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2012年9月21日 (金)

プレイバック義経・(38)遠き鎌倉

御所には、源 義経が先日
吉田山の建礼門院を見舞ったことが
情報としてすでに入って来ております。

後白河法皇は、それとなく建礼門院の様子を聞き出しますが
義経の「穏やかにてお過ごし」との報告を受け、
とても安堵した様子です。

ただ、法皇にとって息子の嫁、孫天皇の母とはいえ
滅亡した平氏出身とあっては、
戦いに勝利した源氏からの沙汰が気になるところです。

法皇のお付き・平 知康は
源頼朝の存念を義経から聞き出そうとしますが、
どこかですれ違い・誤解が生じている今の義経には
兄の存念など分かろうはずもありません。

続いて義経は梶原景時の館に出頭し
建礼門院への見舞いの一件の事情聴取を景時から受けます。

景時が、建礼門院を“敵”とみなしているのに対して、
平家追討の院宣が下った当時は建礼門院は平氏内におらず
入内して安徳天皇の母であったことから、
義経は「敵ではない」との判断です。

面白くなさそうに、景時は「なるほど」とつぶやきます。

梶原館を出る際、見送りに来た景季は
館を訪ねたり、共に語り合ったりと
今までのように気安く接することはできなくなると
苦しい胸の内を吐露します。

頼朝の命ですので、それに背けば
梶原党も危険にさらされてしまうかもしれません。

「それがしの本意ではござらぬが」というのがやっとです。

平氏滅亡の戦功者であるはずの義経の元から、
ひとり、またひとりと仲間が去っていきます。


鎌倉・大倉御所には、頼朝の元に
義経からの弁明の起請文が届いていました。

頼朝は、あえて返答はせず
今後の義経の振る舞いを注視していくことにします。


その義経を、お徳が忍んで訪ねます。

頼朝との間に不和があることも
すでに情報を掴んでいるところですが、
義経にすれば頼朝に二心を抱いたことは毛頭なく
頼朝大事という気持ちは揺らいだこともありません。

それは、かつて牛若と呼ばれていた
義経の幼年時代から見知っているお徳なので、
義経がまっすぐな人間であることは
改めて言わなくても充分承知していますが、

義経を見る側、評価する側が、義経に対して
まっすぐな目を持っているかというのは、また別問題です。

お徳は、戦目付の景時の書状が鎌倉に届いていたことも話し、
「東国の武将をないがしろにした」だの
「事を諮らず独断に走った」だの書かれていたそうです。

義経には、初めて聞く話です。
もちろん義経にはそのつもりはさらさらないですが、
そうは受け取っていない人物がいるということも、
残念なことにこれまた事実なわけです。


頼朝の娘・大姫の、
亡くなった婚約相手である木曽義高の供養塔に
月命日には必ず花が手向けられておりまして、

「一体どなたなのでしょうね」と微笑みながら
北条政子はその供養塔に、
寝たきりで表情を失った大姫を連れ出します。

花を手向けにやって来た杢助と千鳥の父娘に
そこでばったり会ってしまうのですが、
事情を聞けば、戦のために京を出発する義経から
そう言いつかっていたのだとか。

そんな話をしているうちに、大姫は
供養塔をまぶしそうに見上げながらつぶやきます。
「九郎の叔父上に……お会いしたい」

大姫が口を開いたのは久しぶりのことです。
まして己の思いを話したのは、
義高の処刑以来初めてのことであります。
政子の心に、ある決意が芽生えました。

大姫の心を癒すためにも、政子は
義経に会わせたいと北条時政に相談しますが、
時政はあまりいい顔をしません。


捕らえた平 宗盛・清宗父子を鎌倉へ護送する役目を
誰にするのが適当かを法皇が義経に相談したところ、
義経が自ら志願して担うことになりました。

無断任官をした者は、墨俣川から東に
立ち入ることは未だ許されてはいませんが、
その対象者リストには、義経の名はなかったはずです。

見事に“抜け穴”から這い出たような形ですが、
頼朝と直接話ができる、唯一のチャンスです。

その「義経、京を発つ」知らせが鎌倉に届くと、
大姫のために義経を迎え入れたい政子の思惑と、
義経を鎌倉に入れることで御家人たちの足並みが
乱れてしまうことを危惧する大江広元との間で
頼朝は大いに悩みます。


ボーダーラインだった墨俣川を越えて
相模・酒匂川近くに到着した義経は、そこで
興福寺へ護送される途中の平 重衡と会います。

重衡は、一の谷の戦いで捕虜になり、
しばらくは頼朝の庇護を受けて伊豆に匿われていましたが、
かつての南都焼き討ちに対する興福寺からの再三の引き渡し要求で
重衡自ら興福寺行きを希望、護送される途上なのです。

宗盛との兄弟対面も久しぶりです。

重衡は、平氏の最期を宗盛から聞いて落涙しますが
南都に行くと、恐らくはそのまま斬首されてしまうでしょう。
宗盛とも今生の別れです。

義経は、宗盛・重衡兄弟の姿に
頼朝と自分の姿を重ねていたのかもしれません。

そして翌日。
鎌倉の外れ・腰越で待っていたのは時政です。
宗盛父子の護送を引き継ぎに来たわけです。

「九郎殿は、この腰越にて留まられよ──」

時政のこの発言に義経らは驚愕しますが、
頼朝の命とあっては、言葉を見失ってしまいます。

義経は、その場に立ち尽くすしかありませんでした。

──────────

元暦2(1185)年5月7日、
壇ノ浦で捕らえた平 宗盛・清宗父子を護送するため、
源 義経が京を出発する。

元暦2(1185)年5月24日、
源 義経が兄・源 頼朝に弁明の腰越状を送るまで

あと17日──。


原作:宮尾 登美子
   「宮尾本平家物語」「義経」より
脚本:金子 成人
音楽:岩代 太郎
脚本協力:川上 英幸
    :眞鍋 由起子
題字:陳 燮君
タイトル画:宮田 雅之
──────────
[出演]
滝沢 秀明 (源 義経)
松平 健 (武蔵坊弁慶)
石原 さとみ (静)
南原 清隆 (伊勢三郎)
うじき つよし (駿河次郎)
伊藤 淳史 (喜三太)
海東 健 (佐藤忠信)
長谷川 朝晴 (鷲尾義久)
中島 知子 (千鳥)
小栗 旬 (梶原景季)

鶴見 辰吾 (平 宗盛)
中越 典子 (建礼門院徳子(回想)) ※ クレジットなし
細川 茂樹 (平 重衡)
戸田 菜穂 (輔子(回想)) ※ クレジットなし
後藤 真希 (能子(回想)) ※ クレジットなし
三浦 浩一 (平 頼盛)
松尾 貴史 (大江広元)
五代 高之 (善信)
白石 加代子 (お徳(語り))
──────────
平 幹二朗 (後白河法皇)

財前 直見 (北条政子)
大杉 漣 (源 行家)
阿部 寛 (平 知盛(回想))
夏川 結衣 (明子(回想)) ※ クレジットなし
草刈 正雄 (平 知康)
中尾 彬 (梶原景時)
小林 稔侍 (北条時政)

松坂 慶子 (時子(回想))

中井 貴一 (源 頼朝)
──────────
制作統括:諏訪部 章夫
演出:大関 正隆

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