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2012年5月 3日 (木)

プレイバック義経・(16)試練の時

平氏の陣に呼ばれていた白拍子・静は
計らずも富士川の戦いに巻き込まれてしまい
逃げ惑う最中、足に傷を負ってしまいます。

約10年ぶりに再会した源 義経をはじめ
家臣たちによる手厚い介護を受け、
順調に回復のきざしを見せています。

義経に付き添われて鎌倉入りを果たして1ヶ月、
静はゆっくりとではありますが
杖をつきつき自力で歩けるまでになりました。

とはいえ、完全に回復する時は
すなわち静が京に戻る時を表しておりまして、
「静は、京に帰りたいか?」という義経からの疑問も
複雑な表情を浮かべて黙り込んでしまう静です。

その日、吉次が義経の館を訪ねてきました。
吉次から京の様子を聞きますが、平氏が福原遷都したこともあり
盗賊が京の町をはびこっており、あまりに無残な有様と伝えます。


後白河法皇は平 宗盛を呼び出し、
福原に閉じ込められている窮状を訴えます。
宗盛はその窮状を平 清盛に伝える決意を固め、
自邸へと戻って行きます。

「宗盛をてなずけるのは……たやすい」
表の顔と裏の顔、
後白河法皇ほど恐ろしい人物はおりません。

吉次が義経に伝えた同じ内容のことを
五足は平 清盛に報告しますが、
その直後、宗盛は清盛に都帰りを提案します。

しかし、新たにことを始めようとするとき
多少の混乱があるのは必定であり、
その時の情勢になびいて、その都度方針を変えていっていては
平氏としての威信は完全に地に落ちてしまいます。
清盛は、都帰りを受け入れませんでした。

しかし数日後、一門の面々を集めた清盛は
都帰りの是非について存念を聞きますが、
宗盛はもちろん、平 知盛、平 重衡らまでもが
都帰りが望ましい、と言い出します。

これに激怒した平 時忠は面々を蔑みますが
清盛は黙って時忠を征し、
4日後、清盛は都を福原から京へ戻すことにします。


源 頼朝は、亀の前の住む家に一緒にいて
何やら楽しげに笑い合っています。
その様子を偶然に目にしてしまった義経は
慌てて身を隠し、気まずそうな表情を浮かべますが、

もっと大変なことに、そのふたりの様子を
北条政子もしっかりと見ていたわけです。

般若の顔をして、政子はその場から立ち去ろうとしますが、
身を隠していた義経とバッタリ(笑)。

おそらくは静に摘んだであろう野の花を
強引に政子に渡したり、
「これは何かの……気の迷いとしか」とフォローしたり、
義経が何かすればするほど、どんどんドツボにはまっていきます。

目に涙をいっぱい溜めて、政子は走り去ります。

しかしその夜、火事が発生。
駿河次郎らがひとりの女を救出するのですが、
その女は、昼間 頼朝と一緒に笑っていた亀の前であります。
つまり、炎上したのは亀の前のあばら家です。

頼朝は政子が命じて火をつけさせた事実をつかんでおり
政子を激しく責め立てますが、
政子は、頼朝が亀の前と一緒にいた事実を見ているので、
あくまでも強気です。

救出された亀の前は、一晩義経の屋敷に留まりますが
政子のことが恐ろしくて、頼朝には何も告げずに
伊豆の実家に戻ることにします。

焼け落ちて骨組みだけになった亀の前のあばら屋に
ひとり立ってたたずむ頼朝でした。

さて、義経と静です。
義経としては、静を都に帰したくないのが本心です。
亀の前の一件で、それはさらに思いを強くしたところであります。

しかしそれは静もおなじでして、
表向きは“足が治ったら京に戻らねば”と口にしていながら、
本心ではずっとずっと義経のそばにいたいわけです。

そのふたりの思いを、お互いがしっかりと受け止め、認め合います。


治承4(1180)年12月12日、頼朝新居が鎌倉大倉に出来
大倉御殿への引き移りの儀式が挙行されます。

300人以上の武士たちが出仕したのですが、
この日から、東国では頼朝のみを主とし
「鎌倉殿」と呼ぶようになります。

政子はつねづね、義経には 頼朝とは違った
何かを引き寄せる力があるようだ、と感じています。
人が集まるのはもちろんいいことではありますが、
それは片や、力になると言うこともできます。

義経には気をつけなさいよ、旦那さま!
……と暗にメッセージを送っているわけですが(笑)、
政子は猛烈に嫉妬したり、先見の明があったり、
敵に回したら間違いなく怖そうな相手です。

ともかく、頼朝は奥州からはるばる駆けつけてきた義経を
無下にはできないと考えていますが、
政子や北条時政の一押しもあって、
義経に対して家臣同然の扱いをすることにします。

武蔵坊弁慶はじめ、義経の家臣たちは
そんな扱いに不満タラタラですが、
源氏の戦に対して大した働きができていないためであって
功があった武士たちより扱いが下であっても仕方がなく、

頼朝の弟であるがゆえに集団のトップに滑り込めば
それこそ不平不満が爆発するだろうから、という
人のいい義経なりの解釈です。

義経にとっては厳しい試練の一つではありますが、
逆に言えば、功を立てて“鎌倉に義経公あり”と評判になれば
官位は思いのままであるわけです。

家臣たちは、また新たに思いを胸に頑張っていくことにします。

──────────

治承4(1180)年11月23日、
平 清盛の決断により、安徳天皇が京都へ還幸する。

元暦2(1185)年5月24日、
源 義経が兄・源 頼朝に弁明の腰越状を送るまで

あと4年6ヶ月──。


原作:宮尾 登美子
   「宮尾本平家物語」「義経」より
脚本:金子 成人
音楽:岩代 太郎
脚本協力:川上 英幸
    :眞鍋 由起子
題字:陳 燮君
タイトル画:宮田 雅之
語り:白石 加代子
──────────
[出演]
滝沢 秀明 (源 義経)
松平 健 (武蔵坊弁慶)
石原 さとみ (静)
南原 清隆 (伊勢三郎)
うじき つよし (駿河次郎)
伊藤 淳史 (喜三太)
海東 健 (佐藤忠信)
宮内 敦士 (佐藤継信)
小栗 旬 (梶原景季)
松嶋 尚美 (亀の前)
田中 美奈子 (牧の方)
上原 美佐 (手古奈)
※ 田中・上原:ピンクレジットなし
──────────
阿部 寛 (平 知盛)
鶴見 辰吾 (平 宗盛)
細川 茂樹 (平 重衡)
賀集 利樹 (平 維盛)
小泉 孝太郎 (平 資盛)
大橋 吾郎 (平 時忠)
平野 忠彦 (平 盛国)
北村 有起哉 (五足)
※ 大橋〜北村:ピンクレジットなし
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平 幹二朗 (後白河法皇)

財前 直見 (北条政子)
夏木 マリ (丹後局)
市川 左團次 (金売り吉次)
中尾 彬 (梶原景時)
小林 稔侍 (北条時政)

松坂 慶子 (時子)

中井 貴一 (源 頼朝)

渡 哲也 (平 清盛)
──────────
制作統括:諏訪部 章夫
演出:柳川 強

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