プレイバック草 燃える・総集編第二回「平家滅亡」
治承4(1180)年10月6日、
数万騎の大軍に膨れ上がった頼朝軍は鎌倉に入り
ここを本拠に定めます。
16日、平 維盛軍が発ったとの知らせを受けた頼朝は
大軍を率いて鎌倉を発ち、駿河国へ向かいます。
途中、甲斐の武田信義が合流して総勢30万の軍勢は
20日に富士川に着陣。
その夜。
武田信義の一部隊が平家軍を叩かんと富士川を馬で渡ろうとすると、
すると沼にいた水鳥が反応し、大群が一斉に飛び立ちます。
これに驚いた平家方は大混乱に陥ります。
頼朝軍は、一戦も交えずして平家軍に勝ったわけです。
一方で頼朝は平家を追うことに執着せず、
まずは陣を黄瀬川まで退かせて
上総介広常が言うように関東の政治安定を目指して
敵対勢力を屈服させることにします。
その陣で、義経との涙の対面が行われるわけですな。
ちなみにその後の
阿野全成と義経が浜辺で語らうシーンがあるのですが、
スタジオ収録した画面(二人の姿のロングショット)の
左側に移る大きな大きな岩がほんの少しの波に揺さぶられています。
早送りしてみたら一目瞭然(笑)。
前の石橋山の戦いで、源氏 特に頼朝を
「犬にも劣る」とけしかけた大庭景親が捕らえられました。
頼朝は少しだけ温情を見せますが、景親が反発します。
その景親の身柄は、とりあえず北条義時が預かることにします。
義時が愛する茜の父が景親だったのですね。
茜に助命嘆願を受け、頼朝はそれに見惚れながら言います。
「考えてみよう……何とかせねばならぬな」
しかし頼朝は、茜が下がった後に全てを翻します。
すぐに景親は処刑され、梟首されます。
その残酷な姿を見た茜は、言葉もありません。
昏倒してしまいます。
養和元(1181)年1月・京都──。
平 清盛は前年11月に都を福原から京に戻しています。
その間にも北条の娘たちは政略結婚で次々に嫁いでいき、
力を磐石たらしめんものにしていっています。
全成に嫁いだのは北条保子です。
その祝いの席で義経は、
木曾義仲が発って京を目指している現状で
こんなに呑気に時を過ごしていいのかと主張しますが、
頼朝としては関東の足固めをする考えなので、仕方ありません。
義経はだれ彼構わず清盛討伐をけしかけますが、
御家人衆を呼び捨てに言いたい放題の義経は
完全にシカトされ、浮き足立っています。
評判は、あまり芳しいものではなさそうです。
そこへ飛び込んできた清盛の病死の報。
かつての富士川の戦いのように
戦わずして敵の大黒柱が倒れたことは
源氏にとっては喜ばしいことではありますが、
清盛の死によって、
源氏にとっての仇がいなくなってしまったわけで
「だから早く挙兵をと言ったのに!」と義経が悔しがります。
寿永2(1183)年3月、頼朝は
北陸一帯を手中に収めて京都に攻め上る意向を示していた
木曾義仲を討つために信濃へ兵を差し向けます。
その挙兵に驚いた義仲は、子の志水冠者義高を
和睦の証・人質として鎌倉へ送ってきます。
5月、義仲は越中国礪波山に
10万の平維盛軍に夜襲をかけ、これを落とします。
7月25日に平氏は安徳天皇と建礼門院を奉じて
都を落ち、西国へ西国へと逃れていきます。
後白河法皇は比叡山で身を隠し、都落ちをやりすごしますが、
飢饉が続く京都に義仲軍が居座ったために
都周辺での略奪行為が横行、治安は悪化の一途を辿ります。
後白河法皇から上洛の要請を受けた頼朝は
源 義経・源 範頼らが率いる軍を京方面へ向かわせ、
その義経の軍勢により、粟津の戦いで討たれてしまいます。
頼朝と政子の娘・大姫は、
人質となっている義高に淡い恋心を抱いておりまして、
どんな時も仲良く遊んでもらっている身です。
しかし義高は、父・義仲が討たれたことについて
多くを語ろうとはしません。
頼朝曰く、きっと怨みでいっぱいだろう、と言います。
かつて頼朝がそうであったためです。
幼くして父を討たれ、その仇の継母に命を助けられた。
生涯を念仏を唱えて過ごすようにと命じられるものの、
20年経った今ではその約束を反古にして、平家追討に動いている。
平家にしてみれば、飼い犬に手を噛まれたわけで、
あの時命を奪っていればと後悔するのも道理です。
弱冠12歳の義高は討たれてしまいました。
そして、その死を悲しむ大姫は7歳でありました。
源氏が義仲vs義経で時間が割かれている間も
平家は着々と勢力を立て直しますが、
寿永3(1184)年1月26日
福原に陣を構える平氏を範頼・義経軍は攻撃します。
世に言う「一の谷の戦い」であります。
範頼・義経軍は平氏を急襲、海上へと敗走させます。
その戦功に対して、頼朝は何の恩賞も与えませんでした。
そんな兄弟不和に付け入った後白河法皇が
義経に官位を与えるわけですが、それに頼朝が激怒します。
平家追討軍から義経を外すことも考えますが、
結局は義経を差し向けざるを得ませんでした。
元暦2(1185)年2月、義経軍は暴風雨の中を少数の船で出撃。
平氏の拠点である讃岐国屋島を奇襲します。
山や民家を焼き払い、大軍に見せかけて平氏を敗走させます。
この戦いの後、平氏軍は長門へ撤退します。
続いて、関門海峡の壇ノ浦でも戦いが行われました。
序盤は潮の流れにより平家が優勢でしたが、
流れが変わるに従って、やがて劣勢となっていきます。
平家の敗色が濃厚になり、
平家側の武将・女人たちは海へ身を投じていきます。
3月24日、平氏は滅亡しました。
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原作:永井 路子
脚本:中島 丈博
音楽:湯浅 譲二
語り手:森本 毅郎
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[出演]
石坂 浩二 (源 頼朝)
国広 富之 (源 義経)
黒沢 年男 (苔丸)
金子 信雄 (平 清盛)
草笛 光子 (丹後局)
友里 千賀子 (静)
高橋 昌也 (九条兼実)
松坂 慶子 (茜)
尾上 松緑 (後白河法皇)
岩下 志麻 (北条政子)
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制作:斎藤 暁
演出:大原 誠・江口 浩之・伊予田 静弘・東海林 通
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