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2012年4月15日 (日)

大河ドラマ平 清盛・(15)嵐の中の一門 〜帰らぬ弟〜

久安5(1149)年。

鳥羽法皇の熊野詣での警護のために平 家盛が役目を担い、
無事に参詣を終え京へ帰還するのみとなった一行。
宇治川と桂川の合流付近・山崎あたりで、
馬上の人・家盛はゆっくりと傾き、落馬してしまいます。

忠盛屋敷へ無言の帰宅となりました。

「いやいやいや……いやじゃ家盛!」
家盛を前にして、実母の宗子は大きく泣き崩れ
後から駆けつけた平 清盛を睨みつけます。

直後、平 忠正は清盛を投げ飛ばし
お前が死ねばよかったのじゃ! と
ドラマではベタな罵声を浴びせますが、
言葉を発しない宗子も同感だったのかもしれません。

神輿に矢を射かけた天罰は家盛が被ったと言われて
清盛は何も反論することができません。

土砂降りの中、屋敷の屋根に上って身動き一つ取らない清盛。
頭の中で何を思っていたのでしょうか。
弟の平 頼盛は「やることがいちいち仰々しい」と
兄を見て、ピリリと効いた皮肉も言いたくなります(^ ^;;)


鳥羽法皇の元に上がった忠盛と清盛は
法皇に慰めの言葉をかけられます。
今暫く休むがよい、と気遣いをも受けますが、
一日でも早く役目に戻り忠義を尽くすことこそが
家盛も望んでいるでしょう、と忠盛。

先日の落雷で、高野山の大塔や金堂が炎上してしまいまして、
それの建て直しを法皇はそれとなく働きかけてみますが、
忠盛としては、大財をなげうってでも受けるようです。

清盛は、忠盛のたっての願いにより、
忠盛の名代として
その建て直しの陣頭指揮に当たることになりました。

その下見見物の最中、坊主が現れます。
佐藤義清──出家して「西行」。
かつての清盛の同僚で、親友であります。

どこかやんわりとした雰囲気を持つところも昔のまんまですが
村の女たちがこぞって野菜を届けにくる“イケメン”ぶりも
相変わらずと言えば相変わらずです。


久安6(1150)年1月4日、
雪がしんしんと降る中、近衛天皇が元服しました。

その数日後、左大臣藤原頼長の養女・多子が入内するわけですが、
摂政藤原忠通は、この動きにいっそう警戒心を抱き
自らの養女・呈子の入内に向けて動きを活発化させます。

「摂政の座を頼長に譲れ」「お話はこれまで」と
藤原忠実と頼長、そして忠通との関係が悪化の一途をたどります。


信西が、清盛からの依頼を受けて
当代きっての絵師を連れてきました。
高野山金堂に納める曼荼羅を描かせるためです。

その依頼を済ませると、清盛は
家盛の一周忌法要のために
正倉院に愛用の品々を納めるとかで、
早々に屋敷に戻っていきます。

清盛の母・舞子にお守りとして差し出していた鹿角ですが、
宗子は家盛の一周忌を期に一緒に納めたいと言い出します。
つまり、この鹿角の志のために
家盛が犠牲となったと考えているようなのです。

忠盛にももはや異存はありませんが、
宗子はよっぽど悔しかったのか、鹿角をいきなり床に叩き付け
何度も何度も拳で叩いて破壊します。

平氏という一門は、ひどい嵐の真っ只中にあり
その中心、台風の目となっているのが清盛なのであります。

ひどく落ち込んでいる清盛ですが、
西行は、よそ者(=平氏の子ではない)だからこそ
できることもあると清盛を励まします。


前回、清盛と源 義朝に会った常盤ですが
呈子入内のためのお世話役としてスカウトされます。

はじめこそ、病気の母を置いていけないと断りますが、
常盤がスカウトに応じれば父母の暮らしは格段によくなると
偶然通りかかった義朝に説得され、渋々承知することに。

手際良く早着替えを済まされ、
アッという間におしろいも塗りたくられ、
宮中のひとに大変身(笑)。


ちょうどそのころ、得子は院号宣下を受けて
「美福門院」と称しております。

平家あげて高野山大塔や金堂を再建していることを知る得子は
その大塔にえらくご満悦で、落成の暁には
忠盛を公卿に推挙する口添えをすると言います。

忠盛は「あと一息じゃ」と気合いを入れ直したとき、
そこへ頼長が通りがかります。

家盛が生前、頼長にたぶらかされて
家督相続に名乗りを上げたことを聞かされるのですが、
結果として家盛は死んでしまったわけです。

たぶらかしたことに対して頼長には悪びれた様子もなく、
忠盛は我慢できずに頼長を睨みつけます。

屋敷に戻った忠盛は、
高野山金堂に納める曼荼羅を描かせてもらっていた清盛に
「今すぐやめよ!」と怒鳴りつけます。

上を見て、夢希望を持って公家たちに尽くしていた家盛が
頼長という人物によって踏みにじられ、
あげくに命を落としてしまった。
武士は武士らしく、
己の分をわきまえて生きていればそれでよい──。

曼荼羅に筆を入れ続ける清盛と、それをやめさせようとする忠盛。
二人の間で取っ組み合いのケンカとなりますが、
それでも清盛は、家盛の供養になるからと
流れた額の血を拭い取ってその色で筆を入れます。

宗子は、書き上げた曼荼羅を満足げに見ています。
家盛を亡くして以来、初めて清盛に微笑みかけてくれました。

──────────

久安5(1149)年8月3日、
得子に美福門院の院号を宣下される。

治承4(1180)年8月17日、
源 頼朝が挙兵して平氏に反旗を翻すまで


あと31年──。


作:藤本 有紀
音楽:吉松 隆
題字:金澤 翔子
──────────
松山 ケンイチ (平 清盛)
玉木 宏 (源 義朝)
松田 翔太 (雅仁親王)
藤木 直人 (西行)
深田 恭子 (時子)
三上 博史 (鳥羽法皇)
豊原 功補 (平 忠正)
金田 明夫 (鎌田通清)
森田 剛 (平 時忠)
──────────
山本 耕史 (藤原頼長)
田中 麗奈 (由良御前)
阿部 サダヲ (信西)
井浦 新 (崇徳上皇)
武井 咲 (常盤)
岡田 将生 (源 頼朝・語り)
──────────
小日向 文世 (源 為義)
和久井 映見 (宗子)
上川 隆也 (平 盛国)
松雪 泰子 (美福門院 得子)
國村 隼 (藤原忠実)
中村 梅雀 (平 家貞)
中井 貴一 (平 忠盛)
──────────
制作統括:磯 智明
    :落合 将
プロデューサー:櫻井 壮一
演出:柴田 岳志


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『平 清盛』
第16回「さらば父上」

デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜

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