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2012年9月16日 (日)

(36)巨人の影 〜後白河法皇、誕生!〜

京・鞍馬寺──。

“遮那王”と呼ばれる若者が、熱心に修行に励んでいます。
その姿たるや見上げたものでありまして、
僧都(そうず)も感心しています。

遮那王……後の英雄・源 義経であります。

遡って仁安3(1168)年2月、
「年が明けたら修行をし、いずれ僧侶となるのじゃ」
という母・常盤御前のむごたらしい言葉にも
はい母上、と従順な姿勢を見せる牛若でしたが、

実際に寺に入って修行をしているのが今の姿です。

遮那王を見つめる僧都も、彼の本当の父・源 義朝について
または遮那王が父と慕う平 清盛が実は実父を討った敵であることを
知らせなくていいのかと迷う部分も多々ありますが、
常盤は、子を生きながらえさせるため、あえてそこには触れません。


嘉応元(1169)年3月20日、
清盛は後白河上皇を福原に招き、千僧供養を行います。

しかし、その中央で読経する比叡山延暦寺 天台座主の明雲と
清盛はお互いを敵と見なす間柄であったはずなのですが、
最近は二人が妙に親密な感じを受けまして、
上皇としてはあまり面白くありません。

しかも今回、上皇を福原に招待するために
莫大な金が動いているとあって、
上皇にとって清盛の企みが不気味です。

この一大行事が終わって安心したか、
清盛はよほどのことがない限り京には戻らないと宣言、
京のことは任せたと、平 重盛に棟梁の座を明け渡します。

ただ、重盛は清盛の前妻・明子の子でありまして
正室・時子の子ではありません。
一門を率いるにあたって、棟梁という立場が自分に務まるのかと
不安がっています。


4月12日、上皇の后・滋子は
院号宣下を受けて“建春門院”となりました。

そんな建春門院はまたたく間に力を持つようになり
彼女を慕って、人が絶えないわけですが、
上皇は6月17日、出家してしまいます。
後白河法皇の誕生です。

このときの戒師に選ばれたのは
これまでの帝や院の出家に際して戒師として指名されてきた
延暦寺ではなく、それと長く対立してきた園城寺でした。
法皇は比叡山に対してしっかり牽制をかけてきたわけです。

これに反発した延暦寺の明雲たちは
後白河法皇をおとしめる手だてを探っていました。

重盛の義兄・藤原成親が治める尾張国の目代(役人)に
藤原政友という人物がおりまして、
日吉(ひえ)の社に仕える神人(じんにん)たちと衝突、
死者を出すという不名誉な事件が起こってしまいます。

日吉の社を治めるのが比叡山でありまして、このことに憤慨。
成親と政友の処分を求めてきますが、
法皇は成親を擁護し、大して取り調べをせぬまま
事件を起こした神人3人を断罪し、禁獄に処します。
「山法師のいいがかりに屈してはならぬ」

例の如く、比叡山の僧たちは強訴に踏み切るわけですが、
通常として考えられるのは、断罪に処した法皇のいる
御所に向けて行われるはずでしたが、
僧たちが向かったのは、高倉天皇のいる内裏であります。

幼い帝の元へ参じるのは卑怯だ、
主張したいことがあればココ(法皇のいる御所)へ来い!
と主張する法皇と、
たとえ幼主であっても内裏に参って事の次第を天皇に訴え、
勅定を承るのが先例だとする比叡山の僧たち。

両者の主張は平行線をたどります。

重盛は成親を守るために出陣の準備を進めていましたが、
どんな結論であっても兵は動かすな、と清盛からの伝言です。

平家の力を強固なものにするため、
比叡山と事を構えるのだけはよろしくないわけで、
成親が、たとえ流罪されたとしても
後から救う手だてはいくらでもある、というのが
清盛の考えなのです。

その言いつけを守る重盛は、
「不埒な山法師どもを打ち払え!」と叫ぶ
法皇の命も断って、ついには動かず。

にっちもさっちも行かなくなった法皇は
政友を獄に下し、成親を備中国に流罪とします。
この結末に安堵した山法師たちは、
穏やかに比叡山に戻っていきます。

しかし──。

「検非違使別当時忠、そなたを解官する」
法皇は時忠の官を剥奪し、さらには出雲に流罪とします。
今回の事件で罰を受けるべきは成親ではなく、
いい加減な取り調べをした時忠だと言うわけです。

おまけに、備中に向かった成親を途中で呼び戻して
時忠が解官された検非違使別当の官を成親に任じたのです。

重盛としては、無実の罪を着せられた時忠のために
法皇を諌めたいところではありますが、
重盛の義兄・成親を守るためであるならば
やたらと諌めるわけにもいかず。

左右から腕を引っ張られた状態の重盛です。

「集められるだけの兵を六波羅に集めておけ」
清盛は福原で、重盛と頼盛に命じます。
ただし、兵は動かすなという但し書きつきです。

重盛は、父が何を考えているのか掴みかねていますが
清盛がそこまで動じていないところを見ると
何らかの策略があってのことなのでしょう。
清盛が何とかしてくれる、という甘えも生まれてきます。


「兄上、法皇様がおいでになりました!」
「兄上、摂政様と右大臣様が……!」
六波羅に突然の客です。

よもや比叡山に加担するつもりではあるまいな!? と
成親に問いつめられる重盛は
同様のあまり何も言葉が出て来ないわけですが、
そこへもうひとり、巨人の影が──清盛が、登場です。

「武家館に兵が集まり調練いたすは常日ごろのこと」
京に戻ったのも、今から比叡山に登山するつもりだからととぼける清盛に
法皇は地団駄を踏む思いだったかもしれません。
法皇は何も言わず、戻っていきます。

のちに『嘉応の強訴』といわれた一連の出来事は
天下に清盛が欠かせぬことを世に知らしめます。
が、裏を返せば、清盛という巨人がいなければ何もできない平家に
弱点があることも露呈させてしまったわけです。

法皇は、時忠に対する裁断を覆し、
成親は流罪こそ免れたものの官職を奪われてしまいます。
成親の平家への怨みは強く残ることになりました。

──────────

嘉応元(1169)年12月23日、
延暦寺の僧たちが藤原成親の配流を求めて強訴を起こす。

治承4(1180)年8月17日、
源 頼朝が挙兵して平氏に反旗を翻すまで


あと10年8ヶ月──。


作:藤本 有紀
音楽:吉松 隆
題字:金澤 翔子
──────────
松山 ケンイチ (平 清盛)
松田 翔太 (後白河法皇)
深田 恭子 (時子)
森田 剛 (平 時忠)
成海 璃子 (建春門院 滋子)
藤本 隆宏 (伊藤忠清)
田口 浩正 (平 貞能)
窪田 正孝 (平 重盛) ※ ピンクレジットなし
──────────
岡田 将生 (源 頼朝)
杏 (政子)
神木 隆之介 (遮那王)
武井 咲 (常盤御前)
加藤 浩次 (兎丸)
吉沢 悠 (藤原成親)
細川 茂樹 (藤原基房)
──────────
遠藤 憲一 (北条時政)
上川 隆也 (平 盛国)
──────────
制作統括:磯 智明
    :落合 将
プロデューサー:櫻井 壮一
演出:中島 由貴


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『平 清盛』
第37回「殿下乗合事件」

デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜

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