大河ドラマ平 清盛・(13)祇園闘乱事件 〜神を射る男!〜
久安3(1147)年6月15日。
清盛一党は、一門の繁栄を祈願するために
祇園社で田楽を奉納しにきました。
しかし、平氏を快く思わない寺社の人々によって
行く手を遮られます。
「平氏を快く思わない」というのは──。
長期間にわたって政治を意のままにしてきた
白河法皇と鳥羽法皇のふたりですが、
その悪政によって世は乱れに乱れてしまいます。
それに対して物申しているのが、
彼ら神や仏を奉じる寺社の人たちだったのです。
神輿を担ぎ出し、武器を片手に争おうともする。
朝廷側はこれを“強訴”だとし、
武力に対しては武士たちに武力を以て鎮圧をさせます。
鳥羽法皇の信頼厚い平氏たちが寺社勢力を抑え込むのですが、
それゆえに、寺社側は平氏たちをよく思っていなかったのです。
「ええからどかんかーい!」と兎丸は怒鳴りつけますが、
怒鳴りつけられた金覚と銀覚兄弟は、兎丸の幼なじみです。
しかし、親の仇である平忠盛、その倅の清盛に仕えているのが
兄弟にとってはおかしくてたまりません。
父・朧月のことまでバカにされ、兎丸は銀覚に頭突き!
銀覚は出血して倒れ込みますが、
神域を血で穢されたと騒ぎは大きくなる一方です。
この祇園社を支配下に置く比叡山延暦寺に事件が伝わると
比叡山の僧が鳥羽法皇に訴え出ます。
一通り訴えを聞いた法皇は、
数日中のうちに詮議し処断することを約束します。
忠盛は、平 盛国や兎丸ら清盛の郎党たちを検非違使庁に送り
右獄に閉じ込めてしまいますが、そんな環境にあっても
まもなく子が産まれる清盛が逆に励まされています。
6月28日。
先手を打って検非違使庁に郎党たちを送り込んだ
忠盛の策略に反抗すべく、
比叡山の僧たちは神輿を担いで強訴に出ます。
あくまでも主張は“忠盛・清盛父子の流罪”であります。
今回は、平氏が絡んでいるせいか
朝廷は源氏に強訴鎮圧を命じます。
源 義朝は、脅しに鬼若に矢を射かけますが
それをパン! とはね除けた鬼若。
僧たちは神輿を大きく揺らして挑発します。
義朝も父の為義も、神輿が目の前にあっては
弓矢を射かける気持ちも削がれます。
源氏方は神輿を射ぬように注意していたはずなのですが、
1本の矢が神輿のど真ん中を射抜いてしまいます。
威勢の良かった鬼若はその場に座り込み、
誰じゃーッ! と僧たちは狼狽えて退散していきますが、
義朝が鬼若の視線を追うと、そこには清盛の姿がありました。
義朝も為義も、家臣たちもみな目がテンに……。
白河法皇時代、当時の関白・藤原師通は
比叡山の求めに応じず武力で打ち払いますが、
直後に急死した事例もあり。
神が宿っている神輿を狙うどころか、それを射るなど
神罰が当たっても仕方がないほどの大それたことであるわけです。
“神など宿っておらぬただの箱”と豪語する清盛は
忠正に非難の雨嵐を浴びるわけですが、
それは宗子が、身重の時子の前を憚って
止めに入るほどの厳しい言葉であります。
忠盛は黙って清盛を一発殴ります。
そして、朝廷に対しての反抗心がないことを示すため
せめて罪が軽くなるように蟄居の支度にかかります。
検非違使庁に入るわけです。
「賀茂川の水」「双六の賽」「山法師」
これらを白河法皇は“天下の三不如意”と呼んでいたそうです。
すなわち、思うままに動かしてきた法皇であっても
どうすることもできなかったということです。
今回、平氏が関わったのが「山法師」の問題であって、
法皇でさえ手を焼いたわけですから
自分たちが慌てたところでどうすることもできない。
というのが忠盛の見解であります。
6月30日。
比叡山の僧たちは清盛に天罰が下るように祈祷し続けています。
ここで騒ぎを大きくさせる人物がもうひとり。
内大臣・藤原頼長であります。
神輿に矢を射るのは言語道断! と
忠盛と清盛に流罪を命じるのが相当だと強く主張します。
そもそも祇園社の言いがかりから始まったことで
流罪は厳しすぎる、とは兄の藤原忠通の反論。
山法師の強訴に屈すると、朝廷の威信にも関わるのです。
藤原忠実は、前述の通り父・師通を亡くしておりますので
神輿に矢を射かける恐ろしさを人よりもよく知っています。
ゆえに、災いが振りかかる前に忠盛と清盛に流罪を勧めます。
兄弟、そして親子でも意見が分かれるのですね(^ ^;;)
しかしこの相違が、この先の大きな分かれ道につながります。
なかなか裁断が下らないことに強訴に及ぶ比叡山の僧たちですが、
その僧たちの動きを封じ込める役割の源氏は
ある種の矛盾を感じずに入られません。
棟梁たる忠盛、その嫡男たる清盛が流罪となれば
源氏にとってはもっけの幸いでありまして、
本音としては比叡山の僧たちと行動をともにしたいぐらいですが、
それを討伐するわけですからね。
忠正が時子に謝罪しに、清盛館へやってきました。
しかし時子が産気づいて侍女たちが走り回っている時でして、
計らずも忠正が清盛の子どもたちの面倒を見ることになりました。
まだ幼い清次に遊び道具を器用に作ってみせ
「大叔父様、ありがとうございます」と言わしめる忠正。
このドラマが始まって初めて“すごい”と思いました(笑)。
ただ、清盛長男の清太は、
もし時子が産んだのが男の子であったら
やっぱり自分(時子)の子ばかりを可愛がって
自分(清太)たちは蔑ろにされるのではないかという
危機感を持っているようです。
「さようなことは断じてない! うんとかわいがってやれ!」
忠正は精一杯励まします。
同じことを清盛に対しても思ってあげればいいのに(^ ^;;)
頼長による事細かな調査の結果が明らかになってきました。
もともとの事件のきっかけとなった兎丸は
かつて朝廷が討伐を命じた海賊の棟梁であり、
それを従えている清盛の行状は、
日ごろから道に外れていたと言わざるを得ません。
信西は、それでも清盛の肩を持ってかばい立てしますが、
頼長にはそれがなかなか通じません。
おまけに、証人として鬼若を連れてきて
清盛が神輿を射た時の様子を詳細に語らせます。
これで、清盛が神輿をわざと射かけたことの
証明とするわけです。
鳥羽法皇は、それでも忠盛・清盛を救おうとすることが
もしかしたらすでに亡くなった白河院に
操られているのかもしれないということを考えると、
心の中は穏やかではありません。
ただ、法皇が清盛に対して言い放った
「白河院が、朕が、乱しに乱した世に報いられた一本の矢」
というセリフなのですが、
自分が世を乱したと認めちゃってますけど大丈夫ですかね??
およそ権力者というものは、世を乱したと自らは考えていない
(からこそ、更に世を乱そうとする)と思っていたのですが(^ ^;;)
あ、違うか。
法皇の体内に、白河院の血が流れていたからこそ
白河院と同じように“世を乱していた”わけで、
清盛に“エアー弓矢”で射てもらい、
白河院の血を出し切った今では“新生 鳥羽法皇”として
新しい時代を作り上げていくということですかな?
結局、ほんのわずかな罰金刑だけで
忠盛も清盛も釈放されることになりました。
家盛が清盛を訪ねてきます。
清盛はいつものように明るく出迎えるわけですが、
家盛にはいつものような明るさはありません。
「これより先は、私が一門を背負うてまいる所存」
清盛は、何が何だか分かりません。
──────────
久安3(1147)年6月15日、
祇園臨時祭の夜に田楽を奉納しようとした平清盛と
祇園社の神人が小競り合いとなり、
放たれた矢が宝殿に突き刺さるなど多数の負傷者が発生する騒ぎとなる。
治承4(1180)年8月17日、
源 頼朝が挙兵して平氏に反旗を翻すまで
あと33年2ヶ月──。
作:藤本 有紀
音楽:吉松 隆
題字:金澤 翔子
──────────
松山 ケンイチ (平 清盛)
玉木 宏 (源 義朝)
深田 恭子 (時子)
三上 博史 (鳥羽法皇)
豊原 功補 (平 忠正)
金田 明夫 (鎌田通清)
伊東 四朗 (白河法皇(回想))
檀 れい (待賢門院 璋子(回想))
吹石 一恵 (舞子(回想))
※ 伊東〜加藤:ピンクレジットなし
──────────
山本 耕史 (藤原頼長)
阿部 サダヲ (信西)
加藤 浩次 (兎丸)
青木 崇高 (鬼若)
岡田 将生 (源 頼朝・語り)
──────────
小日向 文世 (源 為義)
和久井 映見 (宗子)
上川 隆也 (平 盛国)
松雪 泰子 (得子)
國村 隼 (藤原忠実)
中村 梅雀 (平 家貞)
中井 貴一 (平 忠盛)
──────────
制作統括:磯 智明
:落合 将
プロデューサー:櫻井 壮一
演出:中島 由貴
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『平 清盛』
第14回「家盛決起」
デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜
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