プレイバック草 燃える・総集編第四回「頼家無惨」
蹴鞠を楽しむ源 頼家、18歳──。
正治元年2月、
父の源 頼朝の急死により、嫡男・頼家は
その家督を相続し、第2代征夷大将軍の座に就きます。
源将軍家にも新しい時代がくる……。
しかし、頼家のすずしそうな表情からは窺いしれませんが、
比企一族の者たちを重用し、彼らを大勢引き連れて
気に入らない 頼朝時代からの家臣たちの元に赴いては
叱責、断罪の数々。
各地で起こっている訴訟も、頼朝存命中の
一昨年前の分からどっさりと溜まっておりますが、
慎重に慎重を重ねて裁断していた頼朝に比べ
「さっさと片づけよう」と、
家臣たちと手分けして消化することにします。
しかし、当然ながら反発が多いのも当然の話で、
特に北条時政などは
「土地はわしらが戦の度に命を的に働いた代償だ!」
という土地を比企一族のために再分配するなど
言語道断だと主張します。
蛭が小島の流人時代から付き従っていた安達盛長は頭を丸め、
政治の表舞台から潔く退こうと決意していたようですが、
この頼家のことが気がかりで、他の家臣たちとともに
思い切って政子に相談してみることにします。
頼朝存命中に“御台(みだい)”と呼ばれていた政子は、
政治のことで口を出すということがなかったのですが、
落飾し、“尼御代”と呼ばれるようになっている今
旧来からの家臣たちは
政子を政治の表舞台に担ぎ出そうとしているわけです。
政子は、頑張っている頼家に任せたい意向のようですが、
仮に後見という立場であれ、表舞台に立つことには
「判断を間違えずにやっていけるでしょうか」と
不安なことばかりです。
正治2(1200)年、
頼家の専制を抑えるため、訴訟の裁断権限が
将軍から幕府の有力御家人13人の合議制に渡されます。
北条時政、三善康信、三浦義澄、和田義盛、
安達盛長、梶原景時、北条義時、足立遠元、
大江広元、中原親能、二階堂行政、八田知家、比企能員。
大抜擢と言えば、やはり38歳の義時でしょうか。
頼家の乳母は比企一族の者でありまして、
「なぜその場で突っぱねなかったの!」と
その彼女から激しく詰め寄られる比企能員ですが、
さすがに一人ではどうしようもありません。
しかし、頼家も意地です。
盛長の屋敷に夜襲し、瑠璃葉を掠奪したわけです。
瑠璃葉は盛長嫡子・景盛の嫁でありまして、
盛長は太刀を抜いて応戦しますが、
覆面の騎馬武者5人が相手とあって
アッという間に倒され、重傷を負ってしまいます。
翌朝。
景盛が頼家の元を訪ね、瑠璃葉を返すよう迫りますが
「あの女はオレがもらった」と頼家は聞きません。
強引に連れ出される景盛。
しかも、日ごろから馬が合わなかった景盛を攻めるべく
出陣するという頼家に、政子は動揺を隠せません。
祖父の時政すら会わないという話を聞き
政子自ら頼家の居室に出向いて諫言しますが、
そんな母の言葉に構わず、頼家は瑠璃葉を……。
あぁ、恐るべき権勢欲。
一方、頼家の軍勢に囲まれた安達屋敷では、
盛長が迫り来る時を感じています。
そこへ現れたのは政子でして、
「私に向かって矢を射るのです!」と胸を張り、
頼家軍の安達への攻撃をやめさせます。
御家人66名による梶原景時糾弾の連判状が
将軍頼家に提出され、
景時は何の抗弁もせぬまま鎌倉追放となりました。
一族を引き連れて京に向かう途中、
偶然居合わせた在地の武士たちに発見されて襲撃を受け、
戦って見事に討ち死にします。
3日後、御家人・三浦義澄が病没しますが、
その息子の三浦義村は、
比企と北条の争いが起こることを予感しています。
建仁3(1203)年1月。
鶴岡八幡宮に参詣する比企一族の姿があります。
能員の孫で頼家の子・一幡(いちまん)を連れておりまして、
将軍頼家の跡継ぎが一幡であると
世間に印象づけるための儀式と言えば分かりやすいでしょうか。
その1ヶ月後には、北条一族の姿があります。
時政の孫で政子の子・千幡(せんまん)を連れておりまして、
将軍頼家の跡継ぎが千幡であると
世間に印象づけるための儀式と言えば分かりやすいでしょうか。
ここにきて、比企と北条の争いが目に見える形で起き始めまして、
義村としては高みの見物、物見遊山気分です。
あわよくば、争いによってどちらも弱体化すればいいのにと
思っているかもしれません。
その争いの最初の犠牲者は阿野全成で、
建仁3(1203)年6月23日
謀反人の咎で誅殺されました。
この全成事件の最中、頼家が大量吐血して倒れ
危篤状態に陥ってしまいます。
政子は頼家を尼御所へ移し、そこで看病することにします。
今の鎌倉では、何が起こっても
そのまま権力争いに直結するのがなんとも滑稽です。
能員は、娘で頼家側室の若狭局に
一幡を連れて尼御所へ赴くように命じ、
時政は、今将軍に死なれては後継の準備不足が否めぬため
頼家の容体こそ正確に掴むことに専念します。
義時は、頼家が存命している間に
京へ使者を走らせるべきだと政子を説得します。
頼家は亡くなったということにして、
千幡がその後継者である、と。
それが御家人の混乱を生まないための方策であるわけです。
薬師像を刻み、頼家平癒を祈るつもりの時政は
供養だけでもしようと考えています。
それに珍しく同調した能員にも列席をお願いする時政です。
しかし──。
列席すべく名越北条邸に赴いた能員ですが、
邸内に入った途端、
左右の手を掴まれて暗殺されてしまいます。
謀反であるとして軍勢が差し向けられ
比企一族は立て籠もりますが、
逃げる最中、追っ手に囲まれた比企一族は、
力尽き、燃え盛る火に飛び込みます。
頼家の意識が、奇跡的に回復しました。
しかし頼家自身、何かを察知したようで
お世話係の侍女に「何があったのだ?」と問いつめますが、
誰も、何も話してくれません。
北条氏としては、頼家回復の報は大誤算でありますが、
しばらくは様子を見ていくより仕方ありません。
比企一族と一幡の死を隠したいわけですが、
それは加担した御家人たちも同様です。
頼家は、政子に迫って妻子の末路を知ってしまいます。
仁田忠常に北条討滅を厳命し、兵を挙げさせますが
時政の先手によって頼家の思惑は失敗に終わり、
忠常は誅殺されます。
9月15日、
頼家は政子の意向で半ば強引に出家させられ、
29日には鎌倉から伊豆修善寺へ追放されます。
10月8日、名越北条邸において千幡は元服し
名を、後鳥羽上皇から賜った「源 実朝」と称します。
実朝の祖父にあたる時政は、弱冠12歳の実朝に代わって
幕府初代執権職に就き同時に政所別当の職を兼ね
鎌倉幕府の実権を手中にしたわけです。
義時も、かつてはとても軟弱な男ではありましたが、
政敵を力でねじ伏せて排除していく様は
まさに老獪ともいうべき姿であります。
元久元(1204)年7月18日、そんな義時の圧力を受け
修善寺に向かった三浦義村らは頼家を殺害。
そんな動きを知らず、止められなかった政子は
頼家の子・善哉を守り抜こうと固く誓います。
やがて実朝と音羽との婚礼が華やかに行われます。
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原作:永井 路子
脚本:中島 丈博
音楽:湯浅 譲二
語り:森本 毅郎
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[出演]
岩下 志麻 (北条政子)
郷 ひろみ (源 頼家)
篠田 三郎 (源 実朝)
佐藤 慶 (比企能員)
江原 真二郎 (梶原景時)
石坂 浩二 (源 頼朝)
尾上 辰之助 (後鳥羽上皇)
松平 健 (北条義時)
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制作:斎藤 暁
演出:大原 誠・江口 浩之・伊予田 静弘・
東海林 通・渡辺 紘史・松橋 隆
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