた声を上げます。
忠盛は、これでもかッというぐらい
何を問いかけられても生返事ですが、
その姿、現代生活においても妙にリアルさがあります(^ ^;;)
そんな時、幼少時代の清盛はある悩みを抱えておりました。
今まで父親は忠盛だと信じて疑わなかったわけですが、
わが身の出生の秘密を知って動揺しているのです。
出生の秘密を教えたのは、鳥羽院に仕える武士・遠藤盛遠。
その疑問を、清盛は直接母に投げかけます。
泰子は忠盛に証明させようと
「忠盛の子じゃ」との言葉を引き出しますが、
それでも納得しない清盛は、勢いで母を殴ってしまいます。
「口惜しや」と泰子は中御門家に戻ります。
泰子が乗った牛車の車輪の跡二本が、
何とももの悲しさを語っているようです。
その後、有子が忠盛の後妻として入ります。
父の使いで藤原時信邸を訪れた清盛は、
そこで時信の娘・時子を知ります。
公卿たちにとって、自分たちは番犬程度の扱いであり、
清盛はそんな身分からの脱却を熱く時子に語ります。
久安6(1150)年3月、近衛帝の后の座をめぐって
関白忠通と左大臣頼長の対立が激化します。
忠通の養女呈子か、頼長の養女多子か。
長い出来レースの末、多子が后の座におさまることになりますが
肝心の近衛帝が17歳のお若さでみまかります。
父・鳥羽法皇と母・美福門院の嘆きは計り知れません。
……っといったところで、簡単な保元の乱の解説をば。
総集編にはそれらしい解説もなければ
誰が誰だかという感じであるので、
極力人名を排した上で歴史解説をいたします(笑)。
鳥羽法皇と待賢門院の子に崇徳天皇、
鳥羽法皇と美福門院の子に体仁親王がおりました。
当初、帝の座にいた崇徳天皇は
鳥羽法皇と寵愛を受ける美福門院の陰謀によって
退位させられ、崇徳上皇へ。
そして体仁親王が近衛天皇として即位します。
この待賢門院派と美福門院派の対立は人事の停滞を招き、
複数存在するはずの大臣の職も
大臣が辞任しても代わりがあてがわれず、
藤原頼長ひとりという状況になってしまいました。
この藤原頼長が属する摂関家にも内紛があり、
関白の藤原忠通は後継者に恵まれなかったため
異母弟の頼長を養子に迎えたのですが、
忠通にいざ子が生まれると、途端に頼長を疎みはじめ
忠実・頼長と対立することになります。
そこでうまれたのが、
近衛帝の后の座をめぐる 例の対立であります。
日和見をきめこんでいた鳥羽法皇も
頼長の強引な説得工作に応じざるを得ず、
「多子を皇后、呈子を中宮」とすることにしますが、
久寿2(1155)年7月24日、近衛天皇が崩御したわけです。
後継者候補として守仁親王が上がりますが、
年少であるゆえに、守仁親王が即位するまでの中継ぎとして
その父・雅仁親王が後白河天皇として即位することになりました。
保元元(1156)年5月に鳥羽法皇が病に倒れ、7月に崩御したことで
鳥羽法皇の権威を盾にしていた美福門院・忠通と
それによって抑圧されていた崇徳上皇・頼長との争いが表面化します。
そのうち頼長に謀反の罪がかけられ、
追い詰められた忠実・頼長は
挙兵して局面を打開するしかなくなります。
宇治から上洛した頼長が白河北殿に入ります。
一方、後白河天皇─守仁親王は高松殿に入り、
高松殿には、警備していた源 義朝らに加え
平 清盛・源 頼政らが続々と集まってきました。
7月11日の未明、清盛軍300騎が二条大路を
義朝軍200騎が大炊御門大路を東に向かい、
上皇方との戦闘の火蓋が切られますが、
清盛軍も義朝軍も多数の犠牲者を出し撤退を余儀なくされます。
天皇方は白河北殿の隣にある藤原家成邸に火を放ち、
その火が白河北殿に燃え移って上皇方は総崩れとなりました。
逃亡している頼長は、合戦で首に矢が刺さる重傷を負いながらも
木津川をさかのぼって父の忠実が逃れた南都興福寺まで逃げ延びますが、
保元の乱と無関係であることを主張する忠実に対面を拒絶されます。
忠実にしてみれば、頼長を見捨てるしかなかったわけです。
そして舞台は平治の乱へ──。
保元の乱後の平家一門の繁栄ぶり、そして信西の独裁は
信西から好意を持たれていない源義朝たちや
右衛門督信頼ら公卿たちの反感を買っていました。
義朝は出仕もせず常磐の家に入り浸っているほどです。
平治元(1159)年12月9日、
熊野もうでの旅に出た清盛の留守をついて
信西を討とうと信頼が行動を起こします。
日ごろから信西をよく思わない源義朝ら一門も信頼方に加担。
平 重盛を総大将とする平家の軍勢は、
赤旗を翻しつつ皇城に攻めかかります。
清盛は、まず重盛を侍賢門から攻め入らせて
退くとみせて敵を誘い出し、
そのスキに都芳門から頼盛の軍勢が入って
内裏を占拠させることでした。
平治の乱に、平家は勝ちました。
敗れた義朝・頼朝らは人目を忍びつつ
東国へと落ちますが、途中で頼朝とはぐれてしまい、
12月29日に尾張国・長田忠致の邸にたどり着いたところを
鎌田正家とともに闇討ちされてしまいます。
一方、はぐれた頼朝も2月9日に
頼盛の郎等・平宗清に捕まってしまいます。
清盛の前に、頼朝と 常磐と3人の子が姿を見せます。
いたいけな子どもたちの処置に迷った清盛は、
清盛継母・池ノ禅尼の助命嘆願を受け
義朝の遺児4人の赦免状を書くことにします。
頼朝と清盛の対決……もとい対面ですが、
岡村清太郎さんの、仲代達矢さんにも対等に渡り合える
“大人な”演技には脱帽です。
お見事!
ともかく(^ ^;;) 頼朝は伊豆へ流罪。
常盤の三人の子は寺院に預けることにします。
留め置かれた常磐の元へ、清盛が通ってきますが、
そのスキを狙われて清盛が襲われてしまいます。
時子にも常盤との仲を涙ながらに訴えられ、
清盛は結局、常磐と別れることにします。
原作:吉川 英治
脚本:平岩 弓枝
音楽:冨田 勲
テーマ音楽演奏:NHK交響楽団
テーマ音楽指揮:森 正
演奏:インターパック・グループ
琴:桜井 英顕
語り:渡辺 美佐子
:福本 義典
時代考証:相馬 皓
振付:藤間 高子
殺陣:尾型 伸之介
タイトル題字:望月 美佐
──────────
[出演]
仲代 達矢 (平 清盛)
中村 勘三郎 (平 忠盛)
新珠 三千代 (祗園女御)
山崎 努 (平 時忠)
山本 学 (頼盛)
中尾 彬 (忠度)
原田 大二郎 (重盛)
柴田 侊彦 (教盛)
古谷 一行 (経盛)
高桐 真 (家貞)
松本 章一 (平六)
若林 彰 (宗清)
内田 喜郎 (少年時代の清盛)
中村 まなぶ (少年時代の時忠)
郷 ひろみ (少年時代の経盛)
中村 玉緒 (平 時子)
水谷 八重子 (池ノ禅尼)
──・──
若尾 文子 (常磐御前)
木村 功 (源 義朝)
岡村 清太郎 (少年時代の頼朝)
佐々木 孝丸 (源 為義)
伊吹 吾郎 (八郎為朝)
石川 徹郎 (源太義平)
児玉 謙次 (金子十郎)
成田 次穂 (鎌田正清)
飯沼 慧 (花沢孫六)
穂高 稔 (長田忠致)
立川 雄三 (渡辺 唱)
芦田 伸介 (源 頼政)
──・──
緒形 拳 (阿部麻鳥)
藤田 まこと (朱鼻ノ伴卜)
和泉 雅子 (蓬子)
山本 麟一 (実相坊)
寺島 幹夫 (如空坊)
石光 豊 (乗円坊)
照井 湧子 (夜須良)
原 保美 (藤原忠通)
成田 三樹夫 (藤原頼長)
大塚 道子 (紀伊ノ局)
南風 洋子 (佐ノ局)
小沢 忠臣 (藤原俊成)
纓片 達雄 (経憲)
岡村 春彦 (成親)
金内 吉男 (惟方)
倉島 襄 (経宗)
亀石 征一郎 (信頼)
野村 万之丞 (鳥羽院)
小山 明子 (美福門院)
田村 正和 (崇徳院)
森 雅之 (藤原忠実)
小沢 栄太郎 (信西入道)
滝沢 修 (後白河院)
──・──
劇団いろは
劇団現代
尾型剣優会
鳳プロ
俳協
──・──
演出:清水 満
:岡本 憙侑
:樋口 昌弘
:馬場 清
技術:山口 克朗
美術:佐藤 武俊
効果:寺田 尚弘
制作:古賀 龍二
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