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2012年5月13日 (日)

(19)鳥羽院の遺言

後白河天皇の誕生は、朝廷内部でも予想だにしておらず
当然ながら騒然となります。

天下の大学者・信西は、天皇の乳父であるので
皆から祝福の言葉を浴びますが、
その実は、心の底からの祝福ではなく
天皇家とのつながりを太く結ぶための顔つなぎに他ならず。

とはいえ、少納言たる信西も
彼以上の位をもつ人間から媚びへつらわれると
やはり少しは心地いいようです。

かつて信西が、即位前の天皇(雅仁親王)について
“王家に渦巻く積年の鬱屈より流れ出た膿”
“全てのひずみを抱え込んだ毒の巣!”
とまで言っていた人物を帝に仕立て上げて
どうするつもりだと声を荒げますが、

そういう人物であるからこそ、信西は乳父として
思うままの政治ができるわけです。


権力を握ったかに思えた左大臣・藤原頼長は
このころ、政治の表舞台から遠ざけられておりました。

ケシカラヌ!
アノ ウツケノゴトキ オカタガ ミカドトハ!

九官鳥もわめいておりますが、
再び内覧の宣旨が下る夢を見た直後で、
頼長は余裕の顔で笑っています。
「きっと正夢であろう」

しかし、その思惑は大きく外れてしまいます。

巫女の占いによれば、亡くなった先代の近衛天皇が
愛宕護山で、目に釘を打込まれた天公像が発見され、
それは頼長のしわざであると噂になります。

慌てた頼長は、
近衛天皇の親である鳥羽法皇や美福門院得子に目通りを願い出ますが、
関白・藤原忠通は「お会いにならぬ」と冷たく突き放します。

まさか風聞を立てたのは兄上か!?
そういう思いがよぎる頼長に、
父の藤原忠実もそっけない態度で追い討ちをかけます。

綱紀粛正の名の下で公卿たちを締め上げ
近衛天皇の近臣までも罷免したことで方々の怨みを買い、
過激な取り締まりで寺社をも敵に回した──。

「お前は……やりすぎたのだ」
その場に立ち尽くすしかありませんでした。


武蔵国・源 義賢の館は、兄・源 義朝に襲われております。

義朝を差し置いて源氏の跡継ぎになろうとしていることが
許せなかったのかもしれませんが、
元はといえば、力をつけすぎた義朝には源氏を任せられず
父の源 為義は、源氏に代々伝わる太刀『友切』を
義賢に託したわけです。

義朝の命を受けた源 義平は
無情にも叔父の義賢を矢で射抜き、
『友切』を強引に略奪します。

身内同士の戦いで弱肉強食を繰り返す源氏ですが、
この義賢殺害事件(大蔵合戦)は、後の世に
それぞれの子、源 頼朝・義経と木曾義仲の戦いへと
つながっていきます。

ともかく、『友切』は義朝の元にもたらされるわけですが、
己の子に、己の弟を殺させたことは
為義との間にも決定的な亀裂が生じます。

側室の常盤は、満足そうに『友切』を眺める義朝に
まだ幼い子である今若と乙若も、
いずれ太刀を振るうようになるのかと少々気がかりですが、

仏門に入った今若(後の阿野全成)は
頼朝の子の源 頼家に殺害されますし、
同じく仏門に入った乙若(後の義円)は
墨俣川の戦いで平氏方に敗れて討ち取られます。

まだこの世に生まれて来てはいない牛若(後の義経)の生涯は
みなさんご存知の通りでしょう。

この時の常盤の発言は、奇しくも当たってしまいます。


10月、後白河天皇が正式に即位。

内裏仁寿殿にて祝いが催され、
鳥羽法皇、美福門院得子も並ぶその場に
出席していない崇徳上皇からの祝いの歌が届けられます。

あさぼらけ
ながき世を越え
にほひたて
くもゐに見ゆる
しきしまの君

どれだけ憎しみの籠った歌かと参加者はヒヤヒヤしますが
新天皇の姿を見事に歌い上げていると絶賛。

しかし、今様好きの天皇はそんなことには騙されません。

各句の頭だけを読んでいけば
「あ」「な」「に」「く」「し」(あな、憎し)
実に憎い、という真意が込められているわけです。

上皇に対して、許せと心の中で願ってきた法皇は
上皇が許さぬと意思表示をしたゆえに
天皇の座を上皇の子の重仁に譲位させようとしますが、
天皇は苦々しい顔で言い放ちます。

「法皇よ……ここは私の世じゃ」

その言葉は、かつて白河法皇が
鳥羽天皇(当時)に浴びせたそれを彷彿とさせ、
鳥羽法皇は胸を押さえて苦しみ出します。


法皇は、後白河天皇と定めた日から
法華七譬の「長者窮子」を写す毎日です。

長らく別れ別れとなっていた父と子が
何十年の時を経て分かり合い、
「これは我が子である」と
父が子に対して心からの言葉をかける、という話。

それだけ、法皇は悔いていて
上皇に対して詫び、許しを請いたいわけです。

上皇は、その写経を受け取ると
読みもせずにビリビリに破ってしまいます。
許しを請うには、遅すぎたということでしょうか。


翌 保元元(1156)年。
体調が思わしくなかった法皇の容体はさらに悪化。
そして上皇挙兵の噂がささやかれています。

戦が起こった際には、鳥羽院をお守りすると誓え──。
法皇は、誓文を出させることで忠誠を誓わせようとします。

清盛は、法皇と上皇のどちらにも味方しないという
中立的立場で、誓文への署名を拒みます。

一方、義朝は下野守として誓文に署名します。
為義とは別の道を歩むということになりますが、
義朝のスタンドプレーに、重臣たちは心を離していき
義朝は次第に孤立していきます。


未だに署名しない清盛を、信西は呼び出します。

法皇は始め、崇徳上皇の重祚(再即位)すら考えておりました。
それが叶わなければ、上皇の子
重仁親王に即位も考えていたわけですが、
しかしそれでは世をさらに乱すことにもつながり、

結局は、法皇にも上皇にも息がかかっていない
雅仁親王を即位させることで、決着を図ったのです。

ただ、これはあくまで結果論ですが
誰が即位しても法皇が悔いることになるわけで、
法皇と上皇が仲違いしようが仲直りしようが、
天下大乱に向かって話は進んでいるのです。

「そなたにとって最も守るべきものは何か?」
信西に言われて、清盛はひとり思い悩みます。


7月2日。
土砂降りの中、鳥羽院御所を
ものものしく警護する武士たちの姿があります。
法皇危篤の知らせが、都中を駆け巡ったのです。

同じとき、上皇は
ビリビリに破った法皇の写経のかけらを見つけ、
手に取ります。

“我子”

法皇危篤の知らせを聞き、
美福門院の説得を受けたこともあり
上皇は、法皇の見舞いへ御所へ駆けつけます。

我は法皇様の子ぞ! と叫ぶ上皇を
清盛は睨みつけます。
「少しばかり遅うござりました」

宋剣をちらつかせ、上皇を中には入れません。

法皇崩御により、
朝廷内で、藤原摂関家で、源氏で、そして平氏で
各地でくすぶっていた火種がそれぞれ燃え上がり
都を戦乱に巻き込んでいくことになります。


信西の手元には、清盛が署名した誓文がありました。

──────────

保元元(1156)年7月2日、
鳥羽法皇が崩御、54歳。

治承4(1180)年8月17日、
源 頼朝が挙兵して平氏に反旗を翻すまで


あと24年1ヶ月──。


作:藤本 有紀
音楽:吉松 隆
題字:金澤 翔子
──────────
松山 ケンイチ (平 清盛)
玉木 宏 (源 義朝)
松田 翔太 (後白河天皇)
深田 恭子 (時子)
三上 博史 (鳥羽法皇)
豊原 功補 (平 忠正)
金田 明夫 (鎌田通清)
森田 剛 (平 時忠)
成海 璃子 (滋子)
伊東 四朗 (白河法皇(回想))
矢島 健一 (藤原教長)
※ 伊東・矢島:ピンクレジットなし
──────────
山本 耕史 (藤原頼長)
田中 麗奈 (由良御前)
阿部 サダヲ (信西)
井浦 新 (崇徳上皇)
加藤 浩次 (兎丸)
武井 咲 (常盤御前)
岡田 将生 (源 頼朝・語り)
──────────
小日向 文世 (源 為義)
和久井 映見 (池禅尼)
上川 隆也 (平 盛国)
松雪 泰子 (美福門院 得子)
國村 隼 (藤原忠実)
中村 梅雀 (平 家貞)
──────────
制作統括:磯 智明
    :落合 将
プロデューサー:櫻井 壮一
演出:渡辺 一貴


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『平 清盛』
第20回「前夜の決断」

デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜

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