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2012年11月18日 (日)

(45)以仁王(もちひとおう)の令旨(りょうじ) 〜平家追討せよ! 諸行無常はじまる〜

ついに武士が……この国の頂に立ったのじゃ……!!

反平家の関白・藤原基房や師家らを追いやった平 清盛。
更に、反平家勢力を解官させるなど
一門に反発する勢力を次々と退け、
ついには後白河法皇をも幽閉してしまいます。

世に言う『治承三年の政変』。
清盛による軍事クーデターでした。

最後の切り札は、清盛の孫である言仁(ときひと)の即位。
世は、清盛の思うままに動いていました。

治承4(1180)年・春 福原・清盛の館──。

この世の頂に立った清盛によって、
朝廷の要職は、悉く清盛に縁の深い者たちで占められ、
更に帝についての人事権までも掌握しようとしております。

新たに平家の棟梁となった平 宗盛は
高倉天皇に譲位を強く迫ります。
院として政治を行うには若すぎると抵抗しても
平家一門で支えるからと言って、聞きません。

清盛は、娘・徳子が産んだ言仁親王に
今すぐにでも帝の座を譲ってほしいという立場です。
帝の外祖父(母方の祖父)は、父方の祖父以上に
政治的権力を持てるからです。

とはいえ、高倉天皇は20歳、言仁親王はわずか3歳。
言仁親王が帝になったとしても、
いささか若すぎるのではという声が
朝廷内から出てもおかしくはありません。

「未だにわしの国造りに異を唱える者がおるのか」
清盛は眼光鋭く福原の海を見つめます。


『治承三年の政変』によって、
最も不遇をかこわれた人物と言えば、後白河法皇の子・以仁。
莫大な財力をもつ以仁の力を削ぐために、
彼が長年所有してきた所領を奪われてしまったわけです。

ただでさえ兄弟や甥たちが
彼を追い越して次々に即位してきた現状では、
「何のために産まれてきたのでござりましょう」と
自分自身の不遇を嘆くのは至極当たり前であります。

以仁の猶母である八条院暲子(あきこ)は
そんな以仁をいたわしいと思うあまり、
源 頼政を呼び出して平家討伐に力を貸せと言いますが、
頼政は平家に逆らうのは愚の骨頂と言って断ります。


高倉天皇が退位し、言仁親王が新たに即位となり
いろいろと物入りになると、
全国に租税を増やすお達しが出たようです。

租税の割増分は
国のためではなく帝や福原のために使われると知って、
北条政子は平家に対していらだちを隠し切れません。

「いよいよ、時が迫っておるようじゃな」
北条時政は、平家に対する不満が
そろそろ爆発するころだと悟ります。

そんな時、すっくと立ち上がった源 頼朝は
的に向かって矢を射ますが、
脇にある木の枝に刺さってしまいます。

政子は口をぽかんと開け、藤九郎は唖然とし、
時政はたまらず目を伏せます(笑)。
「しばらく武芸から離れておったゆえ」という
頼朝の言い訳が実に痛々しいですw


ちょうど同じころ、奥州平泉で
同じように的に向かって矢を射た武者がおりました。
源 義経であります。
ちなみにこちらはちゃんと的を得ておりましたよ(^ ^)

義経は弁慶とともに
平泉の国主・藤原秀衡の元に身を寄せておりました。
秀衡は義経に、今後平家が平泉に押し寄せてきた時には
平泉の武力1万騎、築き上げた無数の財力を存分に使って
迎え撃つように言います。


2月21日、言仁親王が即位して安徳天皇となりました。
平 時忠らは、譲位して院となった高倉上皇の家臣となり
清盛は、上皇の厳島神社への参詣の計画を練ります。

ただ、賀茂神社や日吉神社といった
都の近辺に点在する社への参詣が通例だっただけに、
前例にないことだと、日ごろは仲が悪いはずの
延暦寺、興福寺、園城寺が手を組んで一斉に反発。

この事態に、棟梁宗盛はかなり狼狽し
弟の平 知盛や重衡に対応を任せっきりであります。

結局のところ、平家の武力を恐れた寺社は
何も手出ししなかったわけですが、
それによって高倉上皇の厳島神社参詣が大幅にずれ込み
清盛は相当機嫌を損ねてしまいます。

そんな時、福原にナゾの白拍子・祇王と祇女が現れ
雅な舞を披露して清盛をうならせます。


プライドだけは人一倍高く、
しかし自分ひとりでは何もできない宗盛は
宴ばかり開いて、母の時子に叱られます。

「正妻の子たる私が棟梁となれるよう、
早々に身まかられたのでござりましょう」
酒に酔っているとはいえ、この爆弾発言に
さすがの時子も空いた口が塞がりません。

頼政の子・源 仲綱が愛馬「木下」に乗って出仕しました。
宗盛は、母に叱られたことがよほどいらついていたのか
「木下」を貸せ、と言って聞きません。
「私に逆ろうて、タダで済むと思うてか!」

宗盛は、仲綱に「木下」を返すことはありませんでした。
しかも、「木下」の名を“仲綱”と改めさせ
その尻に焼き印まで付けて、ひどい辱めを与えているとか。

仲綱は頼政に泣いて訴えますが、「堪えよ」と仲綱を諭しながらも
頼政の中で何かが大きくなっていくのを感じていました。
ついに反平家の決意を固めた頼政と仲綱は、
以仁と八条院の元に参上。

八条院は、平治の乱以降 熊野に身を潜めていた新宮十郎行家を
頼政と仲綱、そして以仁に引き合わせます。
かつての源氏の棟梁・源 為義の子で、義朝の弟にあたります。

八条院は、行家のように
諸国に隠れている源氏の、再起に賭ける魂に向けて
平家打倒の令旨を出すように以仁に勧めます。

東海東山北陸 三道諸国 源氏ならびに軍兵らに下命する。

清盛入道と平 宗盛らは、権勢に任せて凶徒に命じて国を滅ぼし、
百官万民を悩ませ、五畿七道の国々を不当に支配し、
法皇を幽閉し、廷臣を流罪に処し命を断つなどした。

財物を掠め取り国を領有し、官職を奪い与え
功なき者を賞し、罪なきものを罰している。
百王の継承を断ち摂関を抑え、帝や院に逆らい
仏法を滅ぼすことは前代未聞のことである。

そのため、天地はみな悲しみ、民はみな愁いている。

そこで私は、法皇様の第三の皇子として天武帝の昔にならって
王位を奪うものを追討し、仏法を滅ぼすものを討ち滅ぼそうと思う。

そこで、源氏の者、藤原氏の者や
先々より三道諸国に勇士として名高い者は、追討に協力せよ。
もし同心しなければ、清盛に従う者に準じて
死罪、流罪、追討、拘禁の刑罰を行う。

もし、特に功績のあった者は、まずは諸国の使節に伝えおき
ご即位後に、必ず望み通りの褒賞を与える。

諸国は、この命令通りに実行せよ──。


4月22日、安徳天皇の即位の儀が行われます。
その祝いにと朝から杯を煽る清盛の元に
またもナゾの白拍子が現れます。

仏御前──。

仏御前もまた優雅に舞い、彼女の虜になった清盛は
彼女を抱きかかえて出て行ってしまいます。
祇王も祇女も、もはや
清盛の後ろ姿を目で追うことしかできません。


以仁王の令旨は、行家によって
遠く伊豆の頼朝の元にも届けられます。

その時が、迫っていました。
源氏が再び立ち上がり、平家を攻めるその時が……。

時政と政子、藤九郎は、頼朝を見据えます。

──────────

治承4(1180)年4月22日、
平 清盛の孫・言仁親王が数え3歳で即位。
安徳天皇となる。

治承4(1180)年8月17日、
源 頼朝が挙兵して平氏に反旗を翻すまで


あと3ヶ月──。


作:藤本 有紀
音楽:吉松 隆
題字:金澤 翔子
──────────
松山 ケンイチ (平 清盛)
深田 恭子 (時子)
森田 剛 (平 時忠)
西島 隆弘 (平 頼盛)
豊原 功補 (平 忠正(回想))
藤本 隆宏 (伊藤忠清(回想))
(※ 豊原・藤本:ピンクレジットなし)
──────────
岡田 将生 (源 頼朝)
杏 (政子)
塚本 高史 (藤九郎)
神木 隆之介 (源 義経)
青木 崇高 (弁慶)
木村 多江 (仏御前)
相島 一之 (藤原兼実)
佐藤 仁美 (八条院 暲子)
──────────
京本 政樹 (藤原秀衡)
宇梶 剛士 (源 頼政)
遠藤 憲一 (北条時政)
上川 隆也 (平 盛国)
──────────
制作統括:磯 智明
    :落合 将
プロデューサー:櫻井 壮一
演出:渡辺 一貴


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『平 清盛』
第46回「頼朝挙兵」

デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜

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