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2012年5月22日 (火)

プレイバック義経・(19)兄へ物申す

プレイバックシリーズとして続けておりました
シリーズ『義経』ですが、
昨日、ようやく全49話の執筆を終えました!

ヽ(´▽`)/

ハイ、我らが義経クンは自刃して果ててしまいました。。。

公開ベースでは、まだ
平 清盛が亡くなってしまった辺りだというのに……。
ズレがなかなか広いですけどご容赦を。


それで、来年公開予定のプレイバックシリーズですが、
東北地方が舞台の本放送『八重の桜』関連ということで
今までと同じように、同時代を描いた
『新選組!』の執筆に早速取りかかりました。

というのが、ワタクシの強い希望で来年は
試しに過去の大河作品を2作お届けすることにしています。
それを見越して、今のうちから
書き進められるうちに書いておこうというわけです。

執筆ペースを上げないと、従来の1ヶ月に4本というペースでは
年間101本執筆はとてもとても間に合いませんものね。
どう考えても、単純に計算して
週に2本、1ヶ月に8本という倍のペースになります。

それを、早めに書き進めておくことで
1ヶ月に6本ペースにまで落ち着かせることができるわけです。

……という裏話はこのあたりにして。


「(牛若を肩車して)仲間や……牛 言うんや」
「(駆けてきて)久しぶりやなー!」
「子を連れた女が生き抜くっちゅうのはそういうことや」

生前、自分に対して本当によくしてくれた五足。

その五足の死を知らされた義経は
竹やぶの中で竹を散々切りまくって
哀しさ、怒りを露にします。

「ほなな、遮那王!」
五足の声が、脳裏にこだまします。


平 清盛の死後、後白河法皇は法住寺殿に移ります。

権力を持ちすぎた平氏に対して
ともすれば法皇を凌ぐ力を持ち、ちと増長したなと思う法皇は
武門は武門の垣根を越えてはならないと改めて考えています。

つぎに頼るべきは源氏というのは誰の目からも明らかですが
嫡流たる源 頼朝は、謀反人・源 義朝の嫡男であるために
平氏からそのまま乗り移って頼るというのは好ましくありません。
しばらく成り行きを見守ってみることにします。


鎌倉の大倉御所・侍所に源 範頼がやってきました。
頼朝にとっては異母弟、義経にとっては異母兄にあたります。
平 知盛、重衡、維盛らが京から東へ進軍中との情報もあり、
それで範頼は鎌倉へ参陣したというわけです。

頼朝は、清盛亡き後の平氏の慌てぶりを見るにつけ
頂点に立つことばかりを考え、
その土台作りを怠ったつけだと冷静に分析。
あまりにも親族一門を用いすぎたことが大きな原因と見ています。

池の水はいずれ腐る、それはかき回したとしても同じこと。
水をきれいにするには、新たに水を引いてくるしかなく
平氏はそれを怠ったと言いたげです。
「われらは平家と同じ道は歩まぬ」

のち、範頼は義経屋敷を訪れ、兄弟として酒を酌み交わします。


頼朝は法皇に書状を送ります。

それには、法皇に対して頼朝に謀反の気持ちがないこと、
兵を動かしているのは法皇の敵・平氏討伐のためであること、
平氏を討つべきでないならば、これまでどおり
平氏と源氏をともに取り立てるように、という内容です。

もし法皇がこの書状を受け取ったならば
頼朝を東国の覇者と認めたも同然でありまして、
源氏は平治の乱以来の逆賊の汚名も雪(そそ)げるし
幼い帝を擁す平氏と互角の立場となれるわけです。

もし法皇がこの書状を突っぱねた場合は
平氏と源氏は戦になってしまう可能性を含みますが、
法皇としてはどちらが勝ってもどちらが負けても
どっちでもいいわけです。

そんな中、御所に清盛の妻・時子がやってきます。

平 友康は時子に、
鎌倉から法皇に対して書状が届いたことを伝えます。
「鎌倉は平家と和議を望んでおる様子──」


時子は屋敷に戻ってその和議の件を諮りますが、
重衡は「負けを認めたも同じこと」と反発。

しかし、法皇と格別の縁がある と信じて疑わない宗盛に
法皇をないがしろにするのもよくないが、
近づきすぎるのもまた良くないと
あまりいい感触を持たない知盛がいるのも確かな話です。

和議については、法皇直々の話がない限りは
聞かないことにします。
平氏としては清盛の遺言を守る務めもありますが、
その遺言はそもそも、時子が勝手に付け足したものであります(笑)。


東進する平 維盛軍と、迎え撃つ源 行家軍が尾張墨俣で激突しますが、
数に勝る維盛軍が勢いづき、行家軍は止むなく撤退を余儀なくされます。

しかし、頼朝軍が鎌倉から攻め入るという噂が流れ、
木曾義仲の不穏な動きもあって、
維盛軍はそのまま京に舞い戻ってきます。

とるに足らない噂におじけづいたか! と宗盛はたいそうご立腹ですが、
もし話が本当なら、頼朝と義仲との間で挟み撃ちに遭う危険性もあり
戦上手の知盛でさえ、維盛の肩を持ちます。


一方、敗走した行家は鎌倉の頼朝の元を訪れていました。

頼朝から貸し出された兵1,000が
勝手に抜け駆けしなければ勝てた戦だと言いたげです。

そこで、軍勢を立て直したい行家は
三河辺りに所領を得たいと頼朝に談判しますが、
頼朝は「どうぞ、切り取り次第に」とそっけない態度です。
木曽源氏も甲斐武田もそうして所領を得てきたのです。

行家が源氏の大将軍と名乗ったのならなおのこと、
所領は自分の力で切り取られよ、と突っぱねます。

行家としては、自分の力こそが維盛が京に逃げ帰ったわけで
その功績を認めてほしいわけですが、
それもこれも、頼朝の大軍が攻め込んでくるという流言に
維盛側が惑わされたわけで、
頼朝に恐れをなしたと見た方が妥当です。

諦めきれない行家は、そのまま義経屋敷にも赴いて
手を携えて源氏の旗頭になろうではないか! と息巻きますが、
「兄上の家来にて充分」と、話には乗りません。

治承5(1181)年6月、義仲は越後軍と戦いますが、
圧倒的兵士数に勝る越後軍を義仲は蹴散らし、勝利。
都上りも夢ではない、とこちらも鼻息が荒いです。


源氏の味方をするものが増えるに従って、
平氏の焦りも増えていきます。

北国の抑えは何とかできても、東国はもはや
手には負えないところまで大きくなりすぎています。
知盛は宗盛に、兵力・財力ともに富む奥州の藤原秀衡に
陸奥守に任じてみては? と提案。

義経家臣の佐藤継信・忠信兄弟は
もとはといえば秀衡家臣でありまして、
鎌倉の状況を探るために遣わされたという
疑いの目が日ごろから向けられていることが我慢ならず、

さらには義経が
秀衡の内意を受けているような根も葉もない話に、
その疑いを晴らすためにも暇乞いします。

それを聞いた義経は、頼朝に直々に疑いを晴らしに行きます。

──────────

治承5(1181)年4月25日、

尾張・美濃国境付近の墨俣川で源行家軍と平氏軍が戦う。

元暦2(1185)年5月24日、
源 義経が兄・源 頼朝に弁明の腰越状を送るまで

あと4年1ヶ月──。


原作:宮尾 登美子
   「宮尾本平家物語」「義経」より
脚本:金子 成人
音楽:岩代 太郎
脚本協力:川上 英幸
    :眞鍋 由起子
題字:陳 燮君
タイトル画:宮田 雅之
語り:白石 加代子
──────────
[出演]
滝沢 秀明 (源 義経)
松平 健 (武蔵坊弁慶)
南原 清隆 (伊勢三郎)
うじき つよし (駿河次郎)
伊藤 淳史 (喜三太)
海東 健 (佐藤忠信)
宮内 敦士 (佐藤継信)
小栗 旬 (梶原景季)
上戸 彩 (うつぼ(回想))
北村 有起哉 (五足(回想)) ※ ピンクレジットなし
──────────
阿部 寛 (平 知盛)
鶴見 辰吾 (平 宗盛)
かとう かずこ (領子)
細川 茂樹 (平 重衡)
賀集 利樹 (平 維盛)
平野 忠彦 (平 盛国)
上原 美佐 (手古奈)
※ 平野・上原:ピンクレジットなし
──────────
小澤 征悦 (木曽義仲)
小池 栄子 (巴)
大杉 漣 (源 行家)
石原 良純 (源 範頼)
神木 隆之介 (牛若(回想)) ※ ピンクレジットなし
──────────
平 幹二朗 (後白河法皇)

財前 直見 (北条政子)
夏木 マリ (丹後局)
草刈 正雄 (平 知康)
中尾 彬 (梶原景時)
小林 稔侍 (北条時政)

松坂 慶子 (時子)

中井 貴一 (源 頼朝)
──────────
制作統括:諏訪部 章夫
演出:木村 隆文

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コメント

いつもありがとうございます^^
直江喜一さんが20年前に作詞作曲された「南から」
一度お聴き下さいませ♪

http://kinpachi2.blog79.fc2.com/blog-entry-149.html

──────────

金八2ファンさーん。こんにちは!
こちらこそお世話になっております。


>直江喜一さんが20年前に作詞作曲された「南から」
ハイ、拝聴致しました( ^ ^)/

何だか、噛めば噛むほど味の出る歌で
心に染み渡ります。
しばらく連絡を取っていない親友を
思い出させるような歌ですね。

会社でのスナップ写真も、
ちょうどいい具合に絡み合ってますし。

20歳代、30歳代、40歳代、そして50歳代。
それぞれの年代でも歌い方が変わってきそうな
それだけ味がある歌と言えばいいでしょうか。

もし復刻なさるとすれば、
今の直江さんの歌い方で
聞いてみたいという気もします。

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