« 見積もり | トップページ | プレイバック義経・(33)弁慶走る »

2012年8月19日 (日)

大河ドラマ平 清盛・(32)百日の太政大臣

交易を要とした国づくりへ。

「この国の頂に立ち、
この国を動かせるだけの強き力が欲しいのじゃ」
平 清盛は、朝廷での力を着実に増していきます。

朝廷との結びつきを強めるために
義妹・滋子と後白河上皇の婚礼を認め、
娘・盛子を藤原基実の妻としますが、
それをよしとしない者たちも存在しました。

「武士とて夢くらいは見たいであろう」
と不適な笑みを浮かべる左大臣・藤原基房。
その言葉に目を細める内大臣・藤原兼実。

頂を目指す清盛に立ちはだかる壁──。

しかし、伊豆に流罪となって
毎日変わらぬ、鬱々とした日日を送っている源 頼朝にとっては
そんな今日の出来事など、全てが幻のようにも思えます。

永万元(1165)年・内裏清涼殿──。

清盛はついに『大納言』に昇ります。
藤原摂関家の長であった藤原忠通の子で、娘・盛子の夫でもある
摂政・基実の後ろ盾によるものですが、
無論、武士としては初めての位であります。

ついでに、出雲に流罪となっていた
(前の右少弁)平 時忠は放免となります。

「大納言清盛、帝の御ン為、一心に働く所存」と
帝に手をついて出世の御礼を申し述べますが、
六条天皇はまだまだ赤ん坊で(^ ^;;)

ともかく、摂関家をはじめとする公卿たちにとって
前例のないこと、前代未聞のことは一番に嫌うことでして、
清盛が大納言に昇りつめた反発を一心に食らい
清盛が大輪田泊の改修の件を公卿たちに諮ろうとしても
全くもって聞く耳を持ってくれません。

が、清盛は大して堪えていない様子です。

御所でかつて信西入道に仕えていた藤原師光は
出家して西光と名乗っておりましたが、
信西の妻・朝子に是非にと請われて
上皇の近臣として仕えることになりました。

その西光は、清盛のことを信用してはおりません。
信西を討った源 義朝の嫡男・頼朝を
“きっと死罪にする”と約束しておきながら
流罪で止めたからです。


伊豆・蛭ヶ小島の頼朝ですが、
頼朝の目付役である伊東祐親の娘・八重姫は
頼朝と懇ろな仲になっておりました。

しかし、頼朝の元に通ううちに母親にバレてしまい
父親が目付役という立場上、
頼朝に会ってはならないとひどく叱られます。

罪人という立場で迂闊なことをした、と
頼朝は八重姫に手をついて詫びますが、
八重姫のお腹の中には、すでに頼朝の子が──。

迂闊すぎます(^ ^;;)


永万2(1166)年7月。
清盛の後ろ盾であった基実が急逝。

彼の弟である基房や兼実は、基実が武士に肩入れするから
心労がたたったのだとつぶやきます。
基実の後を継いだ、その基房は
摂政となり藤原摂関家の長となりました。

ただ、同じ忠通の子どもであっても
基実と基房は全く逆の考えを持つふたりでありまして、
基房は、俄に出世した平家に憎悪感を抱く人物です。

今まで通りに清盛が活動をしていくためには、
摂関家と対立せずに仲良くするのが筋道ですが
その解決策がなかなか見いだせません。

そんな時、藤原邦綱が清盛を訪ねてきました。
邦綱は長年摂関家に仕えてきた人物です。

亡くなった基実が所有していた所領(荘園)を
後家となった盛子が所有することにしては? と
いきなり提案してきたわけです。

藤原の氏長者の座は弟の基房に譲ったものの
藤原摂関家の嫡流は、基実の子・基通であります。
広大な荘園も、いずれは基通が受け継ぐものなわけです。

7歳である基通に荘園を託すのはなかなか難しく、
そうは言っても、その母にあたる盛子も11歳であるので、
盛子の父である清盛が、その荘園を一旦預かるという
大義名分にしたいのだそうです。

広大な荘園からは莫大な財が生まれるわけで、
清盛にとっても平家にとっても悪い話ではありません。
これはさすがの時忠も考えつかないアイデアであります。


11月11日、『内大臣』に昇った清盛は
藤原摂関家に対抗すべく、宮中行事の“五節の会”で
舞姫を献上するよう平 重盛と平 宗盛に指示。

しかし、内裏で催されたその“五節の会”当日
宗盛がやっとの思いで得た一の舞姫が、
兼実によって追い返されてしまいます。

一の舞姫とは舞の要であり、その舞姫が不在となれば
せっかく用意周到に進めてきた準備も
すべてが水泡に帰すわけです。

宗盛に助けを求められた盛国は……。


そうとは知らず、宴席で鑑賞する清盛に上皇は声をかけます。

基実の所領を平家が相続できたこと、さらなる清盛の出世など
すべてが上皇自身の策であることを明かしたわけです。
全てが己のつけてきた力であると信じていた清盛は
上皇の手のひらで躍らされていたことに気づきます。

清盛が次に昇るのは『太政大臣』、実権がない名誉職です。
そこに昇れば、政治の世界から引退したも同然で、
上皇は、清盛をそこに昇らせようと
……いや、追いつめようとしているわけです。

上皇と清盛が一触即発になったころ、
舞台上ではいなくなった舞姫の代わりが登場。
あまりの華やかさに清盛も上皇も目を見張ります。

その舞姫は、かつて白河法皇に愛された寵妃の祇園女御、
上皇にとっては今様の師・乙前であります。


仁安2(1167)年2月11日、
清盛はついに『太政大臣』に昇ります。

空席となった大納言の座には重盛が就きました。
それだけでなく、一門の者たちの位を上げられるだけ上げ
平家の権力を磐石なものにします。

そしてそのわずか3ヶ月後の5月11日、
清盛は太政大臣を辞任。
それでも清盛は満足げです。


千鶴丸と名付けられた頼朝と八重姫の子ですが、
すくすくと育っています。

そこに出仕から戻ってきた祐親に弁明する頼朝ですが、
「父上の孫ですよ」と言われて千鶴丸を抱かせられた祐親は
好々爺の表情ではなく、むしろ色を失った顔でした。

祐親は黙って外へ駆けていきます。

危険を感じた八重姫は後を追っていきますが、
千鶴丸の激しい泣き声が続いたかと思うと、
その泣き声も急にピタリと止まります。

直後、八重姫の絶叫が……。

──────────

仁安2(1167)年2月、平 清盛が太政大臣に昇るも
太政大臣は実権のない名誉職に過ぎず、わずか3ヶ月で辞任する。

治承4(1180)年8月17日、
源 頼朝が挙兵して平氏に反旗を翻すまで


あと13年6ヶ月──。


作:藤本 有紀
音楽:吉松 隆
題字:金澤 翔子
──────────
松山 ケンイチ (平 清盛)
松田 翔太 (後白河上皇)
深田 恭子 (時子)
森田 剛 (平 時忠)
成海 璃子 (滋子)
藤本 隆宏 (伊藤忠清)
田口 浩正 (平 貞能)
窪田 正孝 (平 重盛)
──────────
岡田 将生 (源 頼朝)
塚本 高史 (藤九郎)
福田 沙紀 (八重姫)
吉沢 悠 (藤原成親)
細川 茂樹 (藤原基房)
──────────
松田 聖子 (乙前)
遠藤 憲一 (北条時政)
峰 竜太 (伊東祐親)
上川 隆也 (平 盛国)
──────────
制作統括:磯 智明
    :落合 将
プロデューサー:櫻井 壮一
演出:渡辺 一貴


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『平 清盛』
第33回「清盛、五十の宴」

デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜

|

« 見積もり | トップページ | プレイバック義経・(33)弁慶走る »

NHK大河2012・平 清盛」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 見積もり | トップページ | プレイバック義経・(33)弁慶走る »