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Kassy号〜♪の車窓から 2011

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2012年7月15日 (日)

(28)友の子、友の妻 〜平治の乱終結! 義朝、常盤の運命は〜

平治元(1159)年12月、
怒濤の一年も暮れようとしております。

軍勢のほとんどを失った源 義朝は、
長男義平、次男朝長、そして三男頼朝とともに
東国へと落ちていきます。

しかし、義朝が大切に持っていた『髭切』の太刀が
父の手元にないことに気づいた頼朝は、それを探すわけですが
夜明け前の薄暗い山中で、父たち一行とはぐれてしまいました。


そのころ、今回の謀反の首謀者である藤原信頼は
絶大な信頼を寄せてくれていた後白河上皇を頼って
やっとの思いで仁和寺にたどり着きます。

上皇は、信頼に膳を用意させるなど
相変わらずのもてなしですが、
そこへ平氏の軍勢が踏み込んで
謀反人信頼と藤原成親をまたたく間に逮捕。

ふたりは、清盛邸に連行されます。
乱の首謀者への処分は、清盛に一任されていたわけです。

成親は、長男・平 重盛の義兄であるために
「今度ばかりは許しましょう」と清盛は寛大に接しますが、
次にこのようなことが発覚した場合は、たとえ身内であっても
厳しく処断すると釘を刺しておきます。

一方、清盛は信頼に、六条河原での斬首を命じます。

お助けくださりませ! いかなる償いも致します!
そうわめき散らす信頼を、清盛は一瞥。

帝と上皇を幽閉して都を戦火にさらし、
新しい世を作り上げようとした信西入道の命を奪い
信西に代わって頂点に立つために謀反を起こした
信頼の罪はあまりに大きいわけです。

今まで、朝廷の番犬に過ぎなかった武士が
公卿に対しても武士の裁断で処分ができるほどに
武士は力を持つようになっていったわけです。
数年前には考えられなかったことです。

失意の信頼は、そのまま連行されて行きますが、
清盛の彼を見る目つきは、今までのそれとは違っています。
その表情のまま、清盛は家臣に命じます。
「義朝一党の行方を追え!」


美濃青墓──。

京から美濃までようやく落ちてきましたが、
深手の傷を負っている朝長は
自分が逃亡の足手まといになることは本意ではないと
義朝の手で命を絶ちます。

そして義平は、東国を目指す義朝と別れて
北国へ向かうことにします。

東国には義朝に味方する武士たちも多く
いずれ勢力を回復して上洛できるかもしれません。
そのころには、義平は北国から駆けつけ、
ともに平氏を滅亡させられるでしょう。

ただ、追われる立場の今、一緒にいては
仮に捕まってしまえば再起の可能性もゼロに等しく、
その分散の意味があったのかもしれません。

しかし、義平もやがて平氏に捕えられ斬首となりました。


年が明けて平治2(1160)年1月。
逃避行を続ける義朝と鎌田正清は、
正清の舅である長田忠致を頼って尾張へ入ります。

「まずはごゆるりと」
出迎える忠致に安心しきりの正清ですが、
義朝は忠致が欺いていることを何となく悟ります。

いずれ刺客たちに囲まれることも、
義朝は覚悟していたのかもしれません。
忠致の館で刺客たちと存分に斬り結んだ後、
義朝と正清は刺し違えます。

雪が静かに降る日のことでした。


義朝・正清主従の自害は、時を置かずして清盛の耳に届きます。
ついに源氏が! と郎党たちが盛り上がる中で、
眉毛一つ動かさない無表情の清盛です。
「右兵衛佐はどうなった」

この戦いは、義朝を滅ぼすための戦でありましたが
その子頼朝をも処分しなければ終わりとは言えません。
すぐさま、頼朝の追討が始まります。


ちと話は脱線しますが、前の戦いで義朝を倒し
清盛率いる氏が政をめることになったので
「平治の乱」と言うのかと思っていたら、
そうではなかったんですね。

この時の元号が「平治」だったゆえなんですけど、
それはその前の戦い「保元の乱」でも同じことです。

もし「平治の乱」で平氏が源氏に敗れていたとしたら
“平治なのに”と言う輩が一人ぐらいいそうですけど(^ ^)

脱線失礼……。

その「平治」改め、永暦元(1160)年2月。

闇に隠れて休んでいた頼朝は、
右兵衛尉宗清についに捕らえられ
清盛の前に連行されます。

心身ともに傷つきボロボロの頼朝に、清盛は
義朝や義平・朝長ら源氏の最期を語り聞かせます。
今の頼朝少年にとっては、この最期の話は聞いていられない
とてもとても酷い仕打ちかもしれません。

しかし、清盛はハッキリと言います。
「新しき国づくりを邪魔立てする者は許さぬ。
 たとえそれが、友の子であっても──」


幽閉された頼朝は、ヒノキと小刀を所望して
卒塔婆をせっせと作っています。
源氏の棟梁の子どもとして、命のあるうちに
父母や兄弟の菩提を弔いたいと考えているわけです。

そこへ、宗盛がお忍びで訪問。

彼にとって初陣であった前の戦で
頼朝に矢を射かけられて輿を抜かしてしまったこともあり、
それに対して非難の言葉を浴びせるのですが、
頼朝にとっても初陣であったことを知り、
ますます怒りが増大してしまいます。

見かねた池禅尼は宗盛をたしなめます。

自分の置かれた状況を正確に把握し、
その運命を潔く受け入れようとする頼朝。
その頼朝に、亡き家盛の姿が重なった池禅尼は
清盛になんと助命嘆願を申し出ます。

その時の感情に流されてはならない、と
清盛は聞く耳を持ちませんが、池禅尼は それならばと
ハンガーストライキに入ってしまいます(^ ^;;)

友の子の命を奪いたくないと心のどこかで思っている清盛に
助け舟を出すべく考えついた行動でありまして、
頼朝を助ける理由を見つけた清盛は、
頼朝を伊豆に配流という命を下します。


義朝の側室・常盤御前は、生まれたばかりの牛若丸を抱き
今若丸・乙若丸とともに鬼若の世話になっておりました。

そんな常盤御前は、そのまま六波羅の
清盛の元に出頭すると言い出すわけです。
運命を受け入れるというのは、
何も頼朝だけのお話ではなさそうです。

出頭すると言っても、逃亡を諦めたわけではなく
3人の子らの命を助けるためであります。
鬼若は断固反対を唱えますが、
ここは常盤御前の大ばくちです。

後に清盛は常盤を訪ね、友の妻である彼女に
幼い子らを守るためにも生きるようにと命じますが、
「私は、源義朝の妻にござります」

う〜ん、何か起きそうな予感(笑)。


さて、伊豆に向かった頼朝を追っかけてくる若者がひとり。
安達藤九郎盛長です。
この時こそ呆気にとられる頼朝でありましたが、
生涯を頼朝に尽くすことになる、そんな彼との出会いでした。

──────────

平治2(1160)年1月3日、
長田忠致が恩賞欲しさに
源 義朝と鎌田正清主従をだまし討ちにする(野間の変)。

治承4(1180)年8月17日、
源 頼朝が挙兵して平氏に反旗を翻すまで


あと20年7ヶ月──。


作:藤本 有紀
音楽:吉松 隆
題字:金澤 翔子
──────────
松山 ケンイチ (平 清盛)
玉木 宏 (源 義朝)
松田 翔太 (後白河上皇)
深田 恭子 (時子)
森田 剛 (平 時忠)
藤本 隆宏 (伊藤忠清)
窪田 正孝 (平 重盛) ※ ピンクレジットなし
──────────
武井 咲 (常盤御前)
塚本 高史 (藤九郎)
吉沢 悠 (藤原成親)
塚地 武雅 (藤原信頼)
青木 崇高 (鬼若)
岡田 将生 (源 頼朝・語り)
──────────
和久井 映見 (池禅尼)
上川 隆也 (平 盛国)
中村 梅雀 (平 家貞)
──────────
制作統括:磯 智明
    :落合 将
プロデューサー:櫻井 壮一
演出:柴田 岳志


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『平 清盛』
第29回「滋子の婚礼」

デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜

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