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2012年5月 6日 (日)

(18)誕生、後白河帝 〜保元の乱へ・序章〜

鳥羽法皇と美福門院得子の子・近衛天皇が病に倒れます。

久寿元(1154)年になっても、天皇の容体は回復の兆しを見せず
美福門院は無数の僧侶を投入して日夜祈祷を行わせます。

──永治元(1141)年12月7日、得子の進言に従って
崇徳天皇は帝の座を東宮・躰仁親王に譲りました。

(宣命使)「皇太弟と定めたまへり……」

皇太子に譲位であれば“親”として院政もできますが、
皇太弟に譲位であれば“兄”としては院政は行えません。

「違う……違う!」

崇徳天皇は顔面蒼白となり地団駄踏みますが、時は既に遅く。
こうして、皇太弟・躰仁親王は近衛天皇として即位し、
崇徳天皇は崇徳上皇に、
そして鳥羽上皇は出家して鳥羽法皇となったわけです──

法皇はかつて、自らの皇子に皇位継承させるべく
いわばだまし討ちのような形で
崇徳上皇(当時、崇徳天皇)に譲位を迫りました。

さらに前には、長く実権を握り続け
自らは身の毛がよだつほどに嫌っていた白河法皇と
自分の后・待賢門院璋子との子である崇徳天皇のことも
“叔父子”と蔑み、いじめ抜いたこともありました。

その因果が巡り巡って、
近衛天皇をこのような形で苦しめているのではないか。
法皇は力なく、そうつぶやきます。


法皇の重臣であり、
平 清盛にとってもなにかと力になってくれた
藤原家成が病の床につき、清盛は見舞いに訪れます。

容体芳しからざる帝への心労が祟ったのかもしれません。
「法皇様のことをお頼みします」と家成は清盛の手を握ります。

その後、家成は5月29日に世を去ります。


清盛は、上皇の皇子・重仁親王に対面する機会を得ます。
近衛天皇に万一のことがあった場合の、
皇位継承第一位と目された人物であります。

崇徳上皇としては、重仁親王を帝の座に就けて
自らは鳥羽法皇のように院政を敷きたい想いがあります。
上皇は清盛に力を貸してくれるように声をかけますが、
清盛はあっさりとその願いを蹴ります。

上皇の晴れ晴れとした表情は徐々に青ざめていきます。

身を捨つる
 人はまことに 捨つるかは
  捨てぬ人こそ 捨つるなりけれ

佐藤義清、今の西行が詠んだ歌を諳んじる上皇。
かつて清盛が言ったような
面白く生きるチャンスが訪れようとしているこの時こそ、
清盛が自分の力になるべきである。

上皇も諦めず、説得を続けます。

ただ、今まで通り法皇に味方するか
時勢を読んで次の権力者となる可能性が高い上皇に味方するか、
平氏の中でも意見がまっ二つに分かれて紛糾。

清盛は、皆の意見をじっくり聞いて
“どちらに味方するか”ではなく
“世を正すために、法皇と上皇に仲良くしてもらう”という
分かるような分からないような方針を定めます。


為朝という8番目の息子の素行の悪さに
法皇の怒りを買ってしまった源 為義は、
左衛門大尉の役目まで剥奪されてしまいます。

今や、源氏が生き残るためにすがれるのは
藤原摂関家しかありません。

その摂関家の、今や中枢に位置する藤原頼長は
世を正すために着々と悪を懲らしめておりますが、
その父・藤原忠実は、少々度が過ぎるとやんわりとたしなめますが、
頼長は、自分の政治を理解しない愚人には耳を貸しません。

父でありながら“愚人”にされてしまった忠実は、
もの悲しく頼長を見つめています。

そうこうしている間にも、天皇の容体はますます悪化し
視力すら奪われてしまっています。

美福門院は祈祷僧を更に増員させ、目の薬師も集めさせます。

清盛は、ここぞとばかりに
上皇との仲直りを法皇に進言します。
あまりに虫が良すぎる、身勝手な話ではありますが
実は法皇も考えなくもなかったことであります。


次期皇位継承者のことなど一切関わりないと考える雅仁親王は
西行の妻・朝子を伴って美濃青墓へ向かいます。
何でも芸事が盛んという土地で、いわゆる観光であります。

無邪気に舞う子どもたちを追いかけていると、
何だか不思議な歌声が聞こえてきます。

遊びをせんとや 生まれけむ
 戯れせんとや 生まれけん
遊ぶ子どもの 声聞けば
わが身さへこそ 動かるれ

歌声に導かれるまま進んでいくと、
そこには乙前という白拍子がいました。
かつて「祇園女御」と呼ばれていた、
白河法皇の寵愛を一心に浴びたあの女性です。

雅仁親王は、乙前が歌っていたそのままを形にしたような
男(清盛のことか?)と比べて、自らの境遇をあざ笑いますが
乙前は親王を、母のように精一杯励まします。


久寿2年7月23日、近衛天皇崩御。
わずか17歳という若さでした。

鳥羽法皇の世が続くか、崇徳上皇の時代が来るのか。
皆が固唾をのんで時代の流れを見守っています。

左大臣頼長は、天皇崩御の数日前に妻をなくしていて、
その喪に服しているために昇殿できず。
実は次の天皇を決める会議が行われていたわけですが、
信西は、その会議から頼長を排除したかったわけです。

ともかくこのことが、頼長の命運を大きく変えてしまいます。

崇徳上皇の子・重仁親王か。
雅仁親王の子・守仁親王か。
崇徳上皇の再即位か。

いろいろ案が出されますが、
誰も予想しなかった意外な人物が選ばれます。
選ばれた人物の名を聞いて、
子・重仁親王の即位を夢見ていた上皇は卒倒。

──雅仁親王であります。

翌24日、天皇即位。
後白河天皇の誕生であります。

──────────

久寿2(1155)年7月24日、
後白河天皇が即位。

治承4(1180)年8月17日、
源 頼朝が挙兵して平氏に反旗を翻すまで


あと25年──。


作:藤本 有紀
音楽:吉松 隆
題字:金澤 翔子
──────────
松山 ケンイチ (平 清盛)
玉木 宏 (源 義朝)
松田 翔太 (雅仁親王)
深田 恭子 (時子)
三上 博史 (鳥羽法皇)
豊原 功補 (平 忠正)
金田 明夫 (鎌田通清)
森田 剛 (平 時忠)
矢島 健一 (藤原教長) ※ ピンクレジットなし
──────────
松田 聖子 (乙前)
山本 耕史 (藤原頼長)
阿部 サダヲ (信西)
井浦 新 (崇徳上皇)
青木 崇高 (鬼若)
岡田 将生 (源 頼朝・語り)
──────────
小日向 文世 (源 為義)
和久井 映見 (池禅尼)
上川 隆也 (平 盛国)
松雪 泰子 (美福門院 得子)
國村 隼 (藤原忠実)
中村 梅雀 (平 家貞)
──────────
制作統括:磯 智明
    :落合 将
プロデューサー:櫻井 壮一
演出:柴田 岳志


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『平 清盛』
第19回「鳥羽院の遺言」

デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜

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