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2012年7月29日 (日)

(30)平家納経 〜怨霊を鎮めよ! 進め嵐の厳島へ 第二部完〜

まずは、崇徳上皇について簡単におさらいを。

「保元の乱」で勝ち、
それに続く「平治の乱」でも勝ちを収めた平 清盛は
武士でありながらも公卿という高い位に座ることができますが、
逆に、乱で敗北した者の運命は、実に辛いものであります。

その“敗北した者”というのが崇徳上皇でありまして、
その罪を問われ、わずかに付き従う者たちとともに
讃岐国へ流されます。

そもそも崇徳上皇は
白河法皇と待賢門院璋子の“不義の子”ということもあり、
(義)父・鳥羽天皇から“叔父子”と蔑まれていて、
朝廷内から騙され、裏切られ、軽んじられていました。

「なんと思うままにならぬ……我が一生よ!」

今回は、讃岐に流されて
世の人々からも忘れられようとしている
崇徳上皇のおはなしです。

ちなみに「上皇」とは譲位した元天皇に贈る尊称でして、
その「上皇」が出家すると「法皇」となります。

崇徳上皇は、ドラマ上では仁和寺にて髪を下ろして
出家しているはずですが、尊称はなぜか上皇のまま。
よってこの時代には、崇徳院と後白河院の「上皇」が
ふたり存することになります。

いつしかと
 萩の葉向けの かたよりに
  そそや秋とぞ 風も聞ゆる

(いつの間にか萩の葉の向きが一方に片寄るようになり
「ほらほらもう秋だよ」と風の音も
そう言っているように聞こえる)

余韻に浸る崇徳上皇に
「上皇さん」とにこやかに近づく男がおります。

罪人とはいえ元天皇なのよ、
直接会話などできる相手ではないのよと
ついつい耳打ちしたくなりますが、
崇徳上皇がそれを気にしていないのだから、
まぁ良しとしましょう(笑)。

持ち込んだ野菜などで夕餉を作るという男に
柔和な表情で「おぉおぉ、それは楽しみじゃ」と上皇。
政治一切のことを忘れて、心穏やかに生きているせいか
民衆との距離感は、確実に縮まっているようにも思えます。


一方、崇徳上皇の弟で
もうひとりの「上皇」である後白河上皇ですが、
ちりちりパーマの滋子との間に憲仁親王をもうけ
幸せの絶頂期におります。

滋子の兄・平 時忠は、その憲仁親王を次の帝にしようと画策。
清盛の弟・教盛と清盛次男・基盛を巻き込もうとします。
後白河上皇のお側近くにいる藤原成親の妹は
清盛長男・平 重盛の妻の経子であり、
まずはその縁を頼ってみることにします。

「上皇の近臣・成親に憲仁親王の立太子を持ちかけたと聞く」
時忠のたくらみは、またたく間に二条天皇の耳に入りご立腹。
出仕した清盛は天皇に叱責を受けてしまいます。

それはそうですよね。
自分の与り知らぬところで、次の天皇の話をされるということは
自分が譲位を迫られる可能性も否定できないわけで、
決して気分のいいものではありません。

それは、過去に鳥羽天皇も崇徳天皇も経験して
譲位してもなお実権を握ろうとする画策から
戦に発展したことからも分かることであります。

清盛は、天皇への揺るぎない忠節を誓って
頭を下げることしかできませんでした。
館に戻った清盛は、天皇の信頼を再び得るために
この件に関わった時忠・基盛・教盛に官職の返上を命じます。


浜千鳥
 跡は都へ かよへども
  身は松山に 音をのみぞなく

(浜千鳥の足跡ならぬ書き跡は都へ通うけれども
我が身は松山で千鳥のように ただむせび泣いてばかりいる)

なぜ無謀にも保元の乱を起こしてしまったのか。

それを自省する意味を込めて写経した崇徳上皇は、
弟・後白河上皇にそれを送ります。

しかし、その保元の乱の勝者である後白河上皇が
素直に受け取ろうはずもありません。
呪詛でもしているのか? と気味悪がっています。
後白河上皇の膝の上に乗っている憲仁親王は、
目の前にある写経をバシバシ叩き、破ってしまいます。

破られ、受け取りを拒否されたその写経が
崇徳上皇の元に戻ってきました。

あまりの仕打ちに言葉を失い、失意のどん底にいる崇徳上皇を
さらに奈落の底に突き落とす訃報が飛び込んできました。
亡くなったのは、崇徳上皇の皇子・重仁親王です。

怒り狂って舌を噛み切り、
崇徳上皇は生霊と化してしまいます。


一度は清盛の大きなカミナリを落とされた基盛でしたが、
父から子への励ましの言葉を受け取り、
今まで以上に仕事に精を出すようになっています。

財を投げ打って紫宸殿を造営する基盛は
一大法要の手配に高野山に参ることにします。

その基盛ですが、六波羅へ無言の帰宅です。
高野山へ向かった基盛が、
宇治川を渡る最中に落馬で溺死したそうです。

後日、読経を上げた西行は
言うべきか迷ったが、と断った上で
とんでもないことを言い出します。

怨念の固まりのようなものが
讃岐の方角から空を飛んでいくのを見たと、
讃岐の院の怨念であったのではないか、と。

平家は次々に出世していますが、
それは道半ばにして散っていった者たちの
志も背負っていくことであり、
敗者の無念や怨念もともに背負うことであります。


藤原摂関家の長・藤原忠通が息子の基実を伴って
六波羅の清盛屋敷にやって来ました。

腐っても鯛、腐っても摂関家、ということで
清盛は二人より下座に座って対応しますが、
忠通は上座から下り、清盛に手をつきます。

基実をそなたの娘婿にしてはくれまいか──。

さんざん蔑んできた武士に頭を下げる。
武家の力を頼みにせねば生き残れない。
父・忠実や弟・頼長が聞いたら、どんなに嘆くことでしょう。
しかし今はこうするより他に、摂関家の生き残る道はなさそうです。

こうして守っていくことが私の誇りだ。
そう清盛に語っていた忠通は
長寛2(1164)年2月19日、世を去ります。


「安芸の厳島の社に、経典を奉納する」
大広間に皆を集めた清盛は、そう宣言します。

平家一門の繁栄を望んでのことではありますが、
その繁栄は、多くの犠牲の上に成り立つものでもあり
無念にも命を落とした者たちの冥福を祈りたいわけです。

観音菩薩が三十三身に姿を変えて人々を救済することにちなみ
経典は三十三巻を一揃えとし、
一門の者は、それぞれ一巻ずつ書写します。

可能な限りきらびやかに格調も高くしつらえ、
古今東西に類を見ないほどの、
平家ならではの経典を作り上げます。

そしてその経典を奉納するために厳島へ向かう途中、
時忠は検非違使庁によって逮捕。
二条帝呪詛の嫌疑がかけられたためで、出雲へ流罪となります。

「これもきっと讃岐の院のしわざ……」と時忠はつぶやきますが、
義弟とはいえ、清盛はもはや取り合ってくれません。
さっさと出雲へ行け、とでも言いたげな感じです。


さて、いよいよ安芸へ向かうわけですが、
またも崇徳上皇の怨念の仕業か
さきほどまで落ち着いていた海が大荒れに荒れ、
進むも引くも困難な状況に陥ります。

自分たちの命を守るために、
そして崇徳上皇の怨念を鎮めるためにも
経典を海に沈めようという提案もなされますが、
清盛はそれだけは死守し、皆に叱咤。

同乗していた西行は必死に念仏を唱え
兎丸一派や、元漁師の平 盛国(鱸丸)の力も結集し
なんとか厳島へ向かいます。


夜明けを迎え──。

崇徳上皇は、朝日を浴びながら息を引き取ります。

何一つ思うままにならぬ一生でしたが、
その表情は、自らの意思で何かを成し遂げた
ある種“達成感”に満ち満ちた表情でもありました。

そして同じころ、厳島に着いた一行は無事に経典を奉納。

清盛は、これまたとんでもないことを言い出します。
「博多を、都の隣に持ってくるぞ!」

……えっ!? と一同はポカーンとしてますが(^ ^;;)

──────────

応保2(1162)年1月28日、
重仁親王が足の病により薨去。享年23。

治承4(1180)年8月17日、
源 頼朝が挙兵して平氏に反旗を翻すまで


あと18年6ヶ月──。


作:藤本 有紀
音楽:吉松 隆
題字:金澤 翔子
──────────
松山 ケンイチ (平 清盛)
松田 翔太 (後白河上皇)
藤木 直人 (西行)
深田 恭子 (時子)
森田 剛 (平 時忠)
成海 璃子 (滋子)
藤本 隆宏 (伊藤忠清)
田口 浩正 (平 貞能)
窪田 正孝 (平 重盛) ※ ピンクレジットなし
──────────
井浦 新 (崇徳上皇)
堀部 圭亮 (藤原忠通)
吉沢 悠 (藤原成親)
加藤 浩次 (兎丸)
温水 洋一 (佐伯景弘)
岡田 将生 (源 頼朝・語り)
──────────
和久井 映見 (池禅尼)
上川 隆也 (平 盛国)
──────────
制作統括:磯 智明
    :落合 将
プロデューサー:櫻井 壮一
演出:中島 由貴


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『平 清盛』
第31回「伊豆の流人」

デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜

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