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2012年8月 5日 (日)

(31)伊豆の流人 〜栄華を極める清盛 挑む頼朝! 新章へ〜

一心に写経をしているひとりの若者。
──成長した、18歳の源 頼朝であります。

時は1164年。

父・源 義朝に従って平治の乱を戦い抜き
夢破れて永暦元(1160)年2月に捕らえられたものの、
池禅尼によるハンガーストライキが功を奏して
死罪のところを伊豆に配流となって、5年。

頼朝は、蛭ヶ小島(ひるがこじま)で慎ましく暮らしています。

家人の藤九郎は、塞ぎがちの頼朝を楽しませようと
大漁だ大漁だと大騒ぎをしてわざと明るく振る舞います。

そして地元・伊豆の豪族であり頼朝の監視役である伊東祐親は
気分転換に魚取りに出かけては? と頼朝を気遣いますが、
その気遣い方が藤九郎の癪に障るようで、気に入りません。

まぁ、頼朝自身も、
己が流人であるということは忘れていないので
毎日毎日写経をして過ごすことが相応だと理解しています。


このころの政治の実権者は二条天皇であります。
父である後白河上皇は、父でありながら政治に関われないという
ちと苦しい立場に追いやられておりました。

“あのような者が国の頂に立ち、政を行っておるなど許し難い!”
と上皇はかんしゃくを起こしますが、それは恐らく
天皇も上皇に対してそう思っているに相違なく(笑)。
だからこそ、上皇を政治に参加させたくないわけです。

今の某政党のようにw

11月14日、その二条天皇に
待望の皇子・順仁親王(のぶひと)が誕生します。

天皇の座を継ぐ者として、
滋子との間に生まれた皇子・憲仁親王を
世継ぎにしようと考えていた上皇の思惑は頓挫。

このままでは、さらに復権は望めない立場になりそうです。
何かにすがるように、上皇は仏道に帰依するようになり
千体の千手観音を作らせたそうです。
それらを納めるお堂は、清盛が財力で献上します。

『蓮華王院』
三十三間堂のことです。

それはそれは華麗なもので、上皇は狂喜乱舞。
一度、天皇にご覧いただけば、上皇自身の力の大きさに
ひれ伏すに違いないと信じて疑いません。


伊豆・伊東祐親の館──。

内裏の警固役として上洛することになりました。
「都近くの武者どもで持ち回ればいいものを」と
言っているところを見ると、
この役目にそこまで乗り気ではなさそうです。

主不在の間でも、
頼朝監視の件は清盛からの命でもあり、
くれぐれも監視を怠らぬようにと命じておきます。

その頼朝のところには、
北条時政が自らが作った野菜を届けて
目くじら立てられない程度に親交を深めています。

時政とは、後に頼朝と
浅からぬ縁を持つことになるわけですが、
現時点では伊豆の一豪族にすぎませんでした。

祐親の娘・八重姫に、
京の作法の手ほどきを受けさせようと
家臣の伊三郎が頼朝の元を訪ねます。

母・由良御前の形見である“笙”を奏でていたところで
八重姫とバッタリ!
カミナリに打たれたかのように、お互い微動だにせず
見つめ合ったままです。


内裏の警護役として祐親の挨拶を受けているとき、
清盛は急報を受け取ります。
二条天皇がにわかの病に倒れたのだそうです。

二条天皇は息子の順仁親王に譲位するつもりで、
清盛にその準備に当たらせます。
でなければ、後白河上皇に政をさせることになるわけで、
二条天皇としては、それだけは阻止したいようです。

7月7日、乳飲み子の順仁親王が六条天皇として即位。
そのわずか20日あまり後、二条帝は23歳で崩御します。


その弔問に、清盛・重盛父子はじめ公卿たちが訪れているときに
千人もの僧たちが鐘や太鼓を打ち鳴らし、上皇が現れます。
上皇としては、蓮華王院に来なかった二条天皇を弔いたいわけですが、
あまりのガヤガヤに清盛はそれをやめさせます。

私はここにいる、と存在をアピールする上皇に
まるで赤子のようだと清盛は酷評します。
「赤子に政を任せるわけには参りませぬ!」

清盛の言われるまま、上皇はすごすごと帰っていきます。

のちに、この一件がきっかけで
清盛は大納言に昇進することができました。
しかし大納言昇進に喜ぶ間もなく、
池禅尼宗子が危篤に陥り世を儚みます。

祐親は、一連の清盛の行動を見て
平家に対して何か粗相をすれば
ひとたまりもないと震え上がります。

しかし、そのころ
八重姫は頼朝と懇ろな中になっておりました。

──────────

今回の『清盛紀行』も、我が地元が登場しましたので
記念に書き起こしておきたいと思います。
(映像を見ながら書き起こしたので、実際の脚本とは内容が異なります)


   福岡市早良区街を上空から見下ろす。
   スーパー
   ──「清盛紀行」 福岡県 福岡市──

 N 「博多は、古くより……」

   現在の博多港・ベイサイドプレイスあたり。
   志賀島方面ゆきのフェリーが出航してゆく。

 N 「……国際交流の玄関口として栄えてきました」

   旧平和台球場の一角に公園として整備された鴻臚館跡。
   緑一色の公園には、数人の観光客の姿も見える。
   スーパー
   ──鴻臚館(こうろかん)跡──

 N 「鴻臚館は、外国使節を迎える迎賓館として中国を中心とする交易の拠点でした」

   「川端通り」交差点。

 N 「清盛は、日宋貿易を活発にするために……」

   福岡市中心部を走る那珂川。
   それにかかる橋を、一般車のみならず幾多の歩行者も渡っていく。

 N 「……博多にあった港を修築したと言われています」

   スーパー
   ──[袖の湊](そでのみなと)──

 N 「「袖の湊」と呼ばれたその港は……」

   袖の湊が描かれた絵巻を重ねる。
   スーパー
   ──「博多古図」(住吉神社 蔵)──

 N 「……清盛に更なる財力をもたらします」

   荘厳そうな門構えの櫛田神社。
   スーパー
   ──櫛田神社──

 N 「櫛田神社の辺りには、清盛が貿易で得た品を保管する蔵があったと伝わります」

   櫛田神社の内部。

   のちに博多どんたくの模様。
   隊列にきれいに並び、一糸乱れぬ姿で舞う。
   スーパー
   ──博多どんたく 2012年5月撮影──

 N 「博多どんたくは、松囃子と呼ばれる芸事をその期限とする伝統行事です」

   那珂川にかかる橋の上で、どんたくを観覧する人たち。
   幾多の提灯がぶら下げられ、祭りムード一色である。
   アップからロングへズームを引いていく。

 N 「一説には、平家のもたらした恩恵に感謝を示すために始まったとも言われています」

   山頂から見下ろす福岡市内。

 N 「平家によって博多は、より一層の繁栄を極めていったのです」

   スーパー
   ──「櫛田神社」
     福岡市地下鉄「博多」より「中洲川端」下車 徒歩10分──

語 り:井上 あさひ アナウンサー
指 揮:藤岡 幸夫
演 奏:東京フィルハーモニー交響楽団
ソプラノ:市原 愛

大河ドラマ『平 清盛』 次回「百日の太政大臣」
8月12日の放送は休止となります。
次回は8月19日の放送です。

パソコン http://www.nhk.or.jp/kiyomori/
携 帯  メニュー → TV → NHK → 50音順 → 大河ドラマ

製作・著作┃NHK


永万元(1165)年7月28日、
前年に生まれた実子・順仁親王に譲位し、
二条天皇は押小路東洞院で崩御。

治承4(1180)年8月17日、
源 頼朝が挙兵して平氏に反旗を翻すまで


あと15年──。


作:藤本 有紀
音楽:吉松 隆
題字:金澤 翔子
──────────
松山 ケンイチ (平 清盛)
松田 翔太 (後白河上皇)
深田 恭子 (時子)
成海 璃子 (滋子)
藤本 隆宏 (伊藤忠清)
田口 浩正 (平 貞能)
窪田 正孝 (平 重盛)
玉木 宏 (源 義朝 (回想))
田中 麗奈 (由良御前(回想))
三上 博史 (鳥羽法皇(回想))
井浦 新 (崇徳上皇(回想))
豊原 功補 (平 忠正(回想))
※ 窪田〜豊原:ピンクレジットなし
──────────
岡田 将生 (源 頼朝)
塚本 高史 (藤九郎)
福田 沙紀 (八重姫)
吉沢 悠 (藤原成親)
加藤 浩次 (兎丸)
細川 茂樹 (藤原基房)
──────────
遠藤 憲一 (北条時政)
峰 竜太 (伊東祐親)
和久井 映見 (池禅尼)
上川 隆也 (平 盛国)
──────────
制作統括:磯 智明
    :落合 将
プロデューサー:櫻井 壮一
演出:柴田 岳志


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『平 清盛』
第32回「百日の太政大臣」

ロンドンオリンピック開催による放送のため
8月12日(日)・18日(土=再放送)は休止となります。
第32回放送は再来週・19日(日)です。

デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜

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