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2012年6月24日 (日)

(25)見果てぬ夢 〜はるか宋への道〜

Kassy's BLOG Anniversary─Special Week


保元4(1159)年2月13日。

源 義朝の妻で頼朝の母でもある由良御前が長らく仕えた
統子(むねこ)は、院号宣下により“上西門院”となり、
頼朝はそれに合わせて、その蔵人に取り立てられます。

頼朝はさっそく、病床の由良にそれを報告。
由良も大喜びです。

源氏の名を世に高めたい義朝ではありますが、
平氏、殊に清盛との差は開いていくばかりです。
由良は、辛い立場であろうそんな父を
支えてやっておくれと息子を諭します。


今や権力者として絶大な力を誇る信西は
やれ税の取り立てが足らぬだの、優秀な者の登用は急を要するだの、
せっかく報告に上がった清盛に対面するも
またたく間に立ち上がって忙しなく動き回っています。

このころ、朝廷内はふたたび2派に分裂しつつあります。
ひとつは、藤原経宗や藤原惟方ら
後白河天皇の譲位によって玉座に就いた二条天皇を支える『親政派』、
もうひとつは、信西入道らによる後白河『上皇派』であります。

信西の、半ば強引たる政治手法は
親政派の反感を強めるばかりであります。

しかし、「面白うないのう」が専らの口癖であった
上皇派の一人である中納言藤原信頼は
上皇から過剰なほどの寵愛を受けており、
それをいいことに「近衛大将」の職を欲しがるわけですが、

朝廷の秩序を揺るがす、と信西は大反対です。
「際立った働きもないお方にやすやすと与えられる官職にあらず!」

それでも「何とかせい」と言う上皇に、
信西は白楽天の詩が書かれた絵巻物を届けます。

白楽天──。
唐の玄宗皇帝は、美しい楊貴妃にのめりこみ
そのスキに家臣・安禄山が国を攻め滅ぼした、というお話です。

つまり、寵愛する中納言信頼に対するあさましいほどの寵愛は
いずれ国を滅ぼしかねないと忠告するわけです。

ダイレクトに忠告すればいいのですが、
上皇は、直接的に言っても分かってはもらえません。
詩歌にすさまじい興味を示す上皇には、
こういったやり方で分かってもらうしかなさそうです。

とはいえ、絵巻物を手に取った上皇は
それはそれは大喜びでありまして、
残念ながら信西の諫言は伝わらなかったようです(^ ^;;)


左馬頭という役目の義朝は、
朝廷が持つ馬の管理をするおしごとでありまして、
清盛に比べればそれほど位は高くはありません。

半ば放心状態の義朝に、清盛は近づいていきます。
「奥方の病、篤いと聞く」

清盛はそれとなく、義朝の友として
宋の薬を調達すべく一肌脱ごうとしますが、
義朝はそれを断ります。

平氏は、武力財力を信西に提供する代わりに
信西から知恵を与えてもらっています。
それは、義朝に言わせれば武士のやることではないわけですが、

義朝の理想である「のしあがり」が通用しないことは
保元の乱ですでに明白であるはずです。

力なくとぼとぼと鞍の前に赴き、自らゴシゴシと磨き始めます。
義朝に、かつてのパワーは微塵にも感じられず、
少し自分を追い込みすぎているのかもしれません。


上西門院統子の「殿上始の儀」で、
頼朝は清盛に献杯することになりました。

「おお、親殺しの……」
「落ちぶれた源氏の子が、平氏の棟梁に……」
などと、公卿たちから心ない言葉がささやかれます。

初めて見る清盛の姿。

そんな清盛に見とれてしまって
清盛の杯に酒をあふれさせた失態をしでかした頼朝は
冷めた目で見つめる清盛に怒鳴られます。
「やはり最も強き武士は、平氏じゃ!」

そんな言葉を浴びせられて、
目に涙をいっぱいにためた頼朝は清盛を睨みつけますが、
なぜか清盛は穏やかに微笑んでいます。

「由良、しっかりせえ!」
頼朝が館に帰ると、奥から父の叫び声が。
頼朝は、慌てて母の元にかけつけます。

薬師によると、さんざん手は尽くしたそうで
あとは神仏のご加護にすがるより他はないそうです。

義朝は、六波羅にいる清盛に会い、
宋の薬を都合してもらおうとしますが、
病に苦しみながら、由良がそれを止めます。
「平氏に頭など……下げてはなりませぬ」

自分のことで、志を曲げてほしくはないのですが、
義朝にとっては、由良の命には変えられません。
そんな義朝の心を知って、うれしや、と由良は微笑みます。

由良御前は、それから昏睡状態に陥り
3月1日、ついにこの世を去りました。


「図に乗りおって、宋かぶれの学者上がりが!」
信頼は藤原成親と密談を交わしています。
その話の対象は……そう、信西のことです。

仕える相手は違うても、倒す相手は同じ──。
信頼は、親政派の経宗や惟方を自邸に呼び寄せ
話に加わらせます。


その信西ですが、
貧しい民百姓らに米を分け与えておりまして、
その御礼を言う行列がずらりと続くほどであります。

それでも「果たすべき務めを果たしておるまで」と
民百姓らに微笑みかける信西。
その後ろ姿をじっと眺めていた清盛は、
ひどく感銘を受けます。

前妻の明子を失ったとき、宋の薬を入手できぬ仕組みを恨み、
それをしようともしない朝廷を恨みました。
でも、信西という人物は、それを成してしまうかもしれません。

「オレは、信西殿に賭けるぞ」
現在の妻・時子に宣言します。


由良の死に過分の心遣いをいただいた、と
義朝は信頼に御礼を述べます。

源氏の働きからすれば当然のことだと信頼は言ってくれますが、
その根底には、信西が平氏ばかりをひいきして
源氏に煮え湯を飲ませているからだと言い出します。

そこで信頼は義朝に、起死回生を狙えとけしかけます。
信西の首を取れば、官位も領地も思いのままだ、と。
しかし義朝は、それはできないと慌てて出て行ってしまいます。

それ以来、義朝は悶々とした日日を過ごしています。

清盛とはどんな人物か、と頼朝に尋ねられ
義朝は、清盛との出会いを回想します。

強引に比べ馬に誘いだし、清盛を負かせたわけですが
勝負に負けて悔しがる清盛に対して、
義朝は、良き競争相手が見つかったと
そして清盛が立ち上がってくれたことが嬉しかったようです。

最も強き武士は源氏じゃ、と清盛に言い放ったその言葉こそ、
清盛が頼朝に浴びせた言葉でありまして、
頼朝はようやく、「殿上始の儀」で
清盛が微笑んでいた理由が分かったわけです。

義朝は決断します。


平 清盛なくして源 義朝はなく、
源 義朝なくして、平 清盛はなかった──。

遣唐使(遣宋使?)を復活させ
宋へ渡る算段がついたと喜ぶ信西の命で
12月4日、清盛は
その大願成就のために熊野詣でへ旅立つことにします。


9日、清盛一行が紀伊国田辺に到着したころ、
義朝が信頼ら反信西派の面々の前に姿を現しました。

夜遅くまで、金に見立てた棒を床にたくさん並べて
いろいろ計算する信西ですが、
その棒が小刻みに、そして一斉に揺れ始めます。

……!!

遠くを見て、何かに脅える信西です。

──────────

保元4(1159)年3月1日、
源 義朝の正室・由良御前が死去。

治承4(1180)年8月17日、
源 頼朝が挙兵して平氏に反旗を翻すまで


あと21年5ヶ月──。


作:藤本 有紀
音楽:吉松 隆
題字:金澤 翔子
──────────
松山 ケンイチ (平 清盛)
玉木 宏 (源 義朝)
松田 翔太 (後白河上皇)
深田 恭子 (時子)
窪田 正孝 (平 重盛)
中井 貴一 (平 忠盛(回想))
小日向 文世 (源 為義(回想))
※ 中井・小日向:ピンクレジットなし
──────────
田中 麗奈 (由良御前)
阿部 サダヲ (信西)
吉沢 悠 (藤原成親)
塚地 武雅 (藤原信頼)
武井 咲 (常盤御前)
岡田 将生 (源 頼朝・語り)
──────────
上川 隆也 (平 盛国)
中村 梅雀 (平 家貞)
──────────
制作統括:磯 智明
    :落合 将
プロデューサー:櫻井 壮一
演出:柴田 岳志


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『平 清盛』
第26回「平治の乱」

デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜

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