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2012年6月23日 (土)

プレイバック義経・(24)動乱の都

Kassy's BLOG Anniversary─Special Week

「嫡流は嫡流でかまわぬが、今はワシが源氏の棟梁ぞ!」
「頼朝がワシに従うのが道理というものではないか!」
「ワシの父は、頼朝や九郎殿の父・義朝にたばかられて殺された」

木曽義仲のセリフ一つ一つが、調略失敗でとぼとぼ戻る
源 義経の脳裏を次々にかすめていきます。
ただ、脳裏をかすめながらも
何者かにつけられている気配も察知しています。

武蔵坊弁慶が合流したその時、女武者の号令で
3〜4人の襲撃を受けるわけですが、
直後に彼らを追って来た義仲は
そのものたちを蹴散らし、女武者──巴を平手打ちします。

「九郎殿は、鎌倉の義高のお相手役ぞ」
それでも巴は、義経を睨みつけて帰っていきます。


法住寺殿では、木曽勢の乱暴狼藉の話題が
後白河法皇への報告としてあがってきています。

屋敷内で図々しく眠り、池の水で顔を洗い身体を洗う……。
衣服を脱がないだけ、平氏の方がまだマシという声もあり
都の荒廃がとても心配です。

鎌倉に助けを求めたのが義仲に知れれば、
義仲がどういう行動に出るかは分かったものではありません。
そこで法皇は、義仲と源 行家との間に
わずかに亀裂が生じていることを逆手に利用しようとします。

寿永2(1183)年10月。
西国で勢いを盛り返し始めた平氏を追討すべく
義仲が出陣することになりました。
平氏を潰し、朝廷をも呑み込めば義仲の天下です。


梶原景季が、鎌倉へ向かう途中の平 頼盛を捕まえて
義経の元に送ります。

頼盛は、平 清盛の弟でありながら
平治の乱で捕らえた幼い源 頼朝の命を助けた池禅尼の子で、
“源氏を甦らせた子ども”と見られる目がとても痛く、
頼朝の温情にすがるために鎌倉を目指したとのことです。

義経はそんな頼盛を粗略には扱わず
丁重にお迎えすることにしますが、
現在の京の情勢について、驚くことを教えてくれます。
「法皇様は、いずれ木曽殿を見限られると存ずる」

鎌倉行きの頼盛に頼朝宛の書状を託そうとしますが、
何と書けばいいか多いに迷うところです。
しかし弁慶は進言します。
「そのような情けは、今はお捨てなされませ」

京での木曽勢の乱暴狼藉の一件は
いずれ誰かから頼朝の耳に入れるであろうことであり、
そのことを義経だけが報告しなかったとしたら、
それはそれで頼朝の反感を買うだけ、というのです。

情けは情け、務めは務め、と義経は思い直します。


そのころの義仲軍は備中にあって
勢いもとどまるところを知らず。

今は屋島にある平氏軍を蹴散らそうと
家臣たちにも屋島行きを諮りますが、
そこへ入って来たのは、法皇の不穏な動きであります。

鎌倉に密書を送り、さらにはその法皇の元に
行家が足しげく通っているとかで、不安に感じた義仲は
ひとまず撤退して京に戻ることにします。

その行家ですが、法皇と丹後局の間でこっそりと交わされた
「頼りになるのは行家かと」「平家追討は行家に任せようかの」
という言葉を聞き取り、歓喜して平伏します。

こっそりと交わすふりをして、その実際は
聞こえるように“演技した”という方が
正しいのかもしれませんけど(笑)。

平氏と対峙した行家軍でしたが、
またたくまに敗北を喫し京には戻らずに和泉へ逃亡……。

そのころ、京の都に戻った義仲は御所に乱入し
自らの許可無く動いた理由を詰問しようとしますが、
法皇はいつものように陰に隠れております。
うーん、どこかでみた映像で(^ ^;;)

一方、行家との戦いで勝利し、
勢いを盛り返しつつある平氏軍は
摂津一の谷まで陣を進めることができました。


義仲の屋敷を訪問した平 知康ですが、
法皇の使者だというのにとても低いもてなしです。
やんわりと“法皇の使者”と強調してみますが
「知っておる」と言うのみです。

通常、法皇の使者と言えば法皇と同じとみなして
座る場所も主従で入れ替わるはずなのですが、
あぁ、なんと無知の恐ろしいことか(^ ^;;)

おまけに「どうじゃ一献」と
先ほどまであおっていた杯を知康に渡す有様で。
知康は否定する気にもなりません。

知康は改めて、木曽勢の乱暴狼藉に
法皇が頭を痛めていることを伝えますが、
義仲としては聞く耳を持っておりません。

そればかりか、知康をバカにした発言で
日ごろおとなしい知康を怒らせてしまいます。

当然、御所に戻った知康は義仲の愚かぶりを報告、
即座に討ち滅ぼすべしと法皇に進言します。
法皇は頼朝に上洛を促すことにし、義仲追討の兵を集めます。

それを知った義仲は、兵が集まる前に御所に攻め入り
屋敷に火をかけて法皇をあぶり出します。

恐る恐る命乞いする法皇に、
もし都が万一の時は北国へお移り願う!と言い放ちますが、
義仲はさらに、法皇の近臣49人の官職を解いて追放。
美人と評判の前関白・基房の娘を強引に娶ります。
しかも法皇に迫って“旭将軍”と名乗るに至ります。

法皇は、強く出たものには引いてみせる演技をしますが、
内心では義仲を「自ら墓穴を掘り追った」とバカにしています。
もうこのあたりになったら、義仲も義仲、法皇も法皇です(^ ^;;)


頼朝が送り込んだ、源 範頼を大将にした軍勢が近江に到着しました。

木曾義仲、たとえ一族と言えども
追討の院宣が下された上は逆賊である。
必ずや討ち取るべし──。

義経は、思い悩みながらも義仲追討に動くことにします。
「木曽殿……お覚悟あれ!」

──────────

寿永2(1183)年11月19日、

義仲軍が法住寺殿を襲撃、後白河法皇は
脱出を図るも捕らえられ五条東洞院邸に幽閉される。

元暦2(1185)年5月24日、
源 義経が兄・源 頼朝に弁明の腰越状を送るまで

あと1年6ヶ月──。


原作:宮尾 登美子
   「宮尾本平家物語」「義経」より
脚本:金子 成人
音楽:岩代 太郎
脚本協力:川上 英幸
    :眞鍋 由起子
題字:陳 燮君
タイトル画:宮田 雅之
語り:白石 加代子
──────────
[出演]
滝沢 秀明 (源 義経)
松平 健 (武蔵坊弁慶)
南原 清隆 (伊勢三郎)
うじき つよし (駿河次郎)
伊藤 淳史 (喜三太)
海東 健 (佐藤忠信)
宮内 敦士 (佐藤継信)
小栗 旬 (梶原景季)
石原 良純 (源 範頼)

小澤 征悦 (木曽義仲)
小池 栄子 (巴)
大杉 漣 (源 行家)

阿部 寛 (平 知盛)
鶴見 辰吾 (平 宗盛)
細川 茂樹 (平 重衡)
中越 典子 (建礼門院徳子)
戸田 菜穂 (輔子)
三浦 浩一 (平 頼盛)
上原 美佐 (手古奈)
──────────
平 幹二朗 (後白河法皇)

財前 直見 (北条政子)
夏木 マリ (丹後局)
草刈 正雄 (平 知康)
中尾 彬 (梶原景時)
小林 稔侍 (北条時政)

松坂 慶子 (時子)

中井 貴一 (源 頼朝)
──────────
制作統括:諏訪部 章夫
演出:木村 隆文

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